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【立春】を迎え、いよいよ春が始まりました。
東京は大雪も降り、まだまだ余寒が続くことと存じます。
体調を崩さないようにお気をつけください。
私は「いちご」が大好きです。
「いちご」は江戸時代末期にオランダから伝わり、日本で本格的に
栽培されるようになったのは、明治時代だそうです。「いちご」は、
健康にも美肌にも最高ですね。この季節になると、朝市に行く度に、
祖母は必ず「いちご」を私に買ってくれました。
真紅のルビーのように光輝く、可憐でジューシーな「いちご」。
お皿にのっているのを見ているだけで、とても幸せな気分になれますね。
いちごの思い出
私は「いちご」を見るたびに、祖父母の顔が浮かびます。
常に笑いを周囲に与え続け、嫌なことや辛いことも率先して
引き受け、家族や周囲の人々から慕われていた祖父。
頼みごとを引き受け、自分が窮地に立たされた時も、
「自分が損するだけで良かった」と、相手の辛い心情を思いやれる人でした。
そんな祖父が脳梗塞で倒れたのは、2月の寒い寒い日でした。
祖父に頼っていた我が家は一大騒動でした。
幼い私も、祖父の不在がとても不安でした。
入院する祖父に祖母と一緒によく会いに行きました。
帰りには病院の向かいにある、夷隅神社で祖父の病気平癒を祈りました。
退院後、祖父は長い闘病生活にはいりました。
祖父の闘病は、家族にとっても闘いの日々でした。
毎日、朝早くから夜遅くまで、祖母は叔父たちと一緒に、経営する書店で
働いていました。私は学校から帰ると、いつも祖父と一緒にいました。
祖母も時間を作って様子を見に来てくれました。
私は祖父と一緒に「いちご」を食べた日のことを、今でもハッキリと、
思い出すことができます。
祖父は手が麻痺していたので、震えてしまって上手く食べることができません。
忙しい祖母の手助けがしたかったので、私は徐々に祖母に教わりながら、
祖父に食事を食べさせることやリハビリの手伝いをしました。
小さく刻んだ「いちご」を祖父の口先まで少しずつ運ぶ祖母。
太陽のように明るくて丈夫だった祖父の姿が、今にも折れてしまいそうな
木の姿に重なって見え、儚い雪のように今にも消えて無くなってしまいそ
うな雰囲気がして、急に怖くなったことを思い出します。
その光景を見ているだけで、やりきれない思いで、いっぱいになりました。
祖父が亡くなった時、私は後悔の念に苛まれました。
祖父にしてあげたかったことが、まだまだたくさんありました。
しばらくの間、祖父のいなくなった居間のソファーを見るたびに、自然と
涙がこぼれました。
そんな時、私の心を癒してくれたのが、動物たちと文学でした。
祖父と私を見守り続けてくれた犬と猫たちの存在は、かけがえのないものです。
心の喪失を初めて味わい、生老病死について書物をむさぼるように読みふけり、
人生について真剣に考えるようになった時期でもあります。
いちごをデコレーションしたデザートを作ってみました。
私は今でもスーパーで「いちご」をよく購入します。
新鮮で美味しい「いちご」を食べると「美味しいな、嬉しいな♪」と感じます。
その行為が、子ども時代の冬の日をよみがえらせ、祖父と一緒に食べた、
あの「いちご」を思い出させてくれるのです。
祖父と一緒に食べた「いちご」の美味しさにかなう「いちご」がないことに、
ハッと気づかされます。
「一緒に食べることをわかちあう人がいる喜びに勝るものはない」
私が祖父を思い出す時、祖父が私の傍らにいる気配を感じます。
そして、悩みの霧の中を歩き続ける私の心を導いてくれるのです。
以上が、「いちご」にまつわる思い出の一コマです。
皆様の中にも、たくさんのドラマがあることと存じます。
生きている人の数だけ、ドラマは存在します。
皆様の生きてきた軌跡の中に、たくさんのドラマがあることと存じます
これからも、自分が主人公のドラマを大切に生きていきたいですね。
あそう あきこ
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