今、おばあちゃんとの思い出を歌った歌「トイレの神様(植村花菜)」が
ヒットしていますね。
今日ランチの際にたまたまテレビで流れていた「トイレの神様」。
私はギターを弾けないので、祖母に「ありがとうとごめんなさい」を伝えた
い思いで、今ブログを綴っています。
祖母が楽しみにしてくれていたのは、私の文章なので・・・。
いつでも私の一番の理解者であり、はじめての読者が祖母でした。
私は今も祖母と会話を続けているんだと思います。
祖母が自らの命を削って私を育ててくれたのに、ちっとも恩返しできない
まま祖母を見送り、早いもので2月3日で祖母の一周忌を迎えます。
祖母は私に、常日頃から社会貢献の重要性を、魔法の呪文のように唱
え続けていました。
祖母の遺志を継ぐ私の伯母の温子(祖母の長女で私の母の姉)に
よって、天賞文庫に書籍寄贈の記事(平成22年3月18日 朝日新聞)
が掲載されました。
県内最古の公立図書館 大多喜図書館 天賞文庫
創立者の孫の蔵書を寄贈 遺族ら
大多喜町の町立大多喜図書館天賞文庫の創立にあたった
功労者の孫で2月に亡くなった麻生秀子さん(享年87)の書籍
約百点が17日、同文庫に寄贈された=写真。
同文庫は、東京・銀座天賞堂店主、江澤金五郎の遺志を継いで、1897(明治30)年に、弟の富吉らが建物、書籍を寄贈して誕生した県内初の公立図書館として知られる。
寄贈したのは、秀子さんの長女温子さん
(62)。親類の吉野三次さんと職員に書籍と目録を手渡した。
昭和初期から10年代に出版された吉田松陰全集や夏目漱石全集のほか、同40年代から50年代の人文科学、社会科学関係の本だ。
天賞文庫目録を渡す麻生温子さん(左端)
=大多喜町大多喜
秀子さんは富吉の孫で、麻生省三さん(故人)に嫁ぎ、6人の
子どもを育てた。若い時から読書が好きで、富吉の妻が勝海舟
の遠縁だったことから、幕末の歴史にも興味を持って勉強してい
たという。また、時事問題にも関心を持っていたという。
温子さんは「先祖がつくった図書館に蔵書を寄贈することが母
の遺言だった。読書は人間形成に役立つので、多くの方に読書
を楽しんでもらいたい」と話していた。
江澤金五郎は明治時代に天賞堂を開業し、貴金属や時計販売
などで成功した。
(平成22年3月18日 朝日新聞 千葉版)
天賞文庫『創立100周年記念誌』の中で、代表として祖母の言葉は今も残されています。
※私の過去ブログ:「新時代を切り拓く原動力」において、
天賞文庫の歴史と祖母の言葉を載せました。
↓
混迷する日本の将来を憂い、子ども達への教育の充実を訴え続けて活動を続けた祖母。 いまも天賞文庫には、祖母の教育に対する熱い情熱が生きています。
祖母の言葉を読み返すたびに、私が墨田区議として活動していることの
ご縁の深さに、ただ胸がいっぱいになります。
いつも私に叱咤激励し続けてくれた元気な江戸っ子だった祖母の声が
聞こえてくる気がします。
祖母は従兄弟が歌手だった影響も受けて、発声をきちんと学び、声が
とてもキレイで、年をとってからも「声は20代ですね」と言われていました。
特に、電話が大好きでした。大多喜町で初めて携帯電話を使用したの
も祖母だったのではないでしょうか。晩年はメールにもチャレンジし、一生
懸命に取り組んでいました。
祖母と暮らした日々が、走馬灯のように今くるくると巡り、私に生きる力
を授けてくれることを感じます。祖母は家族の太陽でした。元気いっぱい
でした。風邪も気合で治していました。一生懸命に恵比寿屋で働き、祖父
の介護をかいがいしくやっていました。
祖母はいまも私の隣りで私のことを見守り、叱咤激励してくれている
ことでしょう。祖母は私にとって一生乗り越えられない偉大な存在です。
また、企業の社会貢献の先駆けである先祖たちがいてくれたからこそ、
今の私がいます。
消し去りたかった自分自身を愛して、受け止めて生きていくこと。
祖母の命日を偲びながら、改めて感じました。
私も祖母のように、他者の幸せを自分の幸せとして生きていきたい、
全ての子ども達がどんな境遇にいても、夢と喜びを抱ける社会を築い
ていきたいと思います。
本日から第一回定例会がスタートしました。これから怒涛の日々です。
区民の皆様の思いを届けるために、頑張ります。
厳しい寒さに負けぬように、元気よく活動に取り組んでまいります。