|
こんばんは。ブログ更新ネタにつきない冴月
こりもせずまたまたアップです 今日マイミクさんからびっくりな情報が入りました なんと母校の専修大学松戸高校が 高校野球で千葉県大会の準決勝まで進んでベスト4だそうです 私の在籍中、それよりずっと前から学校にいる守衛さんが 『ずっと応援して寄付もしてるんだけど勝たなくてねぇ… でもいつか勝って甲子園行くって信じて応援してるよ』 といっていたのが印象的で でも勝てていなかった専松がなんとベスト4 在学中は甲子園準優勝までした東海大浦安を応援しましたが 母校が応援できるならこんな幸せなことはないですよね。 明日から真剣に千葉大会ウォッチしますっ 皆様も応援よろしくお願いします |
高校時代を振り返ってみよう!の巻
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
こんばんは〜冴月です。 なんかこう、昨日の記事では人生の汚点をさらしまくった気がしますが もう開き直っていこうと思います。ええ。。。 大学のバイト時代にも受験生の皆さんに披露しまくったネタですしね! 受験生の皆さん!試験時間はきちんとチェックしましょうね!(やけくそ) さて、今日はまだ前段での母校紹介。 今でこそ都会っこきどりですが、 高校はいる前の私にとって東京は怖いところでして、 東京に行く時は本気でスリにドキドキしながら鞄を抱きしめた歩いたりしたものです。 といっても中学時代までで言ったことがある東京といったら 大きな美術館のある上野と 父方のお墓のある日暮里と、 その帰りに昭和通り沿いにある本屋に行くために 秋葉原の書泉ブックタワーに行ったくらいで、 本当にそれ以外の場所は数えるほどもいったことがありませんでした。 (全部山手線の東側(笑)) そのため電車で一本20分弱で東京駅に着くという好条件の家に住んでいながらも 高校、大学とひたすら千葉の南の方に下っていました。 東京に行くという選択肢は全く考えもせず、 そうして千葉県内という情けない選択基準で選んだ高校が 私の後の母校になるわけですが、 それは同時に、あのハメハメハ大王と悪名?い武蔵野線とのつき合いの始まりでもあるのですが まあそれはまた別の話で。。。 さて、その雨で遅延し風で止まり、カラスの巣ができて運休する武蔵野線で下って 新松戸で常磐線に乗り換えて二駅の北松戸という駅が 私の母校の最寄り駅でした。 その母校には一つちょっとした自慢がありました。 それは通学路。 始めてきた人を案内すると間違いなく驚きの声を上げる通学路です。 実際出願の時、友達に意味深に紹介されて私が声を上げました。 国道一号線を越えると細い歩道で坂を上っていくのですが この坂が尋常じゃなく長い。 しかも急。 夜は怖いお寺の脇を抜け住宅地を通り抜け、 中くらいの一にある中台公園(ここで猫を拾った経験あり)を通り過ぎると 天辺には信号が見えてきます。 その信号の向こうに我らの母校の校名が書かれた校舎の姿が見えてくるのですが それが見えてきたくらいのところで、一緒に出願しに言った友達が言いました。 「ほら、見えてきたあと少し!」 学校見学で一度来たことのある友人は、 そういいながらどこかにやにや笑っていました。 さすがに鈍くはないので、なにかある、と思った私でしたが、 登りきってさすがに声を上げましたよ。 だって、登りきったのに、そこに学校はなかったんですもん! 登った坂をほぼ同じ高さまで下ったあげく、またその2/3くらい登って初めて ようやく校門があるという拷問のようなところだったんです! 例えるなら、エベレスト登頂を目指した山岳隊が 山頂まで登りきったと思って喜びの雄叫びを揚げたところに肩を叩かれ 『エベレスト、隣だから』 と別の山を示された気分? しかもその山に登るのに一回険しい山を下りなきゃならない。 そりゃテンションも下がるってもんです。 実を言うとパンフレットとか見てかなりいいかも、と思っていたのですが あれですね、萎えました。 その坂に。ええ。 でも結局3年間その山を登って降りて登って、と登下校していたわけですから 当時の私は健脚でしたよ。今じゃ見る影もないですが。 偽エベレストなのか、エベレスト本体なのかはもうなんと表現して良いのか分かりませんが とりあえずそんな坂の上にある、とっても立地条件の悪い そのくせ一学年600人を越え、幼稚園から中学校まで併設された 某有名大学の准付属校、専修大学松戸高校。 それが私の母校であり、色々と長いつき合いになる友人達との出会いのあった 学舎だったのです。 ちなみにこの高校、先生もユニークで、 国語の試験問題の一つがスマップの「セロリ」の歌詞だったんですよ。 で、試験問題が全部スマップメンバーの名前が出てきて、かつ 最後の「結論としてこの文章は何を言いたいのか」的高得点問題の回答は 『やっぱりキミのこと好きなのさ』 だったという、とてもイカした試験問題でした☆ 。。。結局誰が作ったのか聞き逃したけど、面白い先生も多い学校でした(笑) 次回からようやく高校時代の始まり始まり〜 て、誰も待ってないかw |
|
私が行った高校は私立の高校でして、 偏差値的にはそこそこ。 高めの公立高校を志望する子達の おさえとしてよく薦められる高校でした。 (千葉県は公立の方が偏差値が?い) 中三の夏頑張ったおかげで偏差値がぐぐっと上がり 第一志望の県立船橋高校A判定だった私は まあ、思えば油断していたのでしょう。 そしてちょうど部活から解放されて 絵描き放題な上に小説書くことまで始めてしまって クラスで回し読み(恐ろしいことに男子まで回っていた!)してもらったりしていた時期なので まあ、勉強・・・・してなかったよね。 いやいやいや、でもね? 言い訳しますと、結構いい線いってたんですよ。 なにせ例年のボーダーには載ってたんですから。 ただ、その年県船の倍率が異常に倍率が上がったのと 私が試験中に、あり得ないぽかを連発しなければ 受かった点数だったんです。 何をしたかというとですね、最初のテストは国語だったんですが (いや?最初じゃなかったかも?というか印象に残ってるのがそこだったんですね) 回答をばっちり埋めて、時間もたっぷり。 見直しもすませたし、後は試験終了を待つだけ。 なのになんと試験時間があと10分も残っている。 と、そこで、何が起こったのか自分でもわからないのですが 自由回答の覧の自分の文字がふっと気になったんです。 『・・・・こんな汚い字より、すこし書き直しておいた方がいいかな?』 で、やらなきゃいいのに、消しにかかったんですよ。回答。 そして頭の痛いことに、受験生にはあるまじき失態を犯していたんです。 試験終了時間、間違えてたんですよ!!! そりゃ余裕あるはずですよ。 だって本当はもう終了ぎりぎりだったんですから! なのに回答を消しにかかる中学三年の私。 しかも誕生日の次の日の十五歳になりたてのぴちぴちの私。 十五歳にもなって時間の計算もできない、あいたたたな私。 回答を書き直している途中でチャイムが鳴って、 試験終了宣言がされました。 ほあお! 叫びたかったですね。 いや、叫んだかもかれない。むしろ。 んで、急いで書こうとしたのですが止められ。 回答を取り上げられ、回収され、 呆然と国語の時間が終わりました。 さて、皆様、国語の自由回答。 果たしてどのくらいの得点だったと思いますか? はあ、もう思い出すのも痛々しい。 たしか10〜20点くらいの高得点問題だったと思いますよ。 100点満点ならへたしたら1/5の得点割合! しかも文字書き直さなければパーフェクトだったんです(新聞の自己採点では) で、5教科の合計点数を計算してみると451点。 ぎりぎり。県船には本当にぎりぎり。 ボーダーが450点なので、例年なら受かっているはずのぎりぎりの得点。 ・・・だったのですが、駄目だったんです。 例の倍率の異常な上昇のせいで、 平均ボーダーラインが470〜480点くらいまで上がったらしいんですよ、その年。 そして後に同年度の卒業生の県船生で同じ大学だった子に 「俺の友達で451点だったやつがいてさ、もう一人いたらしいんだけど 俺の友達、県船の先生の親戚だったらしくて受かったらしいんだよね。 で、もう一人は定員オーバーだから落ちたんだって」 といわれて愕然。 自己採点正しければそれ、わたしじゃーん! そんなことってあるの???そんな縁故採用みたいな!? ああああっっとにもかくにもあの国語の回答が悔やまれる。 しかもそんな傷心の私に母の言った言葉。 『勉強しなかったから落ちたのよ』 うわーーーーーーん! そんなこと今いわなくても! しかも勉強と関係ないところだよ!直接的な原因は! でも小説とかばっかかいてて30〜40点分のところで落としてたのは確かだよ! でも今いわなくてもいいじゃん!!! という風になって、このとき冴月翠、生まれて初めての反抗期に入りました。 (いや、万年反抗期だったという噂もありますが。。。) 食べかけの夕飯を放置し、こたつを叩き、 部屋に引きこもったのです!!!! あ〜〜〜〜しょっぱい〜〜〜〜〜〜 ちなみに献立は忘れもしない親子丼です。 そんないきさつがあってからか、親子丼は今でも好物です。 むしろ得意料理の域です(といってもそんな難しくないけども) さて、そんな、もう思い出すだけでも恥ずかしいいきさつもあり はっきりいって今から見たらギャグでしかない挫折を味わったわたくしは 意気消沈しつつ、松戸にある私立高校の門をくぐったのであります。 そして、運命の高校生活が始まったのですが。。。。今日はここまで。 ん、もしかしたら国語失敗したのも、運命だったのかもね! (と思えるくらい今は行って良かったと思ってます) |
全1ページ
[1]







