『朽ちていった命−被爆治療83日間の記録−』(NHK「東海村臨界事故」取材班)を読みました。
1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。
核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた患者を救うべく、
83日間にわたる壮絶な闘いがはじまった―。
「生命の設計図」である染色体が砕け散り、再生をやめ次第に
朽ちていく体。
前例なき治療を続ける医療スタッフの苦悩。
人知及ばぬ放射線の恐ろしさを改めて問う渾身のドキュメント!
『東海村臨界事故 被爆治療83日間の記録』改題。
(新潮文庫解説より引用)
本を読みながら、途中、途中で、私は本を置きながら、
2日かけて読み終えました。
苦しすぎて、胸が痛くなってきて読み進めませんでした。
しかし、被爆した方の苦痛はこんなものではない・・・。
泣きながら読み終わりました。
いまの私には何もできないけれど、ひたすら考え続けました。
そして、このブログを綴っています。
皆さんに、ぜひ、読んでいただきたい一冊です。
文庫で出ています。解説も含めて221ページ。
内容が濃い一冊です!!
ゆっくり、じっくり読んでください。
途中で、休みながら読むのをおすすめします。
日本は原子爆弾で2回大きなダメージを受け、多くの尊い
生命が奪われました。
その教訓を生かせずに、平和利用というもとで私たちは
脆く崩れやすい幻の時間の中で生きてきました。
国を信頼し、原子力を使って電気を使用してしてきました。
その中で犠牲となった方を、この本では「朽ちていった命」
と表現されています。
まさに、朽ちていく人を、あたたかく献身的に看護する方々、
見守り回復を願うしかない家族たち。
そして何よりも被爆したご本人がメッセージを与えてくれています。
風化してはなりません。何もなかったこととして終わりにしてはなり
ません。
「平和教育」の面において、私は議員時代からも訴え続け
てまいりました。
墨田区は東京大空襲の被害を受けたところであり、私の祖母も
空襲を経験し、反戦、反原発を掲げて活動していました。
被爆した大内久氏と篠原理人氏は技術者でした。大量の中性子線を
あびて大内久氏は83日、篠原理人氏は211日後に最期を迎えました。
『朽ちていった命−被爆治療83日間の記録−』(NHK「東海村臨界
事故」取材班)は、大内さんの被爆治療と闘病に焦点をあてたもので
NHK取材班が追ったドキュメントです。
大内さんの被爆治療には東京大学教授前川和彦氏が担当すること
となり、東大病院に搬送されます。
最初は普通のやけどくらいだった手が、最期には染色体が破壊され
たために再生不能「生命の設計図」の染色体が砕けちったために、
4日目には血液中の免疫のリンパ球ゼロ、白血球も急速に減少し、
出血を止める血小板も減少していきます。
しかし、家族は前川医師をはじめとする看護師はあきらめませんでした。
大内さんは最初のうちは話せたしユーモアもある方でした。
必ず、治す道はあると信じて・・・・・・・。
7日目からは大内さんの妹さんの血の中にある造血幹細胞を増やす薬
GーCSFを注射、増やして大内さんに移植する末梢血幹細胞移植が開
始され、一時期は回復。
しかし、27日目に下痢がはじまり腸が消化吸収できなくなっていた・・・。
体から体液や血液がしみだして包帯で看護師が取り替える。
家族は「もうさわれるところがありませんね」と奥さんと妹さんはつぶやく。
一日2リットルの水分がしみでてくる。
看護師のかたがたの心中のつぶやき、看護記録も胸をうつ。
5つの大学から培養皮膚、妹さんの培養分もふくめて移植するが生着
せず、59日目に心停止、蘇生するが腎機能は廃絶、肝不全となる。
63日目に大内さんの血液の中でマクロファージと呼ばれる細胞が異常
になり、正常な赤血球や白血球を「食べていた」のである。
まさに「血球貪食症候群」がおきていた。
大内さんの意識は悪化していく。光に瞳孔が反応しなくなり、人工呼吸
器が自発呼吸を助ける設定から自発呼吸がなくても強制的に呼吸する
設定に切り替えられていく。
81日目、前川医師は家族に胸を裂かれる思いで告知を決意する。
前川医師:「今度心臓が止まっても、もう蘇生措置はしないほうが
いいと思います」、家族「わかりました」という。
家族ははじめて医師に落胆の表情を見せた。
翌日、奥さん、父親、妹が面会に来る。
そして、奥さんは「2000年を迎えてほしい」と、家族と折り続けた
10000羽になる鶴をみつめていたという。
83日目の12月21日、看護記録には
“「あーあ、お父さん、かわいそうに。がんばるのよ」と言いながら
、妻、涙ぐんでいる。また、顔をしっかり見たいとも言っている”と
記されている。それまで奥さんは泣いたことがなかった。
小学3年生になる息子も面会し「お父さんがんばって」といった。
それが最期となった。
1999年12月21日午後11時21分。大内さんは享年35歳。
私と同じ年齢である。治療、苦しい闘いが3ヶ月・・・。
救急医療の宿命である余命がないと判断される患者さんたちと、
一体どう向き合うか。
患者さんの運命にどこまで関わっていいのか。
答えがでない問いであると思う。
筑波大学法医学教室教授 三澤章吾氏が司法解剖にあたった。
大内さんの背面は白く正常な皮膚にみえ、正面は真っ赤な火傷の
状態。放射線が当たった部分は体の前面。皮膚の表面が全部失わ
れ、血がにじんでいた。
臓器は胃腸はふくらみ血液がたまっていた。
体の粘膜も失われ、腸などの消化管粘膜、気管の粘膜もなくなり、骨
髄の造血幹細胞もほとんど見当たらなかった。
筋肉の細胞は繊維がほとんど失われ、細胞膜しかなかった・・・。
しかし、心臓の筋肉だけ放射線に破壊されずにキレイに残っていた。
このとき、三澤章吾氏は、「大内さんの自己主張だな」と思ったという。
そして、悲惨な状態の臓器からがんばっていたんだなと思い、鮮やかに
赤い心臓から大内さんが「生きつづけたい」というメッセージを聞いたという。
大内さんが訴えたかったこと(筑波大学法医学教室教授 三澤章吾)
「それは放射線が目に見えない、匂いもない、普段、多くの人が
危険だとは実感していないということです。
そういうもののために、自分はこんなになっちゃったよ、なんで
こんなに変わらなければならないの、若いのになぜ死んでいか
なければならないの、みんなに考えてほしいよ。心臓を見ながら、
大内さんがそう訴えているとしか思えませんでした」
記者会見(東京大学教授前川和彦氏)
「原子力防災の施策の中で、人命軽視がはなはだしい。
現場の人間として、いらだちを感じている。
責任ある 立場の方々の猛省を促したい」
本来あるべき姿である「命の視点」が決定的になかったことは、
由々しき事態である。
「原子力安全神話」をつくりあげた大きな力に、私たちは立ち向
かわなければならない。
それには国民の力が必要なのである!!
民意は強いものである!!
デモに参加することをただ大声で騒いで何になるの?
冷めた目で見る方もいる。それも自由である。
しかし、いまあなたも私も電気を使っている。
ではそれはどう思うのか?
私たちの生活が犠牲のもとに成り立っていることを、
今一度考えてほしい。
なるようにしかならないという考えは捨てるべきである。
デモに参加するもしないも自由意思である。
国民が自らの考えを表明することに意義があるのである。
何もアクションを起こさないで不平不満を言うのはどうかと思う。
このまま自分の身に降りかかる火の粉でなければ、
福島を東北を置き去りにするのか。
風化させるのか。他人事ではない。
日本国の問題であることを認識していただきたいと思う。
それには、押し付けではなく自分から危険性に気づき、
大人だからできることを考えてみよう。
子供たちに罪はない。
私たちの犠牲者だ。
汚染されたものを食べて
影響を受けるのは幼い命たちだ。
弱者だ!!
私達が容認し放置して無知だった歴史の中の
闇の部分に目を当てていこう!
大人として責任をとろう。
各個人がそれぞれのやりかたで進んでいこう。
自分自身で国の行く末を、自身の身を守るためにも
考えて案を見つけ出すのも有効である。
パブリックコメントにも投稿してみよう。
それも参加のひとつである。
家族で話し合うことも大切である。
「なぜ、原子力があるのか!?」
そこから考えてみよう。
またつれづれと述べていこうと思う。