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*昨8日(土) 10月・初演奏となった 『平田昭平さんを語る会』へ、伺いました。 平田さんは 「特攻隊員として遺書を書き、出撃命令を待つ身であったが 出撃寸前に終戦となり、現在に至っている。 俺の命日は8月15日だ」が、口癖だったという。 また 「海の藻屑として消えた人間なので、俺が死んだら献体に出して 日本医学のお役に立ちたい」 と、生前に東海大学へ献体申請をされておられたのでした。 その平田さんが、今年の8月15日、84歳でに亡くなられたのです。 「自分で決めていた命日に亡くなられるとは・・・」と、 友人の皆さん方がご遺族のご承諾を得て『語る会』を催されたのでした。 ご遺体は病院に在りまして、いつ戻されるかは判らない状況下なのですが 平田さん18歳・特攻服に身をかためた写真や、御自身が書かれた仏画を 飾られての『会』の運びと為りましたのです。 世話役のお一人が、私のトランペットを聴いたことが有りまして、 「海軍のラッパも鳴らして欲しい」と、お声掛けをいただいたのですが 平田→ひら 昭平→へい 松平→だいら との 「読み方繋がり?」の縁が、有るとは「深読み」ですかねぇ? 特攻服の平田さんへ語りかけるように、トランペットを奏でましたよ。 始まりのご挨拶や、昭平さんの息子さんのお話しに拍手は控えられていたのですが トランペットの演奏後には、その分を込めた盛大な拍手を頂けましたですねぇ。 四種類の信号ラッパも奏でましたが、朝顔に彫られた『錨のマーク』を ご参加の皆さんへ回覧して、確認もしていただきましたのです。 世話役の方からは 「昨夜は、トランペット演奏ありがとうございました。 おかげさまで、すばらしい会が開催できました。 ありがとうございました。 参加されました皆様から「すばらしいトランペット演奏で 非常に感激をしました」と。 また、小生も目をつぶり演奏を聞いておりましたら、 平田さんの面影が浮かび、何か感無量になりました。 「すばらしい会であった」と、皆様方より感想がありました。 また《いきものがかり》の《ありがとう》の演奏をして頂き、 平田昭平さんが皆様に、ーありがとうー と、御礼を言っているように思えました。」 とのメールをいただけました。m(_"_)m この会が催された厚木市は《いきものがかり》・吉岡 聖恵(よしおか きよえ)さんの 出身地でして、聖恵さんのお祖母さまも『語る会』へお越しくださったのでした!m(_"_)m 16日は、鳥取県でも ーありがとうー を演奏予定に組み込んでいますので、
こんな出会いも語れるとGoodでしょうね! |
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2011年10月09日
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