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「秋の山々を眺めながら行くハイキング」も、いよいよ終盤です。 「学文路」からは、山道から平地の畑の中を「九度山(くどやま)」まで歩きました。 紀ノ川沿いにある「九度山」は、高野山の栄えた江戸時代、皇族や諸大名の寄進物や、膨大な石材などが陸揚げされた所だそうです。
「九度山」はまた、戦乱の世に生きた名勝・真田幸村が、父と隠れ住んだ里。 紀ノ川と不動谷川に守られ、高台にある「真田庵」に立ち寄りました。 表門扉に、六文銭の旗印、巡らされた白壁内の、八棟三層造りの城閣風の本堂で、武将の館は、まるで城を思わせました。
1600年、西軍に属して敗れた、信州上田の城主真田昌幸は、高野山に配流され、のち九度山で蟄居生活を送りました。 昌幸は65歳で亡くなり、幸村は、14年間の九度山での暮らしのあと、大阪冬・夏の陣に西軍に味方して戦いましたが、大坂・茶臼山で壮絶な最後を遂げました。
毎年、5月の「真田祭り」には、真田幸村を偲んで、猿飛佐助や霧隠才蔵など、真田十勇士ら総勢500名の武者行列で賑あうそうです。 境内には、真田昌幸や一族の墓や、与謝蕪村の句碑などがありました。 「 かくれ住んで 花に真田が 謡かな 」。
「真田の抜け穴」は、実は、4世紀ごろの横穴式石室を持つ円墳「真田古墳」だったそうです。
近くに、旧萱野家「大石順教尼の館」があり、立ち寄りました。 もと大坂堀江の名妓で、17歳の時、養父の狂刃により両腕を切断されたが、絶望と開眼を経て、菩薩行に一生を捧げた人だそうです。 カナリアが口ばしで雛を育てるのを見て、口で筆をくわえ、書画を書き続けました。
高野山に上って出家得度して、しばしば、里坊だった九度山の萱野邸に寄留し、多くの書画を残しています。 「何事も 成せばなるてふ 言の葉を 胸にきざみて 生きて来し 我」。
九度山には、弘法大師の母が、晩年移り住んだという世界遺産「慈尊院」や「丹生官省府神社」などもあり、聖地高野山への表参道「高野山町石道」の出発点です。 またいつの日か、ゆっくり訪ねるとして、今回参加した「秋の山々を眺めながら行くハイキング」は、これでお終いです。
参加者総勢445名だったそうですが、全行程約10㎞、約5時間のハイキングを楽しんで来ました。
長い間のお付き合い、有難う御座いました。 ( 11月23日 撮影 )
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紀伊半島の旅
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「秋の山々を眺めながら行くハイキング」は、「かむろ大師」から、少し行ったところにある「学文路刈萱堂(かむろかるかやどう)」に立ち寄りました。 学文路は、かつて高野詣での宿場として栄えた所。 この高野街道の側に、刈萱堂(西光寺)はありました。
今から千年以上前、筑紫の国の守護が二人の女性を愛した罪を悔いて、高野山の僧になりました。 愛妾の「千里の前」は、子供(石堂丸)を連れて、長い旅の果て、高野山麓の学文路の「玉屋」という宿まで、たどり着きましたが、父の居る高野山は女人禁制の山でした。
やむなく母は、石堂丸だけを高野山へ登らせました。 捜し歩いた末、一人の僧に出会いますが、厳しい僧の掟に、親子の名乗りは許されず「そなたの父は亡くなった」と偽り、追い返しました。 泣く泣く「玉屋」に戻りますが、病弱の母は、待ちわびながら、亡くなっていました。
石堂丸は、再び高野に登り、生涯、親子の名乗りをすることはありませんでした。 「高野山刈萱堂」は、石堂丸親子が修行した場所だそうです。 「学文路刈萱堂」(西光寺)には、刈萱道心(父)、千里の前(母)と石堂丸の像などが安置されていました。
途中、石堂丸と、その母・千里が泊まっていたという「玉屋宿跡」。
「石堂丸(刈萱)物語」は、女人禁制の掟から生まれた悲劇で、江戸時代には、浄瑠璃や琵琶歌として、広く知れ渡ったそうです。 ( 11月23日 撮影 )
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「秋の山々を眺めながら行くハイキング」は、「学文路天満神社」から歩いて15分ほどで、「かむろ大師」へ到着しました。 当初は、旧高野街道に面した町中に本堂はあり、弘法大師が高野山と各地を行き来された際、休んだという「腰掛け石」が残されているそうです。
明治43年、かむろ大師奥の院に、新しい本堂が造られ、境内にあるご神水を求めて、全国からの参詣者が訪れているそうです。 ある医学博士が、自身で治らなかった病が、ここの水で治ったとか。 神経痛、関節痛などにいいらしく信者が多くみられました。
ここまで来ると、もう12時も過ぎており、ここで「おにぎり」の昼食をいただきました。 ハイキングも、やっと半分来たようです。 ( 11月23日 撮影 )
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「秋の山々を眺めながら行く、全行程約10㎞のハイキング」は、南海高野線・紀伊清水駅を出発、国城山中腹の柿畑を歩いて、学文路(かむろ)の集落へやってきました。 1124年創建と伝えられる「学文路天満神社」で、二回目の休憩をとりました。
昔、このあたり、梅の木が多く、春先になると梅の香りが満ちていたため「香室=かむろ」と読んでいた事から、この地名がついたという説があるそうです。 南海高野線・学文路駅の入場券は、「学問(文)の路」に通じるという意味から、受験生のお守りとして人気が高いそうです。
この神社でご祈祷を受けた「合格祈願・学文路駅入場券」が、駅で売られており、全国から買い求められているそうです。 ( 11月23日 撮影 )
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「秋の山々を眺めながら行くハイキング」は、両側に柿やみかん畑の続く道をひたすら歩きました。 この辺りは、柿の産地、山全体に柿畑が広がっており、収穫を待っていました。 見晴らしのいい柿畑は、のどかな風景なのですが、もう足腰は、疲れのピークでした。
秋の自然の恵みを眺めながらの散策は、気分爽快でした。 ( 11月23日 撮影 )
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