あそうあきこの活動日記

【無所属】元 墨田区議会議員あそうあきこの活動情報「レッツトライ!すみだ」

祖 先/家 族

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私が18歳で家を飛び出てから、はや14年経過しようとしています。

東京に出てきて、私のことだけを見つめてくれた人達にたくさん

出会うことができました。

それは本当に幸せなことでした。


〜18歳から32歳までの心の軌跡〜

私は「東京」という巨大都市が持つ懐の広さに感動いたしました。
そして、頑張れば頑張っただけの実りをもたらしてくれること
にも心底感動いたしました。

東京で出会った全ての人々は、私の背後関係などを一切考えず、
私だけを見つめ、私だけのために何かを言ってくれました。
普通に接してくれたことは、この上なく素晴らしい出来事でした。

初めて幼い頃から胸に抱えてきた苦しい思いを、全部話すことが
できたかけがえのない人とも出会うことができました。
自分を誇れるようになり、いつの間にか大嫌いだった自分が大好き
と思えるようになりました。

尊敬する恩師たち、素晴らしい友人達と出会うことができた、
東京に出てきてからの14年間。
私が築き上げた私だけの「かけがえのない歴史」です。

多くの貴重な出来事や出会いに、感謝の言葉が見つからないほどの

喜びで胸がいっぱいです!

数々のボランティアを通じて、愛に恵まれない子供達や人々の存在を
知った私は、「大きな愛に包まれて生きてきた」ことに気づかされました。

傲慢で他者に求めることしかできなかった未熟な自分を責め、泣きながら
自分を省みる中で、私の心は強くなり自然と癒されていきました。

今度は自分がいただいた恩を少しでも社会還元するべく、
「自分から多くの愛を発信していこう」
と思うようになりました。

私は選挙で区議に当選することができた時、「もっと長生きしてもいいんだよ」

という言葉を、目に見えない大きな力にかけていただいた気がしました。

「自分が存在していてもいい世界」が私の周りに広がったことは、
この上もなく嬉しいことでした。

皆様から、たくさんの優しい思いをいただき、力強いお言葉を
いただく中で、私の心はどんどん楽になっていきました。
生きることが楽しくなってきて、目の前に映る景色がいつしか
変わり始めました。

私を当選させて下さった目に見えない大きな力に、
いつも深く頭を垂れて、
「自分に出来ることを精一杯取り組もう。気を引き締めて生きていこう」
と切に思いながら生きています。

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母から届いたバースディカードです♪
母は私と同じように筆まめなので、よく手紙をくれます。
近況報告や家庭菜園の様子などを写真も添えて知らせてくれます。

〜母からのメッセージ〜
「晶ちゃん、お誕生日おめでとうございます。
明るい未来に向かって前進している姿は輝いています。
晶ちゃんに良いことがいっぱいになるように願っています。
お体に気をつけてお過ごしください」

現在母とは「ひとりの人間として同じ女性として共に懸命に生きていこう」

と思えるようになりました。

次第に独りでいることに慣れ、32歳になった今は身も心も軽くなり
楽しい毎日になりました。
私が母と同じようにワーキングウーマンとして立つようになり、母の
苦しさが少しずつですが、理解できてきたからかもしれません。

母と私は友人に、「一卵性双生児みたいによく似ているね」とも言わ
れるほど、外見はそっくりで行動も似ているらしいです。
最近私も「確かに似ているかもな」と感じる瞬間があるのですが、
性格は全く違う面が多々あります。
「よく似ているね」と言われますが、反発してしまい、あまり嬉しく
感じない時もあります。

ひとりで生きることの厳しさと大切さを身を持って教えてくれた母

母はマイペースで生きる人で、こうと決めたら一点の迷いもなく自分の
信念を貫き通す信念の人でした。
それが、時に障害となり対立を生みだしていたのも事実であり、懸命に
物事に取り組む完璧主義者でした。

子供の頃に母が仕事を家で懸命に取り組んでいる姿が、とても苦しそうに
映った時もありました。
「なんであんなに頑張るのだろう?無理するのだろう?」
と傍で見ていて思うことが度々ありました。

そんなことを感じていた私も、いつしか母と同じように仕事をするようになり、
無我夢中で仕事に向かい合う時に、ふと母のことを思い出します。
そんな時、「あぁ、確かに親子だなぁ」と感じて、人知れず笑ってしまいます。

そんな時に、「私は母のように強いだろうか?」と考え、自己分析した時、
多くの迷いがあることに気づかされます。
母の「岩をも通す強い信念」には足元にも及びません。
母は決して人を裏切らない人でした。
そして、正直に生きることの大切さを、自分の懸命に生きる人生から
教えてくれました。
母というよりも父なる存在の人でしたね。

揺るがない強さと信念を持ち人生を切り拓くことを教えてくれた母

母はまじめで不器用な人でしたが、素晴らしい教育者でした。
いつも夜遅くまで子供たちのために教案を作っていました。
子供達ひとりひとりの抱える問題に対して取り組み続けました。
母は毎日神経を張り巡らせて、子供達と向き合おうとしていました。

母は真面目で実直であり勉強に対して大変厳しい教師でしたが、母が登場
するだけで、お腹を抱えて子供達が転げまわるほどの笑いを生まれさせる
天性のコメディアン的要素も兼ね備えた教師でした。

明るくてコミカルの外見とは違って、内面は繊細で真摯でひたむきに、
物事に取り組む努力の人でもありました。
しかし、母が一生懸命にやればやるほど空回りし、それが時に反発を買い、
彼女自身を苦しめたこともありました。
母は様々な場面で対決しながら、血の涙を流して傷つきながらも、
その度、不死鳥の如く奇跡的に復活を遂げ、力強く生き続けました。

誰が何と言おうとも、母が自分の生涯をかけて、教育に情熱を燃やし、
子供達のために一生懸命に働いてきたことは、私の中で脳裏に焼きつ
いて離れられない光景となっています。
そして、必死に病気とも闘いながらも懸命に生きてきた姿を、娘であり
傍らにいた私が、母の辛さと悔しさを一番よく知っています。

母は教育に生涯を捧げ、子供達へ生きることの意味を教え続けました。
障害児教育にも取り組み、児童養護施設の子供たちへも惜しみなく愛を
与え続けました。
母は障害のある子供達が、朗らかに力強く生きていけるようにと願い続け、
彼らの目線に立ち、彼らと共に悩み、共に成長することを望みました。
真摯な母の思いは、ゆるぎない結晶として、成長した教え子ひとりひとりの
心に残り、彼らが苦しい時や悲しい時に、母が与え続けた愛は、そっと顔を
出し、悩む彼らの心を励まし続けているはずです。

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「今の私に出来ることとは何か?」

「これからの私に出来ることとは何か?」

母が一生をかけて紡ぎ続けた教育の糸は、たくさんの教え子につながり

その子供達の子供へともつながれています。

そして、私と母は「切ろうと思っても切れない親子の縁」で結ばれています。

母が夢半ばでやり残した多くの夢の数々、母が情熱を傾けて愛を与え続けた

教育への思いは、枯れることなく、いま私の中で確実に根づいていることを

感じます。

そして、その夢が私の中で新たな芽として、私を突き動かす原動力となって

いることに、最近ふとした瞬間に感じることができます。

私が味わった辛さや悲しみを超える、心の闇を抱えながら苦しみ続けている

多くの人々が、この世からいなくならない限り、私の心がスッキリと晴れる

ことはないでしょう。

だからこそ、区議として、大人として出来ることを、せいいっぱい次世代を

担っていく子供たちへ伝えていく活動に取り組んでいきたいのです。

これからは、私が母の意志を引き継ぎ、子供たちのために愛を与え続け、

更なる教育の向上を目指して取り組んでまいります。

あそう あきこ

My Birthday!

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1月25日は私の誕生日です。

私の名前の「晶子(あきこ)」は、祖母が名づけてくれました。


〜祖母が名前に込めた切なる願い〜

名前の由来としては、文学が好きだった祖母は、私にも文学が好きになって
欲しいと願い、情熱あふれる歌人・与謝野晶子の力強い生き方に感銘を受け、
彼女から名前をとったそうです。

私の母の名前は「朋子」です。

祖母が、母と私が離れ離れになって、どの場所にいても親子とわかるように
と、名前の漢字に込めた思いがあります。

母の名前の朋子「朋」は「月」。

私の名前の晶子の「晶」は「日」。

穏やかで心に沁み込む月光のように他者への思いやりを大切にしてほしい。
光輝く日輪のように情熱的に明るく生きてほしい。
月と日が互いに役割を担って空を守っているように、世の中でたった二人
だけの親子の私たちが、仲良く暮らして行けるようにと。

祖母が私の名前に託した思いを知った時、涙が出ました。

〜尊敬する祖父母〜

未熟児で生まれて、体が本当に弱かった私。
祖母は死にそうになった赤ん坊の私を温め続けて蘇生させてくれたそうです。
もし祖母が死んだら私も死ぬと、真剣に思い込み悩み続けた子供の頃の私を、
いま私は包みこんで癒やしてあげたいです。

私は祖父母が大好きです。

大きな愛で包み込んでくれた偉大なる祖父。

私のことを一番に考え無償の愛を与え続けた祖母。

ふたりはいつも私を必死に世間の荒波から守ってくれました。
でも時に、その無償の愛が重くて、期待に応えられない自分が悲しく辛かった
時もありました。
思い返すと、祖父が亡くなってから大好きだった祖母に色々と反抗し、色々と
ひどいことを言ったこともあり、いま深く反省しています。

〜両親の離婚から受けた心の傷〜

私が一歳の時に父母は離婚しました。
だから、私は父の顔を知りません。
私は32年間生きてきて、一度も父に会ったことはありません。

子供の頃は、父の話は家族間でタブー視されていたので、私は誰にも
詳しく聞いたことはありませんでした。

大変な労力を費やし、心身ともに疲れきった血みどろの離婚劇だった
ので、そのことを思い出すだけで不快な気分になったからでしょう。

実家にいた頃は、私が存在することにより、未来永劫続くかと思っていた、
断ち切れない血族という名の怖さと悲しみに押し潰されていました。

私の心のキャパシティは耐えられず、とても苦しくて、早く家を飛び
出して、家族から自由になることしか考えていませんでした。

この離婚がきっかけで、私は育つ過程の中で、ことあるごとに、周囲から
色々と中傷され続け、深く傷つきました。

「なんで、私がこんな扱いを受けるのか!?」

「なぜ、私はこの世に生まれたのか!?」

「なぜ、私自身を評価してくれないのか!?」

その現象がひどくなったのは、祖父が病に倒れてからでした。

一大求心力の祖父が弱くなったことにより、弱者となった私達に、
この時が機と思ったのか、暗黒の使者達は、刃を見せながら襲い
かかってきました。

権力を振りかざす嫌がらせやひどい仕打ちの数々は、思い出すだけで
吐き気がしてきます。
子供の私の頭では、とても複雑で理解することが困難な心がよじれる
ような苦しい事件が、立て続けにおきました。

私の胸は、はち切れんばかりに辛くて辛くて吹雪の時代でした。
どうしたら良い方向に考えられるのかわからず、パニックの毎日でした。

私は「群集心理の恐ろしさ」を身を持って体験することができました。
本当に学校にも行きたくなくて、不登校気味でした。

お節介な近所の人達や敵対する一族達、それに同乗して利益を得ようとする
輩によって、第三者的に伝わってくる、耳を疑いたくなるような非難中傷の
言葉が飛び交う日々。

いつしか私は人間不信になりました・・・。
特に祖父に世話になった人々の手のひらを返したかのような冷たい豹変振り
には、大変ショックを受けました。

私は家では必要以外は口をきかなくなりました。家族には色々とうまく過ごせ
ているかのように振舞いながら、心では泣いていました。
そんな思いを気づいてほしかったけど、気づいてもほしくない。
相反する気持ちが交差し続けた日々でした。

外でも、人の顔色に怯え、自己主張をすることを極端に恐れるようになりました。
子どもの頃は家族に気を遣い、周囲の人々と調和をとることを、重点課題として
心がけ続けて生きていました。
だから、一度も母を責めたこともなければ、相談したことも問い詰めたことも
ありません。

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〜過去からの解放と昇華〜

今まで私達が味わってきた苦痛を言葉にすることは不可能かもしれません。

大人になってから、子供時代に受けた数々のトラウマは大きく作用しました。

「自分が愛せない。大嫌い!」

「自分の存在を消したい・・・。生まれてこなければよかった」

真剣に思い悩み、苦しみ続け、大人になってから初めて母を責めました。
一時絶縁状態だった私達ですが、色々と経緯を重ねる中で母が私に、
「気づいてあげられなくてごめんね」という一言を言ってくれたことから、
和解をして現在に至っています。
現在は何でも言いたいことを言いあえる親子関係になりました。

親孝行の意味もある「愛日(あいじつ)」の光を身に沁みて感じる今日この頃、

私達親子は大変時間がかかりましたが、この世にたった二人だけの

親子として、残りの人生を生きていくことができるようになったことは、

本当に有難いことだと思います。


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私が父のことを詳しく知ったのは、つい最近のことです。 客観的に自分のことを見つめることができるようになり、自分の足で立って 生きていることが実感できるようになり、心に余裕が持てたからかもしれま せん。真実を知るにつれて、とても心が楽になってきたことを感じます。

〜愛すべきもの守るべきもの〜

世間の風雪に耐え、どんなひどいことをされても言われても、家族に
心配をかけたくなくて、必死に平常心を保ち続けた子供の頃を思い出
すと、今でも辛くなる時もあります。
でも、過去の私がいたからこそ、現在の私が存在しています。
それは消せない事実であり大切な歴史です。
友達にも暗くて重い話なので引かれてしまうと思い、詳しくは話すこと
ができませんでした。

悲しい思いを抱えていた小学生時代に、私の心を癒してくれたのは

「愛する動物達」でした。

彼らには、素直な自分の気持ちを話すことができました。
生きる希望をもらい癒され続けました。
私にとってかけがえのない大切な家族でした。
彼らには心から感謝しています。
少しでも恩返しができればと思います。
「彼らの仲間のためにできることは何か」
これからも考えて活動を続けていこうと思います。

〜母の後ろ姿〜

無我夢中で教育の仕事に取り組み、突っ走って倒れてもすぐに立ち上がり、

力強く生きている母の後ろ姿を見て育ってまいりました。

反抗することなく寂しく過ごした子供の頃、私は母にもっと自分の方を向いて
生きてほしかったのかもしれません。

でも、ここで甘えたら自分自身の心が平静でいられなくなると思い、必死に
ものわかりの良い娘のふりをし続けていました。

私は娘であるからこそ、母の辛い思いや大変さがよくわかっていました。
母も必死に頑張っているのだからこそ、私が我慢しよう、頑張らなきゃと
いつも思いながら、歯を食いしばりながら生きてきました。

私は祖父の介護を手伝い、家計を支えながら、家族のために自分に出来る限り
協力して生きてまいりました。

私は人生で空回りをした時もあり、色々と心配をかけながら、他者と衝突しながら、
この年齢まで生き続けることができました。

本当に有難いことだと思います。

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〜家族の形〜

家族の形は家族の数だけ、無数に存在しますね。
普通の家族って一体何か?
常に私が考え続けてきたことです。

祖父が倒れてから、祖母は母親の役割を、母は父親の役割を果たしてくれました。
私は祖父を「大パパ」、祖母のことを「大ママ」、母のことを「ともちゃん」と
呼んで育ってきました。
両親が揃っている家庭から見たら、変に思うことも多々あったと思います。

でも、祖父も祖母も母も私を一生懸命に育ててくれました。
家族は必死に働き、私に教育を与え、愛を与え続けてくれました。
それこそ、確かな事実であり、かけがえのないものでした。

育ててくれたことを感謝しても、恨むことは間違っていたことに、大人になった
今になって気づかされました。

もし、私に将来、子供ができたとしたら、家族が私に与えてくれたように、

今度は私が無償の愛を与えていきたいなと思います。

私が味わった思いは絶対にさせないように、私がして欲しかった全てを

我が子に注ぎこんで生きていきたいと思います。

そして、我が子にどんな境遇であったとしても、どんな辛い時でも、

笑顔を忘れずに、明るく朗らかに生き抜いていってほしいと願うと思います。

家族が込めた私への思いを胸に、今後どんなことが私の身に起きるか

わかりませんが、私に与えられた残りの人生を力強く生きていきたいです。


〜社会貢献への決意〜

昔は捨ててしまいたかった家族の歴史の数々ですが、祖先たちがいてくれた
からこそ、現在の私が存在します。
昨今、その歴史の重みを改めて知るにつけ、社会貢献の重要性を認識し、
後世に伝えていこうと、心底思うようになりました。

いつの間にか、誕生日が憎むべき日から

最高の日に変わるようになりました。

私を育ててくれてありがとう。

私を産んでくれてありがとう。

本日32歳になることができました。

愛日の心ふるえる庭先で清らにひらく水仙の花  晶 子


あそう あきこ

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叔父(麻生剛)との話の中で、常に出てくるのが親族である
江澤省三のことです。
生存中、よく自宅にお伺いしたり、仕事先に伺って様々なことを
教わったとのことです。
その中の一部を紹介したいと思います。


人間はどんな時にも危機がある。
それは自然界と同様。
ましてや、企業経営においては、尚更である。


江澤省三は、日本銀行時代、最も若い理事として、当時、法王として
君臨していた一万田尚登総裁のもとで、辣腕をふるっていました。
時には、この天下の法王ともやりあい、江澤天皇と他からは称されて
いたようです。そんな中、記憶に残ることに、豊田自動車工業
のことがあげられます。

戦後、我が国の基幹産業を育成していかなくてはならない、それには
自動車産業を世界水準まで引き上げていくべきだと考えたようです。
たまたま、ストライキ等で危機に瀕していた戦後の豊田の危機を救済
したのは、そんな国家百年の大計を考えてのことだそうです。

その時の心情は、将に勝海舟の言葉、

「献謀、自然に則る。
心事今誰か察せて、
独り笑って、
これを天に問う」

に通ずるものがあったとのことです。


現在、80年ぶりの世界恐慌が何やかやと叫ばれています。
しかしながら、ただ手をこまねいているだけでなく、先人の
生き様から学ぶことで、必ずや突破口がみえてくるはずです。

「闇の中に一筋の光明を求めていざ我行かん」
これが現在の私の心境です。

◎トヨタ自動車
http://toyota.jp/

あそう あきこ

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私の叔父(麻生剛)は、地方議員や代議士秘書の経験をした方で、
大変学識や見識のある方です。
そんな叔父に影響を与えた方に、既に故人でありますが、親族で
ある江澤省三がおります。

江澤省三は叔父(麻生剛)に会うと、よく自分の体験に基づいた
歴史の事実を語ってくれたそうです。
そのエピソードの一つをあげさせていただきます。


戦後間もない、昭和21年1月。
時の大蔵大臣渋沢敬三(渋沢栄一の孫で日本銀行総裁などを歴任した方)
の要請で、大蔵省金融局長(後に銀行局長)の発令を受け、戦後の財政
再建に取り組んだ時のことです。

就任後、ただちに、取り組まなくてはならないことは、言うまでもなく、
インフレの抑制です。
当時、終戦処理費の大量散布や進駐軍の支払いに加え、極端な物不足、
財産税回避のための換物運動の激化などから、悪性インフレは、セキ
を切ったように進行していった。

こうした事態に対処するため、政府、日銀は、新円切り替えを中心とする、
金融緊急措置の実施を決めた。
しかし、当時、GHQの存在もあり、そのGHQを納得させるため、時のGHQ
経済顧問ボクダン氏と激しい交渉をして、最後には渋沢蔵相と共に腹を
くくり、我が国の将来のために決断したとのことです。

時に歴史に残る新円切り替えは、昭和21年2月17日に実施された。
これにより、大きな社会不安は回避されたのは、言うまでもありません。


もの事を成すと言うことは

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

この精神である。

何事も正しいと信ずる道を行くことである。
たとえ、どんな反対があろうとも・・・。

今でも叔父(麻生剛)は、親族である江澤省三の言葉をかみしめて、
生きております。
これから先、どんな障害があろうとも、我が国の将来のために、
国家の礎になる覚悟です。
最後によく私や叔父、江澤省三が尊敬している勝海舟の言葉で
締めくくります。

「坐看雲起時」

あそう あきこ

1月15日は【小正月】ですね。

1月1日の大正月に対して、1月15日は【小正月】といいます。
旧暦以前の満月の日に祝われた太古の暦の正月の名残といわれています。
豊作を願った祝いの行事が農村を中心に現在も行われています。

◎出典:「週刊 日本の歳時記38 小正月」
・今週の歳時記38「太古の暦に正月を祝う」(長谷川櫂)より

寒い日々が続いていますので、体調に気をつけてくださいね。

中国の詩人王昌齢(おうしょうれい)の詩の中に、「一片冰心(いっぺんのひょうしん)」という言葉があります。意味は「澄みきった清らかな真心」です。


子どもの頃、庭の井戸水のところに置いてあったバケツに、寒い冬の朝は
いつも氷が張りつめていました。
パリンと割るのがもったいないほどの見事な氷でした。
それを見るたびに、衝撃的な出来事を思い出します。

愛犬クマが天に還って行ったのは、寒い寒い冬の日でした。
一気に愛犬クマの思い出がよみがえります。

いつも私が庭に出ると、愛犬のクマがいました。
クマは子供の私にとって、色々と悩みを話すことができた良き相談相手
であり、大切な存在でした。
悲しく傷つき疲れ果てて帰宅した私を、ブンブンと大きくしっぽを振って、
あたたかく迎えてくれたクマ。
泣いている私を励まし、ぺろぺろと顔をなめてくれたクマ。
布団の中にクマを入れて、泥だらけにして怒られたこともありました。
セピアになったクマと一緒の写真を見るたびに、クマのことを思い出します。
クマから、たくさんの贈り物をいただきました。

「あと数歩であきちゃんを救うバトンが苦しんでいる心へ届くよ。

だから、頑張れ。辛かったらまたここにおいで」

と言われているような気がします。

まさに、クマの心は「一片冰心」でした。


いつも清らかで、一点の曇りもなくて、いつも傷ついた私の心を、
冷え切った私の体を、あたたかく包み込み癒し続けてくれました。
クマからはいつも元気をもらいました。
そして、愛別離苦を教わりました。

「自分は先に逝くけど、あきちゃんの傍にいるよ」


最期にペロッと私の手をなめて、苦しい息の中、私にそう伝えてくれました。
辛くて悲しくて仕方ない時、クマの存在を思い出すだけで
頑張ろうと思うことができました。

「あきちゃんは絶対に大丈夫!必ず這い上がれるよ!」


今も打ち込みながら、思い出すだけで涙がこぼれてきて、視界が見えなくなります。
あぁ、クマは私の傍にいてくれるんだぁと感じます。
今も昔もクマに励まされ、癒されています。

クマ、たくさんのあたたかさを、真心をありがとう。

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幼いクマと私

あそう あきこ

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あそう あきこ
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