|
このブログで何回も書いてきていますが、
東京大気汚染公害訴訟が、急を告げています!!
先月30日。
「国が60億円拠出を提案 東京大気汚染訴訟が和解へ前進」
の記事が全国紙へ掲載されました。
ところが、
被告側のディーゼル自動車メーカー七社が、解決一時金(賠償金)を総額数億円に
抑える方針を固めたことが四日、明らかになったのです。
原告側
『東京大気汚染公害裁判原告団』
http://taiki-tokyo.web.infoseek.co.jp/
は、同日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見(写真ー1)して、
「こんな超低額回答では絶対受け入れられない」として、五日午後から
文京区のトヨタ自動車東京本社前で無期限の座り込みを行うと表明しました。
その4日・午後2時。
私は、400人ほどが包囲するトヨタ本社前で、怒りと悲しみが共存する場面での
演奏を託されましたのです。
この日、来られていたN子さんからのメールを紹介します。
「私は、原告団の1人でありながら、トヨタ前の行動に参加したのは初めてでした。
松平さんのトランペットの音がきれいに聞こえてきて、
あちらの方向で間違いないと思い現地までたどり着きました。
この点でもありがとうございます。
息子が喘息でいまでこそ(現在中学2年生)かなり元気になりましたが、
ひどいときには、年に5〜6回も入院をしていました。
私にとっての今日の行動は、
これまで文字通り命をかけて運動してこられたみなさんの気持ちを少しでも
この時期に確認できて良かったということ。
と、トヨタがまともに対応しないことへの腹立たしさ、悔しさを
目の当たりにして、一緒に体感して、もっと声を出さなければという
反省の気持ち、両方を実感できるものでした。
私のできることを考えて、頑張りたいと思います。
不出来な写真ですが、1枚演奏写真(写真ー2)を、送ります。」
原告団・事務局からは
「明日、空いていれば午前・チッソ本社前。
午後はこのトヨタ前で奏でて欲しい」要請でした。
ノーモア・ミナマタ国賠訴訟ーーもう既に解決済みと思っておられる方が
多いかもしれません。
が、現時点も『ミナマタ病』に苦しみ、保障も受けられずに、裁判せざるを得ない
患者さんたちが居られるのです。
「演奏OK」のご返事を、即断で致しました。
明けて、今日5日。
チッソ本社は、丸の内北口です。
午前10時。ここにも数百人の方々がお集まりでした。
熊本から来られた女性弁護士さんの司会で進行です。(写真ー3)
抗議行動の合間に、私と同じ歳の患者さんと話しました。
「漁業でやって行けなく、神奈川県で会社勤め。体調不良で病院通い。
定年で田舎・熊本へ帰郷して『ミナマタ病』と判明です。
長生きは出来ないでしょう。弟は50代で『ミナマタ病』で亡くなってますから」 …。
身に抓まされます。
こうした方の気持ちと共有できる音色を届けたい。
そんな想いで楽器を手にします。
午後のトヨタ前でも、そうした思いが強いです。
涙ながらに
「粛々と行動を致しましょう」と語る原告団事務局長(写真ー4)は
何度も自殺を試みたと言われています。
数兆円の利益を上げる自動車界のトップートヨタへ、
患者の苦しみに応える英断を、早く、そして強く、望むものです!!
|
公害患者の自殺
納屋地区の男性の自殺
1966年7月10日に第2四日市コンビナート内の大協石油付近の納屋地区に住む76歳になる男性が「病気の完治する見込みがなくて喘息がいっこうに良くならない。どうしてこんなに苦しまなければならないのだ」と喘息の発作に何度も嘆いていた。
入院していたが「死ぬなら自分の家で」と自分から退院して「死ねば薬もいらずに楽になれる」「死んだら仏様になって見守りたい」と遺書を残して自殺した[84]。納屋地区の男性の公害苦による自殺は3日後の国会審議でも取り上げられた。
「九鬼喘息やってみろ」と遺書を書いた男性の自殺
1966年7月14日「四日市公害対策協議会」によって自殺した男性の追悼集会が開催されて、追悼集会で「自殺した男性の死を無駄にするな」と書かれたプラカードを持って行進したり、1967年2月に、 第3コンビナートを誘致して建設工事と埋立て工事を許可する議案が強行採決された 四日市市議会に傍聴して公害反対を訴えていた男性が、1965年に発足した「四日市公害患者を守る会」の副会長を務めていた。
2019/1/5(土) 午前 10:26 [ 白フクロウの眼差し ]
12年もの前の記事を見出してのコメントをありがとうございます。
公害のない世の中を共に生み出しましょうよ!♥
2019/1/5(土) 午後 9:37 [ まっぴらさん ]