信州小諸通信

定年後の田舎暮らしから気晴らしの気まぐれ通信。姉妹ブログ「信州小諸論壇」

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北国街道・紺屋町

イメージ 1  北国街道を進むと次に現われるのが紺屋町でした。
   「紺屋町」
  天正十一年(1583)真田幸村の父昌幸が、上田城を築いたあと、真田氏とゆかりの深い海野郷(現東御市)から、紺屋(染物屋)を移して造った町。宝永三年(1706)には、紺屋が十軒あった。後に上紺屋町と下紺屋町に分れた。                                                                       
 
 
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  紺屋町公会堂(町会集会所)はしっかりした建築で、貫録ある風情です。
 
 
 
 
 
 
イメージ 3    「紺屋町 泉屋」
  文政九年(1826年)の紺屋町大火後、上田藩が職人町再建のため海野宿より移設した建物である。泉屋小泉弥重が藩士の裃用などの型付け藍染め工房を開いていた。
  天保九年(1838年)米・大豆・小豆・塩等を商う穀屋を開業した。
  廃藩後、蚕種の製造販売も始めのち、蚕種製造と養蚕指導員を各地に派遣する「益蚕社」本店として第二次大戦まで使用された。
  大屋根の開閉式煙出しは、蚕種製造のため明治になってから付け加えられたものである。                             紺屋町歴史研究会  
 
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  ちょっとした料理屋がありました。   
 
     「かぶらやの由来」
  矢の先につける一種の道具(鏑矢) 木やしかの角などで、蕪の形に作り中は空調で表面に数個の穴があいており風を切って飛ぶ矢鳴音を発する様に作られたものである。開戦の合図、儀式などに用いた鳴りひびく様を店にたとえて、弓道教士八段柳原光男先生が、「鶏り料理味も世一(与一)と評判はかぶら矢のごと鳴りひびくらむ」と、称賛し、県下唯一の鶏鴨料理専門店『美食細工かぶらや』と命名された

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