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*9月30日(木) この日はメキシコ・キューバの旅・最終日です! 終日、メキシコシティ周辺を巡りましたぁ!! 午前中は、世界有数と規模を内容を誇る 国立人類学博物館見学でしたね! tomakoさんの日替わり“手作り観光レポート”も最終版です。 律儀にも、旅が終わって10日頃に、自宅へキッチリと送付されて来たので〜〜す!m(_"_)m 旅の整理やブログを書くのへ、威力を発揮してくれましたので〜〜す!v(*^▽^*)v 博物館には、5000年前のメキシコで最古と言われる『オルメカ文明』展示物が在りました。 この顔を見て判るように、アフリカ系としか見れない『巨石人頭像』が 彫られているのですw! 人類学的に貴重な展示が目白押しで、時間が幾ら有っても足りませ〜〜ん。 太陽の石(スペイン語:Piedra del Sol)と言う、アステカ時代の宇宙観・世界観を 示す巨岩(高さ3,6メートル)を守るように、愉快な顔つきの『ワンコ獅子』も 居りましたねぇ!? 生け贄の血を貯めたくぼみは、リアルに迫って来ました! メキシコシティから北東約50キロの地点には 紀元前2世紀〜6世紀まで存在した巨大な宗教都市遺跡の テオティワカン が在ります。 月のピラミッドは、高さ47メートル ですが、上の段で転落事故があったために 中段までで、登ることは中断?されましたのです。 月のピラミッドから望む 死者の大通り の左手には 太陽のピラミッド が 見渡せるロケーションでして、よくもこんな石の都市を紀元前に造ったものだと 見惚れてしまいましたですねぇ!!v(*^▽^*)v ケツァルコアトル神殿の壁面には、雨の神「トラロック」や 風の神「ケツァルコアトル(羽毛のある蛇)」の彫刻が施されていました! 高さ65 メートルと最大の高さの 太陽のピラミッド へは 15分ほどで頂上まで到達です!v(*^▽^*)v 遺跡の発掘は未だ続くそうです。 マヤ文字と漢字の共通点が見出されたりしていますので、 我ら日本人とも何処かで繋がる証が見られるやも知れませんよぉ〜〜! 登ってきた 太陽のピラミッド をバックに 夕陽を浴びながらのピースサインで、この旅の完とさせていただきます。 どうも、長い間のご高覧をありがとうございました!!m(_"_)m
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メキシコ・キューバ紀行
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キューバは夏!って感じでしたが、メキシコシティは、標高が2240メートルです。 一気に 秋真っ盛り で、ございましたぁ〜!! ラスト二日間の宿泊ホテルは ★★★★★ ヒルトン メキシコ シティ レフォルマ ! http://appleworld.com/hotelinfo/bbs/hotel.do?hotelNo=04031101 15階の部屋からは、朝陽がこんな具合に反射して居りましてね。 頂く朝食もリッチでございましたよぅ! v(*^▽^*)v 初日。まず向かった先は“国立宮殿”! メキシコの歴史が描かれた巨大壁画に、唖然でございまする!m(_"_)m ディエゴ・リベラさんが、アステカ建国から20世紀初めまでの歴史を 6年の歳月を掛けて描いたのでござんすからねぇ。 このショットは、ほんの一部分でございますよぅ! そして、メキシコ国立自治大学にも 巨大壁画が在るのでした! 牧師塔の方は、ダビド・アルファロ・シケイロス(David Alfaro Siqueiros)さんが! 中央図書館のほうは、フアン・オゴルマン(Juan O'Gorman)さんが、それぞれ担当されたのです。 メキシコ・シティの中央広場には、ラテンアメリカ最大級と言う メトロポリタン・カテドラル http://mexico.client.jp/gallery_11.htm が、在りましたよ。 地盤沈下で傾いているのが、心配でしたけれどねぇ…。 また、立ち寄った これも巨大なグアダルーペ寺院 http://blogs.yahoo.co.jp/toshikomdev/58790016.html には、世界三大マリアの奇跡と言われる 黒髪と褐色のマリア様が居られましてね。 平日にも拘らず多くの参拝客が訪れています。 そのマリア様は、パイプオルガンの筒の下に鎮座されていました!m(_"_)m 運河上の浮島が汚れ放題のために、世界遺産から外されるやもの ソチミルコでは、トランペッター二人を交えたバンドを乗せた ギンギラギンの屋形船を二艘借り切って、ご家族が興じる場面に 遭遇で〜〜す! 運河の水の色が濁っているのは一目瞭然ですね。 「政治が腐っている」と言われるメキシコですが、環境への配慮に お座なりなのも気になるところでございます。 tomakoさんの 日替わり“手作り観光レポート”は
メキシコへ戻っても 快調で〜〜〜す!!v(*^▽^*)v |
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ハバナの旧市街は世界遺産に登録されていまして、見どころが沢山在りますねぇ! 石畳から見えている塔は、正面に周りますと、こんな立派な ぺラード教会 だったのでした! ガジュマルに似た樹が似合う街中の公園には 古本屋さんが店を広げていました。 その傍らにあるレストランでは、トランペットメンバーも居るバンドが屋外に出てきて 曲を奏でて下さっていましたよう!v(*^▽^*)v 市立博物館には、手に取れないのが残念でしたが ラッパも展示されておりましたのです。 真っ青な空に映えるピカピカのバロック教会の隣りには、中華街が在り その隣りは崩れかけのぼろぼろホテル。 そこへ連なる道にはアンティークカーが走り周っている キューバンMIXは、 ハバナ特有の光景かも! 夕食を摂ったお店は ラ・ボデギータ ! 「ヘミングウェーの落書きも在る」お話しでしたが、どれなのかはサッパリでございます!? ミント山盛りの モヒート は、ラム酒がベースでして、美味しいですよ! 黒ビールもナカナカでございまするゾナ! ヘミングウェーさんは糖尿病を患っていらしたようでして 彼愛用のモヒートはラムは多め・砂糖抜きの、その名も パパダブルでございまする! ハバナの空港を飛び立った 三列・50人乗りの飛行機から眺めた
夏を思わせる白い雲と、カリブ海の珊瑚礁が鮮やかでして、 グラシャス・Gracias(ありがとう)を連発しましたぁ〜〜!!v(*^▽^*)v |
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今日は アンティークカー?の、続きのお話しからです。 日本でも旧くは車を曳くのは牛や馬たちでしたが、キューバでは現在も 馬車や牛車が、頻繁に行き来して居りましたのですよ!! 世界遺産・石畳の美しいトリニダーの 青空マーケット では 荷物を積んだお馬さんが闊歩しておりましたしね〜〜! そして、この街角では、幾つものバンドが往来でミュージックを奏でていました。 まぁ、日曜日でお休みだったからかもですけど、 キューバの人口構成の半分はミュージシャンだっていうほどですからねぇ!? 立ち寄った教会のミサでも、美しい賛美歌が流れていましたのですよぅ。 tomakoさんの日替わり“手作り観光レポート”に キューバカーのナンバープレートが八色に区分けされていることが 書かれています。 タクシーのプレートは青色でしたし、カストロさんの乗っていたカーは 緑色でしたねぇ。 青空マーケットで仕入れた3ペソの帽子を被ったtomakoさんとの ツーショットを再度、お披露目しちゃいましょうネ! v(*^▽^*)v となりのオッチャンは「おまえら、何してんだぁ」かなぁ!? それでは、カーの前に トロッピ が付く 収容客数2000人。 世界最大のキャバレーとも言われる Tropicana へ 話しを進めましょうぞ! 実は、私の前歴を明かしますとね。 18歳のみぎり、会社勤めを退けた後に銀座のキャバレーへ赴き、 バンドマンへ変身していた時期が在るのでございまするよ。 ひと晩・500円也を頂いての『音楽修行』って積りでしたが、 紫煙たなびく狭い控え室では花札が舞っていましたっけ。。(遠い目) この世界ではやって行けないことを、知らされた得難い経験ではありましたですねぇ さて、キャバレーとは、本来はダンスやコメディショーなど パフォーマンスをする舞台のあるレストランやナイトクラブを指しているのですw。 キューバの首都・ハバナに在る Tropicana は 1939年の設立から現在まで、格式と伝統を兼ね備えた 本格的・屋外キャバレーなのでござりまするぅ〜〜! 盛装をした我ら『七人のサムライ』?は、ホテルへタクシーを 呼んで貰いまして、会場へ乗り付けましたぜぇ。 バンド演奏の出迎えを受けたTropicana入り口は ホテル・ロビーって雰囲気でしてね! ステージの直ぐ前の席へ、いざなわれましたよぅ!! ステージでは、ヴァイオリン・ビオラ・チェロ・ベースの弦楽合奏が 始まっています。 「へぇ、弦楽での伴奏へ載せてのショーなのか」と思いましたが、 そのメンバーは、定刻前にステージを明けたのです。 22時。 右手の高い位置にあるバンドステージからミュージックonで ございましたぁ!v(*^▽^*)v Trp・Tbを主体にしたブラスが鳴り響きましたよぅ〜! タクトを振るのは、未だ若い女性でございまする! 左手の高いステージから、中央のステージへ踊り手が舞い降りてきます! 中央ステージのライトはさまざまに変わり、スモッグも焚かれます! 歌は男女入れ替わりでうたわれますし、中央ステージ後方・高場のステージとの Duoや四重唱が有ったりしますよ! パーカッションをステージに揃えてのダンスや タップが刻まれたりの動きで、目を離せませんねぇ! 2時間休憩なしのブッツヅケでのステージでございまするぅ〜〜!!v(*^▽^*)v つまみが付いて、ラム酒・ハバナクラブは飲み放題! 全て込みの入場料は 90ペソ(8000円ほど)でござんした。 ホテルに迎えに来てくれた7人乗りのタクシーが終演後も迎えに 来てくれて、往復の料金は27ペソで〜〜す。 7人のサムライは『割り勘』でして、自己負担は4ペソ(360円ほど)也。 とびっきりの トロッピカ〜〜〜ナ !!
大 大 大 の 大満足 でしたぁ〜〜〜〜!! v(*^▽^*)v |
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キューバには四泊・五日間の滞在でしたが、ステキな朝焼けを毎日 見れましたので〜〜す! v(*^▽^*)v 1819年にハイチから移住したフランス人が造ったカラフルな お洒落な町・シエンフェゴス。 そのホテルの部屋からは、カリブ海が左右どちらにも見えましてね! 絶景のロケーションの立地でして、リッチな朝?だったのですよぅ! v(*^▽^*)v ちなみに、部屋の前に見えるこの建物のレストランが、夕食会場でございましたw! おっと、表題が ニワカ・キューバンボ〜イズ!? でしたよねぇ。 キューバでは昼食と夕食の場には全て、音楽が存在したので〜〜す! モチ、生バンドでございます。 そして、「一緒にやろうぜ」コールが掛かるのですよぅ!! “手作り観光レポート”には「楽団に入団された方と♪」?と、書かれましたぁ! ハバナのホテルでも! そして世界遺産の街・トリニダーでは、美女との競演でしたからねぇ!!v(*^▽^*)v ニワカ・バンドマン?が鳴らしたマラカスが気に入って お土産にマラカス・二丁も買っちまいましたぜぇ!? 彼の肖像とか写真を、キューバの各所で見ることが出来ます。 ガイドさんに「私なんかは、カストロがキューバの主役と思うのですが、 彼の写真や肖像は殆ど無くて、何故ゲバラなんですか?」って、聞きましたのです。 ガイドさんの言は「カストロさんは未だ生きているから。 若くして亡くなったゲバラさんへの想いが強い」でしたよ。 キューバ革命の決め手となったサンタクララの街・共産党建屋の前庭に 彼の銅像が在りましたのです。 左手に子どもを抱いての像です。 そして、右肩には『ヤギと子どもの置物』らしきものを乗っけていますね! これは、日本では余り知られていない出来事なのですが、ゲバラさんは 被爆者の方々へ連帯する気持ちを強くお持ちだったのですよ!! アルゼンチン出身の医師でもあったゲバラさんは、訪日団・団長として1959年に 10日間の来日をしているのです。 確か当時、外務大臣をされていたはずですよね。 そう、キューバ革命を成し遂げたのが、その年の1月です。 その半年後の7月に、31歳の彼が来日をして、しかも非公然で広島を訪れているのです。 何故ゆえに非公然なのかですが、日本政府が被爆地・ヒロシマ訪問の許可を出さなかったのです。 日米安保条約を結ぶ前年です。アメリカへの配慮でしょうかねぇ…。 敵対関係とも言えるキューバでしたからねぇ。 ゲバラさんは政府に内緒で夜行列車へ飛び乗り、被爆者が入院されておられる病院に 訪問されているので、ございます。m(_"_)m 彼が家族にあてた絵ハガキに「広島を訪れ、ますます闘うエネルギーがわいた」 と、認められていま〜〜す! ゲバラが眠る サンタクララの地は、首都・ハバナから300キロです。
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