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新しい天皇が誕生し、元号が改まり、祝祭ムードが世間を覆う。メディアは式典を詳細に報告し、寿ぐ国民を映し出す。知識人たちは天皇制について語り出す。
さほど関心がなかった私も少し浮足立つ。改元商戦に参加するつもりはないが…
Q.新しい元号、令和の印象は?
A.音の響きとしては、平成なんかよりずっといい。「へいせい」という音を初めて聞いたとき、マヌケで汚ならしいとさえ思った。平らに成るという意味のみに着目した、頭でっかちな選定であった。
その点、「れいわ」という響きは落ち着きがある。令和の字ずらも新鮮だ。
ただ私が選定委員なら選ばない。命令の令である。音からは「お礼は」や「零和」などを連想してしまう。
いかにもヤンキーが選びそうな名称でもある。日本のいわゆるヤンキーたちの言葉の選択は、カッコよさに淫する。それなりにセンスはあるが、知性と教養を放棄したような言葉選びになちがちだ。
そういえば、安倍首相はヤンキー体質を色濃く持つ。
Q.お祭りムードに対する感想は?
A.好ましいと思っております。私自身はムードに乗るつもりはないし、性格的にも乗れないが、人々が歓喜の色を浮かべて群れ騒ぐ姿を見るのは嫌いではない。楽しそうな群集を見れば、こちらも楽しい気持になる。私も根が俗物ゆえ、気分は伝染してくる。
意外ですか? 確かに、群集欲や集団心理に対する嫌悪を何度も書いてきた。己の愚かさを糊塗するために利用されることが多いからだ。集団心理に自ら陥ろうとする人々の目的は、己の弱さを隠し、無能さを忘れ、怠惰に生きることを正当化するためであったりする。
その種の悪徳に使われるのでなければ、大衆のお祭り気分に水を差すつもりはない。商業主義に乗せられることも止めない。「だって買わなきゃ資本主義から排除されてしまうもの」by岡崎京子
なにより、お祭りは人類にとって必要なものだ。一生のうち何度も訪れる日ではないという特別感は、生きていく上で欠かせない。イベント参加に積極的でない私ですら、たまには高揚感を欲する。
但し、みんなが騒いでいるから自分も騒げるという行動原理や、みんなが欲するから自分も欲するという主体性のなさは冷やかしたくなるけどね。長蛇の列に並ぶことが好きな人たちの精神は、大方が幼稚だ。
そういえば、列に並ぶのが好きなある友人は、「村上春樹の新刊、読んだ?」みたいな話もしたがる。ところが本の感想を聞いても、「エロい」ぐらいしか返ってこない。平成初期の著作『ねじまき鳥クロニクル第一部』に次のような一節があるが、彼はどう思って読んだのだろう。
<自分の価値観というものを持たないから、他人の尺度や視点を借りてこないことには自分の立っている位置がうまくつかめないのだ。その頭脳を支配しているのは「自分が他人の目にどうのように映るか」という、ただそれだけなのだ> だから<どうしようもないほどの見栄っ張り>になる。
絵画展にいっしょに行く機会の多い知人にも困っている。巨匠クラスの展示会ならば、私が喜んで誘いに応じると思っている。だからこの連休は、当然『クリムト展』に行きませんか、となる。彼は高齢になって急に美術に目覚めたが、いつまでたっても自分の価値観が育たない。
それはそれとして、今回のイベントは、諸外国の首長などから祝意が寄せられ、外国メディアも論評を寄せるレベルである。意味もなく酔いしれることを肯定する。
Q.天皇制に賛成か否か?
A.賛成する。
賛否を論じるだけの見識はないし、私には必要のないものだが、現状の日本にとっては必要だと思う。言うなれば、新憲法制定時にGHQが「占領統治に天皇は必要」と考えたのと同じだ。
権力側は“国民をまとめ上げるために有用”いう理屈を持つが、かくいう国民が国民統合の象徴を求めている。まさしく条文の文言どおりだ。国民は天皇を敬うことによって、自分も国民の一人だとの認識を得、日本国に所属しているとの自覚が持てる。
社会に翻弄され、権力者に苦役を強いられ、隣人から蔑まれることがあっても、目線を天皇に向けることによって、なぜか日本の中で地位を得たような気になれる。あるいは己のアイデンティティを見い出す。
理想の人間像を天皇に仮託する人も多い。天皇を憎む国民はいないと断言。天皇がいるからこそ、利害を越えて参集し、団結できる。感情的にすれ違う隣人との融和にも役立つ。そんな媒体としての天皇…
ただ、そんな天皇像が悪用することもできる。戦前戦中に多くの例がある。統帥権干犯!
そこで戦後の憲法は、政治的権能を有さない天皇という制度に改めたわけだが、超越的な存在を求める心性が国民から消えたわけではない。
こうした日本の現状(多数派の精神性が“ヤンキー”)が変わらない限り、天皇制に賛成し続けることになる。
そういえば平成の初期、「税金でタダ飯を食っている天皇が気に食わない」というセコイ理由で天皇制に反対していた友人がいた。彼は、この度のお祭りムードをどう思っているのだろう。
価値観が育たず、主体になり切れない無明なる大衆は、イメージだけを食べて生きる。
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