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反論、質問受け付けますが、何せ思いつくままなので

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麻生副総理の「新聞を読まない人は全部、自民なんだ」発言には笑った。産経のように安倍政権擁護を鮮明にする大衆紙もあるから、この場合の「新聞」とは朝日新聞や毎日新聞などを指すのだろう。

一応、根拠はある。若い世代ほど自民党支持率が高い。若い世代は「一番新聞を読まない」。そんな傾向を基に、新聞を読まない人は自民党支持だと極論することになる。

6月に行われた講演会での発言であり、内輪話みたいなもの。とはいえ、「新聞を読まない人」という大雑把な括り方はほんとに子供っぽい。己の幼稚性を認識できない人間を国政のナンバー2に頂くことのあわれ…。これはもう笑うしかないではないか。

朝日新聞の世論調査(7月14〜15日実施)によれば、「一番参考にするメディア」として18〜29歳が選んだのは、「ネット」38%、「テレビ」35%、「SNS」16%、「新聞」8%。30代は「ネット」53%、「テレビ」28%、「新聞」12%、「SNS」7%の順だった。

そして「SNS」を選んだ層の内閣支持率は48%、「ネット」層は42%、「テレビ」層は38%、「新聞」層は32%。情報源として新聞に頼らない人たちの内閣支持率は高い。しかし自民支持率とは連動しない。「SNS」層の自民支持率は34%、「ネット」層は37%、「テレビ」層は34%、「新聞」層は32%。

「全部」みたいな稚拙な表現は麻生副総理の得意とするところ。物事を単純化して投げつける悪罵は、子供同士の喧嘩ではよくあるが、要職を務めてきた政治家にしてはレベルが低すぎる。元首相だぞ。要するに日本の政治のレベルは低いということか。

それとも、「私は自分に味方してくれる仲間に囲まれているひとときが大好きです」という構えの安倍総理を頂く政治状況が、レベルダウンにつながっているのか。

まぁ仕方ない。その手の批判は何度も書いてきた。矛先を変えよう。なんで若者は自民支持なのだ!

昨年の衆院選での出口調査で、自民党支持率が比較的低かったのが60代。新聞の主な購読者は60歳以上と言われている。「新聞」と自民党支持率には、麻生副総理が指摘する通り、負の相関関係があるようだ。

だがあくまでも相関関係だ。新聞の論調に影響されて反自民になるとの見方は単純すぎる。テレビだって政権批判が盛んだから、「マスコミ」と言い換えてもよい。マスコミの与える影響が大きいとすれば、若年世代だって反自民が優勢でなくてはおかしい。

政治状況を判断する能力は、高齢者に一日の長があると解釈することができるのではないか。あくまで平均すればの話だが、高齢者の方が、政策を評価する能力も、政党を比較する能力も、政治家を見極める能力も、おしなべて高いと考えてもよいのではないか。

そうであるならば、現在、判断力の高い人たちは自民党支持率が低いと捉えることが可能だ。

自民党は、経験が浅く判断力の劣った若年世代からの支持が多いことを喜んでいるわけだ。若者は、就職率が向上した現象だけをとらえて自民党政権を支持している、と見る識者もいる。

この「高齢者は経験にもとづいて的確な判断ができ、若年世代は目先の現象だけで政治を判断しがち」という見方も単純すぎる。それは認める。実際には、各世代の政治判断には一種の“クセ”があると私は思っている。

それでもなお、経験の差は大きい。経験を重ねてこそ、噓やはったりを見抜く能力が高まる。政治家の性格を見極め、将来の政治行動を読む力も向上する。特定の政治問題について、重大なことなのか、大げさに騒ぎ立てているだけなのかも分かるようになっていく。

愚かな高齢者も多いが、少なくとも新聞に論評を書き、テレビに解説者として登場する年配者たちは、考察を重ねてきた人たちだ。平均以上の判断力を身に着けていると考えてよい。

もちろん、その論を鵜吞みにする必要はない。メディアには刺激的な論で注目を集めようとする“クセ”がある。著名な論者といえども感情が先立つことがある。ときに詭弁を弄する。理屈をこねくり回すだけで何も言っていないに等しいこともよくある。

新聞には編集方針という“クセ”がある。反面、編集を経ていることは信頼の証になる。個人の独断は排除され、間違いは訂正されやすい。組織的に自省し、歴代の編集者たちの教訓が受け継がれていく。

麻生流の「全部」みたいな発言は、活字になる前に必ず訂正される。マスコミは表現に慎重であり、「完全」や「絶対」なんて言葉は極力使わない。そうでなければマス(=大衆)の審判にかなわない。

経験も実績もない若者が、マスコミを軽んじるなんて尊大だ。会社で先輩をバカにするのと同じだ。若い営業マンは先輩のやり方をまねる。若い技術者は先輩に教えを乞う。若い研究者は先人の論文をひもとく。そうやって一人前になっていく。それと同じことだ。

最新情報を知らない年配者は時代遅れのように見えるかもしれない。しかし職場では、最新情報を知っているだけでは仕事にならない。情報量を誇る人間はたいてい仕事ができない。偉そうなだけで、組織に貢献しない。
情報が氾濫する現代だからこそ、情報の質を見極める能力が求められる。取捨選択しなければ溺れてしまう。

だから若者よ、新聞ぐらい読め。確立した権威に耳を傾けろ。記事内容を理解できない自分を恥じろ。社会の見方を学べ。判断基準を盗め。自分なりの判断力を身に着けるのはそれからだよ。さもないと、誰かさんみたいに愚かで幼稚な高齢者になっちゃうよ。

前回の話に対する意見として、「社会主義国が計画経済を放棄するのは矛盾ではない。共産主義革命と混同している」との指摘がある。中国は1992年に行われた南巡講話で、経済改革のさらなる推進をぶち上げ、それ以降、「社会主義市場経済」と呼ぶようになったそうだ。

「社会主義市場経済」は当然、市場原理にすべてを任せる経済体制ではない。市場は国家の管理下にあり、市場原理は指導部が許す範囲で導入される。つまり、統制経済のままというわけ?

自国の経済体制をどう表現するかは自由だ。一方の西側諸国だって自由主義経済と表現しつつ、実際は様々な規制が設けられている。たとえば独占禁止法は、自由競争を阻害しないことを目的としつつ、需要者・消費者の利益保護が主眼となっている。

どこまで規制を強めれば統制経済と判定されるのか。線引きは難しい。相対的なものでしかない。
「社会主義市場経済」との表現に対しても、私は意見するつもりはない。
政治体制と経済体制を区別してもよい。だが社会主義国は元来、計画経済を政治体制の一部として強固に組み入れていた。なのに放棄した。だから矛盾と表現したまでだ。

付け加えれば、矛盾しているから計画経済に戻せと言うつもりはありません。どの国の人々も経済的に潤うことを望んでいる。人類は昔から、経済的に成功している集団のマネをしながら共に生きてきた。現代はたまたま西側諸国の経済体制が優位となっているに過ぎない。

中国指導部もそのように考えている。昨年の共産党大会で習総書記は「社会主義現代化強国」を目指すと宣言した。西側先進国への対抗意識は強い。

『習近平発言集』に掲載されている欧米に対する言葉にも、それが表れている。(記事より転載20171024)
・敵対勢力の「普遍的価値」はみせかけだけのごまかしだ。我々の陣地、人心、民衆を奪おうとしている。
・国際世論では依然西側が強く中国は弱い。だが、この構造は変えられないわけではない。
・西側敵対勢力は我が国の発展を脅威とみており、党や政府への民衆の不満を煽っている。

まるで敵国と対峙しているがごとく、西側の政治思想の侵略を恐れている。国内向けの発言であるにしても、かなりの拒否反応である。ただ、この『発言集』には4〜5年前の言葉も含まれているから、現在の心境と一致しない部分もあろう。中国指導部の自信は、目下、経済同様、高度成長中である。

西側諸国の経済は、ここ数年で困難が倍加した雰囲気がある。トランプ政権誕生による混乱も加わる。今の中国指導部の心境は「欧米流の民主主義なんてクソくらえ!」ぐらいのものになっているのではないか。

中国に頼る国が増えた。中国は、経済規模の小さな国に圧力をかける力をすでに持っている。
東南アジアの国々は中国の経済力に引きつけられつつある。中国への輸出で儲け、中国からの融資でインフラを整え、中国の資本で産業が立ち上がる。

カンボジアの総選挙前、同国で不動産を手がける中国人は次のように語ったという。
「選挙は与党が100%勝つ。安心した中国人の投資が増える。政党が少ないほど政治は安定し、経済は成長する。中国が手本だ」(20180502)

中国が手本で本当によいのか。社会生活はどうなる。インターネットは国家管理され、新聞・書籍の発行には検閲が入り、政治運動は封じ込められる。言論は統制すべきものとなっていく。指導部への批判は許されず、政治犯には重罰が科される。結社は国家が公認するものだけとなる。

大衆に影響力を持つ扇動者が現れれば、国家転覆罪で極刑を科すこともできる国になっていく。政権交代はクーデターのような荒々しいものでしか実現しない国になる。

もっとも、内乱罪は西側諸国にもある。政治的なテロ行為に目を光らせている。西側諸国が政治的に全く自由だとは言わないが、それでも言論の自由は守る建前であり、政権交代は平和的になし得る。政敵を暗殺したり、監禁・投獄することを許されない。

西側諸国だって監視社会になりつつある。アメリカでは自国を経由するメール内容が国によって閲覧されていたことが暴露された。日本でも犯罪捜査の一環として通信傍受が限定的に許されている。それでも通信傍受が政治的問題をはらむのは、国家といえども国民のプライバシーを侵害してはならないからである。

しかし後進国にとって、豊かになることの魅力は大きい。ダニー・オブライエン氏に言わせると「多くの中国人はプライバシーを政府に渡すことに嫌悪感を抱かない」。中国を手本に経済発展を目指す国の人々も、同様な感覚になる可能性が高い。

中国では電子決済の普及が目覚ましく、今や現金払いの方が例外となった。消費者の購買行動が網羅的に把握されるようになり、その蓄積情報によって個人の信用力が格付けされるというから驚く。

日常行動もほとんど筒抜け。<中国では、街に設置された1.7億台の監視カメラとAIを連動させて、常時国民を監視するシステムがすでに稼働。20年までにさらに4億台のカメラを追加する予定という>。20180215

もっとも西側諸国でも監視カメラの設置は進む。日本も例外ではない。民間設置が主流であるが、犯罪者摘発に威力を発揮している。画像に映った人物を治安当局の情報と即座に照合する装置を備える公共施設もある。『ターミネーター』の世界さながらに、特殊な眼鏡型ディスプレイも開発されている。

おや、話が混沌としてきたぞ。中国の統制経済や監視社会を一刀両断できない。似たようなことは西側もやっていると言われる状況だ。程度の問題でしかないのか。もしかしたら大衆とは、地域に関係なく、プライバシーが侵害されることを恐れない人たちのことなのかもしれない。

中国人にとって自国での政治批判は危険が伴う。体制批判と受け取られれば、投獄の憂き目にあう。しかし、そんな窮屈な政治状況を多くの中国人は苦にしていない。

エズラ・ボーゲル氏は言う。「北京の若者は中国の政治制度が世界一だと信じています」(20180417)

中国指導部が経済成長によって得た自信は、国民にも波及しつつあるようだ。そしてこの自信が政治制度と結びつく。経済成長は政策によって可能となった→すなわち政策を遂行した国家のおかげ→すなわち国家を形づくる政治制度の勝利、との論法である。

中国は共産党一党独裁は堅持したまま、世界第2位の経済規模にまで上り詰めた。なにも民主主義国にならなくたって経済成長できるし、近代化を成し遂げられることを証明した。

貿易量は格段に増加し、今や中国は、世界の主要国すべてと経済関係を持つに至る。国際社会での発言力は高まり、経済問題を話し合う国際協議の場で主役を演じることが増える。各国の経済政策は中国を意識したものとなり、中国に対抗するための経済協定が結ばれるようになる。

世界経済に大きな影響を与える存在となったことを誇らしく思う中国国民が増えるのは当然だ。

しかし政治制度と結びつけるのは単純すぎる。経済成長のポイントは市場経済の導入と外資受け入れであり、政治制度に根差した功績ではない。むしろ計画経済を放棄することは社会主義国としてふさわしくない。

同じ社会主義国であるベトナムの経済も発展中である。やり方は全く同じ。1986年のドイモイ政策によって、市場経済の導入と外資受け入れが始まった。今では輸出産業がいくつも育つ。

中国とベトナムが開放政策に転じたのは、もう一つの社会主義大国であったソ連邦が崩壊する前である。それなりに先見性があったと言えるが、計画経済を放棄した以上、政治制度を維持したとは言えない。政治は社会主義で、経済は資本主義という使い分けのようだが、矛盾を抱える。「社会主義体制を維持し発展させるには豊かになることが必要だから」と強弁する中国人もいるようだが…

社会主義というより独裁体制という意味ならば、経済発展に寄与している面が多々ある。政策を変更しても内政の混乱を抑止できるし、政治的に安定しているという利点により、外資は長期的な投資がしやすい。

振り返れば、社会主義ではない国の多くが独裁体制によって経済を発展させてきた。“開発独裁”と言われた。経済発展を最優先にする政治体制のことで、国民の政治的自由は制限された。1970年代以降の韓国やフィリピン、インドネシアなどが典型で、それぞれ朴、マルコス、スハルトが独裁体制を敷いた。

軍事独裁という言葉もある。軍人が政治権力を握る場合だけでなく、軍部の意向が強く反映される政治体制も軍事独裁の範疇だろう。軍部を掌握しないと独裁政権は築けないとも言える。

軍事独裁によっても経済発展できる。政治的混乱が発生すると、タイなどの民主主義国でも軍部が介入してくるが、おかげで経済活動が滞らないという安定を得る。ミャンマーの軍部なんかも、そんな役割を意識しているのかもしれない。

独裁とまでいかなくても、後進国が近代化を成し遂げるには中央集権体制は必須だ。少ない資源で近代的な技術を導入しなければならないし、近代的な制度を学ばねばならない。となれば、財や人材を集中投下した方が効率が良い。

日本の近代化も、民主制の下で成し遂げられたわけではない。権力基盤を整えることを優先しながら近代化を進めた。権力者が失敗を恐れることなく、強権的に近代化の道筋を決めてきた。選挙権は近代化を成し遂げる過程で徐々に国民に付与していったに過ぎない。

戦前は日本に続くアジアの国はなかった。当時は、西欧先進国といえども、植民地から収奪することによって近代化を維持していたからだろう。アジア諸国も収奪の対象であり、近代化を共有するほどの余裕はなかった。

その後、科学技術が発展し、金融制度など経済活動も洗練されていく。国際協調という政治思想の広がりも得て、後進国に近代化への道が開かれた。市場経済と開放政策を導入さえすれば、どの地域の国でも経済発展できる時代になった。政治制度も不問、体制が安定していればよい。

言うなれば「民主化不要!外資は必ずやってくる」てな感じか。

なぜ外資はやってくるのか。資本主義経済の冷徹な法則が作用しているに過ぎない。「労働力が安い国で製品を作った方が儲かる」に始まり、「経済が発展中の国の方がより多く売れる」「消費が増えている国でシェアを獲得しないとライバル企業に負ける」といった動機で資本はどこにでも投下される。

西欧諸国だって、近代化の黎明期、今の基準で民主主義国と言える国はなかった。つまり順序は、産業の近代化→経済の発展→生活水準の向上→政治の民主化、である。

しかしこの法則も、中国が世界最大の経済国となれば崩れるかもしれない。経済が世界一なら政治制度だって世界一という単純な考え方が、経済発展を目指す国々に浸透する可能性がある。

中国のGDPがアメリカを抜いて世界一になるのは、もはや時間の問題である。中国の人口はアメリカの4倍以上。一人当たりGDPがアメリカの25%に達するだけで、グロースはアメリカを上回る。今は約15%。

チャイナ・アズ・ナンバーワンという時代をどう生きるかが、世界各国の近未来の課題である。社会主義という政治制度への期待はソ連邦崩壊で一旦は潰えたが、再び期待の政治制度となるかもしれない。

トランプ大統領の言動を狂気と指弾し、安部政権の政策を非難してきました。為政者も間違うことがあるので許されるはずだが、執拗に繰り返すと体制批判とされかねない。

「民主主義を否定したいのですか? 普通選挙で選ばれた人たちですよ」

トランプ大統領にとって貿易赤字は、商売人にとっての赤字と同様、断固として阻止すべきものとなっている。商売感覚で政治をやるな!と攻撃したいところだが、アメリカ国民の多くと共有している感覚であるならば、トランプ大統領は民主的な政治を行っていることになる。

貿易黒字は、本来、産業の競争力を向上させることで達成すべきもの。ところがトランプ大統領は、アメリカの財産を収奪している!と叫び、相手国を威圧することで実現しようとする。

国際社会で評判の悪いトランプ流ではあるが、自国民の大半が同調してくれるのなら、国民のために働いているとの体裁が整う。それを抑え込もうとする主張こそ民主主義の否定になる。

ならば大衆に考えを改めてもらおう。高関税によって輸入品を締め出す保護貿易主義は、マイナス面の方が大きく、民衆に不幸をもたらすと教えよう。
しかし理屈だけでは、大衆は納得しそうにない。歴史を振り返っても明らかだ!などと畳みかけようものなら、むしろ反感を買う。単純で理解力の乏しい子どものように扱われていると感じるからだ。

大衆にとって、知性面で劣っている事実を突きつけられることほどムカつくことはない。やっかいなことに、劣等感が募るほど彼らの自己愛は強くなっていく。自己愛が強くなるほど反省ができなくなる。ますます聞く耳を持たなくなるという悪循環。

トランプ大統領もかなり自己愛が強い。知性への嫌悪も見て取れる。大衆との親和性は高い。

こうした政治状況を、知識人たちはポピュリズムと言う。衆愚政治といった否定的な意味で使われる。だから大衆は開き直る。

「ポピュリズムの何がいけないのだ。オレたちの時代ということだ!」

日本だって似たようなもの。斎藤環氏が『世界が土曜の夜の夢なら』という著書の中で分析する<ヤンキー>は、大衆の典型例である。ヤンキーは行動主義を奨励する。<その一方で、全体の状況を冷静に判断し、緻密な予測と計算に基づいて行動するような姿勢は一貫して軽蔑される>

論理的な説明や知性に訴えかける説得は、彼らをどこにも導かない。むしろ拒否反応となって返ってくる。中には、“知性”は常に自分たちをだます!と思い込んでいる人さえいる。

いずこの大衆も同じ。ていうか、ヤンキーってそもそもアメリカ人のことじゃん!

報道によればトランプ大統領とメルケル首相は仲が悪いらしい。当然だろう。ヤンキーと物理学者だ。トランプ大統領がメルケル首相の科学的な説明や理性的な語り口に反発する姿が目に浮かぶようだ。

先の斎藤環氏の著書で引用されるミュージシャン・近田春夫氏の発言も興味深い。
「ヤンキーにとっては、音楽は目的というより、むしろ手段であることが結果的に多い」「平たく言えば、それは表現である前にまずビジネス(シノギ)なのだ」

音楽などの表現活動がビジネスならば、政治活動がビジネスにならないわけがない。そこには理念もなければ、正義といった観念もない。ひたすら商業的な成功を追い求め、勝者になる快楽を欲する。

だから“ヤンキー政治”は、手段を選ばないという方向に進む。すなわちルール無用。相手の弱みに付け込む、脅す、抱き込む、罠にかける、噓をつく…何でもありである。

保護貿易主義によって、鉄鋼や自動車などの製造業が巨額の貿易黒字を生み出す産業に生まれ変わると本気で思っているのだろうか。中国には、赤字削減に協力しなければ日用品や衣料品にも高関税を課すと圧力をかけるが、軽工業が先進国で復活することはありえない。

製造業で新興国に勝ちたいと本気で思っているのならば、賃金を引き下げ、生活水準を落とすしかない。そんな覚悟もないくせに、なにが民主主義だ。オレたちの時代だ。

「民主主義は欠陥体制とでも言いたいのですか。社会主義の方が優れた政治体制とでも?」

アジアの社会主義国は自信をつけつつある。大衆に自由を与えすぎるのは良くないとの思想を世界にばらまく。
自由を失わないためにも、愚かな大衆のままではいけないと思うわけです。

それとも大衆にとって自由はあまり価値がないのかな。自由のなさよりも金持ちになれることの方がうれしい!と考える中国人が増殖中らしい。先進国でも同じか。大衆と社会主義の親和性は高いということなのか。

とはいえ保護貿易主義では金持ちになれません。保護貿易主義を先進国で採用すれば、物価が上がるだけだ。事実、政治的に守られた産業の供給物は高価だ。つまり生活は貧しくなる。ビジネスとして成功しない。

やはりヤンキー政治はめちゃくちゃだ。多数派の意見が正しいとは限らないというより、感情だけで集結した多数派は常に間違う。多数派の行動が横暴の域に達すれば、その被害は少数派にも及ぶ。

次は、知識人という少数派が反乱をおこす番かもね。

7月3日のW杯ベルギー戦は、午前3時に起きる自信がなかったので観戦を諦めていたが、4時半に目覚めた。
結果だけでも見るか…と思い中継を映し出してみたら、「ゴール!」とアナウンサーが叫んでいた。なんと、アディショナルタイムにベルギーが得点し、しかも勝ち越し点だと言うではないか。

直前まで2−2のドローであったことに驚く。日本が2点を先制して逆転されたと聞いて、さらに驚く。ベスト8進出の可能性が試合終了間際まであったわけだ。

後で知ることになるが、このままいけばベスト8!という状況が26分も続いていた。そのうちの十数分は2点差であり、あとは守り切るだけ!思わせてくれていた。
あ〜見ればよかった。根性で起きているか、目覚ましを掛けておくべきだった。

視聴率は30%を超えたというから、かなりの日本国民が起きていたのですね。3日の午前中に会ったガス会社の兄ちゃんも「見させていただきました」なんて言う。私に敬語を使うことができるぐらい元気だった。

ということは、延長になったりPK戦にでもなったりしたら、ほとんど徹夜状態で働くことになったわけか。そういった意味では、試合が90分で決したことは、国民の寝不足緩和に役立ったのですね。
でも、もし日本が勝っていれば、アドレナリンが放出しまくり、徹夜でも元気ハツラツだったでしょうがね。

私は仕方なく、ネットでダイジェストを見たり、記事を読んだりして、試合経過を嚙みしめることになる。

なに!「結局、相手が10人のコロンビアに勝っただけ」だと! 吉田選手が自嘲気味に話すのは良いが、セルジオなんとかみたいな外野が言葉にすることではないだろう。まずは選手たちの健闘を称えるべきだ。

体格差をものともせずよく戦いましたよ。4試合中3試合で2得点するなんて、だれが予想したでしょう。合計6得点ですよ。6回も歓喜の雄叫びを国民に上げさせた。W杯史上、最高の成績でしょう。こんなに楽しませてくれた代表チームはなかった。

クラブチームサッカーをよく知る人にとっては、日本代表は弱いチームなのでしょう。ヨーロッパの強豪チームで活躍している選手はいない。エースストライカーもいなければ、絶対的な守護神もいない。世界が注目する若手もいないし、スター選手にも欠ける。

しかし日本代表はチームスポーツの妙を発揮。個の力では見劣りする中、戦術の力を見せてくれた。

初戦の対コロンビアでは、開始早々の奇襲が成功した。大迫選手は試合後、ファーストタッチで駆け上がるつもりだったと言っていた。あわてた相手DFがハンドすることになる。

ベルギー戦での得点も後半開始早々だった。これまた奇襲攻撃と言っていい。相手がまだ守備意識が明確でないときに意表を突いた。作戦だったはずだ。

コロンビアにしてもベルギーにしても自分たちの方が日本より強いと思っているから、これらの奇襲攻撃が成功した。つまり、日本に攻撃されるイメージが薄く、自分たちがどう攻撃するかに関心が向いていた。特に、試合開始早々はそうなりやすい。日本はその隙を上手く突いたと言える。

チームの雰囲気も良かった。中田ヒデがいたときのチームとはまるっきり違う。『28年目のハーフタイム』を読んだことによる偏見かもしれないが、中田ヒデは他の日本代表が個の力が弱いことに不満だったと思われる。ミスにも厳しい。中田ヒデみたいな選手がいたら、川島は「次はチームを助ける」なんて宣言しなかっただろう。乾はシュートを打つ回数が減り、柴崎はロングボールを躊躇した、と思う。

セネガル戦を控えての会見で、西野監督が「5キロ増量させ、身長を5センチ伸ばす調整には失敗した」と笑わせた。日本選手が体格で劣ることは明らか。長友、香川、乾の各選手は、セネガルからみればチビッ子。柴崎、本田、岡崎だって小さい。川島もGKとしては低身長。

前監督のハリルホジッチ氏は「デュエル(決闘)」を繰り返したが、個と個の戦いを主体にした戦術は日本向きではない。もちろん個の戦いの積み重ねがチーム力となるわけだし、選手一人一人が決闘の精神を持つことは必要だ。だが、日本チームが個の力だけで勝てる時代がくるとは思わない。

肉弾戦において、身長が低いことのメリットは重心が低いこと。高身長の選手のバランスを崩すことが可能だ。そんな工夫で決闘に勝てないわけではないけどね。<柔よく剛を制す>も通用しそうだ。

でもやはりサッカーはチームスポーツだ。決闘よりチームプレイを重視すべきでしょう。いかにも決闘に強そうなゲルマン魂ドイツは敗れました。個の力だけで勝利をつかむという方法論はもう古い。サッカーはここまで世界に広まった。それぞれの身体特性に合った戦い方があるはずだ。

セットプレイなどでは高身長は有利だ。だからといって、平均身長の高い北欧やアフリカがサッカー界を席巻しているわけではない。アジアのチビッ子サッカーにだって活路はあるはずだ。

新監督には、その辺に理解のある人物を選ぶべきだ。日本サッカー協会は、どうも欧州での監督実績やネームバリューだけで決めるきらいがある。もう少し工夫があっていい。

それはともかく、日本代表は強くなったものだ。Jリーグ発足時はジーコなんて神様だった。いまでは、多くの日本人選手が欧州リーグで活躍している。西野監督は川島を起用した理由を「欧州経験がある」とするが、今はJリーガーでも欧州や南米の選手に気おくれする選手なんていないだろう。

次世代の日本代表よ、めざせベスト8!

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