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「平城遷都1300年祭」の広大なメイン会場「平城京跡」を、遣唐使船復原展示している「平城京歴史館」「朱雀門」「大極殿」と巡って、平城宮の東張り出し部・東宮、又は東院と呼ばれ皇太子の宮殿のあった場所の南東隅にある「東院庭園」を訪れました。
発掘調査に基づき、東西約80m、南北約100mの庭園内に、建物や苑池、橋、植物に至るまで当時の庭園が復原されていました。 中央に池を設け、池底から岸辺にかけて、ゆるやかな勾配に小石を敷きつめた洲浜がつくられ、奈良時代の優美な庭園の様子が偲ばれました。
「 あをによし 奈良の都は 咲く花の にほうがごとき いま盛りなり 」
「東院庭園」は、宴会や儀式が行われた庭園で、日本庭園の原型とも言われているそうです。
ここ「平城京跡」では、今も発掘調査が行われており、ボランティアの人が解説してくれました。
当初の規模より「東院」は、予想以上に東へ張り出していたこともわかったそうです。
あと100年後の「平城遷都1400年祭」頃には、平城京跡地の発掘調査も進み、整備されて、もっと素晴らしい景観を、きっと見せてくれているのでしょうね。 そんなことを思いながら、大阪へ戻ってきました。 お付き合い、有難うございました。 ( 7月6日 撮影 )
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奈良 大和の旅
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「平城遷都1300年祭」のメイン会場・平城京跡の、朱雀門の真北約800mに、堂々とそびえる「大極殿」は、南北320m、東西180mの築地塀に囲まれた大極殿院の中の正殿だったそうです。 当時、天皇の即位式や、外国使節の謁見など、国の重要な儀式のための建物だったそうです。
奈良時代前半、710年遷都から740年恭仁京遷都までに使われていたのが、平城宮最大の宮殿、「第一次大極殿」で奈良時代後半、恭仁京、難波京、紫香楽京と、都が転々として、また元の場所に帰ってきた745年、東側の区画に建てられたのが「第二次大極殿」だそうです。
正面約44m、側面約20m、地面よりの高さ約27m、直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7千枚を使って復原された「第一次大極殿」の壇上からは、奈良盆地を囲む山並みや、平城宮跡が一望でき、広い会場内の歩き疲れと、暑さ疲れを忘れさせてくれるひと時でした。
「第一次大極殿」の内部です。
大極殿内部に天皇が儀式の際、着座した「高御座(たかみくら)」の覆屋が置かれています。
「第一次大極殿」から、800m真南に建つ「朱雀門」を望む。
「第一次大極殿」の東側の区画に、基壇と柱跡だけが復原されている「第二次大極殿」の基壇に上って、「第一次大極殿」を望む。
世界遺産「平城京跡」の「朱雀門」と「第一次大極殿」の広大な敷地の中を、近鉄奈良線が走っており、踏切までありました。 大正3年、鉄道は開通したそうですが、この場所が「史跡」に指定されたのは、大正11年だったからだそうです。
平城京が、784年長岡京へ移された時、平城宮内の建物も一緒に移築されたため、跡地は荒れ、遺構は土の中に長い間、埋まってしまっていたのが、1300年の時を超えて今、奈良の都を偲ぶ景観が広がりつつあるのですね。 ( 7月6日 撮影 )
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「平城遷都1300年祭」メイン会場・平城宮跡にある、イベントステージや交流ホールのある広場で、マスコットキャラクターの「せんとくん」にも出会いました。 そして、ここの「レストラン遷都」で昼食です。
奈良の「大和そうめん」と「めはりすし」が目にとまり、「夏季限定・大和そうめん彩膳」をいただきました。 食欲の薄らぐ夏のお昼は、「そうめん」が美味しいですね。
エアコンのきいたレストランで、食事をとり一休みしたあと、ふたたび暑い会場めぐりに、繰り出しました。 ( 7月6日 撮影 )
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710年、藤原京から平城京に都が移って今年でちょうど1300年。 奈良で11月4日まで行われている「平城遷都1300年祭」のメイン会場・平城宮跡へ行ってきました。 近鉄奈良線・大和西大寺駅から、無料シャトルバスが走っていました。
「平城京」は、中国・唐の都「長安」をモデルにつくられた、東西約4.2㎞、南北約4.8㎞の大きな都で、784年長岡京に遷都されるまで、天平文化の中心地、東アジアとの交流を通じて、日本初の国際首都だったそうです。 1998年、古都奈良の文化財は「世界遺産」に登録されています。
約1.2㎞×約1.0kmある広い「平城宮跡」周辺は、「大極殿」や「朱雀門」「東院庭園」などが、復原されており、梅雨どきの平日にもかかわらず、海外からのツアー客や学生の修学旅行生などで、蒸し暑い、広い会場は、賑わっていました。
「平城京」の入口「羅城門」から約4km、幅75mの朱雀大路を北へ来た先に、天皇の住い平城宮の正門「朱雀門(すざくもん)」はあったそうです。 門の左右には高さ約6mの築地をめぐらせ、約130haの広さの宮城を囲っていたそうです。
ここ「朱雀門」は、外国使節の送迎の儀式や、正月の天皇の新年のお祝いなどのとき以外は、扉は開けられなかったそうです。 高さ約2mの基壇の上に、間口約25m、奥行き約10m、高さ約20mの朱雀門が復原されて、威容を誇っていました。
復原された「朱雀門」の西側に、中国や朝鮮半島との交流により発展した、日本の国づくりなどを、わかり易く映像展示などで解説した「平城京歴史館」があり、立ち寄りました。 内部は撮影禁止でしたが、天平の姿をした美人ロボット説明員は、必見ですよ。
また入口には、全長約30m、マスト高約15mもある当時の中国・唐と交流した「遣唐使船」が復原展示されておりました。 630年から894年まで、15回の渡航が行われ、当時世界で最も進んでいた唐の政治制度や仏教、技術、学問を学ぶ人たちや鑑真和上を運んだ船の実物大です。
会場の南の端に復原されている「朱雀門」から、北の端の「大極殿」まで、約800mもあるそうです。 それにしても「平安宮跡」は、広すぎる。 そして暑すぎる。 ( 7月6日 撮影 )
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甲子園五つ分の広さを持つ奈良・法隆寺は、1400年の歴史の中で、多くの国宝や重要文化財の建築物や宝物を守ってきた周囲を取り囲む「土塀」の素晴らしさを、忘れてはいけないと思いました。 土塀がなければ、法隆寺は1000年以上もの間、守り続けられたでしょうか。 土で突き固められた「土塀」は、城の石垣にも劣らない、美しさを感じました。 法隆寺の参道 松並木。 土で造った塀で、雨風に大丈夫なの? 地震で、崩れないの? 1000年以上経っても、健在なのはなぜ? 土塀の強さは、中国の「万里の長城」なみの、凄い事ですね。
( 9月3日 撮影 ) |





