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世の中には「思い通りにいかない」があふれている。話を聞けば、主に人間関係だ。相手が自分の気持ちを理解しないと言っては嘆き、自分の意に沿う動きをしないと言っては傷つき、自分に逆らうと言ってはイラつく。
しかし、すべて相手が悪いのだろうか。自分勝手なところはないだろうか。自己中心的な欲望、自分に都合のよい願望、自己認識の誤りが生み出す妄想…である可能性は?
自分を顧みることができれば、思い通りにいかないことへの悩みは、半減するように思えてならない。
欲望は持つべきだ。愛されたい、仲良くなりたいという気持ちは人間関係の根幹だ。尊敬されたい、認められたいという欲求は人間存在の基本だ。そんな欲求に沿って行動することになんら問題はない。自分の気持ちに素直であってよい。それでこそ、綾なす人生が送れる。活気ある社会の一員になれる。
とはいえ相手のあることだ。相手にだって欲望や願望がある。それらを無視することはできない。
世の中の「思い通りにいかない」の多くは一方通行。我がままなだけだったり、高望みだったり、現実感のない夢だったり…。童話の世界とは異なり、白馬に乗った王子様が現れることはない。
あなたの夢を友達や親は応援してくれるかもしれない。「夢は必ずかなう」と夢を抱き続けることを奨励する風潮もある。世の中には夢をかなえた人がたくさんいる。でもそれは、かなったから公言され、知れ渡ったに過ぎない。かなわなかった夢は表に出てこない。そして、埋もれたままの夢の方が断然多い。
人生、そんな簡単ではないことを教えた方がその人のためである。少年少女の夢じゃあるまいし、空想にふけってばかりでは前に進めない。人のせいにばかりする心根を改めた方が、よほど希望に近づけると諭すべきだ。
そういえば私が若い頃、ある女性に「責任取りなさいよ!」とスゴまれたことがある。その女性の友達のことだ。身に覚えがないことはないが、彼女が勝手に我が家に押し掛けてきただけだ。私の意志は介入していない。責任を取るいわれはない。
恋愛感情を持たれたからといって、それに応える義務はない。なのに、相応の好意を返すのが義務だと言わんばかりに「責任」を突きつける。悩む友達に助力したい気持ちは分かるが、圧力をかければなんとかなるほど人間の気持ちは簡単ではあるまい。
もう一つ思い出した。異性関係を半ば諦めている女性に勘違いされたことがある。公平中立が好きな私としては、基本的に異性とも分け隔てなくつき合う。同僚であれば、親切にふるまうことに躊躇はない。ところが、容姿や年齢で差別する異性に囲まれて過ごしてきた女性にとって、親切な異性は、自分を特別視していると映る。
人間のふるまい方や感情の動きには、それなりに法則がある。だが個人差も大きい。自分が理解する法則と相手の法則が一致するとは限らない。それを分かっていながら、自分の願望に沿う法則を当てはめてしまう。だから誤解が生まれる。思い通りにいかない相手に癇癪を起こす人さえ出てくる。
こうして、「思い通りにいかない」から発展した次のテーゼが生まれる。
世の中には、理不尽な恨みつらみがあふれている。
たとえば支配欲の強い人たちが、「思い通りにいかない」相手に対し怒りをあらわにする。
親は、言うことを聞かない子供を𠮟り、逆らう子供に罰を与え、反論する子供に報復する。
上司は、指示通りにできない部下をなじり、従わない部下の評価を下げ、意見してくる部下を左遷する。
学校での“いじめ”にも、支配欲にからんだものが多い。すべての集団で同じようなことが起こる。支配関係が人間集団の基礎であると考える人間が必ず出てくる。だから報復の仕方も似る。家庭でも職場でも、恨みを買った人間は孤立させられ、無視され、無謀な要求を突きつけられる。
独占欲から派生する恨みつらみもよく見かける。親の愛を独占したい子供は兄弟を憎む。嫁は「私だけを見ていて」とばかりに、夫の友人にさえ嫉妬する。友人関係の独占を目論む人は、共通の友達の悪口を並べ立てる。
地域社会でも、わけのわからない諍いが発生する。隣人が自分の好意に相応する反応をしないとか、自分以外の家族と仲がいいとか、無駄話につき合ってくれないとか、そんなたわいのない理由が村八分を引き起こす。
彼らは、相手も同じ欲求を抱えていると勝手に思い込んでいる。だから相手の言動を曲解し、自分の行動を正当化し、戦うことに意欲を燃やし続ける。関わるほどに誤解は広がるから始末に負えない。
欲深きは人間の業であろう。欲望を抑制しろとは言わない。思い描く理想に向かって進んでよい。だが相手の「思い通り」を無視する権利はない。すべてを相手のせいにするから対処の方向性がねじれる。感情にはゆがみが生じ、ますます自分の「思い通り」から離れていく。
そんな迷走しがちな人が増えているように思える。人間関係における欲求不満は、文明の発達と反比例するように増大しているような気がする。なぜだろう。
人類の生活は、アイデアの蓄積と、科学技術の発達と、社会制度の高度化によって、「思い通り」が進んだ。現在も日々、生活上の面倒は減り、ストレス軽減へと向かう。そんな中、人間関係だけは、簡単には「思い通り」とはならない。人間関係の構築だけは、相変わらず努力と忍耐が求められる。
こうして人間関係のストレスが際立つことになる。思い通りにいかない人間関係が大きな悩みとして浮上する。諦めが悪くなり、相手への憎悪も倍加してしまう。
同時に、生活上のストレス軽減は、人間関係に労力を傾ける余裕を生み出す。支配欲は遊戯のように気まぐれで執拗なものとなり、独占欲は切実さに欠けるにもかかわらず渇望するがごときものとなる。
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