あそうあきこの活動日記

【無所属】元 墨田区議会議員あそうあきこの活動情報「レッツトライ!すみだ」

文学/読書

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冬薔薇(ふゆそうび)石の天使に石の羽 中村草田男


石の彫刻が静かに立ち並ぶ冬の薔薇園。石造りの天使に生えているのは、
やわらかな羽毛ではなく、冷たく硬い石でできた羽。(引用/青嶋ひろの)

◎出典:『誰かいませんか』(ソフトバンク文庫)


ふわふわなイメージを想像しがちな「羽」。

暗く沈みこんだ彼の心には華やかな薔薇よりも
冷たくて硬い石の天使が目に入った。

石の天使が持っていたものは「石の羽」。

飛び立つことができない羽が象徴するのは
「彼の心」だったのかもしれません。

でも、傷つき石のように硬くなっていた彼の心を
冬の寒さにも負けずに咲いていた薔薇の花が救っ
てくれたのではないでしょうか。

中村草田男(なかむらくさたお)の俳句を読むたびに
純粋な思いで紡ぎだされた作品、研ぎ澄まされた感性
にはいつも心癒されます。
一途な思いが込められた一句を読むたびに胸打たれます。

あそう あきこ

想紫苑の風

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10月に入り、毎日涼しいですね。
この季節になると実家の庭に咲いていた【紫苑】の花を思い出します。
私は紫苑の強い生命力に感動し、吹き荒れる強風にも決して負けない姿に
芯の強さを感じ、この花を見るたびに頑張ろうと思ったものです。
風が吹くたびに紫苑が揺れる光景は、今でも忘れることができません。

10月の誕生色は「野に咲く紫苑の明るい紫色」の

【想紫苑(おもわれしおん)】です。

そんなことを考えていたら、石垣りんさんの詩を思い出しました。

「用意」  石垣りん

それは凋落であろうか

百千の樹木がいっせいに満身の葉を振り落すあのさかんな行為

太陽は澄んだ瞳を
身も焦がさんばかりにそそぎ
風は枝にすがってその衣をはげと哭く

そのとき、りんごは枝もたわわにみのり
ぶどうの汁は、つぶらな実もしたたるばかりの甘さに
重くなるのだ


ゆたかなるこの秋
誰が何を惜しみ、何を悲しむのか
私は私の持つ一切をなげうって
大空に手をのべる
これが私の意志、これが私の願いのすべて!

空は日毎に深く、澄み、光り
私はその底ふかくつきささる一本の樹木となる

それは凋落であろうか

いっせいに満身の葉を振り落す
あのさかんな行為は―

私はいまこそ自分のいのちを確信する
私は身内ふかく、遠い春を抱く
そして私の表情は静かに、冬に向かってひき緊る。

◎出典:『空をかついで』石垣りん著(童話屋)

石垣りんさんが、秋の訪れの中に「自らのいのちを確信」
したように、私も秋が来るたびに様々なことを思い出し、
冬に向かう中で日々緊張感を感じます。

私の人生において「たくさんの出来事があった季節は秋である」
といっても過言ではないでしょう。

深まりゆく秋の街並みの中に面影を探す。
深紅からボルドー色に染まりゆく忘却の心に人知れず涙する。

孤独を愛すことは、生を受けた意味に一歩近づくことだと教えて
くれた存在。

追憶の彼方に眠り、一生記憶から消えることがない大切な存在。
それらを想う時、私は自らのいのちを確信することができます。

毎年秋がめぐり来るたびに、どんなことがあろうとも、生き続けて
いかなくてはならないことを再確認します。

日々の喧騒の中で見え隠れしながらも、私が生きて思い出す中で
傍らで見守り続けてくれる存在に、心から感謝しています。

あそう あきこ
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◎出典:写真/水野克比古「週刊 日本の歳時記22 秋の七草」より

花にも 花のかなしみが

だれも知ることができない苦しみが

生きとし生けるもの

みんな背負わなければならないものが

あるのでしょう (江間章子「九月の想い」より)

◎出典:『花の四季』江間章子/詩 藤島淳三/絵(東京新聞出版局)

上記は詩画集『花の四季』の「オミナエシの花に寄せられた詩の一節」である。


江間章子さんがオミナエシの花を見て感じた思いは、いかばかりであったの
でしょうか。推測でしかありませんが、秋風に揺れるオミナエシの花に自分の
人生を重ね合わせたのかもしれません。
戦争を経験し、様々な思いの中で生み出された彼女の詩を読むたびに、色々
と考えさせられます。

万葉歌人として有名な山上憶良(やまのうえのおくら)の歌に
「萩の花尾花葛花なでしこが花をみなへしまた藤袴朝顔が花」(『万葉集』巻八)
とありますね。

秋の七草として挙げられている七種の花。現在までその名が変わらないのが、
「萩・尾花・葛の花・撫子(ナデシコ)・女郎花(オミナエシ)・藤袴(フジバカマ)」ですね。
ここでうたわれている「朝顔」とは、現在の「桔梗の花」のことです。
◎出典:「週刊 日本の歳時記22 秋の七草」

江間さんが問い続けた

生きとし生けるものみんな背負わなければならないもの

とは、いったい何であったのか。

毎日、何かの犠牲とおかげの繰り返しの中で、生き続けることが
できる私たち。

ずっと考え続ける私の傍で、懸命に合唱する秋の虫たちの存在を、
ひたすら愛しく感じる。

静寂な秋の夜に、万葉人の思い、江間さんの思い、私の思いが
重なった瞬間、いまここで生きていることが愛しく思えてくる。

「かなしみや苦しみ」の真っ只中にいる時は、自分だけが不幸で
あるかのように感じ、他者の幸せが喜べず、他者の辛さを理解し
ようと考える心のゆとりが持てない。

泣きたい時は泣き叫ぶ、落ち込みたい時はとことん落ち込むこと
が最適だと思う。

生きていく中で絶えず「かなしみや苦しみ」が襲い、そのたびに落ち
込んで立ち上がって、そこからまた新しい出発をしていく。

「かなしみが多ければ、そのかなしみの数だけ他者に優しくできる」
と、よく言われるがそのとおりかもしれない。

「かなしみ」を通して、私たちは【他者の痛みを想像して共感できる力】
を授かるのだと思う。それは本当にステキなことだと思う。

瞳を閉じて光の残照を感じ、脳裏をめぐる記憶たちに身をゆだねて、
そのまま静かに過ごすと見えてくるものがある。

なよ竹のようにしなやかに生きる強い信念をたずさえ、「かなしみ」
を抱きしめて、あたためることができる深い愛を育てていきたい。

「どんな時もアセラズ、どんな時も自分のことをキライになる生き方
はやめよう」と、決意した日のことを、江間さんの言葉から思い出し、
勇気づけられた。

江間章子(えましょうこ)

大正2年(1913)3月13日〜平成17年(2005)3月12日。
詩人。昭和11年に第一詩集『春の招待』を出版。また、「夏の思い出」、
「花の街」の作詞で知られる。著書『詩の宴 わが人生』など。
戦争が彼女に与えた影響は大きく、戦後は戦争や死をテーマにした作品が
多く誕生した。

◎出典:『しあわせの言の葉』山下景子著(宝島社)

あそう あきこ

大切なひと粒

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上記の言葉は加島祥造著『LIFE』の中で
今の私の心に響いた言葉です。


解説文(加島祥造)
秋に林に行くと、どんぐりが幾千、幾万ところがっているんだ。
そのひとつひとつが、芽を出し伸びて巨木になり、百年、二百年
と生きる―そういう能力を持っているのだと思うと、深い驚きが
こみあげてくる。
人間のおよばないような能力を宿して、小さなどんぐりが数かぎ
りなく、ただころがっているのだ。そして、その能力を存分に発
揮するわずかなチャンスがあれば、と待っている。
まったく、自然というものは、驚かされることばかりだ。

◎出典:『LIFE』加島祥造著〔書・画・文〕(PARCO出版)
◎加島祥造(かじましょうぞう)
詩人・タオイスト。墨彩画家としても多数の個展をおこなっている。


「ひと粒ひと粒が 幾百年と生きて 巨木になる力を なかに
宿して ただ小さくころがっている」


加島氏の言葉について考えていたら、私の中で色々な記憶が
一気によみがえりました。
まず、子供時代の庭が出てきました。
庭にコロコロと転がっていたどんぐりを見つける頃、秋の深
まりを感じたものです。
子供の頃、植物や木の実や落葉などをボンドで紙に貼り付
けて、色々と作りました。
どんぐりやもみじなどを使って庭でおままごともしました。
今思うと、四季折々の植物に囲まれ、それぞれの季節の風を
感じながら遊ぶことができたことは、本当に貴重な経験だっ
たと思います。

次に、母校の大学のキャンパスにある【イチョウの並木道】
の記憶です。もうすぐ、ギンナンが大量にころがっています。
それをみんなが靴で踏んで教室に入るので、大変臭くて辛か
ったのですが、今となっては大変いい思い出のひとつです。
あの時、落ちていたどんぐりやギンナンの実から、様々な
ドラマが生まれているかと思うと嬉しくなります。

次に、教職の授業を思い出しました。

“子供達ひとりひとりの個性を尊重しながら、それぞれの
子供に合った将来の道へと導いていく手助けをする”。

このことは大変難しいことですね。
子供達には無限の可能性があります。
でも、そのことに気づかずに
「自分の人生はもう先が見えている」、
「ここまでやったからもういいや終わりにする」、
「夢は夢だから現実にはかなえることはできない」などと、
自分で自分の道を閉ざして諦めてしまっている子供もいます。
とても残念なことだと思います。


「人間のおよばないような能力を宿して、小さなどんぐりが
数かぎりなく、ただころがっているのだ。そして、その能力
を存分に発揮するわずかなチャンスがあれば、と待っている」
(加島氏解説文より)


夢を持つということはステキなことです。
可能性を信じ続ける限り夢は続きます。
そのことを自分で口に出してみる。次に文章化してみる。
次第にどうしたら実現できるのか考えるようになります。

強く願えば願うほど、祈り続けるほど、自分では気づかない
うちに、夢の持つ吸引力に引っ張られ、あれよあれよという
間に走り出している自分に気づかされるはずです。

実際、私自身の経験でも、日々ビックリすることがたびたび
あります。驚きながらも楽しんでいます。

願いつづけることが大切ですね。
あきらめた時に夢は消えます。
自分で可能性を消去したからです。

「自分の可能性を自分で消さずに、まず夢を自分の中で描いて
楽しむことからはじめてみてね」
と、子どもたちと接するたびにそう伝えています。

いま私自身も常にそう自分に言い聞かせながら取り組んでいます。

ふと出会う書物の中の一編、季節の花の香り、なつかしい音楽が
聴こえてきた時、サーッと脳裏を駆け巡る思い出の数々・・・。

私にとって、加島氏の書と言葉は、私の中で眠っていた様々な思
い出を引き出してくれました。

あそう あきこ

夏の疲れを癒すサプリ

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秋の季語に【竹の春】があります。

今年の春にタケノコ掘りを行いました。
なぜ、旧暦8月(西暦8/31〜9/28)に【竹の春】と呼ばれるか
というと、その頃になると春に顔を出したタケノコたちが成長
して青々とした葉を茂らせるので【竹の春】と呼ばれるそうです。
竹林にいっせいに揺れる葉はとても涼しげです。

反対に花々がキレイに咲き誇る春は、タケノコを育てる
ために、その養分を地中にまわすために、竹の葉は枯れ
ていくそうです。
そこから旧暦3月ごろを【竹の秋】と表現します。
また来年も元気なタケノコに会えることが楽しみです。

◎参考文献:『花の日本語』山下景子著(幻冬舎)



竹について考えていたら、大好きな和歌が浮かんできました。


秋風に たなびく雲の 絶え間より
もれいづる月の 影のさやけさ


毎年秋が来るたびに思い出す一首です。
百人一首の中にも選ばれています。
作者は「左京大夫顕輔(さきょうだいぶあきすけ)」。

[意味]
ふと空を見上げると、秋風にたなびいている雲の切れ間から、
ゆっくりともれ出てくる月の光に出会った。
なんて清々しくてキレイな光景なんだろう。

※月の影・・・月の光のこと


朝夕は暑さを忘れさせてくれる涼やかな風を感じる今日この頃
ですが、残念ながら雷雨などで、静かに夜空を見上げることが
なかなかできません。
そんな時こそ、この一首を口ずさんでみてください。
「秋風」・「たなびく雲」・「月の影」。
この言葉たちから浮かんでくる情景を静かにイメージしてみて
くださいね。
私にとってステキな言葉たちは、昼間の喧騒や夏の暑さで疲れ
ている体と心に、じわじわと効いてくるサプリのような存在です。

あそう あきこ


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