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<トランプ氏の再選を予想する米国人が増加>だそうだ。CNNの世論調査(10月4〜7日)によれば、46%が再選を、47%が敗退を予想した。3月の調査では、再選予想40%、敗退54%だった。
識者の一部もトランプ擁護になびき始める。ある人は「民意がエスタブリッシュメントのうそを正すというメカニズムが機能している」と表現。(1016)
またある記者は、トランプ支持者を取材した感想として、政治の機能不全によって“民主主義の危機”が招来し、その結果としてトランプ旋風が起こったとの見方を披露。(1017)
いずれも、メディアに叩かれ続けてもコアな支持層が離れないことを意識している。だが私には、民意への安易な追随にしか見えない。ピントが外れていると言ってもいい。
“民主主義の危機”を唱える言論人の意図は何か。トランプ大統領は、自分を批判する記事を「フェイクニュース」と攻撃し、それらを報道するメディアを「国民の敵」とまでののしる。メディア側にしてみれば、トランプ大統領が“民主主義の危機”の原因となっている。一方、大衆にとっては“危機”ではない。
8月に、<トランプ大統領のメディア攻撃、全米400紙以上が社説で非難>という出来事があった。先日、さらに踏み込む動きがあった。<米国ペンクラブが16日、メディアに対するトランプ大統領の行き過ぎた攻撃や圧力が表現の自由を定めた米憲法修正1条違反に当たるとして、ニューヨークの連邦地裁に提訴>。
メディアの存在そのものを否定するかのようなトランプ大統領の振る舞いに、言論人の怒りは治まらない。民主主義国家に、そのような大統領は存在していてはならない!ぐらいの怒りを感じる。
欧米の近代国家にあって、そこまで言論界から突き放された国家元首は珍しい。現職に留まることは難しいとの観測が出てもおかしくない。ところが民意はそれに呼応しない。支持率は4割台をキープする。
こうなると、批判することが得意な識者たちも不安になる。すべてを疑うよう教育されてきた彼らは、常識や過去の自分の考え方さえも疑い始める。やがて思考は煮詰まり、ベクトルは反転する。
記者たちはというと、民意に同化するという形で転向していく。大衆に寄り添うことが好きな彼らは、言論界で主流の意見とは異なる民衆の意向こそ伝えるべきと考える。やがて、単なる伝達者から擁護者になっていく。
転向などと大げさな表現を使ったが、リーダーに対する見方の変化はよくある現象だ。トランプ大統領でさえそうなったかという感慨を持つが、そろそろ起こるだろうとも思っていた。
権力者は時間とともに権威を帯びていく。その地位にとどまっているというだけで、民衆は威厳を感じ、その言動に敬意を示すようになる。権力者がそれなりに板に付いてくるのは、本人の意識の成熟だけでなく、民衆の認識の変化によるところが大きい。
大衆は権威が好きだ。権威に従うのが大好きだ。生活苦に陥るなど直接的な被害を受けない限り、権力者に権威を与え続ける。権威の増大に加担する。
そこに理由はない。権力者が何をやっているのかにさえ関心がない。権力者の判断や行動が自分たちに何をもたらすのかを考えようともしない。というより、考えるという面倒を避けたいから、盲目的に従えばよい権力者の出現を歓迎する。
だからトランプ大統領の王様気取りにも意を介さない。7月、ユンケル欧州委員長の訪米前にツイッターで「アメリカを不公平に扱ってきた国々が次々に交渉にやってくる」と放言したが、頼もしく感じるだけのこと。
大衆にとって、敵を指し示してくれる権威は、さらに好ましい存在である。我々は収奪されている! それが苦境の原因だ! 中国やメキシコやカナダやEUや日本のせいである、移民のせいである!
敵視政策は、苦境に陥る大衆に憂さ晴らしを与えるだけではない。苦境を打開するための努力なんかしなくてもよいとの甘い囁きにもなっている。あり難き大統領である。信者になりたくもなる。
しかしトランプ大統領は尊大である。
尊大な人間は暴走するという法則は、小学5年生でも分かる人間理解の初歩だ。
すべてを他人のせいにして安逸をむさぼる人間は没落する。中学生にも分かる理屈だ。
言論人たちは、尊大さに危機感を覚えているのである。トランプ大統領の言動に同調する信者たちも尊大さを身に着けつつある。それを食い止めることがトランプ批判の真意である。
「民主主義とは何か?」は深遠なテーマだ。普通選挙を実施していれば良いというものではない。大衆に支持された人間が統治者になってさえいれば民主主義が機能していると考えるのは単純すぎる。
「スマートな“上から目線”の人々を嫌い、凡庸で野暮な存在に親近感を覚える」とは古谷経衡氏による日本のネトウヨに対する論評だが、大衆一般に通じる共通感覚でもある。そんな感覚頼りの投票行動でよいのかと、謙虚な大衆なら考える。だが甘やかされた大衆は、自分の感覚を全面的に肯定するようになる。
「民主主義というのは、共同体を壊すもの」と説く宮崎学氏は普通選挙を手放しで肯定しない。<投票というだれでもできる単純な行為に、政治行動が「単純化」される>。その結果、民主主義は形骸化して行った(『突破者外伝』)。日本の戦後政治への論評だが、民主主義国全般への警鐘となろう。
大衆の意向に従い、選挙結果だけに頼る民主主義は、尊大な元首を生み出し、尊大な政治となり、尊大な思考を民衆に蔓延させる。個々の政策の良し悪しの問題ではない。
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