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以前述べたように、私は昔から官僚の自殺に関しては気になるのである。
松岡元農相の自殺当初はあまり関心を引かなかったけれど、
最近みた死の直前の画像には、国会答弁の時とは全く違う苦悩、憔悴が直に
伝わってくるものがあり、心に引っかかるものがあった。 また、中川大臣に関しては、あの朦朧会見がメキシコにも伝わっていたので、
その死も報道された。
お付きの人は、何であんな状態で会見させたのだろう。
どれだけ飲んで朦朧となったのか調べた記憶がある。
分かった範囲のお酒の量では、私だって大丈夫という程度だった。
今ではお二人の自殺には疑問を覚える。 本当にそうだったのかと・・・
なにげなく、下記サイトを流し読みしていたら、倉場富三郎の文字が目に留まった。
ト−マス・グラバ-の息子
1945年8月26日に首吊り自殺
父親のト−マス・グラバ-が日本に来た時は21歳。
25歳でグラバ−邸を完成し、日本の女性と結婚し一男一女を儲けている。
その一人息子が倉場富三郎で、やはり日本女性と結婚していたのだ。
両氏は深く日本を愛し, 日本の産業発展に多大な貢献をし
夫婦仲良く暮らし没後は長崎に埋葬されている。とある。
しかし、問題なのは、息子の倉場富三郎の死であり、
その時期と方法。
Wikipedia によると、
第二次世界大戦開始後、イギリス人と日本人の混血児だった富三郎はスパイ嫌疑をかけられ国の監視の中で厳しい生活を送ることを強いられた。武蔵建造の機密保持を理由にグラバー邸を退去させられたり、ワカに先立たれるなど不幸な晩年を送り、更に原爆投下により故郷が壊滅した事が追い打ちとなり、終戦直後の1945年8月26日に長崎の自宅で自殺した。
全般はなんだか今でも有りそうな冤罪っぽい展開だし、自殺方法が首吊りなんて・・・・
どうも最近の可也グレ-な自殺を思い起こさせる。
日英の混血とは言え、武器の売買をしていた息子の死に方にしては違和感が大きい。
下のサイトでは、長崎に原爆が投下された理由に、爆心地にあった刑務所にいた
倉場富三郎の暗殺が目的であったとされている。
(私も、なんで長崎なのか〜〜と思った記憶が蘇る。)
十分有り得る話だが、真相は闇の中・・・
倉場氏の財産は、何処へ流れたのだろうか。
ある種の人達にとって戦争とは正に、富を生むものなのだろう。
そして、何時の世も、邪魔者は殺せが合図か・・・・
プッチ−ニ 1858〜1924年
設定 明治時代の長崎にある港を見下ろす丘の上に立つ家
アメリカ軍人と日本滞在用に結婚した没落武士の娘の悲恋物語。
グラバ-邸がモデルになったといわれている。
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日本とアジア、豪州
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一月ほど前に彼の生涯がテレビで放映されてました
グラバー邸しか有名で無いので親子が日本の産業振興に寄与した功績は大きなものです
ゆっくり本やネットで調べると興味が尽きません
2010/12/4(土) 午前 10:18 [ tsh**md ]
tshkymdさん、グラバ−親子は親日家だったようですね。
彼らの業績はこの記事まで全く知らなかったので
驚きでしたよ。 闇がありそうです。
2010/12/24(金) 午前 9:28