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啓蟄を過ぎ、寒い日が続いています。 皆様はお元気ですか? 雨から雪に変わり、寒さにふるえています。 春の訪れを体感するのはもう少し先ですね。 墨田区議会では予算特別委員会が開催されています。 本日は総括質疑でした。 私の質問等につきましては、後日ブログにて連載させていただきます。 墨田区では、平成元年に「平和福祉都市づくり宣言」を行ないました。 毎年3月には平和祈念行事「平和への祈りをこめた24万人の平和メッセージ」が 開催されています。 区役所一階アトリウムには、折り鶴で作成した「平和のオブジェ」も飾られます。 一羽一羽に込められた思いと共に、毎年圧倒されるほどの素晴らしいできばえに 感動をおぼえます。 戦後65年が経ち、3月10日は皆様もご存知の通り、東京大空襲によって 多くの尊い命が失われました。 時が流れ、墨田区が東京大空襲で焼け野原になった事に、思いを馳せる人々が、 だんだんと鬼籍にはいられています。 私の祖母もそのひとりです。 祖母は関東大震災の時に赤ちゃんでした。 「関東大震災の時は、自分の命をかえりみずに、ばあやが自分を抱いて 車で避難してくれた。いまの自分が生きていられるのは全てばあやのおかげだ。 いつも心から感謝している」と申しておりました。 祖母はいつも女学校時代の思い出を楽しく語ってくれました。 女学校卒業後は暗黒ともいうべき戦争時代だったからかもしれません。 東京大空襲を命からがら生き延びた祖母は、戦争のことを思い出すと具合が悪くなるので、 テレビで流れる画像を凝視できないと申しておりました。 しかしながら、 「私が語らなければ真実は闇の中に消えてしまう。 それは死んでいった家族や友人たちに対して申し訳ないことになる。 自分が戦争について若い世代に語り継ぐことこそ、過酷な状況を生き延び、 たくさんのものたちに生かされてきた意味なのではないだろうか」 祖母はそのような思いから、私に戦争話を語ってくれました。 実際に戦争を体験していない私でも、当時の過酷な日本の状況を想像する ことができました。 祖母と孫というご縁をいただき、出会うことができたことの喜びをかみしめ、 いま私が祖母のふるさとの東京で暮らしていることに不思議さを感じます。 いまから65年前、多くの尊い命が失われた事実を刻み付けることにより、 自分がこの時代に生まれることのできたことの意味を考えさせられます。 改めて認識することによって、自分の役割を明確にして生きていくことにも つながっていくのではないでしょうか。 明日は春季慰霊大法要が東京都慰霊堂にて行なわれます。私も参列する予定です。 凍てつく雪のような日々が少しずつ終わりを告げ、あたたかな春風が心を吹き抜けて いくことを静かに感じています。 過去ブログもご参照ください。 あそう あきこ
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