あそうあきこの活動日記

【無所属】元 墨田区議会議員あそうあきこの活動情報「レッツトライ!すみだ」

祖 先/家 族

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夏の残照〜祖父の死〜

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陽が傾き、すこしずつ暮れなずんでいく夏の夕方の光景。
昼の暑さをアスファルトが吸収してまだまだ涼しいと感じられない。
春の頃には桜が謳歌する川べりに、真夏の暑さを一身に受け止めて、
あざやかな色彩で咲き誇る【百日紅の花】。
午後の陽が傾きはじめると、蝉の【つくつく法師(ぼうし)】が鳴きだす。

子どもの頃の夏休みの終わり、昼寝から覚めると庭では【つくつく法師】が
よく鳴いていたことを思い出す。
「ジー・・・・・」と鳴き始まり、「ツクツクホーシツクツクホーシ・・・・・」
と何回も鳴き続け、「ウイヨース」と鳴き最後に「ジー・・・・・」で鳴き終わる。

【つくつく法師】の鳴き声が聞こえてくるたびに、ある思い出が私の中で
よみがえってくる。

視覚の記憶として、猛暑の中、満開だった庭の【百日紅】。

聴覚の記憶として【つくつく法師】の鳴き声。


自動的に私の中で祖父のことが思い出される。

8月12日は祖父の麻生省三の命日でした。

祖父が息をひきとった17年前の午後3時33分。
思い出してみると17年前もとても暑い暑い日だった気がする。
でも、祖父の死でそんな暑さが吹っ飛び、一瞬凍ってしまった
かのような強い衝撃が、私の心を襲ったことを、今でも忘れる
ことができない。

臨終の知らせとともに、しばらくしてから病院の真向かいにある神社で鳴きだした【つくつく法師】。


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アブラゼミはよく見かけたが、【つくつく法師】は警戒心が強くて、
その姿をなかなか見つけることができない。
特徴的な声は聞こえるもののその姿がよく見えない。
そんなところが、私にとってとてもミステリアスな存在であり、
夏の終わりを実感させてくれた存在であった。

夕陽がしずんだあとも残る光「残照」

私が祖父のことを思い出す時、私の中で祖父が生きていることを実感する。

毎年めぐりくる夏の残照のなかで・・・。


昨年、昔実家の庭に咲き誇っていた百日紅について書きました。
※ブログ「愛逢月の風景―百日紅―」をご参照下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/akiko_miyu/14599603.html

あそう あきこ

明治29年8月10日

一代の天才児が海の波間に消えた・・・。

その名は江澤金五郎。

まだ45歳の若さであった。

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日本で始めて本格的にダイヤモンドを販売し、そのダイヤモンドの存在を尾崎紅葉が『金色夜叉』の中で登場人物をとおして紹介した。

夏目漱石も『虞美人草』の中で、天賞堂のダイヤモンドとイルミネーションを紹介した。

金五郎はアイディアマンと賞される。彼のアイディアはある日突如ひらめいた
のではない。上総の大多喜に在住していた若き日々からの、連日連夜の努力の
生活環境から生まれた。そのために、彼は読書を怠たらなかった。
時代を先どりする読書によって啓発され奮起した。
『西国立志編』がそれであって、これからの時代を予想するに敏感であった。

新しい時代は外国語を理解することから始まる。こう考えた彼は蘭語はもちろん、
英語から独・仏語にいたる辞典を集めて研究した。
ここからアイディアが閃いている。絵を加えたわかり易い『外来語辞典』の編纂
は画期的といえよう。西南戦争以降、中央集権的な考えは俄かに高まりをみせた。

地方での出版を断念して、彼は東京に出る。
裸一貫で当時の中心であった日本橋で出版をはじめた。
そして、これからの商業の中心は銀座にあるとして、不人気であったレンガ街に
店を構える。
事実、欧米の風の吹く銀座であり、文明開化の先端を歩む場所であった。
国内はもちろん、海外の情報もいち早く届く情報基地でもあった。

◎出典『夢を売った男 近代商業のパイオニア天賞堂・江澤金五郎』市原允(著)〔崙書房〕

近代商業のパイオニアと称され、座売りから立売りへの転換、定価販売の励行、月賦販売を手がけ、商品券(当時、商品小切手と称す)の発行など。

今では当たり前のことだが、明治時代では、斬新な商法であったのは言うまでもない。

輸入時計や輸入自動車をいち早く試みて、文字通り、日本商業界の先駆者として、君臨したのは、申すまでもない。

かつて、東京銀座の三大名物といえば、「服部の時計台、天下堂の帽子、天賞堂のイルミネーション」と謳われた。

この名物の一つ、天賞堂が初代江澤金五郎によって、創設されたのである。

彼の数々の業績は枚挙にいとまがないのは、前述した通りである。


「我若し幸に成功せば郷里は勿論国家教育上に対し公益事業を起こさん」

この遺志によって、彼の死後一年後の明治30年10月に郷里 大多喜町に
図書館「天賞文庫」が弟江澤富吉及び二代目江澤金五郎により寄贈されました。
このことは、企業の社会貢献の先駆けと言えるでしょう。

以下の写真は江澤金五郎のゆかりの地である【恵比寿屋商店】(私の実家)の歴史です。

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明治末期の恵比寿屋

このあたり大正4年の大火で焼失したが、これは明治末期頃のものであろう。
道路は正面の恵比寿屋につき当たり左折し、直角に曲がった城下町特有の屈折
をしている。
荷を満載した馬車が到着し、中学生であろうか、高歯の下駄で帽子・袴をつけ
た少年が見える。左手前は瀬戸物屋の陳列棚。

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大正期に建てられた店舗(恵比寿屋)

この写真は昭和戦前の写真であるが、この店は大正期に建てかえられたもので、
間口の広い店舗であった。大正末期店頭左右にショーウィンドウが取り付けられ、
当時町内には他には見られなかった。これが第一号ではなかったか。
この店は銀座天賞堂江澤金五郎のゆかりの地で、東京ではじめてショーウィンドウ
を取り入れたが金五郎であったという。

◎出典:『写真集 いすみ』(写真集いすみ編纂会編)より

私は先祖に当る初代江澤金五郎の生き様を幼き頃より知るにつけ、幾らかでもその志に近づく人生を歩みたいと思っていました。

改めて気持ちを引き締め、活動に取り組んでまいります。


あそう あきこ

夏が来た!

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大暑を迎え、連日猛暑が続いていますね。

皆様、お元気ですか?

とうとう夏本番!

房総といえば“海”!!


【海水浴】の時期ですね。

今日歩いていて、あまりの暑さに水に飛び込みたくて仕方ありませんでした。

私の郷里の実家から車で20〜30分くらいで【外房の海】に到達します。

子どもの頃は、よく海に遊びに行きました。

泳ぐというより、自分の背より高い波をクリアーして、挑んでいくことが、
とてもおもしろくて大好きでした。

砂遊びや磯遊びも大好きでした。波ですぐ崩れてしまうのですが、
従妹たちと一緒に砂を集めて色々と作りました。
必死に作り続けたなぁと微笑ましく思い出されます。

また、キレイな貝殻を集めて小瓶に詰めて持ち帰りました。
テープで画用紙に貼ったり、おままごとに使ったりしました。


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外 房「鯛の浦」にて


海に行った後は、かなり日焼けしてしまいますね。

私は肌の色が白い方なので、日焼けをするとヒリヒリと赤く
腫れ上がってしまって痛かった思い出があります。

でも、海に行くのは大好きでした。

潮風のせいでしょうか!?
暑い浜辺で食べる【かき氷】や【おむすび】や【やきそば】などは、
特別に美味しかった気がします。
いつもよりたくさん食べてしまい、お腹が苦しくなった思い出があります。


祖父と海

今は鬼籍に入っている私の祖父(麻生省三)は、旧制大多喜中学校
(現在 大多喜高等学校)時代に、水泳部に所属していました。

明治神宮大会(現在の国体にあたる)に出場し、輝かしい成績を残した
名選手でした。

後に「恵比寿屋九代目当主」として、"商業活性化"に寄与しました。

海で撮ったセピア色に染まる祖父と一緒の写真を見るたびに、潮風が
静かに頬をなでゆく気がしていました。

今、ブログを書きながら、耳元で波の音が聞えて来ました。

いつも私は、車でトンネルをぬけて、青く輝く海が眼前に現れる

たびに、開放感と共に、頬をなでゆく潮風の匂いに、感動しました。

照り返す真夏の太陽、白い波のしぶき

裸足で駆けている私の姿

祖父や家族の高らかな笑い声

よせては返す波に挑んでいった日々・・・etc.

私にとって【夏の海】は、ちょっと塩からい味の【なつかしくて大切な記憶のひとひら】です。


あそう あきこ
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未熟な点を見つけたら・・・

ひたすら喜びを全身で感じなさい。

新しい点が見つかるうちは

どんどん伸びていける要素があるのよ。(祖母・麻生秀子)


上記の言葉は祖母に常々言われてきた言葉である。
毎日いつも明るく楽しく笑っていたい。
けれど、どうしても笑顔になれない時もある。
他者から見ると、私の生き方は苦しそうに見える時もあるらしい。
そう指摘されるたびに、自己の鍛錬が足らないことに気づかされる。

ほのかな朧月夜が照らし出した心

全力疾走するのが好きで、手を抜くのが嫌いな性分の私。
でも、正直なところ、時折「ふ〜ぅ」ってため息をついてしまう。

「もう少し楽に生きたらいいのに」と友人から言われることも度々・・・。
自分が選んできた道のりの中にあった幾つもの分岐点。

少し前、ふと自分の人生を省みた。
もし、ほかの道を選んでいたら、どうなっていたのか!?
考えてでた答えは、次のとおり。

たぶん、今と違う人生を選択して生きていたとしても、必ず
不平不満が出る。
でも、それと同じように楽しいことも嬉しいこともあるだろう。
これから先も、眼前に立ちはだかる大きな壁に遭遇するたびに、
迷い立ち止まって、また色々と考えてしまうかもしれない。
しかし、誰も自分の代わりに生きてはくれない。
別の人生を選んで生きたとしても、私は私なのだ。

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【自分を信じられる力を育む】ことは、新しい第一歩を踏み出す時に、 躊躇しがちで不安な心をそっと押上げ、ずっと支え続けてくれるという 【安定感】を生み出す。 そして、【自分を信じられる力を強化】することによって、どんな過酷な 状況に置かれたとしても、どんなに圧力がかかり虐げられたとしても、 自分で自分を引っ張っていけるのである。 また、客観的に【自己を分析する力も更に強化】していきたいと思う。

「未熟な点を見つけたら、ひたすら喜びを全身で感じ」て、

そこから新たに出発をする。

大空に向かっていっせいに咲き誇る気高き【ハナミズキ】の花。

人生の荒波を乗りこなすために、願い続けることのできる

たゆむことない精神の強さを兼ね備えた女性となりたい。


あそう あきこ
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上の古ぼけた馬の写真は、過日に実家に帰った時に、久しぶりに再会した
私が小学6年の夏休みの自由作品で作った「馬の貯金箱」です。

この「馬の貯金箱」は、当時小説『優駿』(宮本輝作)を読んで感動し、
この小説が映画『優駿 ORACION』になり、それを観に行った感動が
忘れられず、その思いを作品に込めて作りました!

その当時、私は将来「獣医」になりたかったので、舞台が北海道のこの映画に
魅せられ、憧れていましたので、釘付けになって観たことを思いだしました。

20年前の自分と現在の自分

祖母は私が学生時代に作った作品たちを全部とっておいてくれて、
自分の部屋に飾ってくれてあります。

祖母の部屋に行くたびに、過去の自分と出会います。
そのたびに、忘れかけていた私の軌跡が一気によみがえり、
子どもの頃に誓った社会貢献への決意を思い出します。

「31歳」って、すごく大人と思っていた11歳の私。
実際になってみると、足らないところばかりで未熟な31歳の私。
31年間生きてみて、考えたことや知ったことはたくさんあります。
当然だけど、喜怒哀楽もたくさん経験できて、確かに11歳の頃に比べて
成長できたかなって思う面もあります。
だから、生きてきて良かったなって思います。

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祖母の言葉

政治家になるなんて、想像することもなかった小学6年の私。
色々と心の中で紆余曲折があり、現在は区議会議員として働かせていただいている私。

幼い頃から私は祖母に、

「21世紀を生きる女性は自立しなければならない。だから、勉強して品格を身に付けた女性となれ。他者に対する真心と優しさを兼ね備えた女性となれ。

自らが身につけたもの、いただいた恩は必ず社会へ還元しなければならない。それは最も大切なことだ。

喜怒哀楽を経験することにこそ、人生の醍醐味がある。

真摯な態度で取り組み、ゆるぎない信念を携えて、一生学び、一生悩み続ける過程の中にこそ、生を受けた本当の意味が見つかる」

と、呪文のように、何度も言われて育ちました。

私の一生を通じて、祖母から学んだこと、培ってきたことを社会に還元することを目標に、
私を育ててくれた祖母を含め、私を見守ってくださっている全ての方々の恩に報いれるように、
気を引き締めて取り組みます。

あそう あきこ

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