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携帯で写真を写すたびに、「刹那」という言葉が頭をよぎる。
ふと、顔をあげて青空を見上げてみた・・・、
言葉で表現できない光景が繰り広げられていた。
現代において「刹那」という言葉は、「刹那的に生きる」という言葉も
あるように、一瞬を楽しく過ごし今がよければ良いというような意味
にとられているが、もともとは、梵語(サンスクリット語)のクシャナの
音写であり、「ほんの少しの短い時間、一瞬」のことを指す。
1秒の75分の1に当たるといわれている。
仏教の時間論においては、私がカシャカシャとシャッターを押す
その一瞬に何かが生まれて何かがなくなっていく。
「あぁ、この繰り返しがいのちであり生きることなのかな」
日々の中で、色々な場面において、
「ハッ」と気づかされることは多々ある。
「忙しい」という言葉が口から出るたびに、
「あぁしまった、マズイまた言ってしまった」
と心底そう思いながら、自己嫌悪に陥って、
また立ち直っての繰り返し・・・。
めぐりあい(宇佐美百合子) 人と人がつながると
小さなしあわせが
大きな感動にかわる
めぐりあいの不思議
縁が縁をひきよせると
小さなねがいが
大きな夢にかわる
めぐりあいの恩恵
そういう経験を
つめばつむほど
“めぐりあえて
ほんとうによかった”
そういわれる自分にならなければ
とつくづく思う
◎出典:『こころの贅沢、みつけよう』宇佐美百合子(著)幻冬舎
疲れ果てた一日の終わりに、いつも宇佐美さんの言葉に励まされる。
そして、学生時代に仏教学、インド哲学の先生方から、
「聞法が大事だよ。良いも悪いも自分の心がつくりだしているんだよ」
と、教わったことがふいに思い出される・・・。
その時にはあまり気にならなかったことが、卒業してから約10年経過
しようとしている今になって、色々な場面で心にわきあがり、色々と考え
る機会を与えてくれる。
「あそうさんと会えて話ができて本当によかったよ。ありがとう」
出会えた人々からそういわれた時に、「こちらこそありがとう」
という喜びが自然と心にわきあがってくる。
そして、次なる課題へチャレンジしようという力につながっていく。
託された課題と向き合う時、私の目にはいらない速さで、何かが
生まれて何かが昇華されているのだろう。
真摯に耳を傾ける姿勢を大事にし、残された時間をどう生きるのか!?
これからも考え続けていきたいと思う。
あそう あきこ
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