ケセラセラ

『目の前の川から一つずつ渡るしかない』

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 平成25年5月11日(金)
H24年2月24日(日)の写真
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正式に、里親に決まった。
翌日の「くぅちゃん」の映像(H25.2.24)
我が家に来て、15日目。(里親決定の翌日)
 
 
「くぅちゃん」との深い深い縁?
不思議なことに、「くぅちゃん」は、18年前に、私の元に一度来ていた。
 
年3月中旬に、娘(三女)に電話した時の事。
私:また、猫ちゃんを飼う事にしたョ。
娘:どんなネコちゃん?
私:1歳半のメスの黒猫ちゃん、里親として貰い受けたョ。
娘:名前は、何ちぃ言うん?
私:クーちゃん(屋外で保護された時)⇒くぅちゃん(里親探しをしている時)⇒
   「くぅちゃん」(私の所に来た時)と、言うんョ。
   初めてこの子の名前を、聞いて頭に浮かんだのは、
   【色即是】のと言う文字だったョ。
娘:エー、
  18年前に、お姉ちゃん(長女)が、生まれて間が無いネコの子を、保護して   きた時に、「そら()」ちゃんと名付けたんョ。
  おぼえとる?
私:名前を付けたっけ?
   全然、記憶に無い。
娘:せっかく生まれて来たのに、名前が無いなんて可愛そう!
   と、言うことで三人(3人娘)で、名前を付けてあげたんョ。
 
 
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実は、
このネコの子は生まれたばかりのようで、雨でずぶ濡れに成っていて、低体温に成って震えていた。
ぬるま湯につけ暖めて、毛布生地に包み込んだ。
ミルクを、与えたが吐いてしまった。
 
あれは、もうじき夏を迎える準備をしている、梅雨の雨上がりの朝だった。
はっきり憶えている、長女からのS・O・Sの電話だった。
残念だが、3日目に誰にも見取られずに、深夜に「虹の橋」を渡ってしまった。
亡くなる事を予測していたのか、娘達は「そら()ちゃん」と名付けて、
生前に呼んで励ましていたとのこと。
亡骸は、長女と一緒に保護した所に、深く穴を掘り葬った事を、
昨日のようにハッキリ思い出した。
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娘:キットその子は、
  「そら()ちゃん」で、パパの所に舞い戻って来たんやないん?
私:そうかなー????
 
 
「くぅちゃん」との出会いは、不思議なくらい絶妙なタイミングだった。
あの日、あの時(あのタイミング)、あの場所(わんにゃん譲渡会)で、JINNYさんとTAMAさんと言うA・R・N(アニマル・レスキュー・ネットワーク)方に、出会わなければ「くぅちゃん」と出会う事が、無かっただろう。
また、野良猫だった「くぅちゃん」を、”ご○○さん”が保護しなければ、そして先住猫ちゃんと相性が悪くて、A・R・N(アニマル・レスキュー・ネットワーク)に、里親探しを託さなければ、「くぅちゃん」とは、出会わなかった。
「くぅちゃん」の里親探しは、難行していて私が”里親候補”3人目だった。
(私と出会う前に、保護主さんを経て里親探しで、2度相性が合わなく上手くいかなかった)
実は私は私で、この出会いの前に、
知り合いから(他県)子猫を、譲り受けるように成っていたが、
私が体調を崩し急きょ入院と成ってしまった。
直ぐに譲受けに、行く事が出来なくなってしまった。
入院しなければ子猫(他県)を、迎えに行っていた。
(わんにゃん譲渡会には、行かなかっただろう)
退院後、自宅療養している時に、
「私は今、長距離を運転する事が難しい」と感じていた。
(最終的に、この猫ちゃんとは縁が無かった。)
たまたま”市政だより”を、読んでいたら”わんにゃん譲渡会”を知った。
近くだったので、出かけるようにした。(とにかくネコに、触りたかった)
 
 
わんにゃん譲渡会で、
「くぅちゃん」の生い立ちを聞くと、私に良く似ていた。
この子が、私を受け入れてくれたら「里親に成ろう!!」
それから、
再開したのは、約2ヶ月後だった。
「里親に成れるか」お試しのトライアルでした。
(私の自宅にて、2週間一緒に生活をします)
再開時に直感で、『この子は、私と供にする相棒だ!』
 
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