|
キューバには四泊・五日間の滞在でしたが、ステキな朝焼けを毎日 見れましたので〜〜す! v(*^▽^*)v 1819年にハイチから移住したフランス人が造ったカラフルな お洒落な町・シエンフェゴス。 そのホテルの部屋からは、カリブ海が左右どちらにも見えましてね! 絶景のロケーションの立地でして、リッチな朝?だったのですよぅ! v(*^▽^*)v ちなみに、部屋の前に見えるこの建物のレストランが、夕食会場でございましたw! おっと、表題が ニワカ・キューバンボ〜イズ!? でしたよねぇ。 キューバでは昼食と夕食の場には全て、音楽が存在したので〜〜す! モチ、生バンドでございます。 そして、「一緒にやろうぜ」コールが掛かるのですよぅ!! “手作り観光レポート”には「楽団に入団された方と♪」?と、書かれましたぁ! ハバナのホテルでも! そして世界遺産の街・トリニダーでは、美女との競演でしたからねぇ!!v(*^▽^*)v ニワカ・バンドマン?が鳴らしたマラカスが気に入って お土産にマラカス・二丁も買っちまいましたぜぇ!? 彼の肖像とか写真を、キューバの各所で見ることが出来ます。 ガイドさんに「私なんかは、カストロがキューバの主役と思うのですが、 彼の写真や肖像は殆ど無くて、何故ゲバラなんですか?」って、聞きましたのです。 ガイドさんの言は「カストロさんは未だ生きているから。 若くして亡くなったゲバラさんへの想いが強い」でしたよ。 キューバ革命の決め手となったサンタクララの街・共産党建屋の前庭に 彼の銅像が在りましたのです。 左手に子どもを抱いての像です。 そして、右肩には『ヤギと子どもの置物』らしきものを乗っけていますね! これは、日本では余り知られていない出来事なのですが、ゲバラさんは 被爆者の方々へ連帯する気持ちを強くお持ちだったのですよ!! アルゼンチン出身の医師でもあったゲバラさんは、訪日団・団長として1959年に 10日間の来日をしているのです。 確か当時、外務大臣をされていたはずですよね。 そう、キューバ革命を成し遂げたのが、その年の1月です。 その半年後の7月に、31歳の彼が来日をして、しかも非公然で広島を訪れているのです。 何故ゆえに非公然なのかですが、日本政府が被爆地・ヒロシマ訪問の許可を出さなかったのです。 日米安保条約を結ぶ前年です。アメリカへの配慮でしょうかねぇ…。 敵対関係とも言えるキューバでしたからねぇ。 ゲバラさんは政府に内緒で夜行列車へ飛び乗り、被爆者が入院されておられる病院に 訪問されているので、ございます。m(_"_)m 彼が家族にあてた絵ハガキに「広島を訪れ、ますます闘うエネルギーがわいた」 と、認められていま〜〜す! ゲバラが眠る サンタクララの地は、首都・ハバナから300キロです。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2010年10月12日
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]



