先日素晴らしいブログを教えていただきました。ぜひ、みなさんにも読んでいただきたいと思いご紹介いたします。「いのち」について「食」について考えさせられます。乳ガンで33歳の若さで亡くなった安武千恵さんのブログです。先日ご紹介した『いのちをいただく』の題字を書いたのが娘さんのはなちゃんで、帯には、生前のさくらさん(安武千恵さん)のコメントが入っています。題字指導は、はなちゃんが3月までお世話になった高取保育園の井上先生だそうです。まずは一度ブログを訪れてみてくださいね。そして、以下が6月14日:朝日新聞に掲載された記事です。 残された妻のブログ、書き込み続ける娘との日々(朝日新聞より)〜ホールフードスクール福岡事務局だった安武千恵さんの関連記事〜http://www.asahi.com/national/update/0614/SEB200906140002.html千恵さんは私の心に多くの衝撃と感動を与えてくれました。 たくさんの心を揺さぶるエッセンスが、いま私の心の中に降り注いでいます。 議員となってから3年経ちます。 一貫して、主張し続けていることに「いのち」の問題があります。 食育研究をする中で、私は子供たちに「いのち」について考える機会を 多く持ってほしいと強く願うようになりました。 以下は私のブログです。ご参照ください。 今この瞬間にも生を受け、そして誰かがこの世を去っていく。 人が生まれて成長して、生き続けることは本当に稀有なことなんですよね。 年齢に関係なく死は訪れます。 私もかけがえのない家族や友人たちを見送ってきました・・・。 私たちは近しい者の死によって、嘆き悲しみ心が砕け散るかのように感じます。 でも、その悲しみは他者の身に起きた問題として、現実を受容していく中で、 傷ついた心は癒され、思い出を心の奥にそっと閉じ込め生きていきます。 悲しみを苦しみを忘却する中で、自分の人生を歩みだしますが、心のどこかで 自分の身にだけは死が訪れないと漠然と感じているのではないでしょうか。 だから、世界のどこかで戦争が起きていても、誰かが苦しんでいても、 どこかでトラブルが起きていても、自分の身に降りかかってこなければ、 いつもどこか他人事であり、無関心で通り過ぎてしまうのではないでしょうか。 本当は一番考えなければならないのは自らの存在であり、自分も死ぬ定めだと いうことです。 どの人にも同じように24時間が与えられます。 日々生きる中で色々なことが身の上に起きます。 過去は変えられないけど、明日は創れます。 いつも新しい自分と会えるんですね。 私の明日も21世紀という時代の中の一部です。 明日は昨日とは確実に違います。 なぜならば、「いのち」の時間が一日分燃やされたからです。 私も頭痛や腹痛がして何も考えられなくなる時もあります。 そのたびに辛いな早くこの苦しみから解放されたいと感じます。 そんな時に、自分に言い聞かせるかのように、 「あぁ、いま生きているからこの痛さを感じるんだな」と、 のた打ち回りながらそんな思いが心をよぎります。 痛みを歓迎することはなかなかできませんが、自分の「いのち」を 再認識する機会がもてたことに少し安堵を感じます。 痛さが通り過ぎ、生きていることに感謝しつつ、同時に死にまた一歩 近づいたことを自覚します。 そして、無事に生きているこの瞬間に感謝するのです。 毎日眠りにつく時、いま生きていることだけが唯一の真実であると 実感します。今夜も眠れるということに感謝しながら筆をおきます。 〜追 伸〜
ブログを拝見しながら、ある言葉を思い出しました。 〜ネイティブ・アメリカンの言葉〜 あなたが生まれたとき、 あなたは泣いて まわりは笑っていたでしょう。 だからあなたが死ぬときは、 まわりが泣いて あなたが笑っているような人生を歩みなさい。 あそう あきこ
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