日々つれずれの日記

80歳を過ぎれば、これから先はおまけーおまけも あと 少なくなった

無題

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              褥瘡 床ずれの事です。柔らかい毛布を下に敷いて緩和しようとやっています。

              3日目ですが少し良い様です。続けて見ます。本人でなければ床ずれの痛さは

              解らないと思います。介護する者が察する他ないのです。ところでオランダの

              或るNPOがやっている介護システムがユニークなほうほうです。

              今まで政府(オランダの政府)がやっていた介護事業の費用よりも半額近いと

              聞いていますが、チョット話題になっているそうです。詳しくは解りませんが

              家庭医と専門訪問介護員、と家族の協力この三つを連携してデーターを集めて

              NPOが管理、運営しているのです。家庭医は介護を受けている人もその家族

              の健康状態を把握しています。専門訪問介護員は介護に対する専門知識を持った

              人です。そして家族の協力は勿論介護を受けている人の世話です。

              自宅介護で一人暮らしの場合、このシステムは難しいと言えます。私設に入所

              する事になるでしょう。多様化と言う言葉を聞きます。今後まずまずこの問題

              は各自が事情が異なる中でよく考えなければならなくなるでしょう。

              今日も老妻は床ずれが痛む様子、介護員のマーラさんとカーマ(ベッド)にシーツ


              を敷いている上に柔らかい毛布を敷いて床ずれを緩和してみようと試している。


              老妻との会話はもう長い事出来なくなっているじっと見つめているだけです。


              ブラジルに住んで60年この国の生活習慣やブラジル人の人情などすっかりなじんで


              いる積りでも歳をとって来ると幼い頃の日本が何故か懐かしい思いが蘇る。


              生まれたころ日支戦争、その後は太平洋戦争と戦争の中過ごしてきた記憶ばかりで


              楽しかった思い出は無かったような気がする。小学校で朝鮮人の女の子がいじめられ


              何時も泣いていた事を覚えている。ブラジルに移民して三人の子供に恵まれ子供達が


              学校でいじめられて帰って来た事は一度も無かった。今日本で在日とか朝鮮半島の人

       
              達との様々な問題が起きている。戦後でも朝鮮動乱があり南北同じ民族が分断されて


              苦難の生活を余儀なくされた。過去の歴支を辿ってみても苦難の道を歩んで来た人達


              ブラジルに移民した日本人も苦難の歴史があります。朝鮮半島の人達がたどった道と


              比較はできませんが、今の日本人にあの人達の思いをよく理解し接して来たのだろう


              か?在日の人達全てが悪い人達ばかりでない事を知って全ての日本人が接すれば何時か


              お互いが仲良く生きて行けるのではないか、長い時間が必要です。ブラジルの日系人の


              ブラジルへの同化は急速に進んでいます。またブラジル人の日系人への理解が急速に進

              んでいます。今こうして我が人生も終わりに近ついて思うに移民して良かったと思う。

Escara 褥瘡 床ずれ

             ウイキぺヂアで調べてみたのだが老妻が寝たきりとなって一年余りこの頃背中や


             臀部の辺りが痛いらしく苦痛を訴える事が頻繁になった。これは床ずれではない


             かと思い調べてみた。20日にニューヨークから娘がやって来る。来たら話して見


             るつもりだ。一度医者に診せて確かめておいた方がよいと思っている。


             夜、昼交代で介護員に老妻の面倒を看てもらっている一応介護員によく説明をし


             ておく必要がある。現在の処は別段変った処はないが少しずつ弱って来ている。


             この間新しく椅子式の便器を買ったのだ少し高く昨日日曜日息子が低くしてくれ


             たので早速あたらしい椅子式便器を使っている。ただ便座のプラスチックが硬い


             ので老妻は長くは座って居られないだろう。

              その時ブラジルでは(特に日系コロニア)ブラジル新聞は一面に大きく日本が連合軍


              に対して無条件降伏した事を報じていた。が 日系人の間では未だ半信半疑であった。


              ブラジルが第二次大戦に参戦してから日本はブラジルにとって敵国であった。故に


              大使館、領事館は閉鎖、日系人は人質同然であった。日本からの情報は皆無であった。


              当然日系人の間で混乱が生じた。勝組 負け組がそれである。勝組の過激派は負け組


              リーダーと目される人を襲った。バンデイランテスの野村農場 の野村忠三郎氏が襲わ


              れ凶弾に倒れた。こんな悲劇も確かな情報があれば起こらなかったかも知れない。


              ブラジルが参戦した当時の日系コロニアでも奥地で色々な事があった。或る者は土地を


              売って一家で日本に引き上げる人もいた。ある人は息子を日本にやって祖国に帰した


              ある人はブラジルが参戦したと同時に欧州の戦線(イタリア)へブラジル人として息子


              をやった人もいる。こうした人たちの多くが72年を迎えた今日もうこの世に居ない。

              早いもので72年目を迎える。今の新人類にはじいちゃん祖母ちゃんから聞いた話、


              原爆が広島、長崎に投下されてそれで日本は無条件降伏したんや。


              疎開していた岡山の叔母の家から京都に帰ったのはたしか一週間ほどしてからで


              片上まで何とか行きそこから軽便鉄道で和気まで行き、そこから京都へ帰った。


              途中少し大きな町は焼け野原、大阪まで来たときは果たして京都まで辿り付ける


              のか心細い思いで一杯だった。京都は無事だった。家には誰もいなかった。


              夕方暗くなり始めたころ、おふくろが帰って来た。食べるものが無いので探す事


              皆必死の思いであった。


              父は勤労奉仕で福知山の山で松の根っこ掘り、兄は戦争で生死解らず、まだ帰って


              居なかった。こんな話をしても今時 ほんまかいな そうかいな 遠い昔話である。


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