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考えさせられる結末だ。ライトノベルを読む気分でいたら、最後にガツン!とやられた。
<人生の苦みを嫌というほど強烈に描いた青春ミステリー>(瀧井朝世)との解説にウソはない。
主人公は青年になりたての高校一年生。そのモノローグで進む。普通の青年であるから、その世界は学校と家庭だけで占められている。描写は簡素で、心理表現も単純。正に青春モノである。
しかも物語の冒頭で、いきなりもう一つの世界にワープしてしまう。自分が生まれていなかった世界、それ以外はほぼ同じ状況の同時代の世界にである。
そんな設定もあって、『時を駆ける少女』に似たSFチックな作品かぁ〜と思いつつ読み飛ばすことになる。
だから兄や同級生の死に直面し、両親の不和に悩まされていても、単なるミステリーの道具立てにしか感じなかった。早く結末が知りたい!であった。
ところどころに青年特有の深刻な物言いはあるが、特殊なものとはいえない。
「ぼくは大抵のことはすぐに受け入れることができる」と、主人公は繰り返し自己確認する。新しい環境も、新しい現実も、すぐに受け入れることができるということらしい。
しかしそれは、傷つくことを回避するために習得した消極策にしかみえない。自己防衛手段としてはありきたりだ。
元の世界では存在しなかった姉が吐露する次の自省の言葉も、多分に主人公自身のことを指す。
「自分のコンプレックスを他人に投影してこき下ろして胸すっきり、ひとを罵ることだけ一人前、みたいな。フミカも最悪だけど、これも一種の最悪だよね」
実際、主人公は、自分も同じ事をしていると後で気づく。
フミカというのは、「ひとの傷口を記録するのが趣味」という高校生。傷口を記録するとは比喩で、具体的には不運や不幸の渦中にいる人間の表情を写真に収めることを指す。
大人の世界でも、こうした人間性に多々遭遇するわけだが、思い返せば、中学ぐらいまでにおおむね身につけるものなのだろうな。いやらしい人間は、中学の頃には既にいやらしい。そのマイナス面を痛烈に感じる体験をしない限り、そのまま大人になる。
主人公は、自分がいなかった世界を知ることで、自分のマイナス面を目の当たりにすることになる。この体験は強烈だ。自分がいなかった方がよかった? 自分がボトルネックだった?
「ぼくも、ぼくなりに生きていた。別にいい加減に生きてるつもりはなかった。しかし、何もかもを受け入れるように努めたことが、何もしなかったことが、こうも何もかもを取り返しがつかなくするなんて」
自己防衛だけの生き方が何をもたらすか、という予測ではなく、何をもたらしたかという結果を突きつけられる。これはきつい。
この結末はちょっとした衝撃であり、己はどうなのかと振り返ることになる。
確かに不作為は、ときに大きな罪になる。だが、作為が失敗すれば、大きな責任を負うことになる。だから大方の人間は逃げる。不作為を選択したのではなく、知らなかっただけ。あるいははっきりと求められなかったから、あるいは相手にしてくれると思わなかった。
あるいは、自分の役目ではなかった、本人が自分の力で解決する問題だ。あげくに、相手が悪いのであり、自分は関係ない。
悪意をまき散らす人間よりはマシだとも思うし、少なくとも迷惑はかけなかったと言いたくもなる。
そもそも自分に自信がない人間が、最良の作為を見つけることは難しい。自信たっぷりの大人の作為に限って間違いだらけだから、大人も参考にはならない。
ただ、別のやり方をしたらどうだったか、別の言葉で表現していたら変わっていたかもしれないという思いは尊い。そうした思考を重ねることが、相手を救う能力を向上させ、自分を救う能力にもつながるのだろう。
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