あそうあきこの活動日記

【無所属】元 墨田区議会議員あそうあきこの活動情報「レッツトライ!すみだ」

祖 先/家 族

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

人生の決断!

イメージ 1


To be or not to be, that is the question!

「やるか、やらぬか、それが問題だ!」 シェークスピア著『ハムレット』

この言葉は、いつも人生の決断を迫られた時に、私の心に浮かび
上がってきます。「生きるべきか、死ぬべきか」とも訳されますね。


〜シェークスピアとの出会い〜

私がシェークスピアの作品に出会ったのは小学生の頃でした。
実家が本屋でしたので、多くの良質な物語は身近に存在していました。
シェークスピアのつむぎだすセリフは、大変深いものがあります。
きっと、セリフを読む者、舞台を見る者、その人々の数だけ感想は
無限に広がっていて、たくさんの想いが生まれると思います。
私はハムレットの苦悩する姿に、人知れず自分の心情と重ねあわせ
悲しみに浸りながらも、ある意味で楽しんでいた気もします。
悲しみと隣り合わせの生活を味わう中で、ひとくくりにできない思い
の数々が襲う時でも、本のページを開けば、一気に広大な世界に引き
込まれ、時空を飛び越えて、登場人物たちと対話している瞬間は、心が
和らぐことを感じました。
いま思うと、本当に良質で贅沢な時間を過ごすことができた子供時代。
心から感謝の念を抱かずにはいられません。


〜親愛なる叔母・宣子〜

母の姉妹であり、一番下の妹の叔母の宣子は、私のことを妹の
ように、かわいがってくれました。
シェークスピアを叔母は愛読していました。
海外の文学作品たちと私が仲良くなったのは、叔母の部屋に行く
といつも色々な本と出会うことができたからかなとも思います。
記憶によると、シェークスピアの作品は装丁のきれいな本だった
気がします。ステキだなぁと思って手に取ったら、普通の本とは
違ってセリフが書いてあって、ビックリした記憶があります。
叔母は私を様々な映画や舞台やミュージカルを観に連れて行って
くれました。様々な趣向が凝らされた作品の数々を見るたびに、
私の心は無限に広がり続けました。自分の知らない世界がたくさん
繰り広げられて、いつもワクワクしていました。

叔母も私と同じように大学時代は、日本文学を専攻していました。
古典に通じ、華道、茶道、裁縫、着物の着付に長けた、
和服が似合う叔母は、私の憧れの存在であり、尊敬する
日本文化伝達者でもあります。
今も色々な面において、ご指南をいただいております。
私が日本文学を志すきっかけを作ってくれたのは、
祖母のみならず叔母の影響も多々あると思います。


私は大学時代、歌舞伎や能についても研究してまいりました。
素晴らしい先生や伝統文化継承者の方とも出会う機会に
恵まれました。
また、私が演劇に興味を抱き、戯曲に興味を持ち、
舞台俳優や女優の友人達と交流をする機会に恵まれた
のも、幼い頃に出会った本や人々のおかげだと思います。
そのことを思う時、縁の不思議さを感じます。
良質な芸術文化に触れる機会を与えてくださった
全ての方々に、いま心から感謝申し上げます。


◎ブログ「凛とした心」もご参照ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/akiko_miyu/9263349.html


あそうあきこ

イメージ 1

永遠に不滅の精神を受け継ぐ覚悟

祖母(麻生秀子)は幼き頃より、よく私に自分の祖父である江澤富吉の
ことを話してくれました。
その光景は、つい昨日のように、よみがえってまいります。

房総半島の城下町大多喜出身の江澤富吉は、兄初代江澤金五郎と共に、
明治時代、東京に乗り込み、自己の考えてきた一つの生き様である
「商道先駆」を実践してまいります。

「商道先駆」

その考えの根本とは、

「ヨーロッパの騎士に騎士道、日本の武士に武士道があるように、商人には商道があり、道徳にのっとった商売を行うことこそ、商人の責務である」

と説き、そのことを実行してまいりました。

東京銀座天賞堂を創設し、日本で初めて本格的にダイヤモンドを扱い、
明治期には天賞堂のイルミネーションは、銀座の三大名物と称されました。
それまでの、坐売りに対し、立ち売りを励行し、近代対面販売を確立し、
日本で初めての商品券ともいうべき、商品小切手を発行したり、
まさに、近代商業の名をほしいままにしました。

そんなことを思い出していましたら、私の祖母と同じく江澤富吉の孫である、
江澤雄一氏のことが「エコノミスト(2009年1月20日号)」
に掲載されました。その文面をそのまま掲載します。

「エコノミスト(2009年1月20日号)」より

金融危機の主因は「金融界のモラル欠如」

これを契機に日本の教育目標も再検討すべき

大蔵省(現財務省)国際金融局長、UBSグループ日本代表兼副会長などを歴任した、
東洋学園大学の江澤雄一理事長に、世界を襲う金融危機の行方とこれからの大学教育
のあり方を聞いた。

― 今世界は「100年に一度の危機」に襲われています

江澤:1992年まで大蔵省で国際金融行政などに携わり、退官後は外資系金融機関
に転じて、金融ビジネスに関わりました。その経験から言わせてもらうと、経済も金融
もグローバル化して、巨大で複雑なモンスターになってしまい、手に負えなくなったこ
とが危機の背景にあります。
ところが、これを動かすのはしょせん人間であって、最終的には経済や金融に携わって
いる当事者のビヘイビア(行動、態度)に帰着する、と考えるべきだと思うのです。

― 米国では金融機関トップの報酬があまりに多いと批判が高まりましたね。

江澤:報酬が象徴的ですが、金融機関の経営があまりにも短期志向だったことが
金融システムの安定性を損ねました。米国の住宅金融会社は、返済の見込みがない
借り手に対して、「いざとなったら家を処分すれば返せる」などと不動産価格の値上
がりを前提にした強引な貸し付けを行いました。
さらに、債権が証券化されて全世界に拡散したのはご存じの通りです。
今このプロセスに関った投資銀行などに税金を投入するにあたり、金融機関の「短期
的利益が得られるならやってしまえ」というこれまでのビヘイビアが問題になっています。
企業にとって、収益性と倫理はつねに相克が起きますが、やはり経営者自身が自らを
どう改めるかが問われているのだと思います。

― 今後、世界はどのように解決すべきでしょうか。

江澤:金融機関に対する公的資金の注入などが進み、金融システムを補強するため
の当面の対応はできたと思います。私が見るところ、これからの課題は2つあって、1つ
は国際金融の監督体制をどうするか、もう1つはリセッション(景気後退)への対応として
財政出動をどうするか。
前者についてお話すると、国際金融の監督体制というのは、銀行がバーゼル銀行監督
委員会、証券がIOSCO(証券監督者国際機構)、さらには金融システム全体については
G7(先進7カ国)傘下の金融安定フォーラム――とバラバラになっているんですね。
これをどう統一するか。
IMF(国際通貨基金)はブレトンウッズ体制の一つの柱ですが、発展途上国の支援だとか
世界経済の調査に重点を置いていて、金融システム安定化の役割を果たしていないとい
う見方が多い。「ブレトンウッズ2」ともいうべき新しい体制をどのように築くかが今後の大き
な課題になるでしょう。

― さて、これだけ激変する時代にあって大学教育はどうあるべきとお考えですか。

江澤:このダイナミックに変化する時代に日本人がどう活躍すべきかが問われています。
これまでの日本の教育を振り返ると、かつては国全体が「追いつけ、追い越せ」とのムード
だったため、教育も知識偏重だったといわれています。
やはり単なる知識ではなくて、自分で考えて、判断して、行動できる人を生み出す教育――
リベラルアーツを重視する必要があると思います。
世界が多極化し、ロシアが復活、中国もインドも台頭するなか、日本はどうすべきかが問わ
れていると思います。その答えはソフトパワー、つまり知力、技術力、文化力ではないでしょ
うか。日本がソフトパワーとして世界に貢献し、存在感を発揮するうえで、大学の役割はきわ
めて重要ですが、それは学生の独創性、創造力、人間力を高めることだと思います。
さらに、大学というのは学校教育の最終段階ですから、ここがどういう目標を立てるかが中
等教育、初等教育にも影響する。日本の教育がなにを目標とするかを再検討すべき時期に
あると思います。

― 米国では、リベラルアーツに特化した、小規模であっても評価が高い大学が数多いと聞きます。

江澤:まさにそうであって、リベラルアーツが目標とする独創性、創造力、人間力は平均的
な学力とは必ずしも合致しないんですね。つまり、私立大学は、スタンダードな国立大学
と違った特色ある教育を行って社会に貢献できる面が大きいと思うわけです。

― 先ほどの企業経営者の倫理観の問題もリベラルアーツ教育と関係あるとお考えですか。

江澤:今までの日本では、「組織の中で効率的に働ける」といった一定のモデルとなるような
人間像があって、これを養成してきました。国立大学は決まりきったパターンの人間を作って
きたといってもいい。要は、企業や役所にとって「使いやすい人材」を養成するのが教育と考
えられてきたわけです。
しかし、「追いつけ、追い越せ」の時代が過ぎて、日本は新しいものを開拓し、創造しないと
いけない時代に入り、決まったモデルではなく、一人一人が持ついろいろな可能性を大事に
する教育が必要になっていると思うんですね。
そこでリベラルアーツという考えが出てくる。これは人間の生き方を教えるわけです。
型にはまった人ではなくて、いろいろなタイプの人がいてもいい。
しかし、人としてやっていいこと、いけないことをしっかりと考えさせないといけない。
これがリベラルアーツであって、先ほどの企業経営者のビヘイビアの問題にしても、人として
の生き方が問われていると思うんですね。

― その点、東洋学園ではリベラルアーツ教育をどのように実践されていますか。

江澤 :学生たちに感動する場を与えることです。学生時代の深い感動がその後の人生の
原点、拠りどころになると思うからです。先生や友達と人生を語らう、心に触れる本や映画に
出会う、スポーツに励んで試合に勝つ、ボランティア活動で人助けをする、こうした1つ1つ
の体験が大きな感動につながる。
東洋学園大学は「時代の変化に応える大学」「国際人を育てる大学」「面倒見のよい大学」の
3つの理念を持っています。これを実践するには規模が大きな大学よりも、学生数が2600人
程度の小規模な大学だからこそきめ細かい教育ができるというのが私たちの考えです。
規模を大きくするのではなく、教育の中身を充実させる、学生の可能性を引き出す。
この考えを大事にしていきたいと考えています。

江澤雄一(東洋学園大学理事長)

1962年東京大学法学部卒業後、大蔵省(現財務省)入省。ハーバード大学行政学修士。
在ニューヨーク領事,在英公使,国際金融局長,J・Pモルガン特別顧問、
UBSグループ日本代表兼副会長を経て現在、特別顧問。
2003年より東洋学園大学理事長。経済同友会幹事,お茶の水女子大学経営協議会委員

イメージ 2

生きた経済を実践され、将来の日本を支える人材の育成に情熱を燃やされている江澤雄一氏

江澤雄一氏は、現在の国際金融、教育に対して、大変含蓄のある提言をしています。

江澤富吉の商道先駆の精神は、今尚、その孫に受け継がれていることを実感している今日この頃です。

尊敬すべき親族である江澤雄一氏には、いつも私はご指導をいただきながら、日本の今後について考え続けております。

江澤雄一氏の思いを少しでも伝えるべく、これからも日々活動に勤しんでまいります。


◎東洋学園大学

http://www.tyg.jp/

◎ブログ「躍進著しい東洋学園大学を訪問!」もご参照ください。

http://blogs.yahoo.co.jp/akiko_miyu/24597235.html

あそう あきこ

ケネディと江澤謙二郎

イメージ 1


私の祖父母の仲人は、江澤譲爾ご夫妻であったことは、
以前お話したと思いますが、本日はその実兄である
江澤謙二郎氏
について述べてみたいと思います。

というのは、私が幼き頃、祖母(麻生秀子)が
手にもっていた英語の本
(題名)『JOHN KENNEDY AND BUDDHISM』

の著者が「江澤謙二郎」であり、
印象に残ったからでした。

聞けば、この方は祖母の叔父であり、東京銀座天賞堂の
三代目を継承し、惜しまれながら引退して、晩年は南房総
にて仏教研究をなさった方だそうです。
よく祖母の大多喜の自宅にもヒョッコリと来ては、ご自分
の半生について語ってくれたそうです。

祖母が申すには、叔父の江澤謙二郎は、秀才である。
それは経歴からも伺えます。
府立一中(当時東京府、現在の日比谷高校)から、
東京商科大学(一橋大学)へと進み、福田徳三、
左右田喜一郎、上田辰二郎らのもとで、経済学の
学問に勤しんだそうです。
その後、東京銀座天賞堂を継承して、当時世界一と
いわれた時計メーカーのナルダンの日本での総代理店
契約を結び、その他スイスより移入した技術特許、
メタリコン(金属被覆加工に関する特許)は、
日本メタリコン工業として実を結びます。
現在は日本化工機株式会社として大いなる発展を遂げています。
このような輝かしい華々しい実業での実績を残しながらも、
惜しまれながら引退したとのことです。
それは本人自身が、人類の平和と愛を貫き、
ライフワークとして、仏教研究をとりあげていたからです。
その中で、J・F・ケネディの精神に共通性を見出し、
前述した本を著したそうです。
(現在、この本は大多喜町立大多喜図書館天賞文庫所蔵)。

J・F・ケネディは、
「平和は、憲章や、盟約にのみ存するのではない。
 それは、人々の心のうちにある。
 だから平和への希望を紙きれの上にのみ
 期待することはやめよう。
 人の心のうちに打ち立てるよう
 努力しようではないか」
「世界がよくならなければ自国もよくならない、
 世界の平和が先決である。
 同じく地球に住む仲間として、
 永続的な平和建設に向って協力しよう」
「今の世代を歴史上最良の時代とすることも
 また人類最後の時代とすることも出来る。
 共通の運命に我々は結ばれている」


J・F・ケネディの言葉は、今後も我々に引き継がれ、
生かされていかなければならない。
奇しくも江澤謙二郎が、J・F・ケネディの精神に
仏教との共通性を見出し、“人類の平和と愛を貫くこと”
ライフワークとしていた仏教研究を読み返すたびに、
彼らが訴え続けたことの意味をしっかりと胸に刻みつけ、
私も一政治家として歩み始めた以上、少しずつ半歩ずつ
かもしれませんが、自分にできることから、
「平和建設に向けての一歩を踏み出す」決意をいたしました。

いま、アメリカではオバマ新大統領が就任し、
世界危機を打開するために、期待感が高まっています。
オバマの登場は、いみじくもケネディの登場と
オーバーラップして見えます。

時代は人を創ると申します。
危機の時代だからこそ、人類は新たな
船出を若き船長に託したのだと思います。
ここで言う若さとは、年齢ではないと思います。
ましてや、経験の有無でもないと思います。

積極果敢にリーダーシップをとり、
荒海に突き進む勇気と行動力

であると思います。

J・F・ケネディがそうであったように、
いま将に、人類はオバマに期待しています。
時代はいま、大きな転換期にさしかかっているからです。

オバマは
白人のアメリカでもない
黒人のアメリカでもない
アラブ系のアメリカでもない
アジア系のアメリカでもない
アメリカは合衆国である。
一つのアメリカである。

と申しました。

困難の時だからこそ、
相手の力量を認めあい、
ヒラリー・クリントンとも握手し、
世界的危機を乗り越えようとしています。
それが、
人類の平和と人類の幸福と
人類の繁栄をもたらす道である

ことを信じているからです。

「Yes, we can!」


あそう あきこ

イメージ 1

イメージ 2


妙法寺(別名アジサイ寺)
◎出典:大多喜町HPより
http://www.town.otaki.chiba.jp/kankou/index.html


私は幼き頃より、叔父(麻生剛)と共に家業の仕事を手伝っていました。
ある時、仕事で利用しているライトバンに乗って、仕事の手伝いを
兼ねて、遠出をしたことがあります。
子供の私にとって遠出でしたが、叔父にとっては普通の距離なのか
も知れませんが・・・。
今では廃校になっていますが、山の中の小さな分校に立ち寄りました。
ここは少人数教育で有名で、音楽コンクールや作文コンクールで全国
レベルの学校でした。色々とトロフィーとか賞状が飾ってありました。
その分校は、現在は地域の方々が活用しているコミュニティーセンター
のようになっていると聞いています。

少し時間が余ったので、叔父が房総半島の尾根であり、秘境ともいうべき、
麻綿原高原へと足を伸ばしました。
当時は、非常に道幅が狭く、曲がりくねっていたので、対向車とスレ違う
時は、ヒヤヒヤしていました。
しかし、話を聞いてみると、これでもだいぶよくなったのだと言います。
その昔、叔父がやはり幼き頃、私にとっての祖父(麻生省三)に連れて行
かれた時には、本当に魔物が住んでいるかのような、人が入りこんだこと
のないような、そんな印象を受けるほど、山また山を乗り越えて行ったと、
申していました。しかし、現在では道も整備され、マイクロバスも通れる
ようになったと聞いています。

話を戻しますと、叔父に、
「祖父とその昔、麻綿原高原に向かったのは、何故なのか」
と質問しました。
当時、車が一台がやっと通れる道で、砂利道の悪路を走らせるには
何か目的があったと直感したからです。

すると、叔父は、
「麻綿原には名僧である箕輪先代住職がいたので、父(麻生省三)
と江澤謙二郎さん(母・麻生秀子の叔父)と私(麻生剛)の三人で、
車を走らせたんだ」
と教えてくれました。

興味深く叔父の話を聞いていくうちに、この箕輪先代ご住職は、
戦前日本陸軍に弾圧されていたそうです。
実は箕輪先代ご住職は、この麻綿原の地こそ、天孫降臨の地である
と主張し、房総高麻原構想を唱えた人であったとのことです。

そんな話にのめりこんでいた矢先、初夏の時期でしたので、青空に
広がる大高原が眼前に広がりました。
私もこの絶景をみると、箕輪先代ご住職の考えが理解できました。



祖父と親族の江澤謙二郎さんとは、この先代箕輪ご住職との
話しの中で、どんな時でも、どんな弾圧を受けようとも、自分
が正しいと思った思想は貫く。
思想の自由、表現の自由は、何人たりとも侵すことはできない。
ただし、反対の相手の考え方も認めることが、民主主義である
とし、三人は共鳴しました。


以後も終生亡くなるまで、お付き合いは続いたとのことです。
この時の光景は、叔父が幼き頃にもかかわらず、鮮明に記憶
していると申します。


この三人は、その後も各自、各地で活躍されました。
祖父(麻生省三)は地元の地域振興に尽力しました。
親族の江澤謙二郎は、平和思想を貫き、あのJ・Fケネディに
傾倒し、著作も残し、啓蒙活動をいたしました。
また、箕輪先代ご住職は、この麻綿原の地にアジサイの苗木を、
その後も植え続け、今では日本最大級と称してもよい程の
アジサイの一大集積地になっています。
この麻綿原高原は、箕輪先代ご住職以来、ご子孫に脈々と受け
継がれ、房総の大伽藍の一つとして称される程に発展してお
ります。
この時、幼かった叔父(麻生剛)は、その後ふるさとの地で、
若い力で町づくり、町おこしの活動を行い、三十代で地方
議員となり、四十代で代議士秘書を歴任、現在もNPO活動を
始め、様々なる活動を展開しながら、東京より日本を変える
ため邁進しています。叔父は引き続き、この故人である三人
の教えを守っております。


平和を守るため、自由を守るため、民主主義を守るため
どんな困難、どんな苦難にも屈することなく前進し続ける。


私はそんな叔父を尊敬しております。
私も皆様方の目線にたって活動してまいります。
これからも応援してくださいますよう、よろしくお願い致します。
どんな圧力がかかっても、どんな逆境に落とされても、
私は絶対に負けません。
貫く信念を拠り所として、進み続ける覚悟です。


「一以之貫」


あそう あきこ

イメージ 1


上記写真:国登録有形文化財「大屋旅館」



私は生まれてからこの方、祖父母の傍らでずっと過ごしてまいりました。
それは、18歳で上京するまで続きます。

その祖父母の仲人をやった方が、江澤譲爾先生ご夫妻
だったことをよく聞かされました。

祖母(麻生秀子)の叔父に当たる方で、「日本地政学の父」と謳われ、
日本経済地理学会初代会長をなさった方だそうです。

祖父母は戦後の昭和21年12月に地元の老舗旅館「大屋旅館」
で、挙式披露宴をあげました。
ちなみにこの旅館は、現在は国登録有形文化財として、いまなお
営業なさっている大変趣のある旅館です。

祖父(麻生省三)が、平成4年8月に亡くなるまで仲の良い夫婦でした。
祖父が体調を悪くしてからも、祖母は献身的な看護を続けました。
傍で見ていても本当にかいがいしくやっておられました。
今でもその光景が目に浮かびます。


麻生省三と麻生秀子は、約半世紀ともいうべき47年間の
結婚生活の中で、病める時も健やかなる時も、お互いを
思いやり励ましあいながら、過酷な状況の中でもゆるぎ
ない愛を実践し続けた素晴らしい夫妻でした。


祖母は叔父である江澤譲爾先生より、結婚前に

「おまえの夫となる麻生省三は、大変誠実な男だ。
一生を添い遂げるとしたらこの男をおいて他にはない。
私(江澤譲爾)が太鼓判を押す」

と言ったといいます。

「いま振り返ると、将に叔父の江澤譲爾の申すとおりの
尊敬すべき夫であった」

と祖母は申しております。


そんなキューピッド役をやってくださった江澤譲爾先生と私は、
直接お会いしたことはありませんが、私の叔父(麻生剛)は、
上京した折にお会いしております。
その時の印象は本当に庶民的な方で、なおかつ博識のある
方という印象を受けたとのことです。
後年、叔父(麻生剛)が、法律学・政治学・行政学・経済学等の
社会科学を探求したのも、江澤譲爾先生の影響があったことは、
否定できません。そんな偉大なる学者が、私共の血縁者であり、
祖父母の生涯の恩人であったことを誇りに思います。


江澤譲爾先生の追悼号で、時の経済地理学会 会長の
青木外志夫先生(当時、一橋大学教授)がお書きになった文を
そのまま載せさせていただきます。


「専修大学社会科学研究所 月報NO.137(昭和50年2月20日号より)」


弔 辞                青木外志夫


経済地理学会前会長・専修大学教授 江澤譲爾先生のご霊前に、
経済地理学会を代表しまして謹んで哀悼のことばを申し上げます。
去る、1月23日、先生のご逝去のしらせに接しまして以来、万感無量、
ただただ悲しい気持でいっぱいでございます。

昨年、病床に先生をお見舞いしましたとき、枕辺にドイツ語の辞書
と原書を置かれ、学問のことなどを話しておられたお姿が、今もあ
りありと眼に浮び、先生の元気なお声が聞こえてくるように思われ
てなりません。
気丈な先生のことゆえ、必ずや病気を克服されて、もとの健康を回
復されるものと信じておりましたのに、ほんとうに残念やるかたあ
りません。私どもでさえこのような気持ちですから、ましてやご遺
族のかたがたのお悲しみは、いかばかりかと、衷心よりお悔み申し
上げます。

さて、江澤先生は、昭和5年3月、東京商科大学学部(現在の一橋大学)
を卒業されたのち、東京商科大学講師、東京商科大学予科教授に就任
され、終戦後は神奈川大学教授、専修大学教授などに歴任されました。
その間、経済地理学、経済立地論、立地政策などの授業を担当され、
教育及び研究に多大の貢献をされました。

先生の学問上の功績は、経済地理学方法論、地域経済学、近代経済論、
国土計画論、資源論、ドイツ思想史など多方面にわたっておりますが、
なによりもまず特筆すべき貢献が経済立地論の分野にあることは、衆
目の一致するところであります。

先生は昭和10年、28才の若さで「経済立地学」という書物を著わされ、
また昭和13年31才のとき、アルフレート・ウェーバーの「工業立地学」
の翻訳を出版され、わが国における経済立地論研究の草わけとなられ
ました。
先生の立地論研究が大きく花開き実を結んだのは終戦後でありまして、
昭和29年には、「工業集積論」の名著によって、一橋大学から経済学
博士の学位を授けられました。
また、先生のユニークな学説「消費者空間構造理論」は、ドイツの有名
な学術誌にも掲載されております。
さらに昭和42年には、「経済立地論の体系」というライフ・ワークを完成
されました。

これらの著作は、世界の最高水準をしのぐ業績として国際的にも評価
されているところであり、また、わが国における立地論研究史上の金
字塔として、永久にその光を失わないものであります。
わが国の経済立地論研究を世界レベルにまで高めた功労者が、誰より
も江澤先生であることについては、何人も異論のないところであろう
と思います。

そのほか先生は、立地論に関する数多くの論文や入門書を著述されて、
わが国の経済地理学会に新風を吹き込まれ、終戦後に勃興し、そして
現在では主流の一つとなっている立地論経済地理学会の発展に、大き
な刺激を与えられたのであります。
こうして先生は、昭和44年、推挙されて経済地理学会会長となられ、
昭和48年までの4ヵ年にわたって、会勢の運営に尽瘁され、学会の発展
に顕著な貢献をされました。先生は経済地理学会の大会や例会にもよ
く出席され、シャープな問題指摘によって若い研究者たちを啓発され、
純真にして物事にこだわらない先生の巾広いお人柄は、学会員の敬愛
するところでありました。このような先生を失いましたことは、誠に残念
至極というほかありません。

先生は、偉大な学者であられましたが、他方では詩や短歌などをよくされる、
情緒豊かな文人でもあられまして、昭和38年には詩歌集「内面鏡」を出版さ
れ、また昭和45年には、漢詩集「芳塵集」を出版されました。
これらの詩や短歌集は、ひたむきに真理を求め人間を愛された、先生の純
粋な魂にあふれており、また、人生の喜び、悲しみが格調高く歌いあげら
れており、さらに晩年の作品には、悟りの境地に到達されたものが多く、
読む者をして大きな感動にさそいこまずにはおかないものがあります。
立地論という学問の母国ドイツをこよなく愛され、ワインを好まれた学者・
江澤先生のお人柄をしのぶにふさわしい、先生の作品、短歌一首を朗詠さ
せていただいて、追悼の言葉を終わらせていただきたいと思います。
次の短歌は、昭和48年、在りし日の先生がドイツのドレスデンへ旅行された
時の作品であります。

ひとり侘びワイン傾くるドレスデンのホテルの窓に春雷はたたく

先生、どうか安らかにお眠りください。

昭和50年1月28日
経済地理学会会長 一橋大学教授  青木 外志夫


◎参考文献
・「専修大学社会科学研究所 月報NO.137(昭和50年2月20日号)」

〜以下は江澤譲爾(著)〜
・『経済立地学』河出書房(1935年9月)
・『独逸思想史研究』主張社(1936年12月)
・『経済地理学の基礎理論』南郊社(1938年2月)
・『黄河流域の農業形態』刀江書院(1939年12月)
・『価値概念の日本的内容』刀江書院(1941年8月)
・『カール・ハウスホーファーの太平洋地政学』日本放送出版協会(1941年8月)
・『経済地理』研究社学生文庫(1942年1月)
・『地政学研究』日本評論社(1942年6月)
・『国土計画の基礎理論』日本評論社(1942年9月)
・『地政学概論』日本評論社(1943年2月)
・『南方地政論』千倉書房(1943年2月)
・『国土と民族』目黒書店(1945年5月)
・『アメリカ資源論』千倉書房(1948年1月)
・『経済立地論』学精社(1952年7月)
・『工業集積論』時潮社《学位論文》(1954年5月)
・『立地論序説』時潮社(1955年5月)
・『経済立地論概説』時潮社〔伊藤久秋氏と共編,かつ第4章執筆〕(1959年4月)
・『産業立地論と地域分析』時潮社(1962年4月)
・『経済立地論の体系』時潮社(1967年4月)
・『地域経済学体系』頸草書房
〔全三巻,金子敬生と共編かつ第1巻『経済立地論の新展開』の第一章,
第二章及び第三章執筆〕(1973年6月)


◎一橋大学
http://www.hit-u.ac.jp/
◎神奈川大学
http://www.kanagawa-u.ac.jp/
◎専修大学
http://www.senshu-u.ac.jp/


あそう あきこ


.
あそう あきこ
あそう あきこ
女性 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事