おぴにおん0号

反論、質問受け付けますが、何せ思いつくままなので

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松家仁之氏によれば、橋本治は生前、次のように語っていたという。
「自分の頭で考えろと言ってもね、他人の頭が考えたことをなぞるのが精一杯、というのが普通の人間です」

彼なら言いそうである。普通の人間に向けての評論活動を続けてきた人だ。やさしさが滲み出ているが、これが長い評論活動の末の結論であるならば、少し悲しい。

私は若い頃、彼の理屈っぽいエッセイにハマったことがある。評論あるいは啓蒙書の類もいくつか読んだ。平易な表現だけで伝えようとする努力は並々ならぬものがあったが、回りくどくなってしまうのが難点だった。そして、読者に高度な思考を求めることに変わりはなかった。

普通の人間にも自分の頭で考える習慣を身に着けさせることができると期待しての評論活動だったように思う。しかし、その努力も空しかったということか。

分かる気がする。義務教育をへて高等教育を授かる頃までに、ほとんどの人が自分は足りない頭を抱えていることを知る。他人の知恵を盗みながら生きることが最善であると悟る。周りの人からバカにされないためにも、優れているとされる考え方をなぞるようになっていく。

ただ、皆、幼少時は考える習慣など持っていない。他人の考えに耳を傾ける中で、考えるとはどういうことかを知る。他人の考え方を学ぶ中で、考え方は一様でないと悟る。他人が考えたことを理解しようと努める中で、自分の頭で考えるという姿勢が育っていく。

私には、自分の頭で考える習慣を身に着けた人の方が精一杯生きているように見えるがどうだろう。人間は、悪戦苦闘の末、自分の頭で考える人になっていく。

橋本治の感慨も分かるが、実態は、頭や身体を使わなくても生きていけるような豊かな社会に住む私たちに、自分の頭で考えろ!という指令は届きにくい、ということではないだろうか。

最近、このブログに「豊かさはバカの始まり」あるいは「便利は堕落の始まり」みたいな話を書く機会が増えた。それは、そのような自覚がないと生きる力が衰えていく恐怖があるからだ。ゆでガエルになりたくないからだ。そんな人間ばかりになっては人間社会が成り立たず、私も困るからだ。

困る場面は実際に増えている。他人の説明を理解しようとしない人たち…。分からないことは、いつまでたっても分からないままで放ったらかし。当面の安楽だけを求め、危機回避のための行動は後回し。その結果、困難は他人に預けて逃げるしかない弱い人間が増殖中。

人間関係の構築や継続の仕方が稚拙なままなのも、自分の頭で考えることを怠ってきた結果だろう。感情優位という生き方が一向に改まらない。相手の思考に目を向けない。想像力が働かない。精神年齢は停滞したまま、成人らしい思考回路が構築される気配がない。

友人関係を続けたければ、精神的に成長するな!みたいな圧力を受けることがある。頭を使う会話は敬遠され、互いに小バカにし合う関係が好まれる。感情のやり取りさえしていれば満足な人たちばかりになった。

そんな彼らは、本当に相手の感情を読み取るだけで精一杯なのだろうか。

確かに感情優位の自分を変えられないもどかしさはありそうだ。でもそんな自分を基準に、人間関係は、相手の感情の動きだけを見ていればなんとかなるとの態度が苦々しい。相手の嗜好や思考の仕方を見極める努力もせず、あげくに関係が険悪になれば、すべて相手のせいだ。

こうして“人を見る目”が衰えていく。信頼すべき人間を間違え、だまされる。良きアドヴァイスを聞き流し、利用しようと近づいてくる人の甘言に乗ってしまう。

想像力の欠如は、自己を見つめる能力の欠如でもあるから、異性関係などでも勘違いが多発。
年を重ねても、選ぶのは私の方よ!と自惚れたままの女――関係が発展しないのは男がだらしないからとうそぶく。平均以上の容姿とセンスを持つと信じ切る男――モテないのはだれかが邪魔しているからと思い込む。

自分が何を求めているのかが曖昧なのも、自分の頭で考えていない証拠だ。ところが自意識だけは一人前。友人に振り回されるしかない主体性のない自分を顧みず、意識の中では「つき合ってやっている」。人のマネばかりしているくせに「相手に合わせてやっている」。まるで、自分の方が優位な立場にいるかのごとく。

そして、中身がない人ほど優越感に飢えている。他人を笑う機会をうかがっている。それだけが行動規範のような人もいる。困るのが、そのような人の前で謙虚にふるまうと、自分に自信のない奴と解釈されること…。あきれて物が言えないときの沈黙を、言い争いに勝ったと受け取ること…。暇つぶしといえば、勝てそうな相手にちょっかいを出すぐらいしかないこと…。

これらは、他人の頭が考えたことをなぞるのが精一杯な人間のふるまいであろうか。そのような自覚を持つ人間のやることであろうか。
生き延びるのに精一杯だった時代、人々は宗教の教えに従い、先祖を敬い、保守思想に則って謙虚に生きてきた。ところが楽に生きられるようになった途端、自分を賢いと勘違いし、慢心が目に余るようになる。共生の意味さえ忘却したような危うい行動に走り出す。

やはり、思考力に欠ける人間の尊大は、愚かであることが死を意味しなくなった現代の“病”として位置づけるべきだろう。豊かさは思考停止に誘うと分析すべきだろう。

自分の頭で考える習慣が身に着いていない人に、なぐさめの言葉を与えても何も変わらない。あくまで辛口でいくべきだ。それが、私の最近の結論である。

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閉じる コメント(3)

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唸りながら読み進めました。
あるベテラン漫画家が切ない体験談を語っていました。そのひと若いころ画期的な技法を思いつき、出版社に電話をかけてまくしたてたそうです。こんなの発明したんですよ!!と。すると出版社員は冷静に
「それ手塚治虫がやっていますよ」
・・・・・・・・・漫画家は無念の涙を流したそうです。

しかし(ここから先は私の考えですが)この漫画家さんは手塚の後を追わず、独力でその技法を思いついたわけです。伝説の巨匠と肩を並べた!!ほんの一部ですが(笑)。それでもやはり立派と思います。

2019/3/9(土) 午後 9:01 [ まえじま ]

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橋本先生の本すこしだけ読んだことがあります。これを機に、また読んでみます。機というか縁というか。

2019/3/9(土) 午後 9:04 [ まえじま ]

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書いているうちに、どうしても刺激的な表現になってしまう。まぁいいか、と思いながら毎回アップしている。

手塚治虫とクリエイティビティの差がわずかなのに日の目を見なかった漫画家はたくさんいるでしょうね。私も他の分野で、B級では金にならん!との思いを味わった。
でもおっしゃるとおり、立派です。

2019/3/9(土) 午後 9:27 [ alb**t1107*3 ]


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