京丹後七姫伝説

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やっと5か所目の紹介になります。
久美浜町に伝わる 川上摩須郎女 (かわかみのますのいらつめ) です。

【京丹後七姫伝説 川上摩須郎女】
往古、丹波の国王として君臨していた丹波道主命の妻。
同じ丹波国の豪族の娘として生まれ道主命の妻になり、一男三女をもうけ、その息女ヒバスヒメは垂仁天皇の后となり、景行天皇をはじめヤマト姫など四男一女をもうけました。
この一大勢力の遺跡が久美浜町須田伯耆谷(ほうきだに)に無数に存在しています。
<京丹後市HPより>

だ、そうです。古墳時代までさかのぼりました。七姫で一番の年上かな??
祀って?あるのがかぶと山の山頂のため、登山道を歩きます。。。イメージ 1
あとで知りましたが、小さい車なら別の道で頂上まで上がれますよ。。。

約30分ひーこらと登った先に熊野神社があります。こちらにお祀り?されてます。
でも、熊野神社といえば和歌山の三山系の神様では??ごんげんさん、補足をお願いします。
(最近調べるってことをしない私・・・)
イメージ 2

すぐ横には展望台があります。
こちらからの海岸線の景色はすべて山陰海岸国立公園のなかになります。
イメージ 3

展望台が新しくなってました。
イメージ 4

天気がイマイチであまり良い写真ではありませんが、久美浜湾の景色です。
イメージ 5

東を見ると網野町方面まで良く見えます。
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久美浜湾では牡蠣の養殖がさかんなんです。おそらく牡蠣の筏だと思います。
イメージ 7

場所はここになります。

この日は5月4日、下のキャンプ場付近にはクルーザーがゴロゴロ停泊してましたよ。
うちの娘がキャンプ場横の公園で仲良くなった女の子は『別荘にきてる』って言ってました。。。
うらやまし〜〜〜!!

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久しぶりに丹後七姫伝説です。4つ目は
『間人皇后(はしうどこうごう)』 です。
 
京都府京丹後市丹後町間人(たいざ)に伝わる伝説になります(^^)
間人(たいざ)はカニで有名になりましたね。
 
 
間人皇后・聖徳太子母子像(間人皇后) (はしうどこうごう・しょうとくたいしぼしぞう (はしうどこうごう))
【京丹後七姫伝説 間人皇后】
聖徳太子の母・間人(はしうど)皇后は大和政権の争乱を避け、今の丹後町間人(たいざ)に聖徳太子とともに身を寄せたと伝えられています。
手厚いもてなしへのお礼にと、この地を去る際、皇后は自らの名「間人」(はしうど)をこの地に贈りました。
村人たちは恐れ多いことから、皇后の退座にちなみ読み方を「たいざ」にしたとされています。
(京丹後市HPより)
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
ここには少し変わった橋があります(^^)
イメージ 3
 
ここから京都百景に選ばれている『立岩』を見る事ができます。
イメージ 4
この岩、周囲が1km、高さが20mほどあり、見応え十分です(^^♪
立て看板載せときます!(見えるかな!?)
イメージ 5
 
場所はここになります。
まだ初夏の頃の写真です。気持ち良さそうですね(自分で言うなって・・・)
これからはこの日本海は大荒れになります(^_^;)
またそんな写真撮れればアップしますね。
最近、前に進みはじめたこぎりこ。ちょっと目を離すと、えらいところでえらいことをしてます(笑)
静かに遊んでいる時は要注意ですね。

さて、今回は丹後七姫伝説 『静御前』 です。
【京丹後七姫伝説 静御前】
網野町磯で禅師の娘として生まれたとされる静御前。父の死後、母とともに京都へ上り白拍子となりました。
その後、舞う姿を源義経に見そめられ、愛妾となりました。しかし義経は兄・頼朝に追われ、子どもも殺されてしまいます。
悲しみにくれ故郷の磯に戻った静御前は、二十余歳の若さでこの世を去りました。
義経への愛を貫いた静の気丈さ。それをはぐくんだ故郷・磯には、静御前をまつる静神社が悲恋の面影を残すかのようにひっそりとたたずんでいます。
また、周辺には静の庵跡に建つ静御前生誕の地の碑、義経が船を着けたといわれている入艘の浜と沖の飛び岩があります。
京丹後市HPより

まずは、静神社へ。
イメージ 1

イメージ 2

これが建替えられた神社です。
イメージ 3

この神社のすぐ側には展望台も作ってあり、こんな看板が。
イメージ 4

実はこの港、近くに親戚があり、子供の頃によく釣りにきたり岩場で遊んだりしてたんですが、こんな伝説の場所だったとは知りませんでした。。。
イメージ 5

そして、住宅地の中にある石碑。海の見えるキレイな場所にありました。
イメージ 6

場所はここです。


こぎりこがもう少し大きくならないと、なかなか遠くへ遊びにいけませんね〜。
おかげで、少しも興味がなかった地元を知る良い機会になってます。
丹後七姫伝説 第2弾は『羽衣伝説』です。
【京丹後七姫伝説 羽衣伝説】
昔、比治(ひじ)の山の真奈井で天女が水浴びをしていると、老夫婦に羽衣を隠され天に帰られなくなりました。
酒をつくり老夫婦と暮らしましたが、その後、家を追い出され、ほかの村に移り住みました。その胸中を伝える歌が「丹後国風土記」の逸文に残されています。
このほか、地元に伝承され、語り継がれてきたもう一つの羽衣伝説があります。
それは、天女と夫婦になった猟師の家系を継ぐという家があるというもので、天女の娘の1人がまつられているとされる乙女神社では、お参りをすると美女が授かると言われています。
また、天女が水浴びをしていたとされる女池は、磯砂山の中腹に位置し、混ぜると雨をもたらすと言われています。
京丹後市HPより

今は天女の里としてキレイに整備されました。
イメージ 1

ロッジ(有料)なんかもあります。
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1000円で竿を借りると釣りもできます。ニジマスが釣れるみたいですよ。釣果は腕しだいみたいですが(笑)
イメージ 3

向かいに天女が祭られているという乙女神社があります。
イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

場所はここです。

詳しい地図で見る

残念ながら、ここにはお参りをしていなかったので、こぎりこは美女ではないようです(笑)

こぎりこの風邪はずいぶん良くなりましたが、さぎりこはグロッキー状態です。。。

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京都の北の端にあるわが京丹後市には、『京丹後七姫伝説』なるものがあります。
七姫という通り七人の有名な女性の伝説です。

最初に紹介しますのは、京丹後市大宮町にある小野小町の墓です。
よく名の知れた平安前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の1人です。
イメージ 1
【京丹後七姫伝説 小野小町】
平安時代を代表する六歌仙の1人で絶世の美女だったといわれている小野小町。
妙性寺のいわれを記した緑起には、晩年に都を離れ、天橋立をめざした小町が途中、大宮町五十河(いかが)の住人、上田甚兵衛と出合い五十河を訪れ、この地で亡くなったと記されています。
五十河には、小町の墓と伝えられる小町塚や、小町が開基したといわれる明性寺があり、一帯は小町公園として整備されています。
   (京丹後市役所HPより)
イメージ 2

実は調べてみると、小野小町にまつわる伝説は各地にあり、お墓も全国に30を超えるほどあるとか…
そのうちの一つです。
周辺は立派に整備され、公園となってます。
イメージ 3

建物内にはブロンズ像も置いてありました。
イメージ 4

以前は写真1枚目の石碑があるだけだったんですが、しばらく留守にしている間に立派になってましたよ(笑)
この公園横に手打ちのお蕎麦さんがあるのですが、まだ入ったことがありません。
ヤフーグルメにも載ってましたし、地元の評判もまずまずなので、一度行ってみようとは思ってます♪

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