|
後編です!
「集中豪雨」大多喜中学校3年 麻生剛
出展:『わがふるさと城下町』角川書店より
その日の夜、町内のある山間部の学校に勤めている姉が帰ってきた。木原線の線路づたいに10余キロの道を苦労して歩いてきたという。それというのも道路が寸断され、帰る手段をなくしたので、線路を歩いたのだが、大木が倒れていたり、山くずれで線路が埋まったところ、道床が流されて宙ぶらりんの上を、やっとのことで腰まですっかり水に浸りながらも家にたどりついたのだそうだ。
この話をし終わるやいなや、はりつめていた気が一気に抜けたように、床にもぐってしまう姉だった。これを聞いて、私は友のことが気にかかって、その夜はまんじりとしない一夜を過ごした。
翌朝、夜の明けるのを待って、私は町の中を歩いてみた。水こそひいていたが、商店のウインドやガラス戸はめちゃくちゃにちゃに倒れ、そしてこわれて真っ黒なぬるぬるしたヘドロとかいうやつが、家の道路を覆っていた。昨日の朝までの花やかな活気に満ちた街とはうって変わって、破壊と泥路の死の町と化していた。
町中ばかりでなく、周囲の山々を見渡すと、つめで引っかいたように山はだが露出していた。それが一つや二つではなく、見える範囲を数えてみても、とうてい数えられるほどではなかった。街角で消防団員が話をしているのが耳にはいった。
「下川橋も、流されたそうだ」。
「あのコンクリの橋がか・・・・・」
「伊藤へは行けないぞ・・・・・」
「県道が全部埋まったり、くずれたり・・・・・通信途絶・・・・・」
とぎれとぎれに聞こえてくる話に私は耳をそばだてて聞いていた。
伊藤は学校から山道を10キロ登りつめた20数戸の小さな部落だが、そこから級友のK君は通っている。昨日はあれからどうしただろう。学校へ泊まったのか、それとも家へたどりついたのか、その安否が気がかりになった。
家へ帰って有線したが、もちろん不通、しかたなく学校へ自転車を飛ばして仲間に聞いてみた。そこには交通途絶のため帰宅できないで、宿泊した生徒が100人近くもいた。
「先生に連れられて夕刻帰った。しかしよ、帰れねえで山のしたの泉水の知り合いんちへ泊まったってさ――」
ある友がこう話してくれて、私はほっとした。友だちは、学校から外へまだ出ていないのか、あたりの被害状況をよく知らないらしい。みんな集まってそれを聞きたがる。ぽつり、ぽつりと語る私のことばに、家のことを心配してか、真剣なまなざしへと変わっているのがよくわかって、私も口をつぐんでしまうほどだった。
道路が開通してから、父と二人でお店のお得意さんへお見舞いに行ったが、奥地へ行けば行くほど、話しを聞けば聞くほどひどく、目をそむけるほどの悲惨さだった。山津波のために土砂が家を押しつぶし、さらに田や畑を埋めていた。絶対こわれることがないと誇っていた近代的な橋が、ぽっきり折れていたり、また、その下には自転車が流れこんでいるという状態で、ゲリラ豪雨のおそろしさをまざまざと見せつけられた。
「これから先はいかねぇほうが、いっぺや」。
という村人の注意に、話を聞くと、温泉郷としてにぎわっていた養老渓谷も旅館街は全滅に近いという。そこまで行くにも道が寸断されていて、歩いても歩けるどころではない、復興の見通しもまったくない、と口をふるわせ、つばをとばしながら語ってくれた。こうしてこの集中豪雨は、私の町を再起不能なほどに打ちのめしてしまったのだ。
復興編は続く・・・・・
町内のある山間部の学校に勤めている姉とは、私の母のことです。
母は教え子の無事を見届け、木原線の線路づたいに10余キロの
道なき道を歩きました。母は帰宅困難者の体験者です。
現在、大多喜町は集中豪雨から復興をとげました!
緑豊かな大地です。
もうすぐ、タケノコもおいしい季節です。
叔父の作文の復興編
「集中豪雨からのファイティングスピリッツ!」
については後日述べます。
乞うご期待下さい。
|
全体表示
[ リスト ]


