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先月は一度も更新せずでした。
更新しようとしていた矢先、父が亡くなりました。
亡くなったのは先月の29日。
21日から肺炎を患っていると主治医から報告があったんだけど、
24日の夜に急変の連絡があり病院へ親戚と共に駆けつける。
なんとか一命は取り留めたものの、予断を許さない状況。
翌朝、主治医からの報告ではレントゲンを見ると
21日の時は片方、左側の肺が真っ白だったのが右側も真っ白になってしまってるとのこと。
強い抗生剤を使ってるそうだけど、改善しないようなら別の病院の呼吸器科にと勧められました。
しかし移動中に亡くなるリスクもあるとのことで父の年齢や改善したとしても
どのくらい元気になるのだろうか…いろいろなことを考えた末
最期までこの病院でお願いしますと言いました。
それからは夜は病院へ泊まらせてもらいました。
先週は比較的休みが多くそばにいることも多くしました。
もしかしたら最期になるかも・・・と病気療養中の身の叔母を会わせてあげたり。
私や叔母が声をかけると朦朧とした中でもうなずいたり、目を開けてくれました。
ただ、会話にはならなかったけど・・・。
抗生剤や利尿剤が効きだしたのか、会話にならなくても声が出たり手を動かすようになってきました。
痰が絡むので定期的、それ以外でも吸引してもらうと嫌でたまらないのか
手を動かして抵抗するようになりました。その手の強さたるや!
「ごめん、ごめん」と手を握っててもギュッと爪を立てて抵抗したりすごい力だったなー。
先週の今頃は夜勤明けだったので別室で休ませてもらいました。
翌朝、7時に起きて様子を見たら寝てる様でした。一度吸引をしてもらった時に
「なんすっとね!!!」とハッキリ言ったのが最後の言葉でした。
それからちょっと家に帰ったその間に急変・・・。とんぼ返りで病院に戻ると
主治医が心臓マッサージをしてました。
どうも帰った後に痰を詰まらせたようで…手を握って頑張ってと言ってもさっき抵抗したような力はなく・・・
懸命に処置をしてもらいましたが8時23分亡くなってしまいました。
帰らずにもっといてやったら・・・と後悔。覚悟はしてたものの、心のどこかで元気になれるんじゃ・・・と
思っていたので・・・でも叶いませんでした。
その時の為にと前もって用意していた服を着させてもらい自宅へ。
更新しなかったけど、3月の彼岸の時に自宅に外出した時以来となりました。
親戚も交え葬儀屋さんとバタバタと打ち合わせ。
その中でも『湯かん』という儀式をお願いしました。
元々父はお風呂、温泉が好きな人だったので肺炎になってからは全くお風呂には入れなかったから
最期は入ってもらいたいなとお願いしました。
お通夜・葬儀を終え火葬場へ。
火葬される際…スイッチを押す役目だったけど押すのをためらってしまった。
もう骨になってしまうかと思うと・・・何もかもが無くなってしまう感じがしたから。
それでもしなければいけないのが辛かった。
彼岸の時はステーキを食べたいと言って高い和牛のお肉を買って食べたり、
その前の週は誕生日だったのでこの時は手作りのハンバーグを持って行って
美味しそうに食べてたんだけどな・・・。それを思うとまた泣けてきてしょうがなかった。
病院には不満もありながらもお世話になった気持ちがいっぱいではあるけど
早く特養やグループホームに入ってほしかった。
そこでこうはならなかったとは言わないけど、父らしい生活が出来なかったこと
させてもらえなかったことに悔いが残る。
週明けからいろいろな手続きに追われるようになりました。
夕方家に帰るときはぐったりして寝てしまうこともしばしばな状態だけど
明日からは仕事復帰します。
ここ数日から寝る前にはアルフィーの「過ぎ去りし日々」を聞いてます。
♪過ぎ去りし日の熱い想いは帰らないにしても
明日という未来がいつもあなたの前にあるから この歌詞を思いながら前に向かっていこうかと思います。
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