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上記写真:国登録有形文化財「大屋旅館」
私は生まれてからこの方、祖父母の傍らでずっと過ごしてまいりました。
それは、18歳で上京するまで続きます。
その祖父母の仲人をやった方が、江澤譲爾先生ご夫妻
だったことをよく聞かされました。
祖母(麻生秀子)の叔父に当たる方で、「日本地政学の父」と謳われ、
日本経済地理学会初代会長をなさった方だそうです。
祖父母は戦後の昭和21年12月に地元の老舗旅館「大屋旅館」
で、挙式披露宴をあげました。
ちなみにこの旅館は、現在は国登録有形文化財として、いまなお
営業なさっている大変趣のある旅館です。
祖父(麻生省三)が、平成4年8月に亡くなるまで仲の良い夫婦でした。
祖父が体調を悪くしてからも、祖母は献身的な看護を続けました。
傍で見ていても本当にかいがいしくやっておられました。
今でもその光景が目に浮かびます。
麻生省三と麻生秀子は、約半世紀ともいうべき47年間の
結婚生活の中で、病める時も健やかなる時も、お互いを
思いやり励ましあいながら、過酷な状況の中でもゆるぎ
ない愛を実践し続けた素晴らしい夫妻でした。
祖母は叔父である江澤譲爾先生より、結婚前に
「おまえの夫となる麻生省三は、大変誠実な男だ。
一生を添い遂げるとしたらこの男をおいて他にはない。
私(江澤譲爾)が太鼓判を押す」
と言ったといいます。
「いま振り返ると、将に叔父の江澤譲爾の申すとおりの
尊敬すべき夫であった」
と祖母は申しております。
そんなキューピッド役をやってくださった江澤譲爾先生と私は、
直接お会いしたことはありませんが、私の叔父(麻生剛)は、
上京した折にお会いしております。
その時の印象は本当に庶民的な方で、なおかつ博識のある
方という印象を受けたとのことです。
後年、叔父(麻生剛)が、法律学・政治学・行政学・経済学等の
社会科学を探求したのも、江澤譲爾先生の影響があったことは、
否定できません。そんな偉大なる学者が、私共の血縁者であり、
祖父母の生涯の恩人であったことを誇りに思います。
江澤譲爾先生の追悼号で、時の経済地理学会 会長の
青木外志夫先生(当時、一橋大学教授)がお書きになった文を
そのまま載せさせていただきます。
「専修大学社会科学研究所 月報NO.137(昭和50年2月20日号より)」
弔 辞 青木外志夫
経済地理学会前会長・専修大学教授 江澤譲爾先生のご霊前に、
経済地理学会を代表しまして謹んで哀悼のことばを申し上げます。
去る、1月23日、先生のご逝去のしらせに接しまして以来、万感無量、
ただただ悲しい気持でいっぱいでございます。
昨年、病床に先生をお見舞いしましたとき、枕辺にドイツ語の辞書
と原書を置かれ、学問のことなどを話しておられたお姿が、今もあ
りありと眼に浮び、先生の元気なお声が聞こえてくるように思われ
てなりません。
気丈な先生のことゆえ、必ずや病気を克服されて、もとの健康を回
復されるものと信じておりましたのに、ほんとうに残念やるかたあ
りません。私どもでさえこのような気持ちですから、ましてやご遺
族のかたがたのお悲しみは、いかばかりかと、衷心よりお悔み申し
上げます。
さて、江澤先生は、昭和5年3月、東京商科大学学部(現在の一橋大学)
を卒業されたのち、東京商科大学講師、東京商科大学予科教授に就任
され、終戦後は神奈川大学教授、専修大学教授などに歴任されました。
その間、経済地理学、経済立地論、立地政策などの授業を担当され、
教育及び研究に多大の貢献をされました。
先生の学問上の功績は、経済地理学方法論、地域経済学、近代経済論、
国土計画論、資源論、ドイツ思想史など多方面にわたっておりますが、
なによりもまず特筆すべき貢献が経済立地論の分野にあることは、衆
目の一致するところであります。
先生は昭和10年、28才の若さで「経済立地学」という書物を著わされ、
また昭和13年31才のとき、アルフレート・ウェーバーの「工業立地学」
の翻訳を出版され、わが国における経済立地論研究の草わけとなられ
ました。
先生の立地論研究が大きく花開き実を結んだのは終戦後でありまして、
昭和29年には、「工業集積論」の名著によって、一橋大学から経済学
博士の学位を授けられました。
また、先生のユニークな学説「消費者空間構造理論」は、ドイツの有名
な学術誌にも掲載されております。
さらに昭和42年には、「経済立地論の体系」というライフ・ワークを完成
されました。
これらの著作は、世界の最高水準をしのぐ業績として国際的にも評価
されているところであり、また、わが国における立地論研究史上の金
字塔として、永久にその光を失わないものであります。
わが国の経済立地論研究を世界レベルにまで高めた功労者が、誰より
も江澤先生であることについては、何人も異論のないところであろう
と思います。
そのほか先生は、立地論に関する数多くの論文や入門書を著述されて、
わが国の経済地理学会に新風を吹き込まれ、終戦後に勃興し、そして
現在では主流の一つとなっている立地論経済地理学会の発展に、大き
な刺激を与えられたのであります。
こうして先生は、昭和44年、推挙されて経済地理学会会長となられ、
昭和48年までの4ヵ年にわたって、会勢の運営に尽瘁され、学会の発展
に顕著な貢献をされました。先生は経済地理学会の大会や例会にもよ
く出席され、シャープな問題指摘によって若い研究者たちを啓発され、
純真にして物事にこだわらない先生の巾広いお人柄は、学会員の敬愛
するところでありました。このような先生を失いましたことは、誠に残念
至極というほかありません。
先生は、偉大な学者であられましたが、他方では詩や短歌などをよくされる、
情緒豊かな文人でもあられまして、昭和38年には詩歌集「内面鏡」を出版さ
れ、また昭和45年には、漢詩集「芳塵集」を出版されました。
これらの詩や短歌集は、ひたむきに真理を求め人間を愛された、先生の純
粋な魂にあふれており、また、人生の喜び、悲しみが格調高く歌いあげら
れており、さらに晩年の作品には、悟りの境地に到達されたものが多く、
読む者をして大きな感動にさそいこまずにはおかないものがあります。
立地論という学問の母国ドイツをこよなく愛され、ワインを好まれた学者・
江澤先生のお人柄をしのぶにふさわしい、先生の作品、短歌一首を朗詠さ
せていただいて、追悼の言葉を終わらせていただきたいと思います。
次の短歌は、昭和48年、在りし日の先生がドイツのドレスデンへ旅行された
時の作品であります。
ひとり侘びワイン傾くるドレスデンのホテルの窓に春雷はたたく
先生、どうか安らかにお眠りください。
昭和50年1月28日
経済地理学会会長 一橋大学教授 青木 外志夫
◎参考文献
・「専修大学社会科学研究所 月報NO.137(昭和50年2月20日号)」
〜以下は江澤譲爾(著)〜
・『経済立地学』河出書房(1935年9月)
・『独逸思想史研究』主張社(1936年12月)
・『経済地理学の基礎理論』南郊社(1938年2月)
・『黄河流域の農業形態』刀江書院(1939年12月)
・『価値概念の日本的内容』刀江書院(1941年8月)
・『カール・ハウスホーファーの太平洋地政学』日本放送出版協会(1941年8月)
・『経済地理』研究社学生文庫(1942年1月)
・『地政学研究』日本評論社(1942年6月)
・『国土計画の基礎理論』日本評論社(1942年9月)
・『地政学概論』日本評論社(1943年2月)
・『南方地政論』千倉書房(1943年2月)
・『国土と民族』目黒書店(1945年5月)
・『アメリカ資源論』千倉書房(1948年1月)
・『経済立地論』学精社(1952年7月)
・『工業集積論』時潮社《学位論文》(1954年5月)
・『立地論序説』時潮社(1955年5月)
・『経済立地論概説』時潮社〔伊藤久秋氏と共編,かつ第4章執筆〕(1959年4月)
・『産業立地論と地域分析』時潮社(1962年4月)
・『経済立地論の体系』時潮社(1967年4月)
・『地域経済学体系』頸草書房
〔全三巻,金子敬生と共編かつ第1巻『経済立地論の新展開』の第一章,
第二章及び第三章執筆〕(1973年6月)
◎一橋大学
http://www.hit-u.ac.jp/
◎神奈川大学
http://www.kanagawa-u.ac.jp/
◎専修大学
http://www.senshu-u.ac.jp/
あそう あきこ
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