メキシコ原色模様

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メキシコの黒柿から、こんどは日本の赤い柿のある写真を・・・
 
 
長野県茂田井宿の武重本家酒造
 
最初、この建物がどこに存在するのか不明だった。
 
しかし、凄いカメラを下げた3人のおじ様方に囲まれて写った写真を拡大すると
○○○○○ ○○○○○ 国民宿○ もちつ"き荘とあった。
検索すると、長野県の春日温泉 国民宿舎 もちつ"き荘と判明。
多分、高田の馬場駅近くの閑静な日本家屋にあった写真同好会に
極一時期、入会していたので、そのメンバ−達だと思う。
総勢何名で行ったのだろうか・・
 
でも、それだけでは、まだ所在が分からない。
 
イメージ 1
 
ところが、偶然に門を出てきた男性の写真があり、杉玉が写りこんでいたのだ。
 
Wikipedia によれば・・・・
 
杉玉(すぎたま)とは、スギの葉(穂先)を集めてボール状にした造形物。酒林(さかばやし)とも呼ばれる。
日本酒造り酒屋などの軒先に緑の杉玉を吊すことで、新酒が出来たことを知らせる役割を果たす。
搾りを始めました」という意味である。
吊るされたばかりの杉玉はまだ蒼々としているが、やがて枯れて茶色がかってくる。
この色の変化がまた人々に、新酒の熟成の具合を物語る。
今日では、酒屋の看板のように受け取られがちであるが、
元々は酒の神様に感謝を捧げるものであったとされる
 
イメージ 2イメージ 3
                
 後は、長野県佐久市近辺の酒蔵で画像検索をして、
旧中仙道にある
長野県北佐久郡望月町茂田井2179
創業明治一年の武重本家酒造に辿りついた。
  
イメージ 4
 
 農具らしきものは、何処で撮ったか不明
イメージ 5
イメージ 6
 
下記サイトをみると、写真左の
白い建物は 
大澤酒造土蔵群
 
電信柱は同じ場所にあり、建物もほぼ同じで、
全く変わってしまったのは、手前にある家。
 
畑はすっかり冬を迎える準備のよう。
遠くには雪を頂いたアスプス山脈らしきものが・・・
 
実はこの写真を撮った覚えが全く無い。 ニコンの
一眼レフなんか下げて何を撮りに皆と出かけたのか・・・・誘われていったのは確かで
手元に残っている写真はこれで全て。
 
初めて食べた馬刺しの記憶は多分
この近辺だったのだろう!
大きな黒光りするような和風のお店だった。 
 
馬刺しって、牛肉より癖がなく美味しいものなのね・・・・ 
 それにしても、やけに日本酒が恋しくなってきた。 
 
イメージ 7
(写真は全てプリントをスキャン。)
 
 
 

ラストヴォロフ事件

ラストヴォロフ事件は日本の外務省などを舞台に繰り広げられた
【戦後最大のスパイ事件】として有名で、松本清張の【日本の黒い霧】に収められている。
 
 
(引用 )
 同書を「深層海流」と対照してみると、削除個所が「赤い広場」の丸移しだ
った。また、村井順に関する記述のほとんどが同書のパクリだった。
 が、その反対に、「深層海流」は「赤い広場」が暴きだしたソ連のスパイ活
動については、黙殺している。それは、松本清張が共産党シンパであることと
無関係ではあるまい。たとえば、日暮信則について……。
 日暮信則は、当時、外務省から内閣調査室情報部海外第一斑(対ソ情報)に出
向し、村井順の下で働いていた。外務省では欧米局第五課課長補佐。"私信"を
公開し、村井の足を引っ張った曽根明の側近だった。
 話は、'45年8月まで遡る。
 終戦直後、モスクワでは、佐藤尚武大使など大使館員やその家族60余名と、
朝日、毎日、共同の3特派員が、大使館内に軟禁されるという事件があった。
このとき、東京外大ロシア語学科出身者が集まって「新日本会」という会がで
きた。中心となったのは5人。「赤い広場」によると、それは、
<毎日渡辺三樹夫記者(東京外国昭八卒)、朝日清川勇吉記者(同昭十三卒)、日
暮信則外務書記生(同昭八卒)、庄司宏外務書記生(同昭十三卒)、大隈道春海軍
書記生(同昭十二卒)であった>という。
 当時、この事件を取材した前出・三田は、「彼らはスパイになった。いや、
新日本会の5人だけでなく、当時、モスクワ大使館にいた全員が、スパイなる
ことを強要され、誓約書は書かされたはずだ」と語っている。
 実際、この中から、2人の逮捕者が出ている。ひとりは日暮で、もうひとり
は庄司(逮捕時は外務省国際協力局勤務)。彼らは、アメリカに亡命したラスト
ロヴォロフが、ソ連領事館勤務時代に、機密情報を渡していた。
 内調とその周辺は、そこらじゅうスパイだらけだった。この事件で、警視
庁に自首した志位正二(元関東軍情報参謀少佐)もしかり。志位は、郵船ビルの
歴史課グループの一員であり、この当時は内閣調査室に嘱託として働いていた
。そして、また、志位にもシベリア抑留の体験があった。
 
 
 
【歌劇、蝶々夫人】で思い出すのが、多分7〜8年前にメキシコのテレビで見た映画、
フランス外交官が中国で愛した京劇の歌手との熱烈な愛。
相手が男であるのが、最後までわからなかったという不思議さで記憶に残った。
ほんまかいなぁ〜〜って感じで、女性にとっては有り得ん話じゃ?
 でも、実話が題材というから衝撃的であり、
外交官は常にこの手の誘惑があるのかと考えさせられる。
 
1960年代の北京。フランス人外交官ルネ・ガリマールは『蝶々夫人』を演じる京劇の歌手ソン・リリンに激しく心を揺さぶられる。やがて愛し合うようになった2人を、文化大革命の嵐が翻弄する。ソンは姿を消し、ルネは失脚して中国をあとにする。数年後、パリで失意のうちに酒浸りの日々を過ごすルネの前に夢にまで見たソンが姿を現わす。再び至福の日々。しかし、思いがけない運命の逆転が…。  
 
時 佩璞氏(じ・はいはく=フランスの外交機密を盗んだ中国人スパイ、京劇俳優)6月30日、
パリの自宅で死去、70歳。フランス公共ラジオが伝えた。

60年代、女性に成り済まして北京でフランスの外交官ベルナール・ブルシコ氏に近づき、
外交機密を入手して中国側に流していた。83年にパリで逮捕されるまで、
男性であることに気付かれなかったという。
86年にスパイ罪で禁固6年の有罪判決を受けたが、
87年に当時のミッテラン大統領から恩赦を受けた。

93年の米映画「エム・バタフライ」(クローネンバーグ監督)
のモデルとなったことでも知られる。

 
 
蝶々夫人扮する主人公が同僚の囚人達の目の前の舞台で、喉を欠ききり死ぬ様は
(胸だったっけ?)迫力があり、思わず息を呑んでしまった。
 
このサイトは動画ありで必見
 
2005年12月、中国で起こった事件。
 
 
以前述べたように、私は昔から官僚の自殺に関しては気になるのである。
 
松岡元農相の自殺当初はあまり関心を引かなかったけれど、
最近みた死の直前の画像には、国会答弁の時とは全く違う苦悩、憔悴が直に
伝わってくるものがあり、心に引っかかるものがあった。
また、中川大臣に関しては、あの朦朧会見がメキシコにも伝わっていたので、
その死も報道された。
お付きの人は、何であんな状態で会見させたのだろう。
どれだけ飲んで朦朧となったのか調べた記憶がある。
分かった範囲のお酒の量では、私だって大丈夫という程度だった。
今ではお二人の自殺には疑問を覚える。 本当にそうだったのかと・・・
 
 
なにげなく、下記サイトを流し読みしていたら、倉場富三郎の文字が目に留まった。
ト−マス・グラバ-の息子
1945年8月26日に首吊り自殺
 
 
父親のト−マス・グラバ-が日本に来た時は21歳。 
25歳でグラバ−邸を完成し、日本の女性と結婚し一男一女を儲けている。
その一人息子が倉場富三郎で、やはり日本女性と結婚していたのだ。
両氏は深く日本を愛し, 日本の産業発展に多大な貢献をし
夫婦仲良く暮らし没後は長崎に埋葬されている。とある。
 
しかし、問題なのは、息子の倉場富三郎の死であり、
その時期と方法。
 
Wikipedia によると、
第二次世界大戦開始後、イギリス人と日本人の混血児だった富三郎はスパイ嫌疑をかけられ国の監視の中で厳しい生活を送ることを強いられた。武蔵建造の機密保持を理由にグラバー邸を退去させられたり、ワカに先立たれるなど不幸な晩年を送り、更に原爆投下により故郷が壊滅した事が追い打ちとなり、終戦直後の1945年8月26日に長崎の自宅で自殺した。
 
 
全般はなんだか今でも有りそうな冤罪っぽい展開だし、自殺方法が首吊りなんて・・・・
どうも最近の可也グレ-な自殺を思い起こさせる。
日英の混血とは言え、武器の売買をしていた息子の死に方にしては違和感が大きい。
下のサイトでは、長崎に原爆が投下された理由に、爆心地にあった刑務所にいた
倉場富三郎の暗殺が目的であったとされている。
(私も、なんで長崎なのか〜〜と思った記憶が蘇る。)
 
十分有り得る話だが、真相は闇の中・・・
 
 
倉場氏の財産は、何処へ流れたのだろうか。
ある種の人達にとって戦争とは正に、富を生むものなのだろう。
そして、何時の世も、邪魔者は殺せが合図か・・・・
 
 
 
 
 
 
プッチ−ニ 1858〜1924年
設定 明治時代の長崎にある港を見下ろす丘の上に立つ家
アメリカ軍人と日本滞在用に結婚した没落武士の娘の悲恋物語。
グラバ-邸がモデルになったといわれている。
 
 
 
 
田布施町の謎から、謎は謎を呼び、思いもよらない幕末、明治維新の闇に迷い込んだ。
折りしも、NHKの大河ドラマ、「龍馬伝」が終わったと言うので記録に残す。
 
明治天皇 坂本竜馬 勝海舟 伊藤博文 西郷隆盛 
大隈重信 高杉晋作 桂小五郎 大久保利通 が
一緒に写っている写真/ 阿修羅
 
幕末に活躍した人物達の写真集
 
上野 彦馬(うえの ひこま、天保9年8月27日1838年10月15日) - 1904年(明治37年)5月22日)は幕末期から明治時代にかけて活動した日本写真家(写真師)。日本における最初期の写真家として知られる。
NHKの大河ドラマ 「龍馬伝」ではテリ−伊藤を起用。
 
我々一般庶民は小説、ドラマで得る知識を史実と思い込んでしまう。
龍馬に限った事ではないが、あまりの違いに驚き呆れるほど。 
 
龍馬は一般に言われているように、薩長同盟の仲介者ではありえない。
なぜならば、米ロの如く違う両者を、土佐藩士でもない一介の郷士に出来るわけが無い。
せいぜい、武器商人であるグラバ-の助手くらいの役で、
薩長は武器の面で同盟を結んだのが真相であるらしい。
 
また、龍馬はフリ−メ−ソンかと疑問視されているらしいが、
亀山社中は、現在、マンダリン・オリンエタル・ホテルを経営する
アヘン戦争の仕掛け人である、ロスチャイルド系のジャ−ディン・マセソン商会の
日本に於ける武器密輸の隠れ蓑として、長崎の代理店、グラバ-商会のもとにあった。
また、漂流して米国のフリ−メ−ソンのトップであるロックフェラ-に認められ、
日本最初のフリ−メ−ソンとなり日本に送り返されたと言われる
ジョン・万次郎の影響を受けているので、その可能性が無いとは言えない。
 
 
 
 
 
銅像はフリ−メ−ソンのシンボル、直角定規とコンパスを確かに手にしている。 下はその画像。
 
香港にヘッド・オフィスを置くイギリス系企業グル-プ
前身は、東インド会社のロスチャイルド系、貿易会社。
 
設立当初の主な業務は、アヘン密輸のイギリスへの輸出。同じロスチャイルド系の香港上海銀行
HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。 

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