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反論、質問受け付けますが、何せ思いつくままなので

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祝 W杯1次リーグ突破!
日本代表よ、よくやった。

28日のポーランド戦での最後の15分間は、確かに情けない戦い方でした。0−1で負けている状態を保てば良いとの消極策は、多くのサッカーファンを失望させた。

しかしエンターテインメントじゃないんだから…、予定調和のない勝負の世界なのだから…。戦っている選手や監督にとって、ポーランドに勝つことよりも1次リーグ突破の方が大事なら、こうした戦術はありだ。ルール違反でもない。道義的に許されないわけでもない。

恥だとか、フェアでないといった批判をする人たちは、きっと、エンターテインメントのように楽しみたかったのだろう。中には「子供に説明できない!」みたいな道徳めいた批判もあるようだが、戦い方を決めるのは監督と選手たちであり、それを含めて観戦するしかないのが我々観客だ。

もちろん、W杯はサッカーファンや視聴者に支えられて成り立っている。スポンサー企業も、大衆が注目するからFIFAに資金を投じる。代表監督や選手はファンや視聴者の意見に反論する立場にいない。

その点は西野監督も選手もよく分かっている。西野監督は「観客からのブーイングを浴びながら選手にプレーさせた」と反省して見せた。ポーランド戦の前の記者会見では川島選手が潔かった。セネガル戦での失点は「完全に自分のミス」と認めただけでなく、批判される覚悟がなければこの場にいないとまで言い切った。

それでよい。戦っているのはオレたち選手だ!などとふんぞり返る必要はない。オレたちへのリスペクトを忘れるな!と要求することもない。選手たちは、見ているだけの人間が勝手なことを言うな!という気持ちを封印しているわけではなく、そんな気持ちを抱くことから卒業している。

それに、代表選出の誇らしさや、活躍できたときの喜びは、大衆の熱狂があってこそ高まるというもの。

正直言うと、私は川島選手に期待していなかった。GKは他の選手に変えるべきという意見に賛成だった。GKとしての判断力の機微は分からないが、印象として俊敏性が衰えている気がした。

でもまぁすべては結果だ。1次リーグ突破したのだからオールライト。監督と選手を称えたい。

それと、最後の15分が面白くなかったという批判がよく分からない。点を取りにいかないという判断は大博打だ。もしセネガルが一点を返したら万事休す。そんな賭けをしている消極策であり、私はハラハラしながら見ていた。中継から目をそらす気にはなれなかった。

さらに、この15分間は、もっと面白い展開さえあり得た。たとえばこうだ。

◇残り5分、セネガルが一点を返して同点に追いつく。監督や控え選手が騒ぎ始める。ピッチのいる選手に大声で伝える。このままでは1次リーグ敗退だ。ロスタイムを含めても10分足らず。日本代表は途端に攻撃的なサッカーに変身。怒涛のラッシュをかける。そして歓喜の一撃!◇

このような展開になればもっと楽しめたでしょうがね。消極策なんか取らずに初めから攻撃的であるべきだった!と非難しつつ、さらなる喜びに浸れたでしょうがね。

消極策が大博打であったかどうかも単純ではないでしょう。日本が負けて、セネガル対コロンビアがドローなら、決勝トーナメントに行けるのはセネガルとコロンビアである。しかし日本の負けが決まるのは、セネガル対コロンビアの決着とほぼ同時である。

つまり、セネガルとコロンビアが結託してドローにするなんてありえない。1点勝っているコロンビアは必死で守る。日本が追いつくかもしれない状況では、コロンビアにとってはセネガルに勝つことが決勝トーナメント進出への唯一の道なのだから。

さて、決勝トーナメントに進出したチームの中で、日本は最弱だそうだ。FIFAランキングをみても低位ですしね。(日本は61位。下にはロシア70位がいますが…)

強豪国でも初戦は難しいと言います。代表選手のほとんどが外国でプレーしていて、代表チームでの練習や試合をする機会が少ないからでしょう。コロンビアが日本に負けたのも、そんな初戦の悲劇だったかもしれません。冷静に考えれば、「日本、最弱説」は正しいのでしょう。

それでもいいじゃありませんか。日本代表の戦いがもう一試合見られるのだから。それを幸せに思いましょう。午前3時はキツいけどね…

米朝首脳会談を受けて日本はどうすれば?
安倍首相が金委員長と会うことで得られるものは?

これらの問いに答えるのは非常に難しい。

まず、金委員長にとって最大の脅威はアメリカだ。その親玉と会って当面の安全を確保した以上、その配下のような存在の安倍首相に会う意義は大きくない。軍事的な意味では、会う必要性は全くない。体制維持を認めてもらう相手とも思っていない。

加えて、「核廃棄宣言」だけで納得してくれるトランプ大統領と違い、日本との間には「拉致問題」がある。どこまでやれば「拉致問題は解決」と思ってもらえるのか…。拉致被害者を新たに返還したとしても、「まだ返還していない被害者がいるのではないか」との疑念を持たれる。死亡したとの報告は信じてもらえない。

金正日総書記時代に返還に応じた際の日本の反応がその証拠である。国際法に違反し、人権を侵害したことを素直に認めたわけだが、その勇気を評価する声は聞こえてこなかった。拉致問題は存在しないと言ってきた北朝鮮にとって、前言を撤回するダメージは大きい。にもかかわらず見返りはなかった。

そんなふうに学習した北朝鮮は、日本から戦争賠償金を受け取るのは困難だと感じている。となれば、経済的な意味でも安倍首相と会う意義は低い。
日本への期待としてかつてあった、米朝接触の仲介という役割もすでに無用となった。

日本から得られるものがないとなれば、北朝鮮だって日本に何も提供しない。つまり、日朝首脳会談を行ったとしても、日本が得られるものはほとんどないと判断せざるを得ない。

おろらく、北朝鮮は実質的にも拉致問題を解決できない。存命にもかかわらず返還に応じなかった日本人被害者がいるはずだ。人権を蹂躙した度合いが高い被害者たちだ。解放すれば本人の証言が国際社会に知れ渡る。それが怖いから返還できない。(一方、返還に応じた被害者への人権侵害の程度は低かった)

解決の期待が全くないわけではない。金委員長には逃げ道が残されている。日本人拉致は旧指導層が行ったことであり、自分はあずかり知らぬと申し開きができる。この言い分を日本が受け入れれば、もしかしたら拉致の全容をつまびらかにするかもしれない。

金委員長は今、先代とは違う政治ができる指導者であるとの高揚感に包まれている。日本もこの機会を逃してはいけない、という考えも成り立つ。核廃棄を決断できる指導者であるならば、日本人拉致を主導した旧指導層を処分することも可能、というわけだ。

だが、そのように誘導することが日本政府にできるだろうか。誘導するには、立派な指導者であると金委員長を持ち上げなくてはならない感じだ。そうまでして解決に導くべきなのだろうか。

交渉である以上、相手をおだてて利益を得るという方法論は正当である。でもこの方法には、相手が増長するというリスクが伴う。「まず、そちらが誠意を示せ!」なんて言い出しかねない。

金委員長は外交にも自信を持ってしまった。韓国の文大統領とは会いたいときに会える間柄になった。中国の習国家主席との会合も容易になった。トランプ大統領にも気に入られた。

それにしてもトランプ大統領の金委員長に対する評価は異常だ。「非常に気が合う。とてもいいことだ」と記者団に明言。さらに、FOXテレビのインタビュー(17日)では「彼は強い指導者だ。彼が話す時、国民は直立して聞く。アメリカ国民も同じようにしてほしい」と語る始末。

トランプ大統領もついに狂ったか! もはや“持ち上げる”とか“おだてる”の域を超えている。まるで北朝鮮の独裁体制を賛美しているみたいじゃないか。オレも金正恩のような独裁者になりたい!と言っているに等しい。西側の国のトップとしてはあり得ない表現だ。

この絶賛は、日本の対北朝鮮政策にも大きく影響する。金委員長は、安倍首相にもトランプ大統領と同等以上の評価を期待する、というか、同等以上の評価をしなければ日本と交渉しようと思わなくなる。そこまで増長させる威力がトランプ発言にはある。北朝鮮は日本をアメリカの属国としか見ていないのだから…

こうなると、日本にとってはトランプ大統領が鬼門だ。日本も「核廃棄」だけで満足せよ!という方向性になりかねない。

北朝鮮問題に限らない。通商政策においてもトランプ大統領は日本に悪影響をもたらす存在になりつつある。
TPPから脱退し、イラン核合意にケチをつけ、パリ協定を否定し、貿易戦争に火をつけたトランプ…。当然、国際社会からは不平の嵐が降り注ぐ。国内でも、容赦ない愚弄の言葉を浴びている。

つべこべ言われたくない!――そんな苛立ちの中にいるトランプ…。政治経験があれば、周りからつべこべ言われることへの耐性も少しはついていたのだろうが、不動産王とおだてられてきた経験しかない。指図されるなんてもってのほかだ。独裁者にあこがれる素地はあったと言えよう。

文句を言われることへの耐性のなさという弱点を抱えた人間は怖い。沸点を越えれば苛立ちは狂気へと成長しかねない。そんな人間と良好な関係を築かなければならない安倍首相も大変だ。

いきなり指導者の地位に就いた金委員長も同じ弱点を抱えていると見るべきだろうが、日本は、そんな若き指導者の増長を怖がっている場合ではないのかもしれない。軍事的に同盟関係にあり、経済的な結びつきの強い国のトップの狂気の方がはるかに恐ろしい――そんな状況の中に日本はいるように思います。

祝 米朝首脳会談!
トランプ大統領も金委員長も、共に楽しそうでした。
会うだけで世界的なニュースになる。両者とも、歴史的会談の主役になれたことの興奮は隠せない。

金委員長がトランプ大統領につぶやく。「世界中の多くの人々は、これをSF映画のファンタジーだと思っているでしょうね」。

トランプ大統領の口舌も快調。会談の冒頭から「すばらしい気分だ」と宣言し、会談後も「だれもが期待していたことよりもはるかに優れた仕事を成し遂げた」と自賛。北朝鮮との関係は「これまでとはまったく違うものになる」と、過去の大統領との違いを強調して見せた。

金委員長にしても、父祖にはできなかったことを実現した高揚感にあふれる。対等に歓談し、体制維持をアメリカに認めさせた成果を、誇らしげに自国民に伝えた。

これだからリーダーはやめられない。国家元首としての愉悦は、世界を驚かせたときにこそ味わえる!…といったところか。

共同声明によれば、トランプ大統領は「北朝鮮に安全の保証を与えることを約束し」、金委員長は「朝鮮半島の完全な非核化に向けた債務を再確認した」そうだ。施策の具体性に乏しいことから、マスメディアや識者からは、実現を危ぶむ声が多い。

でもよかった。日本にミサイルが飛んでくることは当面なくなった。豹変しやすいトランプ大統領といえども「すばらしい関係を築いた」と公言したからには、両国の政府間協議はしばらく続くだろう。

それにしても、金委員長はどうして急に外交的になったのか。

昨年の11月のブログ記事では次のように書いた。
<金正恩委員長は外交どころか政治経験さえない。他国との交渉を取り仕切る自信など全くないに違いない。もっと言えば、外国人と話し合うことが“怖い”。よって外国訪問などもってのほか。中国さえ行けない。自分の城から一歩も外に出られない引きこもり児童と同じ心境と察する>

同時に、<金委員長も他国トップとの面談という初体験を済ませれば少しは落ち着くのではないか>と、変わる可能性も示唆したが、当時はもう手遅れだと思っていた。指導者になって6年、外国要人との接触といえば、元NBAのロッドマン氏(要人?)ぐらいしか思い浮かばなかったからだ。

すべて訂正しなければならないぐらいの急変だ。金委員長もさすがに危機感を覚えたか。それとも、打って出る機会を前から画策していたのか。核を持ち、ICBM完成に自信を得ての転身か。

国際社会は、私が指摘するまでもなく、金委員長の外交に対する自信のなさを読み取っていた。一歩も国外に出られない小心…そんな評判を本人も感じ取っていたことだろう。そんな心中の最中、トランプ大統領から飛んできた「チビでぶ」発言。外国の元首に直接的に挑発された衝撃はいかばかりだったか!

金委員長にとって、意気地無しのままで終わるわけにはいかない!との思いは強かったはずだ。実際、自ら声明を読み上げ、お返しとばかりにトランプ大統領を罵倒した。今までなかったことだ。

ただ、それだけではないだろう。
思うに、アメリカに対する軍事的挑発はもうやり尽した感があったのではないか。核開発など、できることはすべてやったということであり、経済的にも技術的にも限界に達したという意味でもある。

とはいえ、切羽詰まって外交姿勢に転じたという感じとも違うように思う。金委員長の心境としては、次のステップのつもりであろう。軍事強国の次は経済発展、という気分なのではないか。

もっといえば、我がままお坊ちゃまの興味が変わった。自国経済を先進国並みに向上させることを、オレの手で成し遂げてみよう!という野望が芽生えた。

そのような願望は、共産主義を標榜する国にとって、いったんは潰(つい)えたはずだった。前世紀の終盤、ソ連邦の経済は疲弊し、東側諸国の政権は次々と倒れていった。ところが、今世紀に入り、中国をはじめアジアの共産主義国家の経済は発展していく。

つまり、共産主義体制のままでも資本主義経済を導入できることが証明された。外資を受け入れ、企業を誘致し、貿易を活性化させることができる。近代化への道は、政治体制を問わず開かれていた。

さらに、軍事独裁の国家でも自由主義経済圏に仲間として入れてもらえる。民主制に向かう姿勢さえ示せば、先進国から経済支援や技術支援が受けられる。そんな事例が増えた。

さらなる楽観は、人権にうるさい西側諸国から支援が受けられなかったら、中国に頼れば良いという時代の変化だ。経済大国になった中国は、経済規模の小さな独裁国家への支援に熱心であり、実績を重ねている。

となれば、北朝鮮にとって経済発展を阻害する要因はただ一つ、アメリカからの軍事攻撃だ。その脅威さえ押し止めておけば、経済発展への道筋は幾通りもある――そんな思惑があっての転身ではないのか。

外交的になるのは悪いことではない。だが、注目されることに心酔しやすいリーダーというのは、“道楽”のような政治をしがちだ。火遊びに飽きて外遊ごっこをしてみたけれど思惑通りにいかない、となったらどうする?
金委員長もトランプ大統領も、共にふくれっ面がよく似合う。

心理カウンセラーの大嶋信頼氏は言う。
<嫉妬されやすい人は、自分を実際より「劣っている」と考えがちです。真面目で謙虚で、もっと自分を高めなくては、と常に努力するタイプです>(『THE21』2018年4月号)

反対に、嫉妬するタイプは<自分は評価されて当然だと思っているので、賞賛や評価や関心などを「奪われたくない」思いが強くなります>
<そんな嫉妬体質の人物にとって、謙虚な性格の持ち主は「自分よりも周囲から優しくされやすい人」、つまり脅威になります。自分のほうが優れているはずなのに――と思うと我慢ならず、何かしら口実を見つけて攻撃します>

分かる。4月に書いた『少数派だから冷遇され…』での私の主張を下支えしてくれる心理分析だ。

嫉妬されやすい人はどうすべきか。大嶋氏は「正しいか否か」より「快・不快」を重視することが、自衛策のヒントだと述べる。
<謙虚さ・真面目さ・高潔さを、捨ててしまえばいいのです。相手は自分に嫉妬しているだけだ、自分のほうが上だ、相手がバカなのだ―と笑い飛ばすのが一番です。「自分が上と言える根拠は?」などと考えてはいけません。理由など度外視し、「とにかくあっちが悪い」と思える不真面目さを持ちましょう>

痛快だ。自分の良さを消してしまうことにもなるが、“目には目を”ぐらいしか方法がないと言いたいのだろう。相手は自身の快楽だけを求める自堕落な人間だ。真面目に対処していても埒があかない。謙虚さのカケラもない相手なら、こちらも謙虚さを振るい落とし、相手を軽蔑するぐらいの気構えがないと防御壁を築けない。

私は『頑張りすぎないため…』との記事で、組織内で生き延びるための処世術としては、突き放すのではなく巻き込むことを推奨しました。でも、大嶋氏が示す自衛策の方が面倒がない。嫉妬するタイプ相手に無駄な神経や労力を使う必要はないと、私も思います。

特に親類縁者や友人が相手の場合は、この自衛策で十分でしょう。私の親族にも「みんなと一緒」が大好きで、その集団の外で楽しみを見つけることを嫌う人がいます。当然、その親族が経験していない体験談を披露しても興味を示しません。あるいは対抗するかのように私が知らない話を振ってきます。

困るのが、優位に立つことが生き甲斐?と思えるほど、事あるごとにマウンティングしてくること。どうも、求めているのは優越感だけでなく、命令できる立場になって実利を得ることのようです。実際、こちらが謙虚にふるまっていると、要求はエスカレートしていく。

嫉妬するタイプは、図に乗るタイプでもある。謙虚さは危険です。

先日、久しぶりに会った友人も相変わらずでした。私の家の近くに来ると言うのでOKした。ところが行動計画はこちら任せで、まるで「自分を満足させるのはあなたの役目」てな感じです。今まで、こちらから誘うケースが多かったことの反映ですが、こちらに来て遊ぶときは、ほんとに何の役目も担いません。

彼は“もらう”ことが大好きです。行動計画を立てて“もらう”、クルマを運転して“もらう”、ナビゲートして“もらう”、買物して“もらう”、食事を作って“もらう”…。文句を言っても改まらない。それどころか、おごられて当然みたいな態度さえ示す。数年前のことだが、それ以来、こちらから誘うのをやめました。

今回の態度で面白かったのが、ファミレスでの会計の際のやりとり。私が切りのいい金額だけを要求し、数百円おごることを申し出たら満面の笑み。次の瞬間、彼の口から出てきたのは御礼の言葉でなく、なんと「使ってない財布があるので買わないか」だった。それは十年近く前、私のマネをして買った財布である。

彼の理想の生き方は“フリーライダー”。相手の行動力にうまく乗っかって、おいしいところだけを味わおうとする。判断する面倒も避けようとするので、相手の判断を無批判に受け入れてしまうことがある。たとえば、相手が買うのを見て同じ財布を買ってしまうとか。

女子生徒の連れションみたいなものと思えばいいわけで、異常な心理ではない。相手の判断に同調してしまうのは、社会性を備えた人ならだれしもやりがちなこと。問題は、安易に同調してしまった後悔を、謙虚な人を利用して埋め合わせようとする意地汚さにある。

彼もかなり嫉妬深い。特に損得には敏感だ。私より一円たりとも損をしたくないと思っている。若い頃、焼き肉食べ放題で“負けた”思い出を今もって忘れない。私の方が余計に食べたからだ。二度と行きたくないそうだ。

ただ、この異常な嫉妬深さは誰に対しても発揮されるわけではない。対象は兄弟や、自分が優位にある気にさせてくれる謙虚な人たちのみのようです。それ以外の人との接触はむしろ避けている様子。
そういえば、ある共通の友人との飲み会に彼を誘ったら、彼は断った。理由は割り勘負けの恐怖が主だと思うが、共通の友人は社会的にある程度成功しているので、気が引ける部分がありそうだ。

嫉妬するタイプは、要は“幼い”わけである――との結論は前にも書いた。愚痴の内容も繰り返しだ。
そこで、最後に変化球。はたして嫉妬深いことは悪いことなのか。一般的には、人間社会の利点になっている側面がありそうだ。

他者と比較する習性があるからこそ、格差に目が行く。格差を悪とする考えは一般的だが、格差を嫌悪する心理は、嫉妬する心理と地続きに見える。
他者との優劣が気になるからこそ、弱者に目が行く。弱者を守ろうとする考えは一般的だが、弱者擁護の心理は、嫉妬する心理が授けているように見える。

自分を基準に他者も嫉妬深いと想像するからこそ、格差無き平準化を願い、弱者を優遇したくなる。

「加計学園理事長とお会いしたことはありません」。またか。まだ続くのか。安倍政権よ、もう飽きたよ〜

記憶にありません。
記憶はあるが、記録はありません。
記録はあるが、記載はありません。
記載はあるが、記憶にありません――こんなループが繰り返されている。

都合の悪いことが発覚しても、このループに落とし込めば切り抜けられる! 敵が突きつけてくるのは状況証拠ばかりだ。強気を貫けば、そのうちうやむやになる。自分に都合の良い記憶に限って断定しておけばよい!

…そんな対処法が確立した感がある。幼稚な対処法だが、我が国では子供っぽさ=減点とはならない。支持率が高かった昨年、「愛嬌が人の武器になるのも日本独特のもの」(最首悟)と論評する人がいました。愛嬌が武器になるのは万国共通だから、正確には「愛嬌がリーダーの武器になるのは日本独特」とすべきでしょうが…

さすが<カワイイ>文化が花開いた国だけのことはある。「ウソばかりついているとママに言いつけますよ!」「反省しないとママに怒られちゃいますよ!」なんて𠮟ってみたくなる人はカワイイ!

太田理財局長が「国会審議を冒瀆したという批判を浴びても、何も言い逃れできない」と潔く陳謝している傍らで、自分に責任はないとばかりに厚顔でいられるのも、子供じみた自己正当化に逃げ込むのが得意だからだ。

規範意識の低い人は、実は、誤魔化しているとか、噓をついているという認識を持たない。会ったうちに入らないという気分さえあれば「お会いしたことはない」と口にできる。話をしたうちに入らないと自分に言い聞かせるだけで「話をしたことはない」と変換できる。そこに罪悪感はない。

振り返れば、規範意識の低いリーダーは、短期間しか活躍できなかった。田中角栄なんかもそうでした。大企業の経営者も不正がバレて短期で退役する。彼らのユニークな活躍はときに有益だが、いずれは、規範を守ろうとする勢力につぶされる運命にあった。

しかし、世の中は変わってしまったようだ。他の先進国でも、規範なんかに目もくれず、権勢をふるうことに専念するタイプのリーダーが台頭しつつある。フェイクニュースに熱狂する大衆の支持を得ながら…

ただ、この自己正当化に溺れやすい性格は、大きな弱点を抱える。子供は他者に嫌われると、とても傷つく。

田中角栄は札束をばらまいて権力を手にした。みんなに好かれたいから金を配ったのであり、味方を増やすことで地位の確保と安定を図った。だから、同族議員に裏切られたときのショックは大きかった。晩年、精神に変調をきたしたのは、このショックが大きく影響したと私は推量する。

安倍首相も支持率に敏感だ。支持率を上げるためなら、消費税増税の約束を反故にしても平気だ。つまり、みんなに好かれるためならば、自分の信用が落ちたってかまわないのである。

解散総選挙に打って出るタイミングも、似たような心理が作用する。野党からの攻めがきつくなったり、メディアや専門家からの批判が高まったとき、それらを打ち消す方法として真っ先に思いつくのが、選挙に勝って自分には味方が多いとアピールすることである。

本来なら、反撃し、反論を尽くした後に「国民に信を問う」ということになるが、愛嬌で生き延びてきた人は反撃や反論があまり得意ではない。攻撃されれば𠮟られた子供のように感情を乱し、言い訳も稚拙な言葉の繰り返しになりがち。いきおい味方の数で勝負!という心理になる。

そして、味方を執拗に求めるリーダーだからこそ、<忖度文化>が育まれていく。

このようなリーダーが側近を選ぶ基準は、自動的に「自分を好いてくれる人かどうか」になる。業務遂行の能力は二の次、ましてや有意義な“戒め”を与えてくれる人では決してない。自分の意を先回りして体現してくれる人は、さらに好ましい。味方であることの最高の表現だからだ。

もっとも、官吏にとって、忖度は有能さの証である。民間企業においても上役の意をくむことが部下としての務めであり、出世のキモである。閣僚の意向を無視して官吏は務まらない。指示待ち社員じゃあるまいし、命令されるまで動かないようでは単なる下僕である。

しかし、忖度だけに注力するとなると別の問題が発生する。リーダーにのみ奉仕する者となり、意志を持たない忠犬に堕する。受け持つ業務の目的を忘れ、責任感は消える。

忖度が習慣化すると、リーダーからも責任感が消えていく。直接指示しなくても自分の意向が実現していくのだから、いちいち責任を意識する必要がない。単なる“責任ある立場”という気分に後退していく。

この“相互に無責任”という体制も「日本独特のもの」ではなかろうか。
先の大戦時も、高級官僚たちは無責任だったようだし、敗戦時には、権力者たちの責任逃れを主な目的として、公文書が徹底的に焼却処分された。

エリート官僚も、政治家も、本来は誤りたくないし、謝りたくもない。そのための究極の方法は、官僚たちにとっては“判断しない”ことであり、政治家たちにとっては“指示しない”ことである。そんな両者にとって<忖度文化>はまことに都合がよい。

そして事件は起こる。実行者はプレッシャーの中でやらざるを得なかったと言い、リーダーは指示していないと言い張る。だれも責任を取らぬまま時は過ぎていく。戦後が終われば、すぐに戦前が始まる。


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