あそうあきこの活動日記

【無所属】元 墨田区議会議員あそうあきこの活動情報「レッツトライ!すみだ」

祖 先/家 族

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2008年(平成20年)になりました。

今年も「一日一生」と思い、全力で頑張ろうと思います。


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一月の異称は睦月です。
睦まじく親しむ月の到来ですね。
日本だけでなく世界の国々の方々が、
仲睦まじく暮らすことができることを
年頭にあたり心から祈り続けます。

ゆずりはの心

本日は鏡開きです。
お正月の飾りに用いられる常緑樹に「楪(ゆずりは)」がありますね。
この葉は、新しい葉が出てから古い葉が落ちるということから、
新旧相ゆずるという縁起を祝い、新年の飾り物に使われています。
今年初のブログでは「ゆずりは」を謳った有名な詩をご紹介します。
この詩を思い出す時、脳梗塞で倒れ、長い間、闘病生活を送っていた
祖父のことも同時に思い出され、目頭があつくなります。

「ゆずりは」 河井酔茗(かわいすいめい)

こどもたちよ、
これはゆずりはの木です。イメージ 2
このゆずりはは
新しい葉ができると
入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉ができると無造作に落ちる、
新しい葉にいのちを譲って―。

こどもたちよ、
おまえたちは何もほしがらないでも
すべてのものがおまえたちに譲られるのです。
太陽のまわるかぎり
譲られるものは絶えません。

輝ける大都会も
そっくりおまえたちが譲り受けるものです。
読みきれないほどの書物も。

みんなおまえたちの手に受け取るのです、
幸福なるこどもたちよ、
おまえたちの手は小さいけれど―。

世のおとうさん、おかあさんたちは
何一つ持っていかない。
みんなおまえたちに譲っていくために、
いのちあるものよいもの美しいものを
一生懸命に造っています。

今おまえたちは気がつかないけれど
ひとりでにいのちは伸びる。
鳥のように歌い花のように笑っている間に
気がついてきます。

そしたらこどもたちよ、
もう一度ゆずりはの木の下に立って
ゆずりはを見る時がくるでしょう。

●出典『ポケット詩集』(童話屋)

追伸 祖父からゆずり受けたもの

祖父・麻生省三との思い出はたくさんあります。

幼い頃、私は祖父の運転する車で仕事先によくついていきました。
書店経営の祖父は博学でした。
祖父との交流から一冊の本が出来上がるまでには、たくさんの過程があり、
たくさんの物や人々によって成り立っているんだということを学びました。

仕事帰りには、よくお寺の公園でブランコや滑り台で遊びました。
祖父はたくさんの子守唄や童歌を歌ってくれました。

また、学生の頃、水泳で県大会一位にまでなった祖父ですので、泳ぎは得意で
海にもよく連れて行ってくれました。

理系の祖父でしたので、物理、科学、生物などの知識が大変豊富でした。
事例を交えて実際に実験や体験を通して、わかりやすく教えてくれました。

私が歴史を好きになったのも、祖父と一緒に時代劇を見ていたからだと
思われます。
でも、時代劇と同じ時間にバラエティ番組を見ていた学校の友達とは、
次の日に話が合わなくて困った記憶もありますが・・・。

祖父は他者を思いやる心を忘れず、家族のために生きた素晴らしい人でした。

亡くなってからは、祖父とは夢の中だけでしか会うことができませんが、
病魔に冒されやせ細り、足にも麻痺があった晩年の祖父の姿ではなく、
夢の中ではとても元気にふくよかな姿で、私にたくさんのことを教えて
くれます。目覚めるたびに充足感に満たされ、へこたれない強さを授け
られたことを感じます。

祖父から受けた恩と教えを、次世代を担っていく子どもたちへ伝えていく
ことこそ、私に課せられた使命と思っています。
あそう あきこ

祖母の横顔

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祖母が作ってくれた「シイタケ炊き込みご飯」

先日私が帰省した時に祖母が作ってくれた私の好物の一つ。
シイタケのうま味が存分に活かされている絶品!

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其(そ)のにおひ 桃より白し 水仙花

水仙や 白き障子の とも映り

庭に咲いた早咲きの水仙を見ていたら、上記の松尾芭蕉の句を思い出しました。
別名:雪中花
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ちょうど家の障子をはりかえたばかりで、「水仙や〜」の句の情景と
ピッタリだなぁと思いました。
水仙の芳香と崇高な姿を思い描く時、句作に励む祖母の横顔が重なります。
私の精神の礎を築き、文学の楽しさを教えてくれた祖母。
元気で長生きしてほしいです。

あそう あきこ

陽だまりの記憶

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田舎から野菜が届きました!


今日は「庭」を考えていたら「朝市」について思い出しました。
つれづれと思ったことについて、述べたいと思います。

現在は母が庭で家庭菜園を作っていますが、
昔はもっぱら私が庭でミニ畑を作って楽しんでいました。
ふと、色々と育てたなぁと懐かしく思い出しました。
例えば、ミニトマト、キュウリ、ナス、ジャガイモ、
トウモロコシ、枝豆、インゲン豆など。
虫がついたりして、世話が大変だった時もありますが、
本当に楽しかったです。

また、庭は四季折々の花たちでいっぱいでした。
というのも、私はよく祖母と一緒に神社の朝市に出かけました。
海辺の町からの新鮮な魚、農家の方が自分の野菜を売りに来る。
買い物をしながらたわいもない会話を楽しむ。
そして再びお会いすることができたご縁を喜ぶ。

また、花屋さんも市に出荷していましたので、朝市に行くたびに
祖母と一緒に花を選ぶことが、子供の頃の私の楽しみでした。
次々に増えて咲き誇る庭の花や樹木を見ていると、
不思議と心が安らぎました。
祖母と一緒に、庭の草花を観察したり植物採集をしたりしました。
私が自然を愛するようになったのは、祖母の影響が多大にあると
思います。

昨今、私が大好きだった「朝市」が廃れてきているとの話を聞き
ました。時代の流れと、バイパス沿いに新しいお店が次々にでき
たことにより、衰退していったものと思われます。
ちょっと悲しい気分になりました。
町も過疎化で商店街も衰退してしまっています。
日本の各地に見られる「商店街衰退現象」を食い止めなくては
なりません。
私は日本の原風景ともいうべき「朝市」の復活についても、
考えていきたいと思います。



余談ですが、小学四年の夏休みの自由研究に、
「ジャガイモの観察日記」を行いました。
徐々に育つ「ジャガイモ」の様子を見ているだけで、
おもしろかったです。
そんなに手をかけた覚えはないのですが、ジャガイモは
地下ですくすくと元気に育ったようで、掘り出した瞬間
には大変驚いたことを覚えています。
たしか母が、たくさん連なった立派なジャガイモと一緒に
「記念に写真を撮ろう」と言ったので写しました。

セピア色に染まりつつある写真をアルバムで見るたびに、
土の匂いと共に、いつでもあざやかに、小学生の頃の夏
の庭の思い出がよみがえります。

「全ての出来事は現在の私を形成する上で
 必要なものだったんだなぁ」
と、いましみじみと感じています。

あそう あきこ

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川べりに咲き誇っていた百日紅を見つけたので、写真を撮りました。
百日紅の咲いているのを見ると思い出があふれでてきます。
本日は《 愛逢月の風景の第二段 》として「百日紅」(さるすべり)
についてご紹介します。


夏から秋にかけて百日間、紅い花が咲き続けるといわれる
ことから百日紅という呼び名がついたとの説があります。
百日紅は日本へは鎌倉時代以前に中国を経て渡来したとされ、
鎌倉時代の『夫木抄』の中にも、「さるなめり(猿滑)」の
名が見られます。

百日紅は、樹の肌が大変なめらかです。
木登りの上手な猿も滑るとの意味からついた名前です。
私も子供の頃、家の百日紅に登った経験があります。
幼馴染の男の子は上手く登っていったので、私も登りたくなり
続いて行ったところ、私だけ滑り落ちました・・・・・・・。
土がクッションとなって大丈夫でしたが、頭を強打したため
すぐ病院に担ぎ込まれ、家中で大騒ぎになってしまったという
苦い思い出があります。


我が家の樹齢200年を越す百日紅の大樹は、毎年夏になると鮮やかな
紅色の花を咲かせ、季節の移り変わりを実感させてくれました。
生命力あふれる花を見ると、美しさと共に一抹の悲しさも感じます。
有名な俳人・水原秋櫻子の俳句もそんな思いから生まれたのでしょう。

朝雲の故なくかなし百日紅   水原秋櫻子(みずはらしゅうおうし)


人間の一生は、大自然の流れから見たらほんのわずかの時間。
江戸時代から脈々と続き、世代交代していく我が家の栄枯盛衰を
百日紅はどんな思いで見つめてきたのでしょうか。

明日もせいいっぱい活動に取り組みます!


あそう あきこ

凛とした心

桜前線が北上していますね。
春爛漫で日中は暖かですが、朝晩は寒いですね。
皆様は体調を崩されていませんか?

今日も春の花に出会いました。

ヤマブキ(山吹)です。

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道路の脇に群れをなして、黄金のように光輝いて咲いていました。
可憐でありながらも凛とした姿から想像して、
「気品がある、崇高」 という花言葉が生まれたのでしょうか。

絵の具に「やまぶき色」という色がありましたね。
急にスケッチをしたくなりましたが、時間がなかったので出来ませんでした。
とても残念でした。

機会を見つけて、写真を見ながらになってしまいますが、
春の彩り豊かな花々を描きたいなぁと思います。

山吹に出会えた感動をそっと心にしまって、歩きだすと、
ふと、彫刻家であり詩人でもあった

高村光太郎(たかむら こうたろう)

の詩が頭に浮かんでまいりました。

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『道程』(どうてい) 高村光太郎

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ

父よ

僕を一人立ちにさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ

この遠い道程のため

この遠い道程のため

この詩は小学生の時に叔母(宣子)から教わりました。

自らの意志を貫き、凛とした姿勢で生きる叔母は、

私の憧れであり叔母というより、年の離れた姉のような存在です。


自然を「父」として、自らを律し続けた高村光太郎。

彫刻のように研ぎ澄まされた感性で綴られた詩たち。

叔母の高らかな朗読で出会えた、『道程』。

今でもこの詩を読むたびに、心が凛として引き締まります。

私の前に道はない!

私の後ろに道は出来る!


あそう あきこ

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