続:ラッパ一丁吹きある記

まっぴらさんのつれづれなる日々を!

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

キューバには四泊・五日間の滞在でしたが、ステキな朝焼けを毎日
見れましたので〜〜す! v(*^▽^*)v
イメージ 1

1819年にハイチから移住したフランス人が造ったカラフルな
お洒落な町・シエンフェゴス。


イメージ 2

そのホテルの部屋からは、カリブ海が左右どちらにも見えましてね!
絶景のロケーションの立地でして、リッチな朝?だったのですよぅ! v(*^▽^*)v


イメージ 3

ちなみに、部屋の前に見えるこの建物のレストランが、夕食会場でございましたw!



おっと、表題が ニワカ・キューバンボ〜イズ!? でしたよねぇ。

キューバでは昼食と夕食の場には全て、音楽が存在したので〜〜す!
モチ、生バンドでございます。
そして、「一緒にやろうぜ」コールが掛かるのですよぅ!!
イメージ 4



“手作り観光レポート”には「楽団に入団された方と♪」?と、書かれましたぁ!
イメージ 5



ハバナのホテルでも!
イメージ 6



そして世界遺産の街・トリニダーでは、美女との競演でしたからねぇ!!v(*^▽^*)v
イメージ 7

ニワカ・バンドマン?が鳴らしたマラカスが気に入って 
お土産にマラカス・二丁も買っちまいましたぜぇ!?


さて、キューバンボ〜イズの本物は、何と言っても
チェ・ゲバラ
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/guevara.html
でしょうね!

彼の肖像とか写真を、キューバの各所で見ることが出来ます。
イメージ 8

ガイドさんに「私なんかは、カストロがキューバの主役と思うのですが、
彼の写真や肖像は殆ど無くて、何故ゲバラなんですか?」って、聞きましたのです。

ガイドさんの言は「カストロさんは未だ生きているから。
若くして亡くなったゲバラさんへの想いが強い」でしたよ。


キューバ革命の決め手となったサンタクララの街・共産党建屋の前庭に
彼の銅像が在りましたのです。
イメージ 9

左手に子どもを抱いての像です。
そして、右肩には『ヤギと子どもの置物』らしきものを乗っけていますね!

これは、日本では余り知られていない出来事なのですが、ゲバラさんは
被爆者の方々へ連帯する気持ちを強くお持ちだったのですよ!!

アルゼンチン出身の医師でもあったゲバラさんは、訪日団・団長として1959年に
10日間の来日をしているのです。
確か当時、外務大臣をされていたはずですよね。

そう、キューバ革命を成し遂げたのが、その年の1月です。
その半年後の7月に、31歳の彼が来日をして、しかも非公然で広島を訪れているのです。


何故ゆえに非公然なのかですが、日本政府が被爆地・ヒロシマ訪問の許可を出さなかったのです。
日米安保条約を結ぶ前年です。アメリカへの配慮でしょうかねぇ…。
敵対関係とも言えるキューバでしたからねぇ。

ゲバラさんは政府に内緒で夜行列車へ飛び乗り、被爆者が入院されておられる病院に
訪問されているので、ございます。m(_"_)m 


彼が家族にあてた絵ハガキに「広島を訪れ、ますます闘うエネルギーがわいた」
と、認められていま〜〜す!

ゲバラが眠る サンタクララの地は、首都・ハバナから300キロです。

全1ページ

[1]


.
まっぴらさん
まっぴらさん
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事