あそうあきこの活動日記

【無所属】元 墨田区議会議員あそうあきこの活動情報「レッツトライ!すみだ」

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無とは何か

 
風に揺れて、静かにそっと散りゆく花たち。
 
薔薇の名を知っていても、野に咲く草には名がわからないものもある。
 
しかし、その無名、「無」とはいったい何であろうか?
 
私達人間が勝手に名づけ、勝手に思い込んでいるだけではないか?
 
大きな宇宙の意識の中で、これがあれでそれでとかいう、観念はないだろう。
 
 
みんな同じ、いのちの中で精一杯に生きている。
 
地球に生まれ、今生を生きる同士。
 
何気なく出会っているようでいて、必ず意味はある。偶然ではない。
 
私の知らない何かが、私を見守り、私を支えてくれているのだろう。
 
 
 
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「唯一無二」

 
私達、すべての生あるものが、今生を生き抜く、使命が必ずある。
 
すべてが稀有な存在であり必要なんだ。
 
不必要なものは何も存在しない。
 
ムダとわかるものの中に、もしかしたら、真実が眠っているのかもしれない。
 
私が味わってきたすべての現象は、私の苦しみは、私が人であり続ける限り、
私の意識の中で見え隠れしながら、生きていくだろう。
 
共存しながら、大切にするものであるのかもしれない。
 
着実に見えてきたものがある。
 
未だにわからないものも、たくさんある。
 
 
 
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人生には自己決定権がある

私の幸せは、私にしかわからない。
 
他者につくってもらうことなどできない。
 
私の人生には、私に決定権がある。
だから、自由なものなのだ。
束縛は誰にもできない。
 
多くの出来事は、偶然ではなく、私に「麻生晶子」として与えられた
人生を生き抜くために、必要不可欠なものだったのだ。
 
「人生に無駄なものはない」
 
よく言われる言葉だが、実感する日々である。
 
忙しさに日常に追われ、だんだんと自分を見失い、自分の感情さえ、
コントロールできなくなっていく。恐ろしくも、貴重な体験である。
 
歌を歌うこと、文を書くこと、絵を描くこと、写真を撮ること、
音楽を聴くこと、音楽を奏でること、踊ること、料理することetc.
 
自己を表現できるすべてのこと・・・。
 
私は私に課せられた使命を、しっかりと受け止めて、生き抜いていく。
 
私は必ず進めるだろう・・・。
 
夢を実現させるために恐怖に打ち勝つ勇気を、
恐怖をも受容できる心のしなやかさを、
常に弱者の視点から物事を見て、実行にうつしていきたい。
 
 
 
 
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『朽ちていった命−被爆治療83日間の記録−』(NHK「東海村臨界事故」取材班)を読みました。
 
 

 
 
1999年9月に起きた茨城県東海村での臨界事故。
核燃料の加工作業中に大量の放射線を浴びた患者を救うべく、
83日間にわたる壮絶な闘いがはじまった―。
「生命の設計図」である染色体が砕け散り、再生をやめ次第に
朽ちていく体。
前例なき治療を続ける医療スタッフの苦悩。
人知及ばぬ放射線の恐ろしさを改めて問う渾身のドキュメント!
『東海村臨界事故 被爆治療83日間の記録』改題。
(新潮文庫解説より引用)
 
 
 
 
 
本を読みながら、途中、途中で、私は本を置きながら、
2日かけて読み終えました。
 
苦しすぎて、胸が痛くなってきて読み進めませんでした。
しかし、被爆した方の苦痛はこんなものではない・・・。
泣きながら読み終わりました。
 
いまの私には何もできないけれど、ひたすら考え続けました。
そして、このブログを綴っています。
 
皆さんに、ぜひ、読んでいただきたい一冊です。
 
文庫で出ています。解説も含めて221ページ。
内容が濃い一冊です!!
ゆっくり、じっくり読んでください。
途中で、休みながら読むのをおすすめします。
 
日本は原子爆弾で2回大きなダメージを受け、多くの尊い
生命が奪われました。
 
その教訓を生かせずに、平和利用というもとで私たちは
く崩れやすい幻の時間の中で生きてきました。
国を信頼し、原子力を使って電気を使用してしてきました。
 
その中で犠牲となった方を、この本では「朽ちていった命」
表現されています。

まさに、朽ちていく人を、あたたかく献身的に看護する方々、
見守り回復を願うしかない家族たち。
そして何よりも被爆したご本人がメッセージを与えてくれています。
風化してはなりません。何もなかったこととして終わりにしてはなり
ません。
「平和教育」の面において、私は議員時代からも訴え続け
てまいりました。
墨田区は東京大空襲の被害を受けたところであり、私の祖母も
空襲を経験し、反戦、反原発を掲げて活動していました。
 

被爆した大内久氏と篠原理人氏は技術者でした。大量の中性子線を
あびて大内久氏は83日、篠原理人氏は211日後に最期を迎えました。
 
 
『朽ちていった命−被爆治療83日間の記録−』(NHK「東海村臨界
事故」取材班)は、大内さんの被爆治療と闘病に焦点をあてたもので
NHK取材班が追ったドキュメントです。

大内さんの被爆治療には東京大学教授前川和彦氏が担当すること
となり、東大病院に搬送されます。

最初は普通のやけどくらいだった手が、最期には染色体が破壊され
たために再生不能「生命の設計図」の染色体が砕けちったために、
4日目には血液中の免疫のリンパ球ゼロ、白血球も急速に減少し、
出血を止める血小板も減少していきます。

しかし、家族は前川医師をはじめとする看護師はあきらめませんでした。
大内さんは最初のうちは話せたしユーモアもある方でした。
必ず、治す道はあると信じて・・・・・・・。

7日目からは大内さんの妹さんの血の中にある造血幹細胞を増やす薬
GーCSFを注射、増やして大内さんに移植する末梢血幹細胞移植が開
始され、一時期は回復。
 
しかし、27日目に下痢がはじまり腸が消化吸収できなくなっていた・・・。
体から体液や血液がしみだして包帯で看護師が取り替える。
家族は「もうさわれるところがありませんね」と奥さんと妹さんはつぶやく。
一日2リットルの水分がしみでてくる。
看護師のかたがたの心中のつぶやき、看護記録も胸をうつ。

5つの大学から培養皮膚、妹さんの培養分もふくめて移植するが生着
せず、59日目に心停止、蘇生するが腎機能は廃絶、肝不全となる。
 
63日目に大内さんの血液の中でマクロファージと呼ばれる細胞が異常
になり、正常な赤血球や白血球を「食べていた」のである。
まさに「血球貪食症候群」がおきていた。
 
大内さんの意識は悪化していく。光に瞳孔が反応しなくなり、人工呼吸
器が自発呼吸を助ける設定から自発呼吸がなくても強制的に呼吸する
設定に切り替えられていく。
 
81日目、前川医師は家族に胸を裂かれる思いで告知を決意する。
前川医師:「今度心臓が止まっても、もう蘇生措置はしないほうが
いいと思います」、家族「わかりました」という。
家族ははじめて医師に落胆の表情を見せた。
 
翌日、奥さん、父親、妹が面会に来る。
そして、奥さんは「2000年を迎えてほしい」と、家族と折り続けた
10000羽になる鶴をみつめていたという。
 
83日目の12月21日、看護記録には
“「あーあ、お父さん、かわいそうに。がんばるのよ」と言いながら
、妻、涙ぐんでいる。また、顔をしっかり見たいとも言っている”と
記されている。それまで奥さんは泣いたことがなかった。
小学3年生になる息子も面会し「お父さんがんばって」といった。
それが最期となった。
 
1999年12月21日午後11時21分。大内さんは享年35歳。
私と同じ年齢である。治療、苦しい闘いが3ヶ月・・・。
 
救急医療の宿命である余命がないと判断される患者さんたちと、
一体どう向き合うか。
患者さんの運命にどこまで関わっていいのか。
答えがでない問いであると思う。
 
筑波大学法医学教室教授 三澤章吾氏が司法解剖にあたった。
大内さんの背面は白く正常な皮膚にみえ、正面は真っ赤な火傷の
状態。放射線が当たった部分は体の前面。皮膚の表面が全部失
れ、血がにじんでいた。
臓器は胃腸はふくらみ血液がたまっていた。
体の粘膜も失われ、腸などの消化管粘膜、気管の粘膜もなくなり、骨
髄の造血幹細胞もほとんど見当たらなかった。
筋肉の細胞は繊維がほとんど失われ、細胞膜しかなかった・・・。
しかし心臓の筋肉だけ放射線に破壊されずにキレイに残っていた。
 
 
このとき、三澤章吾氏は、「大内さんの自己主張だな」と思ったという。
そして、悲惨な状態の臓器からがんばっていたんだなと思い、鮮やかに
赤い心臓から大内さんが「生きつづけたい」というメッセージを聞いたという。
 
 
 
大内さんが訴えたかったこと(筑波大学法医学教室教授 三澤章吾)
「それは放射線が目に見えない、匂いもない、普段、多くの人が
危険だとは実感していないということです。
そういうもののために、自分はこんなになっちゃったよ、なんで
こんなに変わらなければならないの、若いのになぜ死んでいか
なければならないの、みんなに考えてほしいよ。心臓を見ながら、
大内さんがそう訴えているとしか思えませんでした」
 
 
 
 
記者会見(東京大学教授前川和彦氏)
「原子力防災の施策の中で、人命軽視がはなはだしい。
現場の人間として、いらだちを感じている。
責任ある 立場の方々の猛省を促したい」
 
 
 
 
本来あるべき姿である「命の視点」が決定的になかったことは、
由々しき事態である。
「原子力安全神話」をつくりあげた大きな力に、私たちは立ち向
かわなければならない。
 
それには国民の力が必要なのである!!
民意は強いものである!!
それを再度認識していただきたいと思う。

デモに参加することをただ大声で騒いで何になるの?
冷めた目で見る方もいる。それも自由である。
 
しかし、いまあなたも私も電気を使っている。
ではそれはどう思うのか?
 
私たちの生活が犠牲のもとに成り立っていることを、
今一度考えてほしい。
なるようにしかならないという考えは捨てるべきである。

デモに参加するもしないも自由意思である。
 
国民が自らの考えを表明することに意義があるのである。
 
何もアクションを起こさないで不平不満を言うのはどうかと思う。
このまま自分の身に降りかかる火の粉でなければ、
福島を東北を置き去りにするのか。
風化させるのか。他人事ではない。
 
日本国の問題であることを認識していただきたいと思う。
 
それには、押し付けではなく自分から危険性に気づき、
大人だからできることを考えてみよう。
 
子供たちに罪はない。
私たちの犠牲者だ。
汚染されたものを食べて
影響を受けるのは幼い命たちだ。
弱者だ!!
 
私達が容認し放置して無知だった歴史の中の
闇の部分に目を当てていこう!
 
大人として責任をとろう。
各個人がそれぞれのやりかたで進んでいこう。
 
自分自身で国の行く末を、自身の身を守るためにも
考えて案を見つけ出すのも有効である。
 
パブリックコメントにも投稿してみよう。
それも参加のひとつである。
家族で話し合うことも大切である。
「なぜ、原子力があるのか!?」
そこから考えてみよう。
 
またつれづれと述べていこうと思う。
 
 

 
 
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人に歴史あり。
 
この世に生を受けてから、私たちは自分だけの物語を紡いでいく。
 
四苦八苦して、心に渇きを感じながらも、みずみずしく生きることを
絶えず願い続ける。
 
振り返ると、私のこの10年間。激動であった。
 
自らツライ道を選ぶのか?自虐的なのか?
 
しかし、全て自分で選択したことであり、やはり私の心に直接聞くしかない。
 
「原因と結果」まさに真理である。
 
だから、この一瞬一瞬の積み重ねが、私の未来をつくりだす。
 
夢はあきらめたときに、失敗という名前で呼ばれる。
 
だから、前へ向かって、私があきらめずに、歩みを止めない限りは、
決して終わることはない。
 
必ずや、何らかの意味が隠されているのだ。
 
人生に失敗はない。
 
絶望なんて感じている暇はない。
 
刻一刻と進む時間。
 
その中で自分にできることをやっていくこと。
 
この状態を乗り越えれば、また新しい自分と出会えるのだから。
 
私が私の可能性を捨てない限り、それはずっと永遠に続いていく・・・。
 
私の生を全うするために、私に課せられたすばらしい贈り物なんだ!
 
しっかりと受け止めて歩いていこう!(*^_^*)
 
大切にしなければいけないものは、本当に少ない。
 
だからこそ、丁寧に心をこめて、大切に扱う。心をこめて愛を注ぎ続ける。
 
愛されるよりも愛すること。
 
本当に難しい・・・・・。
 
全てを受容できず、時に怒り、泣き、笑いながら、また進んでいく。
 
私の眼前に広がる世界に、何の意義も見出せず、光が見えないと
感じた瞬間が度々あった。
 
今も時折、襲い来る恐怖との闘い。
 
まるで、月も星も見えない闇夜に、さらに漆黒のベールが覆い、昼も
夜もわからない状態・・・。
 
自分と向き合うことの辛さと自分から逃げない強さ。
 
しなやかに生きること。
 
苦しい状態から逃げないで立ち向かっていくこと。
 
たぶん、いまの私にもっとも必要なことである。
 
 
 
 
 
 
 
  
 
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母が私に先日プレゼントしてくれた本があります。
『くまのプーさん小さなしあわせに気づく言葉』(PHP文庫)
でした。
 
内容は『菜根譚』です。プーさんと仲間たちが一緒に語ってくれています。
とても気に入りました(*^^)v
 
母は私に昔からよく本をくれました。
私が本が好きだからというのもありますが、いつも私の年齢や
心情に合わせた本をくれます。
今回は、母もくまのプーさん好きだし、私がプーさん大好きなのを
知っているし、可愛いからくれたのかなと思います。
あと、以前から『菜根譚』の言葉には感銘していたからかな。
 
『菜根譚』は、約400年前に中国の学者である洪応明という方が、
儒教、道教、仏教の東洋思想が組み合わせて書いた人生書です!
『菜根譚』の菜根とは、植物の根や葉のことであり、
「粗末な食事(苦境のこと)に耐えられれば、多くのことを成し遂げられる」
という意味がこめられているそうです。
 
かわいいプーさんに癒された私です(●^o^●)
お母さんありがとう!!
 
 
ひとつ『菜根譚』の言葉を引用します。
 
 
人のこころには、もともとすてきな文章や音楽がある。

よけいなものをこころからどけて、自分のよさを伸ばしていこう。

Inside every person's heart is beautiful poetry and music.
Push negative feelings out of your heart and allow what is
good about you to flow through.
 
 
 
 
 
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629日、76日に私も国会議事堂前における反原発デモに参加してきた。
629日は、快晴で身動きが取れないほどの人ごみで、老若男女、国籍問
わず参加していて、友人もできた。
 
         
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76日は雨が降っていてカッパを着ながら、プラカードを持ち、笛を吹き
ながら行進した。今回は規制が厳しくて前に進まず、苛立ちと国に対する
憤りがピークに!みんなの心は一致団結していた!
私も傘をよけながら、手が悪いのも忘れて約2時間声をあげ続け歩いた!
 
 
 
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様々な人々とまた交流ができたし、生の声を聞くことが出来たことは
素晴らしいことだ。
デモには賛否両論あるが、経験してみないとわからないと思う。
思想・言論の自由でありデモに参加することも、心で念じていることも
自由意思であり私は尊重している。
私は汗と雨でやはりぬれたが、行って良かったと思う。
市民の方々が立ち上がったことは素晴らしいことであり、いままで、
声に出したくても出せなかった方々が、行ってみようと思えたことは
画期的なことだと思う。イメージ 2
 
 
 
「あじさい革命」!!
 
 
 
大飯原発は再稼働してしまったが私は反対の姿勢は崩さない。
反原発の姿勢は貫き歩み続ける。
あきらめることなくやり続ける。
起きてはならないことだが、再び事故が起きてしまったとしたら、日本の国際的信頼はなくなる。海外から
日本の認識不足と破滅的な岐路を
たどっていることを指摘されるとき、
由々しき事態であることを嘆かわしく思う。
 
 
 
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私は熱くなりがちですが、更に勉強を深め、冷静にとらえる目を持ち、
現状認識をして進んでいくことが大切だと思っている。
国民のひとりとして、悲しみを通り越して憤りになっているのも事実である。
声に出せない声なき声を届けていくことが、私の信念であり進んできた。
理念なき先の絶望を食い止めるべく、動いていきたいと思う。
 
 
 
 
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もちろん、国と東電に責任はある!人災であることは間違いない。
日本国民の人命を優先しなかった。利権を第一に考えた。
パニックになることをおそれて隠避した・・・。許せないことである!
しかしながら、原発について容認して、積極的に詳しく知ろうとしなかった
大人にも責任がある。だから、償いたいのである。これから、大人になる
子供たちに負担を背負わせる未来をつくってしまったのだから・・・。
私は生きているかぎり、第一次産業を守り、子供たちの健康を守るため
にも反原発活動を継続し、次世代の教育に尽力していきたいと思う。
 
 
追伸:「デモについて」國分功一郎
読んでみてください!
http://stilllll.tumblr.com/post/21439231962
 
 
 
 

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