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西野亮廣氏は、「最近の若い奴は…」との苦言は太古の昔から繰り返されてきたとし、次のように断ずる。
「もし、そのオヤジの言い分が正しければ、理論上、人類なんて、とっくに絶滅しています。スケールダウンを繰り返している生物が生き残るわけがありません」
「だけど、僕らは今日も生きています。時代や環境に合わせて成長を続けてきたからです。動物であろうと、植物であろうと、いつの世も“種”として優秀なのは“年下”で、これは抗(あらが)いようのない自然界のルールです」(181102)
芸能活動はもはや過去のものとなり、今やクリエーターとしての活躍が目立つ西野氏である。進化論を下敷きに繰り出す「年下の方が優秀」論は、ユニークであり鋭い。
「年下の方が優秀」論の否定は進化論の否定になる!との論法に、オヤジたちはタジタジ。西野氏相手にディベートしたら、敗北必至。オヤジとしては、「1980年生まれの西野君も、二十代の若者に劣ることになるが、それでもいいのか!」と叫びながら逃げを打つしかない。
いや、ちょっと待て。そんな陽動作戦に出なくとも、反論する余地はありそうだ。論法としては少し荒い。
まずは、「最近の若い奴は…」との苦言が繰り返されてきた背景を考えてみる。
人類は皆、未熟児として生まれる。他の哺乳類と比べてもかなり未熟だ。馬も鹿も生まれてすぐに自分の足で立つ。サルの乳児は母親に長時間しがみついていられるだけの腕力を備える。人間の乳児と言えば、導かれないと乳も飲めない。二足歩行できるようになるのは一年後。
これは環境に適応する準備期間が長いことを示す。自然環境だけでなく、人工的な時代環境にも適用しやすくなる。脳の発達のためにも小さく生まれる必要があったと進化生物学は教える。出生時の知能は成犬に劣り、乳児期の知力もチンパンジーに負ける。幼児期以降の知性の発達がいかに目覚ましいかが分かる。
免疫機能が成人とほぼ等しくなる少年期以降も、教育の名の下に知性の発達が促される。さらに人類は、成人以降も学び続ける。知恵の習得、知識の獲得、経験の集積は死ぬまで已むことがない。歳とともに衰える能力はあるが、向上心を失わない限り、対応力や判断力などは洗練されていく。
「最近の若い奴は…」との苦言が時代をまたいで繰り返される理由の一つに、この「成人以降も学び続ける」がある。年配者から見れば、いつの時代も若輩者は未熟さを抱えている。習得漏れの知恵があり、洗練さに欠けた判断力で生きている存在に映る。また、人間心理に精通するにも経験がものをいう。
知力の面では、成人以降も発展途上であるのが人間の宿命である。ゆえに、若い時よりも知力が向上していると自覚するオヤジたちが、いつの時代にも存在することになる。
ただ西野氏が感じているように、時代の変化についていけなくなったオヤジたちが、愚痴として苦言を発する場面も多い。技術革新が続く近代以降は、特にその傾向が強い。
画期的な技術の登場によって、日常使いの道具が一新される。生活様式が一変する。価値観が急転することもしばしばだ。若者の方が、旧来の価値観に染まっていない分、新技術への適応は早い。
同時に、血気盛んな若者は、同世代だけでなく上の世代に対しても競争心を燃やす。このことも適応力が高まる要因となる。新しい道具を使いこなし、価値観の変化を素早く捉えることで、時代の先頭に立とうとする。
こうした行動や意識は生き延びるためであるから、オヤジたちの苦言など馬耳東風と受け流し、思いのままに突き進めばよい。社会で実権を握るオヤジたちに抵抗されたって、勝ち残るのは君たちだ。
でも気になるのでしょうね、オヤジたちの苦言が…。オヤジたちほど実績を積み上げていないこともあり、自信と不安が交錯しているからだ。彼らを取り巻く年配者たちは、いうなれば「適者生存」の実例でもある。
国家間の戦争だけでなく、小さな分野の企業間競争でも、負ければ自分たちの価値観は覆(くつがい)される。そんな実例を年配者は体験し、見聞きしてきた。そこから会得した知恵を持つ。
西野氏の「適者生存」の使い方も腑に落ちない。適者になれるかどうかは、多分に受動的である。自然環境に翻弄され、地理的要因に左右され、天変地異によって逆転するのが適者としての地位である。つまり、適者は変転する。進化論が言う「適者生存」とは、それくらいスケールが大きい。
人工的な技術に関しても、その存続は「適者生存」に似る。その優劣は、様々な偶然によって覆る。あるいは新しい研究成果や発見が、優勢だった技術を退場させる。
いずれにしても、進化論は、「年下の方が優秀」との論を導き出さない。旧来の道具を使いこなす能力が尊重されるようになったり、前時代の価値観が再び脚光を浴びることがある。歴史がそれを肯定する。
進化論は別の面でも冷酷さを突きつける。同じ種でも多様な遺伝形質を備えるのは、環境が大きく変化した際に、種が絶滅しないためである。寒さに強く暑さに弱い人類ばかりでは、温暖化によって絶滅しかねない。
西野氏はむしろ、この“多様性”に着目すべきだ。堀江貴文氏との共著タイトル『バカとはつき合うな』の心境はよく分かる。でも攻めるべきは“オヤジ”というカテゴリーではない。年齢を問わず“多様性”を否定する人たちである。多数派というだけで自分たちの価値観を押し付けてくる人たちである。
前回指摘した通り、<理性・知性>が高まるほど、少数派に追いやられる。少数であるほど、多数派から変人奇人扱いされやすくなる。彼らは少数派が生み出す創作物を楽しみながらも、創作者とは和合しようとしない。そればかりか、嫉妬心を含んだ無体な悪戯をしかけてくる。当然、つき合う必要はない。
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