田舎から栗が届きました!
本日は「江戸の食」について、「いただきます」について、
つれづれと述べたいと思います。
『大江戸東京の歩き方 東京シティガイド検定公式テキスト』
(著/東京観光財団 ダイヤモンド社)より引用し、加筆いたしました。
★江戸の食について
その昔、江戸は巨大な消費都市でした。
参勤交代制度により単身の武士が多く、さらに職人
や奉公人も独身男性が多かったそうです。
彼らを相手に鮨、天ぷら、蕎麦が屋台で人気の食物でした。
現代で言えば、ファーストフードにあたります。
また、現在の食習慣の始まりでは、朝昼晩の1日3食の食事が
一般的になってきたのは、江戸時代(17世紀後半)からだと
いわれ、それ以前は朝晩の一日二食だったそうです。
冷蔵庫がなかったため、その日に食べるものは振り売りと呼ば
れる行商人から必要な食物をその日に購入していたそうです。
★江戸っ子の初物好き
初物は、その年の初めに売り出された野菜や魚を指し、
初物が家に来るとまずは仏壇に供えて鈴を鳴らします。
「初物を食べると75日長生きする」とも言われ、その活力を
いただくために、江戸っ子たちは初物買いに熱狂したそうです。
特に初鰹には高価な値がつき、幕府からたびたび売り出し期間を
定める法令さえ出されたほどだったといわれています。
★江戸の物資補給地
巨大な消費都市・江戸の食を支えていたのは、江戸の周辺部の農山村や漁村
であったそうです。たぶん、千葉県からも大量の野菜や魚が江戸に流出されて
きていたと思われます。農村ではたくさんの野菜を市場に送り込みました。
例えば、練馬大根、小松川の小松菜、谷中の生姜、早稲田の茗荷、駒込の茄子
など。魚でも多摩川の鮎や隅田川の白魚は献上品として将軍家に届けられたと
いわれています。
いただきます〜毎日の糧に感謝をあらわすきもち〜
「いただきます」とは、食べ物を与えてくれた自然、それを作った農家の方
への感謝の念を込めた言葉であり、同時に頭を下げて感謝をしぐさで表すことです。
他者への感謝の心は、食べ物のみならず、全ての面において、江戸の庶民は普通に
持っていた感覚だったと思います。
いつから、私達はその感覚を忘れてしまったのでしょうか?
ある時、私は子どもたちと「いただきます」の話から、
「''いのち''について」話し合いました。
そして、私はある一つの詩を紹介しました。
「儀 式」 石垣りん
母親は
白い割烹着の紐をうしろで結び
板敷の台所におりて
流しの前に娘を連れてゆくがいい。
洗い桶に
木の香のする新しいまないたを渡し
鰹でも
鯛でも
鰈でも
よい。
丸ごと一匹の姿をのせ
よく研いだ庖丁をしっかり握りしめて
力を手もとに集め
頭をブスリと落とすことから
教えなければならない。
その骨の手応えを
血のぬめりを
成長した女に伝えるのが母の役目だ。
パッケージされた肉の片々を材料と呼び
料理は愛情です、
などと諭すまえに。
長い間
私たちがどうやって生きてきたか。
どうやってこれから生きてゆくか。
●出典『空をかついで』石垣りん著(童話屋)
私は今の「キレル子ども」に共通していることが
「想像力の欠如」だと思います。
以下は、子どもたちといのちについて話し合う中で感じたことです。
大人が常に真剣に向かい合うことを続けていくことが必要では
ないでしょうか。
必ず子どもたちの心は開くと信じて・・・。
いのちの煌めき
自分が生きてきた背後に、多くの''いのち''が存在していたという
ことに気づかされることは・・・・!?
それらの''いのち''があったおかげで、自分自身の存在を実感できる
ことにほかならない。
自殺をすることは、そのものたちを再度殺すこと。
長い間、大切に続いてきた''いのち''の連鎖をたち切ることになるのだから。
私たちの存在とは、生まれてからいまこの瞬間に存在するということ自体が
稀有そのものなのである。
気づかないほどたくさんの「歓喜」の瞬間の積み重ねの中で生きている私たち。
生きている・・・!?
例えば、ケイタイで話すこと、パソコンが打てること、
電車に乗って出かけられること、眠りにつき再び起きれること etc.
ほかにも色々あるけれど、全て生きているからできること。
生きる中で出会うことができた全てが無二の存在であり、
出来事に良い経験も悪い経験もない。
全ての良い悪いの判断は自分の心が決めていること。
もし誰かの言葉で行動で傷ついたら、その傷ついたと思う
自分の心を包み込むことからはじめてみよう。
なぜ、そのような言葉を相手が言ったのか考えてみよう。
相手の心情を想像してみよう。
相手の身辺の状況を考えてみよう。
その相手と会っていた時の場所や他のことも思い出してみよう。
自分と会う前に、嫌な思いをしていたから、たまたまいた自分に
あたってしまっただけかもしれない。
自分にないものを持っているから妬ましいと思ったのかもしれない。
だったらその人はとても心が寂しい人なのかもしれない。
汚い言葉を吐く人の裏に隠された弱気な部分を見つけよう。
その人はとても臆病な人なのかもしれない。
心の栄養が足りない人なのかもしれない。
汚い言葉を吐いたらそれは自分に還っていく。
その相手をすぐに許せなくてもいい。
まず、傷ついたと思い込み氷のように冷たくなった
自分の心をぽっかぽっかに温めてみよう。
凍りかけた心にあたたかい陽の光の言葉をいっぱいあて続ければ、
身近な場所に幸せはたくさん眠っていることに気づかされるハズ・・・。
幸せは伝えられる相手がいてこそ感じられるのものだから。
心の陽だまりをたくさん作れる人に、まず自分からなっていこう。
相手の心を想像してたどっていく作業を続けていけば、いつの間にか
心が落ち着き、新しい自分に出会えた喜びに気づくハズ・・・。
嫌な思い、嬉しい思い、全て心が感じる思いは、
生きているからこそ感じられることだから。
傷ついたらまた一つ経験が豊かになったね、って素直に喜べるようになりたい。
心の経験が増えるごとに、心の中で自分に祝杯をあげよう。
あたたかい思いを全て吸収できる実り豊かな心の大地に
容易には消すことができぬ情熱という名の火を灯す。
水が氷に形を変えても本質は変わらぬように
どんなに北風が吹き荒れようとも、
必ずめぐり来る春の訪れを信じて生きていく。
あそう あきこ
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