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◎出典:写真/千葉県立中央博物館
http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/mammal/chibamammal/deer.html
祖母が自分の部屋に保管してあった私の中学時代の作文を
送ってくれました。
この当時の私の心の拠り所は「書物と文章を書くこと」でした。
様々な作品やエッセイを書いた記憶があります。
昨日ご紹介した「麻綿原高原」を、少し成長した思春期に
訪れた時に、率直に感じたことをそのまま作文にしたような
記憶があります。
現在の私の原点というべき私の作文(全文)を掲載します。
「麻綿原を訪れて」 大多喜中3年 麻生晶子
今まで立ちこめていた霧がフッと消えるや、眼前に現われたのは、
黒潮洗う太平洋の雄姿。また、反対側には遠く三浦半島から東京湾
へかけての光景が望める。この地上と隔絶したような世界を、現出
している場所が麻綿原高原である。
その昔、日蓮上人も朝日に向かって御経を唱えたとも言われ、何か
神秘的な香りも辺り一面に漂っている。
私はいま麻綿原に立っている。
折りしも、八月十三日、夏の盛りなのに赤や青の色とりどりの
アジサイが辺り一面に咲き乱れていた。このアジサイは、梅雨時か
ら、およそ一か月半も、七色に変化して咲いているそうである。
その為、数千人というハイキング客が訪れる観光地となっている。
その名物の「アジサイが危機に瀕している」と言う。
聞けば、「野生の鹿が出没し、アジサイの花を次々と食い荒らしている」
そうである。
何故、突然鹿がこんな所にアジサイを食べにくるようになったのか。
昔から鹿はアジサイを食べていたのだろうか。
私が麻綿原を訪れたのは、この調査に乗り出してみる決意をしたから
である。現地に行ってこの目で見るのが一番と思い、家族と共にやって
きた。ちょうど、夏休みで、親戚の人もハイキングを兼ねての調査に同
行した。
山々のうねを越えながら、胸の鼓動は益々増幅し、もしかしたら本物
の鹿に会えるのかという想いと、被害の出ているアジサイの花は果たし
て、大丈夫なのかと言う想いが交差した。
そうこうしている内に、標高250メートルほどに位置する麻綿原高原
に到着。当り一面は、ずっと頂上まで、赤、青、ところによっては紫の
大輪で一杯。ホッと胸をなでおろし安心した。
しかし、妙法寺の箕輪住職(注:先代住職ではなく現在の住職)に
話を聞いて、一変した。うわさはやはり本当だったのだ。
住職によると、今年の二月頃から、新芽が出ると片っぱしから、鹿が
ムシャムシャと食べてしまうと言う。
だから、よくみると、いま咲き誇っているアジサイも本当のところは、
二回目に出てきた芽が成長し、花となったものだと言う。
折角、花の名所として全国的にも知られる場所だけに、このまま手を
こまねいてはいられないと思うのは、私だけではないと思う。
その昔、鹿はアジサイなど食べなかったはずである。それが昨今の
様々な開発ラッシュの中で山という山を崩し、緑という緑を無秩序に
なくし、彼等の行き場をなくし、食べ物がなくなったからこそ、鹿達は
生きる為に、アジサイまで食べるようになったのではないだろうか。
すると、その原因は、私達人間がつくったものであり、一概に鹿を
退治すればよいというものではない。
早急に対策を考えなくてはならないはずである。
聞くと、金網をはって鹿の侵入を防ぐようにしてある所もあるそうだ。
とにかく、鹿を生かし、アジサイも守る方法を考えてやっていくのが、
人間の使命であると思った。
以上が、私が中学3年の時に「文集いすみ」に掲載された作文です。
いま改めて自分の書いた文章を読み返すと、ちょっと恥ずかしい
思いも生じます。
私は昔から調査研究することが好きでした。
名物のアジサイが危機に瀕していると聞いて、いてもたっても
いられなくなり、意気込んで調査に行ったような気がします。
祖母から送られてきた自分の昔の作文集を読みかえしてみると、
中学生でも色々と真剣に考えていたなぁと感じます。
大人になるにつれて、忘れてしまったものはたくさんあります。
でも、中学の時から
「自然環境を守り、動物たちと共生して生きていく」
ことをテーマとして考えていたことに、
改めて気づかされ嬉しくなりました。
作文から素直なその当時の自分の思いが述べられている点に、
とても興味を抱きました。
中学時代の作文を通じて、約17年前に感じた昔の自分と対話
することができました。
あの頃の純だった思いの数々がよみがえってまいりました。
〜中学生との対話から感じたこと〜
昨年、私は中学生区議会を傍聴し、墨田区の中学生たちの
墨田区への真摯な思いを感じることが出来ました。
「区議としてできることとは何だろう」
とずっと考え続けております。
縁あって様々な子供達と接する中で、
「大人に頼めば何でもやってくれるよね」
と期待している目で言われると、本当に叶えてあげたいなと
心が揺れる瞬間が多々あります。
どんどん突進して進んで行ける子、
一歩下がって考えながら実行に移す子、
思いは沢山あって話したいのに緊張してうまく話せない子、
人の話をよく聞きみんなと一緒に活動していける子など、
子供の数だけ多種多様に個性は彩り豊かですね。
子供達と接する中で、色々な考えがあることに気づかされます。
夢一杯の話を聞く時、いつも私は生きる力をいただきます。
彼らが頑張っている姿を微笑ましく思います。
そして、彼らが真剣に考えていることの中に、私達大人が
忘れていた大切な気持がたくさん詰まっていることにも
気づかされます。
子供のように柔軟に即行で、角度を変えて物事を見てみる
ことは、自分のライフスタイルが決まってしまった大人に
なってからでは、失敗を恐れてなかなかできませんね。
最初は緊張して言葉少なだった子供達から、
「年齢の割には若い感覚でいいよ。その調子で頑張って」
とか言われると、ちょっと生意気と笑いながらも、
私に気軽に声をかけていただけたことを嬉しく感じる
と共に、感謝の気持ちでいっぱいです。
でも、彼らを見ていると、自分が年をとったことを感じますね。
まだまだ若いつもりでいましたが、彼らから見ると私は常に
大人として見られていることを感じ、更に気を引き締めて、
頑張ろうと思いました。
これから、子供達の意見も参考にし、一緒に学び、一緒に
協力して取り組む中で、墨田区をよりよいまちにしていく
ための活動を展開していきたいです。
あそうあきこ
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