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反論、質問受け付けますが、何せ思いつくままなので

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ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書『ホモ・デウス』が話題である。世界的ベストセラーだそうだが、内容の一部に忌避感を覚える人もいるようだ。
池澤夏樹氏によれば、次のような論理が展開されていると言う。ちなみに私は読んでいない。

<彼(ハラリ)は、生命活動はアルゴリズムであるとあっさり言う。
…生命は自己保存、目前の快楽と子孫の確保を目的とするアルゴリズムに過ぎない。人間の意識は脳内のニューロンが一定の手順に従って信号を処理してゆく過程でしかない。心はこれに付随して生まれるだけで、自己は虚構である。
…自己が虚構である以上、自由意志も虚構となる>(180905)

情緒過多の<文系>の人たちにとっては衝撃的な指摘だろう。ただ、このような機械論的生命観は目新しいものではない。池澤氏もリチャード・ドーキンスの<利己的な遺伝子>を想起している。ハラリ氏は、<アルゴリズム(計算手順)>という新しい概念を用いて説明したにすぎない。

コンピュータは今や、単なる計算機械から人工知能=AIと呼ばれるものになった。データを処理するレベルを越え、人間の代わりに判断するなど、高度な知的活動の一端を担うまでになった。

こうなると、遺伝子という手順書のような概念ではなく、手順そのものに焦点を当てて生命活動を説明したくもなる。だから<アルゴリズム>がキーワードとなってくる。

進化論における<適者生存>の説明だって、Aというアルゴリズムが勝利し、Bというアルゴリズムが敗れたと言い換えられる。もちろんAとBの間に優劣はなく、そのときの環境に適応できたかどうかの話である。

それだけのことのような気がするが、どうも<文系>の人たちは、情緒的に受け入れることができない理論を忌避しがちである。<文系><理系>と人間性を区別するのは日本独特のものだが、私の見たところ、理論に頭を使うことを嫌う人が、理論から逃げるために、しばしば<文系>を自称する。

とはいえ、理系学者の長谷川眞理子氏でさえ、「不完全な人間が考えるより、アルゴリズムにまかせた方がよいのではないか」との結論に誘う『ホモ・デウス』に戸惑っている。「意思決定を機械にまかせたら、人間の意識や<私>の感覚はどうなる?」と書評で述べている。(181020)

なるほど「<私>とは何か」は深遠なるテーマだ。西欧哲学の長い歴史の中で様々に議論されてきた。思想的にも、個人の尊厳を守ることは近代社会の神髄だ。意思決定は他者から強要されるものでも、誘導されるものでもない。人種、性別、長幼の区別なく自由意志を持つことができるとされてきた。

ところが、人類以外の生命体へのまなざしは異なる。個人の尊重は人類にしか認めないという流れが、現代に入って加速する。人類以外の生命体は人類に奉仕するためだけの存在になっていく。科学技術の力を使い、人類に都合よく改造される生命体が増えていく。

農作物となる植物は、収量が多く、栄養素が豊富になるよう改変される。食用となる飼育動物は、成長が早く、加食部位が多くなるよう操作される。人間の役に立つ品種しか生き残れない。競走馬は優れた競技能力を持つ個体以外は人工淘汰。ペットとなる動物などは、それこそ愛玩具としての容姿が求められる。

“改良される”との表現は、人類を主語としたときの表現でしかない。改良の結果、その生物の生命力が弱体化しても平気である。

人類が人類以外の動植物を見る目は、まさに“機械論的生命観”によって色濃く覆われている。特定の個体に対する個人的な思い入れはともかく、人類総体の行状としては、人類以外の生命体は一定のアルゴリズムによって生成する物体としてしか扱っていない。

典型的なのが、近代的な養鶏場や養豚場である。そこは工業生産の場でしかない。鋼鉄製の檻、過密飼育、人口飼料…。「子豚は尻尾の先をニッパーで切り落とされる。短くしておかないと、監禁状態のストレスから互いの尻尾に嚙みつくことがあるからだ」(マイケル・ポーラン著『人間は料理をする』)。

そんな状況下で、人間だけが“機械論的生命観”から逃れようとするのは矛盾だ。ご都合主義も甚だしい。

『ホモ・デウス』の新聞広告にあった惹句が次の二つ。
◇あなたの欲望は機械に操作されるのか
◇人類が「ホモ・デウス(神の人)」と「無用者階級」とに二分される衝撃の未来とは…

もう人類は他の生命体に対して、「神」のようにふるまっていると言ってよい。次の段階として、人類に対しても「神」の視点が向けられるということか。当然の報いかもしれない。

人類も本来は自然淘汰という法則から逃れられない。環境が変われば、特定のアルゴリズムを持つ人たちは淘汰される。多様性は種が絶滅しないための戦略として重要だが、大きな環境変化に見舞われれば、一部のアルゴリズムが消滅するのは仕方がない。

ここで言う“環境”とは、従来は自然環境を意味した。そこに人類が作り出した社会環境を加味して考えるとどうなる。「無用者階級」の発生はあながち無謀な想定とは言えない。

将来の社会環境として、AIによる支配という想定がありえる。そのような社会環境に適応できない人たちが「無用者階級」となるわけか…。意思決定を機械にすべてゆだねることによる無力感、依存 責任感の喪失…。そんな人生に耐えられない人たちが「無用者階級」となるのか。

おや? ということは、すべてを機械にゆだねることができる人が、むしろ適応的ということ?

先日、日銀が物価見通しを引き下げたが、ほとんど話題にならない。すでに2%達成が難しいことを認めており、その上での微調整でしかないからだ。日銀が10月31日に示した数値は、2018年度が0.9%(前回1.1%)、19年度は1.4%(同1.5%)、20年度が1.5%(同1.6%)。

日銀は2013年以降、異次元緩和と称する金融政策を掲げて2%の物価上昇を目指したが、思い通りにはいかず、1%前後が続く。日銀の物価見通しは、もうだれも信じない希望的数値になっている。

ところで1%の物価上昇ってなんなんでしょうね。庶民の一人としては実感が湧きません。個人の消費生活において1%なんて誤差の範囲内でしかない。黒田氏が日銀総裁になって以来、判で押したように毎年1%前後なのもよく分からない。学者なら、統計数値は母数が多くなるほど誤差が小さくなるとでも言うでしょうがね。

日本の場合、内需要因で物価が上昇することはもうないのではないか。物価は需要が高まってこそ上昇する。日本は少子高齢化が進む。人口が減れば、消費財の需要は減る。高齢化が進めば世帯平均の消費額は減る。少子化によって、子育て費用も減っていく。

今の高齢者は元気だから、昔と比べれば観光や娯楽への支出は増えているのだろう。健康食品などシニア向け商品も盛んに宣伝されている。だが、収入が限られる高齢者に需要拡大の役割は担えない。

高齢化によって需要が高まる消費財はある。医薬品や介護機器などの需要が拡大する。ただ、医療や介護費用の大半は保険制度で賄われている。つまり、現役世代の可処分所得を減らすことで成り立つ需要である。

しかも高齢者の多くは年金収入に頼る。つまり、収入の大半も現役世代からの贈り物ということになる。一方、高齢者に医療や介護サービスを提供するのは現役世代。高齢者が購入する消費財を製造・販売するのも現役世代。ということは…。高齢者と現役世代との間で資金が循環している構図が目に浮かぶ。

現実の高齢者経済はこれほど単純ではないが、高齢者が国内需要に貢献する度合いはやはり低い。

2%の物価上昇を目指すのはなぜか。それは、経済が順調に発展している指標のようなものだからだ。経済学者たちが導き出した結論のようで、先進国の多くが2%に固執する。2%を上回れば景気が過熱、下回れば景気が低迷と判断される。

でも本当だろうか。過去の経済統計から導き出された単なる相関関係でしかないのでは? 本来の順序は逆で、景気を上向かせる要因が先にあり、それにともなって物価が上昇していく。そう見るのが正しいのでは?

先進国の経済成長率も近年は1〜2%で推移する。経済成長率が上向く要因は物価押し上げ要因よりも多岐にわたるが、両者が連動することからも分かるように、需要拡大が経済成長の強力な要因となる。

日本の経済成長率は、2016年が1.0%、2017年が1.7%。IMFの7月時点での見通しでは、2018年は1.1%、2019年は0.9%。物価上昇率と似た数値が並ぶ。これに対し日本政府は、生産性を飛躍的に向上させればさらに高い経済成長率が見込めるとする。

確かに、生産性が上がれば人口が減っても経済は成長する。ただ、生産性の上昇は供給力の増加を意味する。増加した供給を受け止める需要がなければ無駄になる。経済成長に結びつかない。輸出を増やすか、外国人観光客に消費してもらうしかない。

外国人観光客は増加している。いや急増している。観光庁の訪日外国人消費動向調査によれば、訪日外国人旅行者数は2011年に622万人だったのが、13年に1千万人を突破。15年は1,974万人、17年は2,869万人。旅行消費額は2011年の8,135億円から17年には4兆4,162億円と5倍以上になった。

日本の国内総生産は500兆円規模だから、4兆円と言えば0.8%に相当する。一年で1兆円増加すれば、経済成長率を0.2%押し上げる。1%程度しか成長しない日本経済への貢献度は大きい。

ただ、1%程度の消費増なら、日本の富裕層だって貢献できるだろう。ここ数年、株価は上がり、大企業はベアを積み上げた。大半の日本人は恩恵を受けていないが、収入が大幅に増えた富裕層はたくさんいる。もし上位10%の日本人が、消費額を10%増やせば、国民全体の消費総額は1%増加する。簡単だ。

「ふるさと納税」は節税対策に利用されているだけとの非難があるが、この制度なんかも、高額所得者に節税という喜びを与えて、気前よく消費してもらうことが目的なのかもしれない。貧しい人の収入を増やすよりも、消費慣れした富裕層の収入を増やす方が効果が高いとでも思っているのだろう。

まぁ仕方のないことだ。前にも書いたが、一般的な人は衣食住が足りれば消費意欲は落ちる。先進国で衣食住に窮する人はとても少ない。否応なく消費が増える子育てをする人も減っている。となれば、内需拡大は難しい。

人類の欲望はほぼ満たされたという見方もできる。飢えは無くなり、死の危険を遠ざけることができた。さらなる豊さ、老いや死を遠ざける努力もなされているが、総体としては、人類の意欲は減少傾向だろう。

高齢化による意欲の減退も大きい。好奇心が衰える高齢者が増え、新しいモノを欲しがる若者が減っている。しかも若者の収入は少ない。次々に新製品が出る時代になったが、手に入れたければ他の消費を減らすしかない。

これらは先進国全般の傾向だろう。だから物価上昇率も経済成長率も低迷する。人口が増加している国だけが2%以上の成長率を達成できるだけのこと。人口が増えない先進国は、デフレに陥らないよう無理やり消費を増やし、経済規模が縮小しないよう奇策を弄している状態なのだ。

この状態を全面的に悪いとは言わない。だが“無理やり”が続けば、必ず歪(ひず)みが蓄積される。いずれ揺れ戻しが来る。大きな反発力が我々を襲う。

<「ブラジルのトランプ」が新大統領に>だそうだ。トランプ流の選挙戦術は今や世界のトレンドらしい。トランプ政権を責めても、この流れを食い止めることはできそうにない。

政治家は選挙に勝つことによってしか地位を保てない。トランプ流の選挙戦術が有効となれば、政治思想の違いを越えて、トランプ流を採用するようになる。粗野な言動で大衆を扇動し、野暮なつぶやきで大衆を惹きつける。政治家の多くはそのような振る舞いを身に着けるようになる。

ヨーロッパ諸国はすでにその方向に進んでいる。今週は、ドイツのメルケル首相が党首を辞任、というニュースがあった。自国とEUを長らく率いてきたリーダーであり、トランプ大統領の手法を強く非難してきたベテランも、厳しい選挙戦を強いられている。移民排斥派が勢力を増している。

トランプ流の政治が功を奏しているとの見方が国際社会に広がれば、さらに恐ろしいことになる。選挙戦術だけでなく、政治手法さえもトランプ流を真似る国が増えていく。
日本もいずれ、その潮流に巻き込まれていくのだろう。日本も移民に頼る社会になりつつある。

なんくるないさ〜。トレンドなんだから仕方ないさ〜。私も非難することに飽きてきた。半年ぐらい前に聞いた、ある識者の言葉を思い出す。「だれかが止めてくれるだろうと思っているうちに状況は悪化していく」。

こうなったら、先人にならって政治を戯画化して自らを慰めるしかない。歌でも歌いながら笑い飛ばすしかない……ということでラップの歌詞を考えてみた。頭韻を多用してみた。

♪ いっしょに走ろう、トランプとラン
♪♪ 大衆のみなさん、あんたが大将
♪♪♪ オレたちゃ大軍、大砲で大勝

♪ いっしょに灯(とも)そう トランプのランプ
♪♪ 大衆の憎悪を 照らして増幅
♪♪♪ 奪って増収 明るく増長

♪ いっしょに楽しもう トランプのトラブル
♪♪ 大衆の正義で 壊そう正論
♪♪♪ フェイクで攻めろ、フェンスで撃退


さて、そんな時代をどう生きるか。
トランプ流を非難する立場がますます少数派となっていく流れの中で、どう振る舞うべきか。難しいところだ。特別な才能のない一般人にとって、少数派という立場は辛いものである。

多数派に心の余裕があるときは、少数派はむしろ尊重される。惰性で過ぎゆく日常に、刺激を与えてくれる存在だからだ。ときに、動物園でサルを見るような好奇の視線にさらされることもあろうが、少数派はおおむね自由に振る舞え、一定の場所と環境を与えてもらえる。

ところが余裕がなくなると、そうはいかない。鬱屈をぶつける対象となるのが、身近な少数派である。格差の広がりが大衆の不満を増大させていると言ったって、格差の象徴たる富裕層に直接的な攻撃はしない。攻撃するのは、あくまでも身近な少数派である。数の力で倒せるのは、一般人の中に紛れている少数派である。

少数派にとって危険なのは、大衆の頭目のような人物ではなく、その配下にいる人たちである。攻撃を実行に移すのは、たいてい操られやすい人たちである。“犯罪の首謀者は手を汚さない”と同じ構図である。

地域社会でも会社組織でもよくある構図だ。ターゲットを陥れるために悪い噂を流す。虚言を弄して悪者に仕立て上げる。手段を選ばない首謀者は、自分で悪さをしておいて、ターゲットがやったように見せかける。すると、信じやすく感情と行動が一致しやすい配下が、攻撃の実行犯になってくれる。

ネトウヨという現象にも当てはまる。ネット上で盛んに「国民の敵」攻撃を繰り返すのは、実は高学歴の壮年層だという調査結果がある。実際に行動に移す人が低学歴の非正規労働者であるにすぎない。

となれば、少数派が身を守るためになすべきことは、操られやすい人たちをこちらの味方に仕立てること、となりそうだ。頭脳戦みたいなものか。だが少数派には戦いに興味がないタイプが多い。頭脳戦なんかやっている暇があったら自分の好きなことをしていたい。だから逃げるという判断になりやすい。

多数派の中で実行部隊となるのは、戦うことが好きなタイプなのだろう。ただ、気が弱いばかりに多数派に付く人も多い。実は気の弱い人間ほど勝ち負けに敏感である。それが証拠に、ターゲットが弱ってくれば、勇んで攻撃に参加してくる。強者の一員であることに酔いしれる。

好戦的なリーダーを応援するのも、気の弱い人たちである。自分の弱さを忘れさせてくれる存在だからだ。
しかし、頭脳犯になれない人たちは、現代戦争では役に立たない。知性が嫌いな大衆は、戦争になってもあまり役に立たない。現代戦争は歩兵重視ではないからだ。

徴兵制は無意味という専門家の話がある。武器が高度化したので歩兵を養成する費用は無駄。戦闘する能力にも意志にも欠ける兵は、実戦では足手まとい。戦費は兵糧より、高度な兵器に費やすべき、というわけだ。

<感情>は快楽にしか興味がない。だから<感情>は反省しない。反省は<理性>の役割だとばかりに暴走する。だが、暴走の先にある戦争では、<感情>は役に立たない。
二つの世界大戦を経て獲得した<理念>が消えていく。このトレンドに密(ひそ)かに抗(あらが)う人が増え、サイレント マジョリティーが形成されることを願う。

アメリカは貿易赤字を抱える。富が流出している。つまり他国に収奪されている――というのがトランプ大統領の論法だ。
収奪を食い止めれば国内生産が上向き、労働者の収入が増える。仕事量の増加は賃金の上昇をともなうから、労働者は今より豊かな生活が送れるようになる――という甘い見通しさえ振りまく。

他国に収奪されているという考え方は恐ろしい。高関税を脅しに他国と交渉することを正当化する。高圧的な態度は、いずれ、他国から収奪しろ!に転じる。

経済学者たちよ、何とかしろよ。単純すぎる考え方だと説明してやれよ。トランプ大統領にしてみれば支持獲得のための方便でしかないのかもしれないが、庶民は本気にするぞ。経済学者たちよ、役に立たない経済理論なんかを発表している場合ではない。庶民を教育する方が数段、世の中のためになる。

アメリカでは単純労働でも時給は15ドル以上。労働者たちは生活が苦しいと嘆くが、彼らの生活は、さらに安い時給で働く人たちによって支えられている。

使っている耐久消費財はメキシコ製で、作った人の時給は10ドル。日用品は中国製で、作った人の時給は5ドル。貪り食っている加工食品はマレーシア製で、時給3ドル。履いてるスニーカーはベトナム製で、時給2ドル。着ているシャツはバングラ製で、時給1ドル……みたいな感じなんですよ。

自分たちが作るよりも安価だから輸入するわけで、これは、他国の労働者を安くこき使っているに等しい。すなわち収奪みたいなものでしょう。左派系経済学者なら“搾取”と呼ぶ。

自国内にいる移民に対しても同じことをしている。移民は職業選択の自由度が低い。それをいいことに、一般のアメリカ人がやりたがらない仕事をやらせている。しかも安い賃金で…。移民が仕事を奪っているというけれど、収奪しているのはどちらでしょう。

傍から見れば、次の図式が成り立ちます。<楽な仕事に就き高賃金を得ている労働者A>は、<過酷な仕事なのに低賃金の労働者B>から収奪している。Bは正当な賃金を得ていない。事実上、Aに奪われている。

でもそんな説明をしても虚しいか〜。Englishしか解さないAmerican Laborがこのブログ記事を読むわけがない…という虚しさではなく、たとえ翻訳ソフトで読んだとしても「それがどうした!」と言われるだけだからです。

豊かな生活とは、生きるための仕事を自分でやらずに他人にやらせること、と捉えることが可能です。食料や生活必需品の生産に自分は従事せず、他人の生産物に頼る。それが安価であればあるほど豊かさは増す。所得の多くを娯楽に費やせる。自由な時間が増える。

歴史を振り返れば、人類は長らく、支配者だけが豊かな生活を送ってきた。その豊かさは庶民に金品を拠出させることによって成り立っていた。つまり、収奪することで豊かさを実現していた。今日でも民主主義が機能していない国や地域では、支配層だけが豊かな生活を送っている。

国家レベルの豊かさ実現も、似たようなものだった。西欧の先進国はかつて、植民地から収奪することによって豊かな国を築き上げた。今は収奪と言えるほどの横暴さは影をひそめたが、先進国と後進国との間には似た構図が残る。後進国の低賃金労働が先進国の豊かさに貢献している。

アメリカは世界一の豊かさを誇る。「その国民であるオレたちが、豊かな生活を送れないなんておかしいじゃないか。収奪される立場ではなく、収奪する立場こそアメリカにはふさわしい」ぐらいの気持ちがAmerican Laborにはありそうだ。他国に収奪されているというトランプの叫びは「オレたちの叫びでもある!」

しかしアメリカは世界一を保てるのか。トランプ政治は国力増進につながるのか。非常に疑わしい。

アメリカは科学技術の各分野で長らく先端を走ってきた。コンピュータ、インターネット、ITなど新しい産業を切り開いてきた。研究開発に巨額を投じることができ、ベンチャー企業の輩出を促す自由な風土があったからだ。世界中の知性がアメリカを目指し、富の増加に貢献した。

一方で、旧来の産業は他国に追いつかれる歴史であった。技術移転は思った以上に速かった。その結果、輸入が増え、富の移転が進んだ。おかげで他国も研究開発に多額を投じることができるようになる。

GDPトップの座は中国に脅かされつつあるが、科学技術におけるトップの地位も、中国に追い抜かれるとの予測がある。研究開発に投じられる予算がアメリカを凌駕する勢いだからだ。
<米調査会社CBインサイツによると、中国のベンチャーによるAI関連の資金調達額は17年、米国を抜いて世界一になった>。
クリーン・省エネ技術についても、ジョン・ホルドレン氏(オバマ政権時の大統領補佐官)は危機感を示す。トランプ大統領はパリ協定から離脱するなど環境問題に冷淡だ。「米国が投資を怠れば、中国や日本、欧州に先行を許す。彼らは40兆ドルのパイを山分けし、米国は技術を他国から買うことになる」(0508)。

アメリカが世界一を保つ分野は軍事力だけという時代が、いずれ訪れるかもしれない。そうなれば豊かさを維持する手段は限られる。効率よく収奪するには暴力で相手を屈服させることが一番となる。

この考えに大衆も賛同するだろう。世界一の大国の国民であることに浮かれ、慢心し、努力できなくなった大衆は、収奪によってしか生きる道がなくなる。大衆主導による戦争という時代!

感情の大きなうねりでしかない大衆の意向。その意向を最大限に尊重する社会。民主主義から大衆至上主義へ!
粗野で野暮な人間だからこそ大衆のリーダーになれる!
王様の時代は王様が失敗し、軍人の時代は軍人が失敗し、エリートの時代はエリートが失敗したように、大衆の時代は大衆が失敗する。

<トランプ氏の再選を予想する米国人が増加>だそうだ。CNNの世論調査(10月4〜7日)によれば、46%が再選を、47%が敗退を予想した。3月の調査では、再選予想40%、敗退54%だった。

識者の一部もトランプ擁護になびき始める。ある人は「民意がエスタブリッシュメントのうそを正すというメカニズムが機能している」と表現。(1016)

またある記者は、トランプ支持者を取材した感想として、政治の機能不全によって“民主主義の危機”が招来し、その結果としてトランプ旋風が起こったとの見方を披露。(1017)

いずれも、メディアに叩かれ続けてもコアな支持層が離れないことを意識している。だが私には、民意への安易な追随にしか見えない。ピントが外れていると言ってもいい。

“民主主義の危機”を唱える言論人の意図は何か。トランプ大統領は、自分を批判する記事を「フェイクニュース」と攻撃し、それらを報道するメディアを「国民の敵」とまでののしる。メディア側にしてみれば、トランプ大統領が“民主主義の危機”の原因となっている。一方、大衆にとっては“危機”ではない。

8月に、<トランプ大統領のメディア攻撃、全米400紙以上が社説で非難>という出来事があった。先日、さらに踏み込む動きがあった。<米国ペンクラブが16日、メディアに対するトランプ大統領の行き過ぎた攻撃や圧力が表現の自由を定めた米憲法修正1条違反に当たるとして、ニューヨークの連邦地裁に提訴>。

メディアの存在そのものを否定するかのようなトランプ大統領の振る舞いに、言論人の怒りは治まらない。民主主義国家に、そのような大統領は存在していてはならない!ぐらいの怒りを感じる。

欧米の近代国家にあって、そこまで言論界から突き放された国家元首は珍しい。現職に留まることは難しいとの観測が出てもおかしくない。ところが民意はそれに呼応しない。支持率は4割台をキープする。

こうなると、批判することが得意な識者たちも不安になる。すべてを疑うよう教育されてきた彼らは、常識や過去の自分の考え方さえも疑い始める。やがて思考は煮詰まり、ベクトルは反転する。

記者たちはというと、民意に同化するという形で転向していく。大衆に寄り添うことが好きな彼らは、言論界で主流の意見とは異なる民衆の意向こそ伝えるべきと考える。やがて、単なる伝達者から擁護者になっていく。

転向などと大げさな表現を使ったが、リーダーに対する見方の変化はよくある現象だ。トランプ大統領でさえそうなったかという感慨を持つが、そろそろ起こるだろうとも思っていた。

権力者は時間とともに権威を帯びていく。その地位にとどまっているというだけで、民衆は威厳を感じ、その言動に敬意を示すようになる。権力者がそれなりに板に付いてくるのは、本人の意識の成熟だけでなく、民衆の認識の変化によるところが大きい。

大衆は権威が好きだ。権威に従うのが大好きだ。生活苦に陥るなど直接的な被害を受けない限り、権力者に権威を与え続ける。権威の増大に加担する。

そこに理由はない。権力者が何をやっているのかにさえ関心がない。権力者の判断や行動が自分たちに何をもたらすのかを考えようともしない。というより、考えるという面倒を避けたいから、盲目的に従えばよい権力者の出現を歓迎する。

だからトランプ大統領の王様気取りにも意を介さない。7月、ユンケル欧州委員長の訪米前にツイッターで「アメリカを不公平に扱ってきた国々が次々に交渉にやってくる」と放言したが、頼もしく感じるだけのこと。

大衆にとって、敵を指し示してくれる権威は、さらに好ましい存在である。我々は収奪されている! それが苦境の原因だ! 中国やメキシコやカナダやEUや日本のせいである、移民のせいである!

敵視政策は、苦境に陥る大衆に憂さ晴らしを与えるだけではない。苦境を打開するための努力なんかしなくてもよいとの甘い囁きにもなっている。あり難き大統領である。信者になりたくもなる。

しかしトランプ大統領は尊大である。
尊大な人間は暴走するという法則は、小学5年生でも分かる人間理解の初歩だ。
すべてを他人のせいにして安逸をむさぼる人間は没落する。中学生にも分かる理屈だ。

言論人たちは、尊大さに危機感を覚えているのである。トランプ大統領の言動に同調する信者たちも尊大さを身に着けつつある。それを食い止めることがトランプ批判の真意である。

「民主主義とは何か?」は深遠なテーマだ。普通選挙を実施していれば良いというものではない。大衆に支持された人間が統治者になってさえいれば民主主義が機能していると考えるのは単純すぎる。

「スマートな“上から目線”の人々を嫌い、凡庸で野暮な存在に親近感を覚える」とは古谷経衡氏による日本のネトウヨに対する論評だが、大衆一般に通じる共通感覚でもある。そんな感覚頼りの投票行動でよいのかと、謙虚な大衆なら考える。だが甘やかされた大衆は、自分の感覚を全面的に肯定するようになる。

「民主主義というのは、共同体を壊すもの」と説く宮崎学氏は普通選挙を手放しで肯定しない。<投票というだれでもできる単純な行為に、政治行動が「単純化」される>。その結果、民主主義は形骸化して行った(『突破者外伝』)。日本の戦後政治への論評だが、民主主義国全般への警鐘となろう。

大衆の意向に従い、選挙結果だけに頼る民主主義は、尊大な元首を生み出し、尊大な政治となり、尊大な思考を民衆に蔓延させる。個々の政策の良し悪しの問題ではない。


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