癒すこと、癒されること♪

癒しとは、あなたが自身が愛そのものであることを想い出すプロセス♪

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 じつは私、大学で少林寺拳法部に所属していました
 (もうかれこれ20うん年前の話ですが)・・・

 そこで、無理やりおぼえさせられることになったのが
 少林寺拳法の「聖句」とか「道訓」・・・
 暗記が苦手な私にとって、かなり苦痛でしたが・・・
 おぼえてこないと、先輩のしごきと説教部屋が待っているので・・・
 しかたなくおぼえた次第です(笑)。

 それがいつしか、神や仏の世界につながっていき、
 その原点でもある『ダンマパダ(法句経)』を読むようになり、
 不思議な縁を感じています。

 今日は、少林寺拳法の「聖句」や「道訓」などをご紹介したいと思います。

 ついでに動画なんかもw

http://www.youtube.com/watch?v=eRIRZ_-y6Pc&feature=player_embedded

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「聖句(セイク)」

 己れこそ、己れの寄るべ、己れを措きて誰に寄るべぞ、
 良く整えし己れこそ、まこと得がたき寄るべなり

 自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが浄し、
 浄きも浄からざるも自らのことなり、他者に依りて浄むることを得ず

「誓願(セイガン)」
 一、 我等此の法を修めるに当り、祖を滅せず師を欺かず、長上を敬い、
    後輩を侮らず、同志互に親み合い援け合い、協力して道の為につくすことを誓う。
 一、 我等一切の既往を精算し、初生の赤子として、真純単一に此の法修行に専念す。
 一、 此の法は、済生利人の為に修行し、決して自己の名利の為になすことなし。


「礼拝詞(ライハイシ)」
 勤しみて、天地久遠の大みちから、ダーマを礼拝し奉る。
 我等無始よりこのかた、煩悩にまつわりて造りたる、
 もろもろの罪とがを、悉くざんげし奉る。
 我等この身今生より未来に至るまで、深く三宝に帰依し、
 み教えに従い奉る。願くば良き導と加護を垂れさせ給え。
 南無、ダーマ。

「道訓」

 道は天より生じ、人の共に由る所とするものなり、
 みちはてんよりしょうじ、ひとのともによるところとするものなり、

 その道を得れば、以て進むべく、以て守るべく、
 そのみちをうれば、もってすすむべく、もってまもるべく、

 その道を失すれば、即ち迷離す、故に道は、須叟も離るべからずと、いう所以なり、
 そのみちをしっすれば、すなわちめいりす、ゆえにみちは、すゆもはなるべからずと、
 いうゆえんなり、

 人生れて世にある時、人道を尽すを貴ぶ、まさに人道に於て、
 (ひとうまれてよにあるとき、じんどうをつくすをとうとぶ、まさにじんどうにおいて、)

 はずる処なくんば、天地の間に立つべし、若し人あり、
 (はずるところなくんば、てんちのかんにたつべし、もしひとあり、)

 仁、義、忠、孝、礼、の事を尽さざれば、身世に在りと雖も、心は既に死せるなり、
 (じん、ぎ、ちゅう、こう、れい、のことをつくさざれば、みよにありといえども、
 こころはすでにしせるなり、)

 生を偸むものとゆうべし、凡そ人心は、即ち神なり仏なり、神仏即ち霊なり、
 (せいをぬすむものとゆうべし、およそじんしんは、すなわちかみなりほとけなり、
 しんぶつすなわちれいなり、)

 心にはずる処なくば、神仏にもはずる処なし、
 (こころにはずるところなくば、しんぶつにもはずるところなし、)

 故に一動一静、総て神仏の監察する処、報応昭々として、毫厘も赦さざるなり、
 (ゆえにいちどういっせい、すべてしんぶつのかんさつするところ、
 ほうおうしょうしょうとして、ごうりんもゆるさざるなり、)

 故に天地を敬い、神仏に礼し、祖先を奉じ、双親に孝に、国法を守り、師を重んじ、兄弟を愛し、
 (ゆえにてんちをうやまい、しんぶつにれいし、そせんをほうじ、そうしんにこうに、
 こくほうをまもり、しをおもんじ、きょうだいをあいし、)

 朋友を信じ、宗族相睦み、郷党相結び、夫婦相和し、人の難を救い、急を援け、
 訓を垂れて人を導き、
 (ほうゆうをしんじ、そうぞくあいむつみ、きょうとうあいむすび、ふうふあいわし、
 ひとのなんをすくい、きゅうをたすけおしえをたれてひとをみちびき、)

 心を至して道に向い、過を改めて自ら新にし、悪念を断ちて、一切の善事、を信心に奉行すれば、
 (こころをいたしてみちにむかい、かをあらためてみずからあらたにし、あくねんをたちて、
 いっさいのぜんじをしんじんにぶぎょうすれば、)

 人見ずと雖も、神仏既に早く知りて、福を加え、寿を増し、子孫を益し、病い減り、過患侵さず、
 (ひとみずといえども、しんぶつすでにはやくしりて、ふくをくわえ、じゅをまし、しそんをえきし、やまいへり、かかん おかさず、)

 ダーマ(法)の加護を得られるべし。
 (だーまのかごをえられるべし。)

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『ブッダの真理のことば・感興のことば*中村元訳*岩波文庫』P32

第12章 自己

157 もしも人が自己を愛(イト)しいものと知るならば、自己をよく守れ、
   賢い人は、夜の三つの区分のうちの一つだけでも、つつしんで目ざめておれ。

158 まず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。
   そうすれば賢明な人は、煩わされて悩むことが無いであろう。

159 他人に教えるとおりに、自分でも行え−。
   自分をよくととのえた人こそ、他人をととのえるであろう。
 自己(オノレ)は実に制し難い。

160 自己(オノレ)こそが自分の主(アルジ)である。
   他人がどうして(自分の)主であろうか? 
自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。

161 自分がつくり、自分から生じ、自分から起こった悪が智慧悪(ア)しき人を打ちくだく。
 −金剛石が宝石を打ちくだくように。

162 極めて性(タチ)の悪い人は、仇敵(カタキ)がかれの不幸を望むとおりのことを、自分に対してなす。
 −蔓草(ツルクサ)が紗羅(シャラ)の木にまといつくように。

163 善からぬこと、己のためにならぬことは、なし易い。
 ためになること、善いことは、実に極めてなし難い。

164 愚かにも、悪い見解にもとづいて、真理に従って生きる真人・聖者たちの教えを罵(ノノシ)るならば、
その人には悪い報(ムク)いが熟する。
 −カッタカという草は果実が熟すると自分自身が滅びてしまうように。

165 みずから悪をなすならば、みずから汚(ケガ)れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄(キヨ)まる。
 浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。 人は他人を浄めることができない。

166 たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために
   自分のつとめをすて去ってはならぬ。 自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。

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 いやぁ〜、あの頃は、聖句や道訓をおぼえるのがいやだったのに、
 いつの間にか、聖句が生きる柱みたいになってきています。
 これもまた人生の不思議♪

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2011/8/4(木) 午後 3:37 [ あきやん♪ ]


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