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 第146話 大量虐殺を招いたナチスドイツの有機農業(続)

  実は1930年代には局地的に「BD(バイオダイナミック)農法」に対する禁止措置が現れていました(ヴェルテンブルク州、チューリンゲン州)。背後にいたのは化学肥料メーカーです。

 BD農法全国連盟はナチ党幹部のBD農法支持者に働きかけて、1934年には、総統代理ルードルフ・ヘスの「農学とBD農法の論争中止」「双方の自由なプロパガンダ」の決定を受け、BD農法の普及活動のを認められました。

 BD農法全国連盟は 1936年には自然食品、採食主義を指導し、農村への集団移住を提案する「ドイツ生活改善協会」との連携を深めてゆきました。

 BD農法は農村部に熱心な支持者を得ました。BD農法を実践する農家は、化学肥料の大量投与で疲弊した農地を、堆肥・微生物で再生し、農地を生かす農業に、自信と誇りをいだくようになりました。

 それはナチが唱える「農民はドイツの血の源泉である」(1930年農業綱領)との主張を裏付けるものでした。ナチの食糧・農業大臣ダレーは「土壌を健康に保て!」を農業政策の合言葉としました。

 ここにナチのBD農法積極支援の価値が確認されたのです。また政治的には、ソ連の農業集団化(コルフォーズ)やアメリカの大規模機械化農業への対抗軸になりうるものだったのです。

 BD農法全国連盟からも、ナチにすり寄る動きが生じました。有機農法創始者シュタイナーの弟子エアハルト・バルチュは食糧自給(アウタルキー)をヒトラー・ナチスの総力戦体制(1939年第二次世界大戦開始)への協力の証しとしたのです。

 「総統は、ドイツの民族の栄誉と生命の法の防衛をお引き受けになった。・・・・剣をとった以上、総統は、勇気をもった戦士として、攻撃へとお進みになる。BD農業を営む農民と営農家は、15年間、いつでも栄誉と自由のために、出動準備が整っていることを証明してきた」(いよいよ防衛のときだ!エアハルト・バルチュ1939年)

 ナチスの食糧・農業大臣ダレーは、BD農法の支持者ではありましたが、戦争準備体制としての食糧増産体制の構築に、「生産戦」(1934年)と称して、化学肥料、農業機械投入を積極的に進めており、本来矛盾するBD農法の普及と並行させていました。

 なおヒトラー自身も、「化学肥料のためにすでに疲労現象を起こしている土地に無理強いをして、これ以上さらに生産を増大させることは、もはやほとんど不可能である」(1937年)と述べ、隣国への侵略(領土拡張)を正当化する理由のひとつにしていました。

 1939年ポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まると、ドイツの農業政策も「農業生産の公的管理」と「消費の統制」が始まります。

 しかし、他方ではナチ農政に対する農民の反発もあったのです。

「世襲農場法」は分割相続の伝統をもつ地域(ドイツ西部)では不評でした。また土地の売買や融資の抵当に入れられないため、勤勉な営農家の意欲を阻害するということも生じていました。

 「生産戦」に対しても、農民は統制外の作物の栽培や闇ルートの販売で利益をあげるなどが横行していたようです。

 また都市の軍需産業への労働者の流出は、農業労働力の枯渇をもたらし、その穴埋めに、化学肥料の使用や農業機械化が推進されてゆきました。

 農民の軍隊への動員及び馬の徴用はこれに追い打ちをかけました。残った若い嫁や老人が、馬の代わりに身重な体や老体で犂を引く農作業に駆り出されたのです。

 もはやBD農法は維持できなくなったのです。また1941年BD農法全国連盟の活動は禁止されました。

 BD農法はダレーの失脚(1942年病気引退)とともに、ナチの農業政策から消えていったのです。

 ところが、BD農法が「人間と自然・大地」との共感の精神を失って、堆肥使用、手作業労働のみが着目されて、存続することになりました。それが強制収容所の農場(菜園)です。

 ベルリン大学教授コンラート・マイヤーは「東部総合計画」を、ナチスの親衛隊隊長(エス・エス)ハインリヒ・ヒムラーに提出しました。(1942年)

 その内容は次のとおりです。

 <終戦後(ドイツ勝利後)25年間で、3100万人のポーランド人、バルト海沿岸住民、ソ連西部の住民をシベリアへ強制移住させ、選別して(1700万人)殺害する。残り1400万人バルト海沿岸住民、ウクライナ人はドイツの「民族主義前線」を東方へ1000キロメートル伸長させるための援助をする。彼らはドイツ移民の労働奴隷として働くのである。さらにはオランダ、イングランドから東方占領地へと進出し、「ゲルマン化」を達成させる。村村で環状に囲まれた2万人規模の植民重点地域を36地域設置し、新しい境界領域を開発し管轄するネットワークを作る。>

 3100万人の他民族をシベリアに強制移住させ、 1700万人を虐殺する。生き残った1400万人は奴隷にするというすさまじい内容です。

 このコンラット・マイヤーが実は<「土壌ー植物ー動物ー人間」の生物学的共生>を彼の自然の根底的認識としていたのです。有機農法の創始者シュタイン、ハワードの「土壌、植物、動物、人間の「生物圏平等主義」と同一の自然観です。ただしマイヤーはBD農法には敵意をもっていて、BD農法ではなく「生命法則農法」と命名していました。

 ただし「生命法則農法」は。3100万人の他民族から奪った空間において、ドイツ植民者が営むべき農法なのです。農法自体はBD農法となんら変わりはありません。

 「東部総合計画」は幸いドイツの敗北によって、ただの虚構に終わりました。

 しかし、BD農法は、肝心の「自然と人間の共生」という魂を抜かれて、化学肥料を用いない植物廃棄物を腐熟させてつくる堆肥を施用し、農業機械を使わず、手作業の労働で耕作栽培する農法として、戦時中を生きながらえました。

 それが強制収容所であり、その農場(菜園)です。

 ダッハウ強制収容所に隣接する30haの農場(プランタージュ)ではハーブなどが栽培され、「有限会社ドイツ栄養食糧研究所」(1940年設立)が、香辛料を管理販売していたようです。詳細は不明です。

 生き残った囚人の手記では、「プランタージュ」ではいかなる天候でも、軽食休憩もなく、1日1千人もの囚人がただ働かされ、膝を摺りむきながら雑草をとり、悪臭を放つ排水溝をはいずりまわったとあります。数百人の「囚人」が命を落としたと言われています。

 ブーヘンヴァルト強制収容所で収容されていた社会学者オイゲン・コーゲンの手記です。

 「1943年5月1日 メーデーの代わりに、「糞尿運び」が行われた。荷物の重みに耐えらなくて倒れた者は、その糞尿がかかった親衛隊隊員が連れている犬に噛み殺された。誰も助けられない。その近くでは、親衛隊隊員が石運びのポーランド人にかなりの大きさの石を運ぶことを命じたが、彼が石を持ち上げることさえできなかったので、その囚人を木に立たせサボタージュと称して射殺した。同じ日の夜3人の囚人が菜園で殴られ、犬に噛まれ死亡し、また他の6人が殴り殺された」

 ラーベンスブリュク収容所からの生環者の言では、畑で働く女性囚人は早朝4時に起床し、22時になってようやく収容所に帰ってきたとあります。

 アウシュビッツ収容所では、人骨の肥料化がなされていたことが死体処理班のウクライナ人の手記に記述されています。
 
 ドイツ及びその占領地に建設された強制収容所にBD農法(マイヤー「生命法則農法」)の実験農場も併設されていった意味について、収容所長がヒムラーあての手紙で書いています。

 「アウシユビッツは、東方占領地の農業実験ステーションになるでしょう。そこには、これまでドイツになかった可能性が秘められているのです。労働力は無限に存在します。必要とあればどんな農業研究でも、そこで行うことができます。巨大な実験施設と植物育成施設を建設しなければなりません」「

 なおBD農法全国連盟の創設者のひとりフランツ・リーベルトは、ダッハウ収容所の薬草園に招聘され、囚人をできる限り大切に扱い囚人達から非常に良い印象をもたれたという話が残っています。

 長くなりましたが、藤原辰史氏の「ナチス・ドイツの有機農業」の要約、引用はこれで終わりましょう。

 私は、ドイツで生まれた有機農法(BD農法)とりわけ「土壌ー植物ー動物ー人間」の「生物圏平等主義」は、私の自然認識と非常に近いものを感じます。そのこと自体は何も間違っていなかったのではないかと思います。

 ではドイツでなぜナチス・ヒトラーのユダヤ人大量虐殺につながっていったのか?

 BD農法に限って言えば、「土壌ー植物ー動物ー人間」というとき、ナチは<人間>の中に、ドイツ民族を含めていなかったのではないか、この<人間>とは他民族を指していたのではないかと思います。

 ドイツ民族の優越性を誇るナチス・ヒトラーには、他民族と同等なドイツ民族はあってはならなかったのではないでしょうか?

 ドイツ人も他国民も同等に考えるBD農法の「土壌ー植物ー動物ー人間」の生物圏平等主義に対して、ヒムラーやマイヤーがBD農法を嫌悪し、「生命法則農法」と称したのも、そのせいではないでしょうか?

 戦後ドイツで有機農業がどのように扱われていったのかは、私はまだ知りません。
ヨーロッパ諸国EU諸国で有機農業の現状はどうなっているのかも、知りません。

 しかし、どうもモンスーン地帯の日本の水田農業とは、土台が違うような気がします。

日本で「環境支払い」が農政の在り方として議論を呼んでいます。ヨーロッパの環境支払いがモデルですが、私はアジアモンスーン地帯の水田稲作農業と環境の在り方をもっと多面的に考えてみたいと思います。



 
 

 
 

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