あそうあきこの活動日記

【無所属】元 墨田区議会議員あそうあきこの活動情報「レッツトライ!すみだ」

祖 先/家 族

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母子草の思い出 ケータイ投稿記事

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少し前に撮影したのですが、ひそやかに公園の片隅で、道端に咲いていました。
幼い頃によく庭で咲いている姿を目にして祖母から名前を教わりました

母子草は春の七草のひとつですね。ゴキョウと呼ばれ春の野山にかかせない花ですね。

カーネーションが母の日の花ですが、母子草は「深くやさしい母の愛をそっと感じなさいよ」
と教えてくれる花です。

私の母も筆まめで字を書くこと大好きです
現役時代は書道も教えていました。
あと、絵も描くのが得意です。
構図がとてもすてきな母が描く絵には温かさがにじみ出ています。

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今はよく手紙のやりとりをしています。
実家の庭の写真を送ってくれます。フォトアルバムにたくさんたまりました。 
少しずつ整理してコメントつけて保存しています。

「みどりの手」をもつと言われた母です。
多くの作物や花がいきいきと育っています。
もちろん私も育てるのは得意です。
子供の頃、庭でたくさん育ててきました。
 
ふと思い出す時にくるくると巻物のようにうちの植物史が眼前に広がります。
最近は家庭菜園の状況や花たちの話で盛り上がっています。
またお届けしたいと思います。

あそう あきこ
春のぬくもりが感じられる一日でしたね。
穀雨を迎え、万物生ともいわれる雨が降り注いだ晩春の和やか
風景を眺めていたら・・・、祖母が初めて私に教えてくれた書道、
漢詩ことを思い出しました。
 
それは盛唐に活躍した 孟浩然の詩『春暁』です。
 
中国語を習い始めてから、大学時代まで習っていた書道が急に
恋しくなりました。
 
久しぶりに書いてみましたが、あまり上手く書けませんでした。
 
再び練習を始めようと思います。
 
墨は心落ち着きますね
 
祖母が手をとって私に教えてくれた書道。
 
書道教室で毎回体中墨で真っ黒になって帰ってきた私。
 
そんな私を祖母が温かく迎えてくれたことを思い出す時、
心が温かくなります。
 
祖母は、ラジオの漢詩講座(前二松学舎大学学長の石川忠久先生)
が大のお気に入りでした
 
 
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春暁【しゅんぎょう】 孟浩然(盛唐)

〜書き下し文〜
春眠 暁を覚えず
処々に啼鳥を聞く
夜来 風雨の声
花落つること知る 多少ぞ
 
〜現代語訳(あそうあきこ)〜
春の眠りはとても気持ちがいい。
そのまどろみは、いつの間にか夜が明けていたことに
気づかないほどの心地がよいものだ。
ふと耳を傾けると、あちらこちらから小鳥のさえずりが聞こえてくる。
昨夜から今朝にかけて雨風の音がとても強かったことを思い出した。
一体、花はどれぐらい散ったことだろう。
 
※ちなみにこの詩に出てくる花とは「桃の花」です
 
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隅田公園に咲いていた「ハナモモ」です!
曇り空に撮影したので色がキレイに撮影できなくて残念ですが、
毎年キレイに咲いています。
 

 
中国語のレッスン三回目が無事に終わりました。
 
少しずつ声調が覚えられたかな!?って感じです。
 
まだまだ練習練習あるのみで、不明な点ばかりで・・・
 
今は中国の小学生が教わる基礎中の基礎をやっています。
 
何でもそうですが基礎は大事ですね。
 
子どもの頃に、書道、ピアノ、算盤、絵画、水泳、etc
たくさんの習い事をさせていただきましたが、あまり楽しくなくて、
投げ出してしまったこともありました。
 
本当に親には大変申し訳ないなと思っていました・・・
 
大人になってから初めて取りかかることの難しさと直面した時、
人生の色々な場面において、今までの記憶や体験したことが
生かされている事に気づかされました。
 
いまは心から感謝の気持でいっぱいです
 
◎過去ブログ「祖母の軌跡をたどる旅」もご参照ください。
 
あそう あきこ
 

祖母の軌跡をたどる旅

清浄明潔という言葉があるように、艶やかな桜から爽やかな葉桜へと移行する季節に、 私の祖母の麻生秀子は大正11年4月9日、東京にて誕生しました。

 
 
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写真は秀子の母です。
私にとって曾祖母にあたる明治の女性です。
 
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姉と一緒の秀子(左)。
元気いっぱいのおてんばな女の子だったそうです。
 
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秀子の祖父(江澤富吉)と祖母(江澤さく)と庭にて撮影。
一番右に父親と一緒に写っているのが秀子。
ちなみに二人にとって私はやしゃごにあたります。 
秀子は二人から激動の幕末や明治、大正の日本の貴重な話を
よく聞かされていたそうです。
 
 
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駒澤女学校時代の秀子。
その当時のことをいつも楽しそうに語ってくれました。
 

女学校時代に刺繍した帯

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祖母は大変手先が器用な人で和裁洋裁に優れていました。
ミシンも得意でしたので、私の幼い頃の洋服は全て祖母の手作りでした。
仕事をリタイヤしてからは、洋服のリフォームを趣味としていました。
祖母の手から紡ぎだされる新しい命にいつも感動していました。
 
 
 
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結婚前に銀座を闊歩していた頃。
 
 
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東京から千葉へお嫁入り。
 
 
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レジうちより早かった
恵比寿屋で愛用していたそろばん。
 
 

散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛和尚)

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桜を愛した日本人はステキな言葉で桜について表現してきました。
 
良寛和尚がうたっているように、残る桜もいずれ散っていくさだめです。
 
すなわち人も生まれて来たからには、散りゆく(死ぬ)さだめということですね。
 
だからこそ、出会った桜(出会った縁)を大事にしていくことが大切ですね。
 
先日祖母の荷物を整理していた母が、祖母の女学校時代の卒業アルバム
を見つけました。
 
その中に、ハワイに移住される友人との別れを悲しみ、その思い出を綴った
貴重な文章が見つかりました。
 
祖母の死後、女学校時代の同窓会から通知が届きました。
 
祖母の死を悼むお手紙を友人の方からいただきました。
 
常に家族の太陽だった祖母。
 
おおらかでリーダーシップがあった祖母。
 
祖母の女学校時代の様子から友人達からも愛されていたことを知りました。
 
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晩年の祖母は、女学校時代に学んだ英会話と漢詩に取り組み始めました。
 
祖母はその生涯を通じて「一生学び続けることの大切さ」私に教えてくれました。
 
「ハワイにいる友人に会いに行きたいけど長時間の飛行機が辛いから残念」
 
「唐詩が特に好き。本当に中国語ってキレイだよね」
 
とよく言っていました。
 
私は4月から中国語を学び始めました。
 
とてもステキな先生で丁寧にわかりやすく教えてくださっています。
 
今もCDで復習しながらブログを作成しています。
 
祖母が居間のソファで虫眼鏡で辞書をひきながら、懸命に勉学に励んでいた
姿が思い出されます。
 
今は基礎の声調を学んでいるのですが、発音がとても難しいです・・・。
 
いつの日か祖母の代わりに中国を訪れる時までに、日常会話ができるように
なることが目標です。
 
引き続き、レッスン頑張ります。
 
あそう あきこ
 
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私の祖母 麻生秀子が平成22年2月3日(行年89歳)の生涯をとじました。

祖母は大正11年4月9日に東京で誕生。関東大震災を生き延び、青春時代を戦争
の中で過ごし東京大空襲をくぐりぬけ、戦後に祖父の省三に嫁ぎました。
夫の事業を手伝いながら、6人の子どもを育て、脳梗塞で倒れた夫を在宅介護し
ながら、懸命に孫である私も育ててくれました。
私の両親は私が1歳の時に離婚し、その後母が懸命に働き生計を担ってくれました。
だから、私にとって麻生秀子はおばあさんではなく「お母さん」でした。
祖父が高校時代に亡くなり、今回祖母が亡くなったので、両親がいなくなったような
気がして、今すごく寂しい風が心を吹き抜けています。

祖母は生前いつも私のことを「あきこは自分(秀子)の7番目の子供であり、自分の
子供の中で一番先に別れを告げなくてはならない。それを考えると寂しくなるけど、
自分が先に逝くのを悲しまないでほしい」と申しておりました。
その話を聞くたびに子供時代は、常に祖母の死に怯え、胸が痛くなっていました。
今でも子供時代を思い出すと、胸が切り裂かれるような思いでいっぱいになります。

祖母は過保護とも思われるほどの愛情を私に与え続けてくれました。
自分がこの世からいなくなった後も、私が前を向いてちゃんと自分の足で立って生きて
いけるようにと、私に教育を与え、多くの習い事をさせてくれました。
貴重な機会もたくさん与えてくれました。
祖母は私の家庭教師であり、私の精神の根幹を築き上げてくれた人生の師匠でした。

進歩的な考えの持ち主であった祖母は「混迷する社会を生きぬくためには、女性こそ
しっかりとした学問を身に着ける必要がある」という考えのもと、私に学問の必要性を
説き、心を鬼にして獅子が谷底に子獅子を落として鍛え上げるように、18歳で私が上京
したことを心から喜んでくれました。私が大学院に行くことを勧めたのも祖母でした。
祖母は生涯を通じ、家族に愛を注ぎ続けてきた女性でした。
祖母の生涯についてはまた折りにふれてご紹介したいと思います。


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祖母から学んだこと

私は大学時代に執着をなくすことが仏教であると学びました。
しかし、なかなか執着を消すことができず、嘆き苦しむ心を手放すことは難しい・・・。
人間の四苦八苦のひとつである「愛別離苦」。
なぜ死んでしまったのかと悲しむ心は遺された者が生に対しとらわれているからですね。
もう二度と会えないと思うその気持ちこそ私を縛る「執着」ですね。

祖母は昨年春に倒れました。救急車で運ばれて、三度の入退院を繰り返しながら、
そのたびに不死鳥の如くよみがえりました。
今年の正月に救急車で運ばれて、危篤の状況を脱し、入院となりましたが、大変気丈な
女性でしたので、最期まで意識がハッキリしていて会話ができました。

和服がとても似合うおしゃれな祖母は、頭脳明晰で算盤の名手でした。
大変手先も器用な人で、裁縫に長けていました。
晩年の趣味は漢詩と英会話でした。「人間は一生勉強を続けることが大切だ」と申し、
辞書を片手に懸命に学んでいた姿を今も思い出すと目頭があつくなります。
日本の行く末も案じ続け、病室でもニュースと国会中継を必ず見ていました。
泊り込みで看病していた母と色々と語り合っていたそうです。

私が区議となったことを大変喜んでくれました。
そして、私にいつも次のように申しておりました。

「実る稲穂は頭を垂れる。常に他者に対し感謝の気持ちを忘れてはならない。現状に
甘んじることなく、一生勉強し続けること、精神を鍛え上げることが必要である。
自分を育んでくれた全ての恩恵を社会還元していくことが最も大切なことである」

祖母は足腰が弱って全く立つことができなくなっていたのに、亡くなる前日は自らの足で
数歩ですが歩くことができ、看病をし続けていた母は大変驚いて感動したそうです。

私が見舞いに行くと祖母は喜び、常に私の体調を気遣い、家族のことを心配していました。
病室は大変暖かな部屋で、窓辺からは大変美しい房総の海が見えました。
太陽が海にかえっていく素晴らしい夕焼けを祖母と一緒に見ることができました。

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全ての悲しみが癒えるのはもう少し先になりそうですが、母の腕の中で安らかに息を引き 取ったという祖母の死に顔を見ていたら、痛みもつらさも無くなったことを実感しました。 初七日を過ぎ、私が嘆き悲しんでいると、祖母が心配してしまうと思うようになりました。 死を病気と闘った祖母の解放の喜びとしてとらえ、祖母の新しい旅立ちとして少しずつ受容 できていることを感じます。 祖母がいま私の傍らにいてくれて、私を守っていてくれていることを感じ、温かい思いで いっぱいになります。 いつも祖母は私のブログを楽しみにしてくれていました。だから私はこれからも書き続けます。 祖母は私が墨田区で活動していることを大変喜んでくれて、私を誇りに思うと言ってくれました。 祖母が自分の生命を削って私を育ててくれたことに、いつも心から感謝し続けていました。 今回弔問に来ていただいた多くの皆様からいただいたお言葉から、祖母のおかげで今日の自分が あることを再認識させられ、祖母が私に教えてくれた多くの知恵を活かし、これからも前を向いて 墨田区で頑張っていくことこそ、祖母の供養にもつながると思います。 明日から第一回定例会がスタートいたします。このたび私は予算特別委員となりました。 全力で頑張ります。

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○祖母の法号

爾寳院妙賞日秀大姉(にほういんみょうしょうにっしゅうだいし)


【法号の由来について】
爾寳院の「爾寳」は法華経の経典に出てくる言葉です。
祖父母の仲人をやった方が江澤譲爾先生ご夫妻でした。
江澤譲爾先生は祖母(麻生秀子)の叔父に当たる方で「日本地政学の父」と謳われ、
日本経済地理学会初代会長をなさった方です。
法号をつけるにあたり、祖父母は大変仲が良かった夫婦でしたので、江澤譲爾先生の
お名前の「譲爾」を祖父母の法号に一字ずつ使わせていただきました。
ちなみに祖父の法号は「慈譲院文輝日省居士(じじょういんぶんきにっしょうこじ)」です。
妙賞の「賞」は祖母の実家の銀座天賞堂より、日秀の「秀」は俗名の秀子よりとりました。


あそう あきこ

梅一輪〜生死一如〜

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昨日は「名残雪」も降ってきました。まだまだ寒さが続いています。
名残雪のことを「雪の果て」とも呼びます。
寒さを乗り越えると、暖かな春が到来しますね。
春の風を待つことから「風待草」とも呼ばれる梅の花が咲き誇る
季節を迎えました。皆様はお元気でお過ごしですか?
区議会では「平成21年度予算審査」がスタートしました。
皆様の血税をしっかりと審査して区政のために活かしてまいります。

梅一輪 一輪ほどの 暖かさ (服部嵐雪)


墨田区内に咲き誇る梅を見るたびに祖母を思い出します。
この時期に祖母は「春告草が咲いたわよ」と、
嬉しそうに話しながら梅の花を活けていました。
梅の花が床の間にあるだけで、雰囲気が全く違います。
まだ肌寒いのに、一気に春が訪れたかのような気がしました。
祖母は私に、日本人として季節の訪れに敏感になって
欲しいと願い、季節の花と出会うきっかけを作り、
書道、短歌、俳句の手ほどきをしてくれました。
後に、書道の先生が私に指導してくれる日まで、
祖母は私に教えてくれました。

「あなたは外見とは違って大胆な字を書くわね」
と、書道の先生に書いた字を見せにいくたびに、
よく驚かれたことをふと思い出す瞬間、私の心を
春風がひゅるっと吹き抜けていくことを感じます。
筆を持ち半紙と向かい合っていた時に感じた思いが
いまあざやかによみがえってまいりました。

「生死一如」

生きることと死ぬことは表裏一体である。
年齢に関係なく死は訪れる。
だからこそ、今をこの瞬間を大切に精一杯生きる。

あそう あきこ

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