消えゆく街並み〜チャイ

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ぼちぼち・・・

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                                                     【 写真はイメージ 】




何だかちょっと夏ばてしてました。
(でも、痩せてない。。。)
でもここ数日、結構すごしやすくなってきたゾ。


胡同(フートン:北京の下町)大好き〜!
なんて豪語しておきながら、
この2ヶ月、さすがに暑くて、なかなか歩く気にならず・・・


昨日、親愛なる胡同博士のお誕生日会を後海にて開催。
会場にタクシーにて急ぎ駆けつける途中、
車窓から徳勝門内大街の変わり果てた姿が・・・

また、やってしまった。

ずっと前から取り壊されると知ってたのに、
先延ばしにしているうちに全滅。


ぐうたらな自分の馬鹿〜!


街は私を待ってくれない・・・
残された時間はどのくらい???
いろんな風景がセピア色になっちゃうよぉ。


涼しくなってきた?ことだし、
ぼちぼち、再開しなくては!

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                                         【瓦礫の山となった煤市街で話し込む老人】


すべてが思い出に変わる瞬間



2006年3月14日、
張金利さん宅の取り壊しが強制執行されました。

家の中には冷蔵庫と家具がそのまま、
廃墟の中に押しつぶされていきます。


張金利さん、48歳、男性。

張さんの娘はまだ学生、80過ぎの父親を抱え、
前妻は精神病を患い、その治療費も張さんが負担しています。
生活費は、ここで経営していた食堂で得ていました。

生活の拠り所を失った張さんは、
南三環(第三環状線)の外に住む親戚のうちに身を寄せるしかありません。

これからどうなるのか・・・
今は、考えられないし、考えたくもない。


「大柵欄」には、
彼の家があり、生活があり、
すべての過去と拠り所がありました。


それが、一部の学者の目には、
「典型的な貧民窟」 にしかすぎなくても。



張さんは涙を流すこともなく、
立ち退き業者を阻止することもありませんでした。


ブルドーザーが、ガチャガチャと音を立てながら遠のいていき、
張さんは廃墟となった自宅の前で、
突然、自分の生活が「思い出」に変わっていくことを意識し、
厳かな気持ちになるのでした。



                                    『北京青年報』(記者・蔣韡薇)より抜粋
=========================================


2006年4月23日、
異邦人の私は、ただ複雑な思いで、
廃墟と化した彼の家の前を通り過ぎるしかありませんでした。

今回は、前回から引き続き、
張さんのその後を調べてみました。

結局は、泣き寝入り、という結果に終わってしまったようです。

でも、張さんの勇気ある抗議活動によって、
今の北京の都市改造計画が抱える問題の一端が露呈し、
多くの人の心に、疑問符を投げかけたことだけは確かだと思います。


私が北京を去るとき、
私にも、北京生活のすべてが「思い出に変わる瞬間」が
訪れるのかもしれません。
(もちろん、張さんほどの感慨はないかもしれませんが)

今を大切にしたいと思う今日この頃です。



張さんの立ち退きの様子(写真)は↓↓↓
http://www.alternativearchive.com/ouning/article.asp?id=111

抗議!

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                                     【写真:煤市街117号院に書かれた抗議の文字】




一月の末、私は焦る気持ちを抑えながら前門を歩いていました。


この辺りが取り壊されると言う噂を、ずっと前から耳にしていたのに、
昨秋から忙しく、足を運ぶことができないでいました。

そこで目にしたものは、
前門の大通りから1本、西に入った「煤市街」の変わりはてた姿。


そして・・・
瓦礫の通り沿いにポツンと残された建物に、赤いペンキで書かれた抗議の文字。

「国土局の取り壊しに道理なし」
「裁判所は取り壊しの件を受理せず」「誰が是非を明らかにしてくれるのか」
「立ち退き業者は協議を偽造、国土局の違法裁決、弱い庶民、生存困難」

庶民の前に、突然、訪れた「取り壊し」という現実。
ここで、どんな闘いの日々が繰り広げられたのでしょうか。
悲しげな闘いのつめ跡・・・

=================================

張金利さん、48歳、男性。

彼は1958年この場所に生まれました。
1954年、父親が建物を個人資産として購入、「服装加工店」を経営。
1984年に食堂となり、1991年に張さんがここの経営を継ぎました。

張さんが初めて「立ち退き」に抗議を始めた頃には、
すでに立ち退き開始から8ヶ月ほどが過ぎ、
周囲は瓦礫となり、彼の家は廃墟の中の孤島となっていました。

「煤市街」は「大柵欄街」に隣接しているため、
人通りが多く、さまざまな店が林立し、
この辺りの生活・労働コストも低いこともあって、
ここでの商売は簡単に成り立っていました。

張さんもできれば「回遷」(*)したいと願っていましたが、
「道路拡張」の取り壊しのため戻る場所も用意されず、
ただ、金銭的な補償を求めるしかありません。

ここで生まれ育ち、地区の個人経営者組合長を14年も務め、
一人住まいの老人を助け、街に慣れ親しんできたというのに・・・


張さん自身、道路の拡張や都市の改造計画は仕方のないことだと認めつつも、

 ・ 商業用の建物と認定されなかった(商業用の補償はやや高額)
 ・ 敷地の補償面積を狭く評価された(文革時の要因によって登記が曖昧)
 ・ 補償計算公式に2001年の地価を使用(この数年で地価が高騰しているのに)

張さんはさまざまな方法でこの問題を訴え続けてきましたが、
満足な回答は得られずに、
とうとう、こうした形で、この事実を公開し、
社会に助けを求めたのです。
                 

                      『張金利的故事』(欧寧・著)より抜粋
=================================

3月末、私はもう一度この建物を訪ねてみましたが、
すでに117号院は瓦礫の山となっていました。

斜め向かいの店のおばさんに尋ねてみましたが、
「さぁね〜」
という気のない返事のみ。

この文字を書いた張さんは、
今頃、どうしているんでしょうか・・・


                              つ づ く
=================================

★取り壊しの現実、劉さんの闘いの日々は、みんみんの過去記事↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/akikoshino2001/476005.html

★「拆」(取り壊し)って何?  ↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/akikoshino2001/4545591.html



「回遷」:
取り壊しの際、一旦は別の場所に住まい、
もとの土地に新しく建築されるマンションに再び戻って来る措置。
新しい部屋は、かなり安く購入できる。

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                                     【写真:こいつで、いっきにやっちゃいましょう】 





「前門」は北京の南に位置する庶民の街。
清朝の頃から、老舗や遊郭が集中する繁華街でした。
中でも「大柵欄街」は、外地から多くの観光客が訪れる有名な場所で、
老舗や土産屋、安宿や食堂がひしめき合うように軒を連ねている地区です。

2008年のオリンピックに向けて、北京市政府は市内300ヶ所余りを改造することを決定し、
その中でも「大柵欄地区」は主な対象地区となりました。

「大柵欄地区」は、
人口密度4.5万人/㎢、人口が極度に密集し、
危険な建物が多く、火災の危険性が高く、水・電器の供給不足、
衛生状況が劣悪、治安が混乱し、偽物商品が氾濫、流動人口が多く、
彼らの生活費は1日当たり8元(≒120円)にとどかない、

 『典型的な貧民窟』 とされています。


天安門広場の南に隣接しており、大柵欄の問題は更に注目され・・・

そして、2004年12月27日。
北京市政府はその第一段階として、
大柵欄の西に位置する「煤市街」道路拡張プロジェクトに着手しました。


表向きは、交通渋滞解消のための道路拡張という理由で開始した取り壊しでしたが、
現在、取り壊しは、前門の東側では「鮮魚口街」から「草廠」まで、
前門の西側では「煤市街」から「前門」に向かって、
じわじわと進んでいます。


3月24日付けの通知では、
大柵欄の北側:「珠宝市街」「西河沿街」「廊房頭条」「廊房二条」「門框胡同」「弓子胡同」
大柵欄の南側:「粮食店街」「甘井胡同」「湿井胡同」
などの一部が取り壊しの対象となっています。
 

一部の状態のいい建物に関しては、保存するようですが、
一旦は住人をすべて追い出して・・・ということでしょうか、
住人たちの声から保存の言葉は聞こえてきません。


この通知の最後には、
「4月29日正午12時までに立ち退きを完了すること」と。


この手の立ち退きでは、毎度のことですが・・・
たった1ヶ月で出て行きなさい、というのだから
「ヒドイ」はなしです。

胡同の思い出

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                      【写真:もうすぐ取り壊される胡同の前で、最後の記念に。ハイチーズ!】

 


「邱さんの思い出」


道路拡張のため棗林前街の家が取り壊されると聞いて、
私は急いでカメラを手に駆けつけました。
しかし、一歩遅れで、昔の家はすでに瓦礫の山になっていました。
大きなエンジュの木が数本残されただけ・・・


私が住んでいた棗林前街22号院は、
東城区によくあるような立派な邸宅ではありませんでしたが、
とても立派な門がありました。

観音開きのドアは大きすぎて、いつも片側だけを開けていました。
毎晩、私の祖母が戸締りをしていて、
「まだ帰ってきてない家の者はいないかい?」と叫んで、
返事がないと門を閉めて、各自寝床に就くという具合でした。

院の東側にある小さな土地に、親戚のお爺さんが向日葵の種を植えて、
だんだんと向日葵が大きくなった夏の雨の頃、
私と妹は向日葵の下に座って、雨が向日葵の葉を打つ「カサカサ」という音を、
ずぶ濡れになることも気にせずに、嬉しく聞いたものでした。


22号院の外の空き地は、近所の子供たちの遊び場でした。
11本のエンジュの木がまばらに立っていて、
大きな木の幹が木陰をつくっていました。

夏の日の午後、子供たちのために敷かれたござの上で横になり、
木陰の下、そよ風が木の葉を揺らし、
木漏れ日がゆらゆらと体を照らす心地よさ。
腕白な子供も、爽やかで静かな雰囲気の中、夢の世界へ入っていきます。
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
そんな棗林前街も今では大きな道路に変り、
高層ビルが林立する住宅地に変ってしまいました。

でも、私の記憶の中では、私の少年時代の胡同は、あの日の鮮明な姿のままなのです。



                      2006年2月21日 『法制晩報』/ 邱崇禄・文  より
                      http://www.bj.chinanews.com.cn/news/2005/2006-02-23/1/8992.html



===================================


前回、ご紹介した邱さん、北京の新聞で写真や文章が載っています。
その中でも、この記事は特に私が気に入ったので、ざっと訳してみました。
(原文のママではありませんのでご了承ください。
  /ネット上の写真は29年前の邱さんとお祖母さん)

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