ジャカルタ日本語キリスト教会の牧師館から

インドネシアの首都ジャカルタ唯一の日本語教会牧師Diary

ジャカルタJCFでは、毎年年度末に証集を発行していますが、今年寄稿した証を載せます。


      「ほんの数日のように思われた7年間」   松本章宏

創世記29章にヤコブがラケルと結婚するために7年間働く場面が出てきます。

「ヤコブはラケルのために7年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた」(29:20)。

かつてここを読んだとき、7年間をほんの数日のように感じることなんてあり得るだろうかと思いました。

しかし、今、私自身、ヤコブの気持ちを実感しています。


2005年4月25日に2ヶ月間お手伝いするだけの約束でやって来たジャカルタJCF。

その期間が終わり、私たち家族はDiscipleship Training Centreで訓練を受けるためにシンガポールに引っ越しました。

しかし、シンガポールからもお手伝いのためにジャカルタに通い、ついに11月27日にジャカルタJCFの牧師として就任しました。

あの時期も含めて私がジャカルタJCFに仕えた期間は通算7年間となります。


最初は1年4ヶ月間の任期でした。

その後、2年間延長しました。

さらに3年間延長しました。

その度ごとに正子と祈り、神様の御心であることを確信しました。

本当に祝福された7年間でした。

幸せな7年間でした。

愛していると、こんなに早く時間が過ぎるんだということを体験しました。

特に、後になればなるほど加速度的に時間が過ぎるのは速くなりました。


正直言って、ジャカルタが私にとってこんなに重要な地になるとは思ってもいませんでした。

札幌で牧会しているときに神様から東南アジアへの召しを受け、43歳で新しい地に足を踏み入れました。

務が高校を卒業し、潤が小学校を卒業した春でした。

これからは厳しい生活が待っていることを覚悟して神様に祈ったときに、「お前はまだわたしが愛する子どもに肥えた子牛をほふってあげる優しい父だと知らないのか」という語りかけを受け取りました。

驚きました。

ジャカルタで与えられる肥えた子牛っていったい何だろうと、素直には信じられませんでした。


この体験から私は2つのことを学びました。

第一に、神様は私以上に私のことをよく知っておられるということです。

私は道産子ですので、暑い気候が好きになれるはずがないと思い込んでいました。

しかし今、7回もの冬を雪かきをしないで過ごせていることを北国の方たちに申し訳なく思うほど、この気候の恩恵を受けています。

第二に、神様の導きに従うことは一見大変に見えるけれど、これにまさる祝福はないということです。

あの時、もし私が従わなかったなら、私は皆さんと出会うこともなく、計り知れない祝福を逃していたからです。


ですから、どんなに自分の常識では考えられなくても、また自分の願望は別のところにあっても、神様に従い続けたいという思いがこの地に来てさらに強くなりました。

そして、さらに3年間の任期延長をするかどうかについて祈ったときに、神様は明確にこれで終わりだということを示されました。

それが本当に神様の御心であることを確認するために、私は環境の中にしるしを求めました。


私がジャカルタを去るための必須条件は、後任牧師が決まることでした。

海外の日本語教会の場合、日本で素晴らしい牧会をされていても、異文化に適応できるかどうかという問題があります。

その頃ちょうど田井さんは通信で神学の勉強を始めていました。

私の中に「もしかすると主はこの時のために田井さんをジャカルタに送ってくださったのだろうか」という思いがよぎりました。

そして、祈り始めました。

「しかし、果たして、役員の皆さんは、また教会員の皆さんは賛成されるだろうか。

そもそも田井さん自身が受け入れるだろうか。

彼を派遣している宣教団体ははどうなるだろうか。」

越えるべきハードルはいくつもありましたが、主の御心であれば一つ一つがクリアされて行く。

このことを通して、Goサインとしていただこうと思いました。

あとは皆さんご存知の通りです。


私にジャカルタでの働きは終わりであることを告げられた以上、神様は次に私にさせたい働きがあるはずです。

しかし、それは、なかなか明らかにされませんでした。

それは、東南アジアに来たときにも、どこで何をするのか明らかにされなかったのと同じです。

神様は私たちに「わたしが示す地に行きなさい」(創世記12:1)とおっしゃいます。

思わず、「どこですか」と問う私たちに、「歩きながら導くから、とにかく出発しなさい」とおっしゃいます。

そのことによって、私たちが見えるところによってではなく、信仰によって歩むこと(第二コリント5:7)を願っておられるのです。


今回、ジャカルタでの任期中に次に進むべき地が示されなかったことも主の摂理であると受け取りました。

この時でなければできないことがあるはずだと思いました。

「ヨーロッパからアジアを見ると、今まで見えなかったことが見えてくる」とは時々言われることです。

3月末から1ヶ月半中東に滞在した後、ベルギーのブリュッセルを拠点に3ヶ月間ヨーロッパを巡回することにしました。

50歳にしてこんな期間を過ごせるということは考えてみると大変贅沢なことです。


私たち夫婦にとって住所不定、無職になることは今回で4回目です。

1回目は、28歳で韓国の神学校に留学した時。

独身寮はありましたが、家族は韓国人クリスチャンの3家庭に居候させていただきました。

2回目は、37歳でアメリカの神学校に留学した時。

この時は、家族寮がありましたので、住所不定ではありませんでしたが、次に何をするかは決まっていませんでした。

3回目は、43歳でジャカルタに来た時。Hさんのお宅とTさんのお宅には大変お世話になりました。

そして、今回です。

今回は今までにないほど心が軽いです。

決定的な要因は、子どもたちが二人とも巣立っているということでしょう。

つまり、子どもの教育や学校の心配をする必要がありません。

正子と二人でスーツケースを片手に主に導かれるままどこにでも行くことができます。

ジャカルタから2人の息子たちをアメリカに送り出していただいたことも主の摂理だったのだなあと思います。


ジャカルタを離れることがとても辛い私たちに、神様は2つのプレゼントをくださいました。

一つは、3月25日(日)の離任式の翌日、イスラエルに行かせてくださるということです。

そして、もう一つは、8月7日(火)に再びジャカルタに帰って来て約10日間滞在できるということです。

しかも、先日の役員会で、翌水曜日の婦人の集い、木曜日のSさん宅家庭集会、金曜日の祈祷会、土曜日の中東・欧州情勢セミナー、日曜日のメンテン地区礼拝&JJCF礼拝説教という5日間連続の奉仕が承認されました。

私たちの神様はなんて優しい方でしょうか。


ジャカルタの7年間ほど幸せな期間は人生の中でもうないだろうと後ろ向きな思いになり、正子と一緒に祈った時、主からこのような語りかけをいただきました。

「お前は、わたしのところに、肥えた子牛が一頭しかいないとでも思っているのか。」

ステーキが大好きな私にこんなにも分かりやすく語ってくださる主に感謝しました。

次はどんな子牛をほふってくださるのか楽しみです。


皆さんと一緒に創世記を学んできましたが、それは自分の人生を神様の視点から見るとても良い訓練になりました。

私自身がどれほど語られ、教えられ、励まされて来たか分かりません。

単なる聖書研究ではなく、その時その時の状況に適用しながら歩むことができました。

ですから、焦りませんでした。

神様のご計画という文脈の中で、自分の人生を眺めることができました。

そして、これこそが聖書を学ぶことによる最大の祝福だということを悟りました。


7年間皆さんとの間に培われた関係は、これからのアジアでの日本人伝道を考えるときに非常に重要なものになると確信しています。

皆さんと永遠の家族となれたことを感謝します。

7年間、本当にお世話になりました。

ジャカルタは私にとって癒しの地でした。

ここで新しい力をいただき、渡り鳥夫婦として飛び立ちます。

渡り鳥ですから、時々また羽根を休めに参ります。

その時はまたどうぞよろしくお願いいたします。


「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」イザヤ書40:31

【牧師館から】「人生の短期・中期・長期計画」 松本章宏 2012.3.25.
 
先週はパウロのビジョンを通して、今私に与えられているビジョンを分かち合わせていただきました。

3年近くに及ぶエペソでの働きを終える頃、聖霊は彼にこの後エルサレムとローマに行くようにと示されました(使徒19:21)。

エルサレムには異邦人教会からの献金を届けるために行くのですが、ユダヤ人の間でパウロに対する反感が高まっていましたので、それは非常に危険な訪問となることは分かっていました。

エルサレムに向かう途中、パウロはローマ人への手紙を書きますが(使徒20:3)、その15章を読むと彼はさらに先を見ていたことが分かります。

それは、ローマの兄弟姉妹のサポートを受けてローマ帝国の西の端、当時の地の果てイスパニア(今日のスペイン)に伝道することでした。

パウロの目は常に高く、しかし、足はしっかり大地についていたことが分かります。

結局彼は被告人として公費でローマに移送されます。

暴動、暗殺計画、牢獄での2年間、大暴風による難破、まむし・・・ありとあらゆる妨げの中、神の約束はついに実現し、パウロはローマで大胆に福音を語ります。

まさに、神の業は神の時に、神の方法でなされることを私たちは確認しました。

私たちは自分の人生に対して、どのような短期・中期・長期計画を持っているでしょうか。
 

パウロがあれほどまで行きたかったスペイン。

そのバルセロナとマドリッドには日本人クリスチャンの集いがありますが、牧師はいません。

今その方々とメールをやり取りして日程を調整しています。

先週のこのコラムに、ブリュッセルのYWAMに宿泊することを書きましたが、団体を受け入れている期間はそこに泊まることができません。

やはり、宿泊が大きなネックになりますので、どうしようと思っていたところ、後任牧師の田井先生の奥さんアニーさんのご両親が現在仕事の関係でオランダ南部に住んでいることを知りました。

安く泊まれる所がないか聞いていただいたところ、ご自宅にゲストルームが2つもあるから、いつでも何泊でもしても良いとのこと。

ブリュッセルからも車で1時間ほどの距離です。

またしても主の山に備えがありました。

ハレルヤ!
 

モーセの人生は40年一サイクルでしたが、どうも私の人生は7年一サイクルで動いているようです。

30歳で牧師になった後、6年〜6年半働くと、半年〜1年間の充電の期間が与えられます。

札幌で2サイクル、ジャカルタで1サイクル終わり、次は4サイクル目に入ります。

主が許されるなら、合計7サイクル働かせていただきたいと思っていますので、79歳まで現役で行きます。

そして、80歳でヨベルの年を迎えます(レビ25:10)。

あと4サイクル。

主がどんな御業を見せてくださるか、今からワクワクしています。
 

【牧師館から】を書くのも最終回になりました。

印刷された週報だけでなく、メールを通して、またブログを通してたくさんの方々が読んでくださったことを感謝しています。

私からジャカルタJCFの週報をメールでお送りすることは今日で最後となりますので、4月からメールでの送付を希望される方は田井先生に「週報希望」とメールしてください。

ブログをお読みの方は、ブログにコメントしていただけますと田井先生にご連絡します。

私は来月から「渡り鳥夫婦通信」というメールマガジンを書きますので、それを受け取ることを希望される方は、「渡り鳥夫婦希望」と書いて私にメールをください。

今のところ約100名が登録してくださいました。

登録されたにもかかわらず、数週間経っても届かない場合は何かの手違いがあったと思われますので、一言ご連絡いただけますと幸いです。

イスラエル、ドバイ、ヨルダン、ベルギー、ドイツ、オランダ、スペイン、イギリス、フランス・・・行く先々から現地の様子をリアルタイムでお知らせします。

私たちはパンでは生きていけない夫婦ですので、1合炊きの炊飯器といただいたおいしい米もスーツケースに入れました。

いざというときのために寝袋も持ちます。

さあ、準備OKです。

では、行って参ります。

8月のジャカルタでの再会を楽しみにしています。

シャローム!

渡り鳥夫婦の止まり木

【牧師館から】「渡り鳥夫婦の止まり木」 松本章宏 2012.3.18.
 
先週は歴史に残る素晴らしい日曜日でした。

田井真聡先生の按手式を安海靖郎先生に司式していただき、引き続きJJCF専任牧師就任式を行いました。

ジャカルタJCFの初代、6代目、7代目の牧師が並び、34年間の歴史の流れとその間真実な御手をもってこの教会を導いてくださった主の恵みを覚えるひとときとなりました。

これまでジャカルタJCFから何名かの牧師が誕生しましたが、この教会の牧師になったのは初めてのことです。

これからの新しい牧会の上に、限りない主の祝福をお祈りいたします。

田井牧師は早速、スラバヤJCFとバリJCFの巡回奉仕に出かけておられます。
 

就任式の後、場所を移動して私たち夫婦の壮行会・送別会を行っていただきました。

105名の方々が出席してくださり、本当に良く準備された、心温まる会となり、こんなにも愛されていることをもったいなく感じました。

潤が作ってくれたDVDの冒頭で、2005年4月25日、初めてジャカルタに向かう飛行機の中で撮った映像が流れました。

あの時点でジャカルタに知っている人は一人もいなかったにもかかわらず、この7年間でこんなにもたくさんの神の家族に出会わせてくださった神様に感謝があふれました。

皆さんの顔を見ながら、来週以降の歩みにも、素晴らしい出会いの数々が用意されていることを確信することができました。
 

ところで、3月6日(火)に正子が耳に違和感を覚えた後、激しいめまいに襲われ、嘔吐しました。

いったい何事かと思いましたが、耳鼻科の医師の見解によりますと、2月17日に刺された蜂の毒が最後に耳に回って来たのではないかとのこと。

18日間も経ってそんなこともあるものかと思いましたが、処方された薬を飲み、安静にしている中で徐々に良くなり、来週の出発に向けて準備が整いつつあります。

後は、私の片付けがきちんと終わるかどうかにかかっています。
 

ここで今後の予定を分かる範囲内で書きます。

3月26日(月)の夜の便でテルアビブに飛び、12名のグループのイスラエル旅行の団長として各地でメッセージを語ります。

4月4日の夜、皆さんを見送った後、エルサレムに12泊します。

イスラエルでは4月6日(金)から1週間の過ぎ越しの祭が始まり、宿泊が非常に難しくなるのでどうしようと思っていましたら、最近エルサレムに引っ越された方がご自分のアパートの一室をお使いくださいとお申し出くださいました。

しかも、私たちが着いて2日後からその方は急遽日本での仕事が入り、全日程自由に使わせていただけることになりました。

また、最近月に1〜2回、エルサレムで日本語礼拝が開かれるようになったのですが、4月8日(日)のイースター礼拝でメッセージさせていただくことになりました。

名付けて西のJJCF(Jerusalem Japanese Christian Fellowship)です。
 

16日からガリラヤ湖で2泊した後、アンマンで一泊して19日から26日までドバイのKさん宅でお世話になり、家庭集会を開かせていただきます。

26日から30日までKさんご夫妻とヨルダン小旅行を行い、その後私たちはさらに10日間イスラエルに滞在し、5月10日にベルギーのブリュッセルに移動します。

Youth With A Missionという宣教団体の宿舎に2人で一泊10ユーロで泊めてもらえることになりました。

ここを拠点にして、オランダ、ドイツ、スペイン、イギリスなど、特に無牧の日本語教会を巡回してメッセージさせていただきます。

私たち夫婦を高校時代釧路でイエス様に導いてくださったカウエル宣教師のお宅をイギリスに訪ねることができるのも楽しみです。

最後に8月1〜5日に今年はオランダで開催されるヨーロッパキリスト者の集いに参加して、8月7日にジャカルタの止まり木に羽根を休めに参ります。

行く先々から、メールマガジンやブログでその時々の様子をお伝えしようと思いますので、お祈りいただけますと大変幸いです。

激流の向こう側

牧師館から 「激流の向こう側」 田井真聡 2012年3月11日

僕は昔アメリカでカヤックをしていたので、何度か激流下りをしたことがある。

激流下りといっても、常に急流が続くわけではなく、ゆっくりとした流れにボートをまかせ、パドルも漕がずに流れていく時間がほとんど。

そのような時間は、神の創造された自然を満喫できる、至福の時間だ。

深い渓谷の中を流れて行く川。

その静かな川面のわずか上を飛ぶ羽虫を狙って、飛び上がる虹鱒の一瞬の煌き。

高く、透き通った青空を横切る鷲の姿。

川辺にいこいの水を飲みに来る鹿の親子。

魂が癒される時間だ。


しかし、大きな岩の間を通る急流が近づいてくると、川下からその激流の音が聞こえ始め、水の流れも段々と速くなっていく。

綺麗な水がすーっと糸を引くように狭くなった川の中心に引かれていき、川の水は巨大な岩にぶつかりしぶきをあげ、波が右から左から押し寄せる。

水中に隠れている岩や穴が渦をつくり、ボートを進むべきではない方向に持って行こうとする。

その様な急流の中を行く時に大切なことは、自分がいる地点から、自分が行きたい地点までの進路(ライン)をしっかり思い描き、そのイメージ通りにパドルを漕いでカヤックを操縦することだ。波を見てはいけない。波を見ると大抵そっちの方に流され、ひっくり返ってしまうから。


僕はカヤックをしていて、その急流の中に入っていく1分前くらいが大好きでたまらなかった。

アドレナリンがじゃんじゃんでている中で、逃げ場の無い緊張感の中にいるスリル。

これは癖になる。

しびれる。

生きてるって実感できる瞬間。

その様に、意気揚々と急流の中に入っていくのだが、僕は大抵ばっしゃーんとひっくり返ってしまう。

10回中7回くらいはひっくり返っていた。

カヤックというボートは特殊な構造をしていて密閉されているので、カヤックが上手な人はたとえひっくり返っても、くるっとボートを回転させて起き上がることができる。

しかし、僕のような無謀な素人はそれができないので、自分のカヤックの座席を密閉する為の特別なスカートを引っ張り、狭いボートから自分を押し出し、水面に上がってこなければならなかった。

「お前はカヤッカーじゃなく、激流スイマーだ」と友達からよく言われていた。

(別に好きで激流の中を泳いでいたわけではないけれど)。


今から3週間後の4月1日、日曜日には、ジャカルタ日本語キリスト教会も、新しい歴史の一歩を踏み出すわけですが、皆さん如何ですか?

何か実感が湧いてきましたか?

ドキドキ、ワクワクしてきましたか?

逃げ出したい衝動に駆られている人はいますか?

今、私たちが置かれている状況は、何か激流に入っていく1分前に似ているなとつくづく思います。

ちなみに、カヤックの腕前と牧師としての資質は全く別物ですので、ご安心を。

牧師交代という大きな変化があるという意味で、私たちはこれからスリルのある急流に飛び込んで行きます。

でも、皆さん、ここで押し寄せる波を見てはいけません。

激流の音に気をとられてはなりません。

私たちは、落ち着いて、主を信頼し、力を得なければなりません。

私たちが進むべき道をしっかりと見極め、その通りに進むべきです。

私たちが進むべき道とは、聖書信仰に根ざした、愛と平和の一致がある教会形成です。


波の向こう側に立っておられるイエス様から目を離さず一つになって進んでいきましょう。

そうすれば、イエス様が、聖霊様を通して、私たちが波の中を上手くコントロールしていく為の知恵と力を与えてくださいます。

「強くあれ。雄々しくあれ。恐れるな」と聖書は言います。

なぜなら、主がともにおられるから。

主が私たちのために事を成し遂げてくださるから。

大波うねる急流を越えた向こう側には、主が用意された安らぎと成長の場が待ち受けている。

そこでも私たちは涸れることのない、いこいの水を飲むでしょう。

今あるはただ主の恵み

【牧師館から】「今あるはただ主の恵み」 松本章宏 2012.3.4.
 
2012年3月に入りました。

私が札幌で牧師になったのは1992年4月でしたから、今月は牧会20周年の記念すべき月です。

振り返るとすべては主の恵みです。

この間、礼拝説教に立てなかったのは1回だけでした。

忘れもしない2006年1月15日(日)。

ジャカルタJCFの牧師に就任して1ヶ月半。

デング熱のため4日前から入院を余儀なくされていました。

礼拝は這ってでも行くつもりでしたが、がんばりとか根性とかではどうしようもない世界があることを思い知らされた1週間でした。

あの日曜日、私たちの家族は初めて「テープ礼拝」というものを経験しました。

しかも、その日は、Tさんの洗礼式が予定されていました。

大変申し訳ありませんでしたが、1週間延期させていただきました。

それが私にとってジャカルタ第一号の洗礼式でした。
 

最近は夜5キロほど走る習慣も身に付き、体調も良く、あのようなことはもうあるまいと思っていましたが、2月17日(金)の夕方、正子と近所を散歩していると突然蜂の集団に襲われ、正子は7カ所、私は1カ所刺されました。

すぐに病院で注射を打ってもらい、大事に至らず、19日(日)の礼拝には支障がありませんでした。

ところが、1週間後、24日(金)の夜、突然激しい頭痛と咳と腰痛に襲われ、次の日、やっと起き上がることができたのは夜6時になってからでした。

説教準備していても30分と体を縦にしておくことができず、横になると眠ってしまうということを繰り返しながら日曜日になりました。

6年ぶりに教会学校を休ませていただきましたが、主が支えてくださって礼拝説教はなんとか最後まで語ることができました。

メッセージが語れるということも主の恵みなのだということを思い知らされました。
 

体調が完全に回復しないまま火曜日からシンガポールの奉仕に出かけました。

その日の夜はチャイナタウンにある喫茶店の上の部屋を借り切って夕食付きの伝道集会。

30名以上が集まってくださいました。

特に、某銀行にお勤めの日本人男性クリスチャンが同僚を誘ったところ、4名も一緒に来てくださったのです。

「聖書全体を貫く神のドラマ」と題して1時間以上講演した後、質疑応答の時間を持ちましたが、その中のお一人がいくつもの質問をしてくださって大いに盛り上がりました。

教会では敷居が高いと感じられる方々もこういう場所であれば来てくださるんだなあと思いました。

翌日は、大和カルバリーチャペルのインターネット礼拝をしておられるご婦人の集会でメッセージさせていただきました。

初めて来られた方が真剣に聞いてくださっていましたが、会食のときに個人的にお話しする中で、ついに信仰告白に至りました。

喜びにあふれた笑顔を見たときに、イエス様の救いの力の大きさを改めて思い知らされました。

そのまま夜は別の集会でメッセージをしましたが、2晩連続来られた方々も夜遅くまで熱心に御言葉に耳を傾けてくださいました。

日ごとに体調も回復し、私の場合、御言葉を語ることによって癒されるんだなあということを実感しました。
 

そして、今日は私にとってジャカルタでの最後、42人目の洗礼式です。

面白いことに、この6年半、送別の祈りをした方々も42人になります。

伝道者ピリポは「立って南へ行け」(使徒8:26)と言われて従ったときに、エチオピアの高官との出会いが与えられ、信仰告白、洗礼へと導かれました。

あの後、高官がどうなったかは聖書に書かれていませんが、恐らくエチオピアで素晴らしい証人として用いられたことと思います。

つまり、海外で信仰をもった人が、自国に帰り同胞に伝道したのです。

ジャカルタでも同じことがなされています。

これほど多くの方々との素晴らしい出会いを与えてくださった主にどのように感謝を表したらいいでしょうか。

ピリポは地上では高官に会えなかったでしょうが、私たちは世界各地で再会でき、励まし合うことができる時代に生かされています。

これもまた主の恵みです。

【牧師館から】「あなたの報いは大きいから」 田井真聡 2012.2.26.

貧しい葬式だった。

御国へ旅立った彼女の亡骸は、デッポックにある彼女の実家の狭いリビングに置かれた。

少しばかりの花で飾られた白い棺を囲む残された夫と家族からの、先立つ彼女への精一杯の餞はとても痛々しかった。

リビングに入りきらない参列者のために、近所からかき集められたプラスチックのデッキチェアーやパイプ椅子が庭や路地に置かれた。

貧しい国に生まれ、貧しい国で働き、貧しい中で旅立って行ったこの忠実な主の働き人は、僕たち夫婦にとっても、特別な友であり、カルティダヤ聖書翻訳協会での同労者であった。

2012年2月5日に神の御国に召されたヴィットリ•キャロライン•ディアズは36歳だった。

能力と謙遜を兼ね備えた、最高のリーダーだった。

 

残された者たちにとっては早すぎる死であるが、ヴィットリにとって、肉体の死は長い闘病生活からの解放であった。

彼女の腎臓の機能が突然急降下したのが3年前の2008年だった。

それ以来、彼女は人工透析を毎週受けながら命をつないできた。

この国での腎臓移植の可能性は限りなく低く、たとえドナーが決まったとしても、その費用を出せるだけの財力は夫のマニックスとヴィットリにはなかった。

ひと月7万円程度の生活、伝道費をやっとの思いで集める宣教師にそんな金などあるわけない。

僕はやるせない思いでいっぱいだ。

 

神の御国は、今私達の只中にあるのですとイエス様は仰った。

主を信じて救われた者が、神のみこころを行う時に、神の御国は今、ここでも現される。

そして、主の時が来ると、この世は完全に神のみこころが支配する場所、完全なる和解と平和がある場所、神の義と愛に満ち溢れた場所になる。

そこにはもう、泣き声も叫び声も聞かれない(イザヤ65:19)。

「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます」と仰った主イエスの御名を呼び求める者は、だれでも救われる。

この神の恵みは全ての人に与えられるべき良い知らせだ。
しかし信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。

聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。

宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう(ローマ10:13-15)。

インドネシアには700語以上の言葉がある。

そのひとつひとつの部族の人たちが、神の愛を理解するのに一番大切な言葉は母語だ。

すべての人が自分の言葉でみことばを聞けるために働いているのが、カルティダヤの宣教師たちだ。

ヴィットリもみことばを宣べ伝えることに自分の命を掛けて生きた。

僕はそんな彼女の意思をこれからも受け継いでいきたい。

 

ジャカルタ日本語キリスト教会には、在イ日本人伝道という大きな働きが与えられているが、この教会は主がインドネシアに建ててくださった教会だ。

だから、インドネシアにある主の教会として、どの様にインドネシアの兄弟姉妹と協力し御国建設をしていくのかを考えていく必要性もある。

その点、私たちが数年前から始めたカルティダヤへの経済的支援はとても意義のあることだと思う。

貧しい国の中にある日本人社会は砂漠の中のオアシスのようだ。

この世の価値観で言えば富はそのオアシスに留めておけということになるだろう。

でも、神の価値観は全く違うことを言う。

飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、私たちは潤された園のようになる。

私達に与えられている物質的な富、大いなる霊的な恵が日本人コミュニティーという垣根を越えて広がっていくことを、僕は願ってやまない。

なぜなら、そこには大いなる主の祝福があるから。

良い知らせを宣べ伝える者。

正義とあわれみと誠実という古代の礎を築き直す者に主は仰います、「天ではあなたがたの報いは大きいから。」

【牧師館から】「その愛を残るところなく示された」 松本章宏 2012.2.19.
 
2年前のちょうど今頃だったと思います。

私が2012年度以降任期を延長しないのであれば、次期牧師招聘について動き出さなければならない段階になっていました。

私はそれ以前から、自分がこの教会での働きを終えるための条件は、後任の牧師が決まっていることだと考えていましたので、そのために祈っていました。

ただ、海外日本語教会の特殊な点は、牧師が牧会の賜物があるというだけでなく、異文化に適応できなければならないという難しさもあります。

その時すでに田井先生は通信での神学の学びを始めておられました。

私が祈るとなぜか田井先生の顔が思い浮かびます。

これが私の勝手な思いなのか、それとも主から出ているものなのかを識別するために、「信頼できる信仰者の助言」と「状況による確認」をしようと思い、まず役員会で皆さんの意見を聞くことにしました。

全員が賛成されましたので、早速翌日、ご本人にその可能性があるかどうかをお聞きしました。

所属宣教団体のこと等クリアすべき課題はありましたが、前向きなお返事をいただき、ひとつのしるしを見せていただいた気がしました。

その後のことは皆さんご存知の通りです。
 

私が祈っていた通りになったと同時に、2年後にジャカルタを去るということも現実的に受け止めました。

いつもの散歩コースを歩きながら、この景色をしっかり目に焼き付けておこうとも思いました。

そして、2012年のカレンダーを調べると、4月8日がイースター。

ということは、4月1日が棕櫚(しゅろ)の主日(Palm Sunday)で、受難週の前日に任期が終わるということが分かりました。

その日開いた聖書箇所はヨハネ13章。

その冒頭に、「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された」(1節)と書かれているのを読み、突然涙があふれました。

イエス様はその愛を示す一つの方法として弟子たちの足を洗われました。

私もこれからの2年間は皆さんへの愛を残るところなく示すための期間だと考えました。
 

当時のユダヤの習慣では、会食に行くときに水浴してから向かいます。

しかし、会場に着くときには、サンダル履きの足はもう汚れていますから、入り口にしもべが待っていて来客の足を洗ってくれます。

しかし、イエス様と弟子たちの13人の集団にはしもべはいません。

その時の弟子たちの関心事は、この中で誰が一番偉いかということでしたので、もちろん、率先してその役を担おうという人はいませんでした。

その結果、汚い足のままで過越の食事は始まったのです。

そこで立ち上がったのがイエス様でした。

イエス様を信じている人は罪が赦され、水浴した者とみなされます。

しかし、私たちはこの地上を歩むときに、足は汚れます。

ですから、足は洗わなければなりません。

これがペテロとの会話の中でイエス様が示されたことです(13:10)。

足を洗うとは罪の告白です。

罪を告白すれば赦されると約束されています(第一ヨハネ1:9、ヤコブ5:16)。

そのように考えますと、イエス様がなさった洗足には、仕え合うということの他に、罪の赦しという意味があることが分かります。

つまり、相手の足を洗うとは、赦すこと。

洗っていただくとは、赦していただくこと。

イエス様は、「わたしがしたように、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです」(13:14)とおっしゃいました。

互いに愛し合うことは、決して新しい戒めではありません。

ここでの新しさは、「イエス様が愛されたように」ということです。

この重みが伝わりますでしょうか。

 
これは3月25日に説教しようと思っていたことですが、先週の木曜日勢い余って白石さんの家庭集会で語ってしまいましたので、この紙面を借りて分かち合わせていただきました。

一歩一歩の原則

【牧師館から】「一歩一歩の原則」  松本章宏 2012.2.12.
 
ハーベスト成長セミナーの中で私が大好きな課の一つは第8課の「羊として」で、神様の導きを求める原則について教えてくれます。

ご存知の通り、4つの一般原則は、「みことばによる促し」、「祈りによる平安」、「状況による確認」、「信仰の友による助言」ですが、その他の原則の中で私が特に好きなのが「一歩一歩の原則」です。

ある意味、私はこれによってここまで歩んで来たと言っても過言ではありません。
 

それは車のヘッドライトのようなものです。

例えば、それが300メートル先まで照らすとすれば、その向こう側は何も見えません。

見えないから進まないということであれば、動くことができませんが、300メートル先まで行ってみると、さらに次の300メートルが照らされます。

つまり、信仰をもって一歩進むと、神様は次の一歩を示してくださるという原則です。

本当にその通りだと思います。

聖書にもいつくもその例を見いだすことができます。
 

神様はアブラムに「わたしが示す地に行きなさい」(創12:1)とおっしゃいました。

しかし、神様はそれがどこであるかはあらかじめおっしゃいませんでした。

アブラムはハラン経由でカナンの地にやって来ます。

パウロは第二次宣教旅行で、前回と同じ所を巡回しようと計画していました。

しかし、「アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられた」「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」(使16:6-7)と書かれています。

パウロは西へ西へと進み、ついにトロアスまで来たとき、幻を通してマケドニア地方に行くべきことが示されました。

このことによって福音は初めてヨーロッパに入ったのです。

まさに、“not by sight, but by faith”ですね。

「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます」(2コリ5:7)。
 

私が28歳で韓国の神学校に行った時も、37歳でアメリカの神学校に行った時も、43歳でインドネシアに来た時も、いつもその後何をするかは示されていませんでした。

しかし、神様は常に真実な御手をもって私たちを運び、絶妙なタイミングでその時その時の約束の地へと導いてくださいました。
 

先週まで私が見えていた300メートル先は8月7日(火)でした。

その日の夕方、ブリュッセルからイスタンブール経由でジャカルタに到着することまでは知っていました。

しかし、2月4日の役員会の中で、主はさらにその1週間先まで見せてくださいました。

まず、翌水曜日の婦人の集い、木曜日のSさん宅家庭集会、金曜日の祈祷会で奉仕させていただくことになりました。

実は、その話題になる前に、新年度はおじさん伝道、つまり、日本人男性への伝道が大切ですねという話し合いがなされていました。

おじさんには、むしろセミナー形式の集会の方がいいのではないかということが話された後で、私の予定に議題が変わったのですが、それじゃあ、土曜日は、1ヶ月半中東を、3ヶ月間ヨーロッパを歩き回って来た私に、「聖書から見た中東情勢・欧州情勢」というようなテーマで話してもらおうということになったのです。

さらに、日曜日は午前のメンテン地区礼拝と午後のJJCFの礼拝での説教までさせていただくことになりました。

田井先生と役員の皆さんの計画性の高さには脱帽です。

その頃には、主は次の300メートルを見せてくださっていることを信じています。
 

ところで、3月11日(日)はCSがお休みで、礼拝が午後1時から始まりますのでお気をつけください。

安海先生が田井先生の按手式を担当してくださり、私が就任式を担当します。

ジャカルタJCFの歴史が次の段階に移行する時を皆さんで共有しましょう。

午後3時に終わってパピロンに移動し、午後4時から6時まで送別会/壮行会です。

おいしい料理がたくさん出て、会費は大人10万ルピア、小学生5万ルピア、幼児無料です。

長い一日ですが、皆さんとご一緒できましたらたいへん幸いです。

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