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山陰・出雲には、毎年10月(神無月:ここでは「神在月(かみありづき)」と呼ぶ)、全国から八百万(やおよろず)の神々が出雲大社に集まってくるそうです。 大黒さまや、因幡の白兎、国譲りの神話など、古代日本の歴史と文化の中で重要な位置を占めていたのでしょう。
約2万7千㎡の広い境内を散策しました。
参道入口から並ぶ松並木は「日本の名松百選」に指定されています。
山陰自動車道出雲ICから米子自動車道へ。 途中見た標高1711mの名峰「大山」です。
大阪から、中国自動車道を東へ。 「帝釈峡」から「奥出雲」を通り、山陰・玉造温泉で1泊したあと、世界遺産「石見銀山遺跡」と「出雲大社」と、山陰を訪ねた旅も終了です。
長い間お付き合い、有難うございました。 ( 4月27日、28日 撮影 )
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山陽・山陰地方の旅
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石見銀山遺跡を散策したあと、国道9号線を東へ。 道の駅「キララ多岐」から、日本海の白波が美しい海岸線を走る、観光道路「くにびき海岸道路」を通って、出雲大社へ行きました。
大国主命を祀る「出雲大社」は、日本を代表する「縁結びの神様」としても知られています。 2礼4拍手1礼の拝礼作法の出雲大社の本殿(国宝)は、現在、平成25年5月完成をめざして、大修造が行われており、外観は工事のため覆われていて見ることは出来ませんでした。
社殿の創建年代は不明ですが、「古事記」や「日本書紀」などから、8世紀にはすでに、壮大な本殿を有していたと推測されるそうです。 所伝によると古代には、高さ約96m(中世は約48m)もの規模を誇っていたという記録も残っているそうです。
本殿西の「神楽殿」にある長さ13m、周囲9m、重さ5㌧の日本一大きいしめ縄です。
境内の発掘現場から、3本の柱材を束ね、1本の巨大な柱にした、直径約3mの柱が出土して、かつて高層建築の本殿があった事が裏づけられたそうです。
巨大な高さの本殿は何度も転倒し、その度に再建しているうちに、高さは現在24mに縮小されていったようです。 8世紀から10世紀にかけて、中国の使節が34回にわたって派遣され、このうち28回は、日本海に上陸しており、その頃の山陰は「表日本」だったのですね。
( 4月28日 撮影 )
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世界遺産に登録されたのは「石見銀山遺跡とその文化的景観」だそうです。 世界の銀産出量の約3分の1が日本銀で占められた、17世紀はじめのころの、銀山で栄えた古い町並みが、いまも残っているそうです。 ここは「伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
銀山の最盛期には、人口約20万人、寺院100カ寺とも伝えられているそうです。 今では、観光客相手の町の人を見かける程度で、ひっそりと静まり返っていました。
川沿いに街道があり、「龍源寺間部」から、「代官所跡」までの約3㎞が、銀山見て歩きの散策コースです。 赤瓦と白壁の家が軒を連ね、町家や商家、武家住宅、旧旅籠など、江戸時代の建物の面影を、今も感じさせてくれていました。
日本国中で現在ある世界遺産は14ヶ所ですが、おかげさまで一応、ここで14ヶ所踏破する事が出来ました。 ここだけが残っていたのですが、これでスッキリ出来ました。
( 4月28日 撮影 )
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石見銀山遺跡の銀山公園近くに「羅漢寺」はあります。 小川を挟んだ寺向いの岩山に、三つの石窟が掘られ、小川には、石窟に入る15枚の石を組み合わせて出来た、三基の反り橋が架けられていました。 異国を思わせるような石窟と石橋の景色でした。
羅漢寺の崖に掘られた石窟の、中央には釈迦三尊。 左の石窟に251体、右の石窟に250体、全部で501体の羅漢像が安置されているそうです。 銀山で働く人たちの安全を祈って、また亡くなった人の供養のため、約20年の歳月をかけて、1766年に完成したそうです。
高さ約40cm前後の、さまざまな表情と姿勢の羅漢像ですが、当時の人々は、ここにお参りすれば亡くなった人に会えるといって、近郷近在から善男善女が集まったそうです。
なお五百羅漢とは、お釈迦様に従っていた五百人の弟子のことで、世間一般の感情や欲望は超越していますが、仏、菩薩の境地にはまだ到達せず、我々人間と、仏との間の存在だそうです。 楽しそうに見える羅漢像は、身近に感じて親しめました。 ( 4月28日 撮影 )
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世界遺産「石見銀山遺跡」を訪ねて、散策の途中に出逢った新緑と、今が盛りの花たちです。 もう今年は終わったと思っていた八重桜も、ここ山陰の地でまた見る事が出来ました。
「石見銀山遺跡」の散策は、銀山地区から次に町並み地区ぶらぶらです。
( 4月28日 散策 )
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