おぴにおん0号

反論、質問受け付けますが、何せ思いつくままなので

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Q.悪態の数々! しかし愚痴っているだけでは何の解決にもならない。貴殿の分析が正しければ、円満な関係に導く手段も見つかるのでは? もっとも関係を続けたければの話ですが…

ごもっとも。
今でこそ悪態を浴びせたくなる彼らではあるが、これまで多くの時間を共有してきた。会食を重ね、旅の道連れとなり、娯楽に興じてきた。息の合う仲間として、誘い誘われる間柄であった。

よって、関係を断つ気はない。好みが食い違い、関心事が異なるようになっても、旧知の情は簡単には消えない。それに、情報交換すれば今でもそれなりに有益だろう。近況報告は互いの見聞を広げる。万が一、天災にでも見舞われれば、助け合うことがあるかもしれない。

私の悪態が強烈であることは意識しています。とてもじゃないが面と向かっては言えない。言えば、必ず相手は怒る。それもあって、実社会では自重している。自重しすぎるとマグマが溜まるので、この場で吐き出して、いかばかりか憂さを晴らしている。同感してくれと申し上げるつもりはありません。

面と向かって言えない小心者の繰り言として、大目に見てくれるとありがたい。ユニークなレトリックとなるよう努めております。その辺を楽しんでもらえればと思います。

円満な関係に導くためにも、もう一度、愚痴りたい。彼らが忘れがちなのが、次のような人間関係のルールだ。
<直接的な利害関係があるわけではないので、関係を継続する必然性はない。必然性がないからこそ、相手に対する配慮がそれなりに必要になってくる>

これを忘れ、<直接的な利害関係がないから気安くつき合える>に重点を移すから、甘えとなり、相手に不快感を与えても平気になる。こちらの欲求を優先しろ!、配慮するのはあなたの役目だ!といった傲慢さも、自分勝手な理由で正当化する。
こうした兆候が表れると、さすがの私も、付き合いを続ける気力がなくなる。

甘えがちな人というのは、大抵、傷つきやすく怒りっぽい。反省が嫌いなためです。反省なんて面倒なことをしなくても生き延びてこれた。そんな幸せな人生を歩んできた人たちと言えそうです。そのような人に直接、悪態をつくのは禁物です。恨まれて終わりです。

反省するためには自己を客観視する必要がある。だから客観視の必要性を何度も説いてきました。でも最近はこんなふうに思っています。<客観視>という能力は、苦悩してきた人のみが得られるささやかな特権であると…。幸せばかりだった人には決して身に着かない能力であると…

とはいえ私の方も少し反省する必要がありそうです。おっしゃるとおり、愚痴ばかりでは何も解決しません。

感情の行き違いなど人間関係の齟齬は、おおむね共犯関係です。一方だけに原因を帰すのは間違いだ。甘やかすから甘えてくる。配慮してきたから、配慮する役目を押し付けられる。相手の欲求実現に手を貸してきたから、引き続き手を貸すよう求められる。

ベストを尽くすことが好きな私は、もてなす立場だと自覚した途端、相手の欲求に敏感になる。相手の欲求に十分に配慮し、甘えを許容しようと努めてしまう。すると、相手は助長する。要求はエスカレートしていく。私が図に乗るな!と怒り出すまで続きます。

私は怒ると同時に、相手が反省することを期待します。いままで受けた配慮やもてなしを振り返り、返すことを考え始めるのではないかと期待してしまう。

しかしこの期待は、反省する習慣のある人間が、自分を基準にして導き出した期待でしかないことが判明する。相手は謙虚になったように見えても一時的なものでしかない。私の機嫌が直るのを待っているだけ。過去に味わった甘美な体験は決して忘れられないようで、こちらが隙を見せれば、すぐにその再現をねらう。

彼らをうまくコントロールできないのは、きっと私にも、そんな意地汚さや自分本意なところがあるからでしょう。中身は大して違わない。
せいぜい言えるのは、「私は自分が俗物であると分かっている程度には、俗物状態から脱している」「小市民と自覚する程度には小市民を卒業している」ぐらいのことなのだ。この違いは大きいと思うのだが、私もまだまだ修行が足りない。

高い評価を得ている小説に対し、「エロい」部分ばかりに目が行く彼は、ことさらエロい人間なのではない。低俗なこと以外に考えることが無いだけ。関心の範囲が狭いから、低俗さが目立つ。

タダで巨匠の作品が見られる喜びに浸る彼は、市民としてのレベルがことさら低いわけではない。小市民的な欲求とは異なる欲求が見い出せないだけのこと。小市民という外套を脱ぐ機会がない。

そうした人たちに気づきの機会を与えるために、「ちゃんとバカにしてやらないといけない」といった手荒な方法があるのは知っている。子供時代はだれもが採用する残酷な教育法だ。子供たちは互いにバカにし、バカにされながら成長していく。

でもね〜、これと同じことを大人になってまでやるべきことなのか。中年を過ぎれば、幼稚さなども一種の個性として認め、許容できる範囲でつき合うべきでないのか。特に、関係を継続する必然性がさほど強くない相手とはね。
実際、幼稚さは欠点ばかりとは言えない。人生には自我や主体性が邪魔になる場面がある。個人的な価値観なんて持たない方が、生き延びやすい社会集団ばかりです。

ということで、もうしばらくは実生活で悪態をつくのを自重し、適当にやって行こうかと思っています。

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