清浄明潔という言葉があるように、艶やかな桜から爽やかな葉桜へと移行する季節に、 私の祖母の麻生秀子は大正11年4月9日、東京にて誕生しました。
写真は秀子の母です。
私にとって曾祖母にあたる明治の女性です。
姉と一緒の秀子(左)。
元気いっぱいのおてんばな女の子だったそうです。
秀子の祖父(江澤富吉)と祖母(江澤さく)と庭にて撮影。
ちなみに二人にとって私はやしゃごにあたります。
秀子は二人から激動の幕末や明治、大正の日本の貴重な話を
よく聞かされていたそうです。
駒澤女学校時代の秀子。
その当時のことをいつも楽しそうに語ってくれました。
女学校時代に刺繍した帯
祖母は大変手先が器用な人で和裁洋裁に優れていました。
ミシンも得意でしたので、私の幼い頃の洋服は全て祖母の手作りでした。
仕事をリタイヤしてからは、洋服のリフォームを趣味としていました。
祖母の手から紡ぎだされる新しい命にいつも感動していました。
結婚前に銀座を闊歩していた頃。
東京から千葉へお嫁入り。
レジうちより早かった
恵比寿屋で愛用していたそろばん。
散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛和尚)
桜を愛した日本人はステキな言葉で桜について表現してきました。
良寛和尚がうたっているように、残る桜もいずれ散っていくさだめです。
すなわち人も生まれて来たからには、散りゆく(死ぬ)さだめということですね。
だからこそ、出会った桜(出会った縁)を大事にしていくことが大切ですね。
先日祖母の荷物を整理していた母が、祖母の女学校時代の卒業アルバム
を見つけました。
その中に、ハワイに移住される友人との別れを悲しみ、その思い出を綴った
貴重な文章が見つかりました。
祖母の死後、女学校時代の同窓会から通知が届きました。
祖母の死を悼むお手紙を友人の方からいただきました。
常に家族の太陽だった祖母。
おおらかでリーダーシップがあった祖母。
祖母の女学校時代の様子から友人達からも愛されていたことを知りました。
晩年の祖母は、女学校時代に学んだ英会話と漢詩に取り組み始めました。
祖母はその生涯を通じて「一生学び続けることの大切さ」を私に教えてくれました。
「ハワイにいる友人に会いに行きたいけど長時間の飛行機が辛いから残念」
「唐詩が特に好き。本当に中国語ってキレイだよね」
とよく言っていました。
私は4月から中国語を学び始めました。
とてもステキな先生で丁寧にわかりやすく教えてくださっています。
今もCDで復習しながらブログを作成しています。
祖母が居間のソファで虫眼鏡で辞書をひきながら、懸命に勉学に励んでいた
姿が思い出されます。
今は基礎の声調を学んでいるのですが、発音がとても難しいです・・・。
いつの日か祖母の代わりに中国を訪れる時までに、日常会話ができるように
なることが目標です。
引き続き、レッスン頑張ります。
あそう あきこ