おぴにおん0号

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「立法府の力が衰え、行政府と官僚が力をもつにつれて、デモクラシー国家の議場の中での討論は不愉快で意味のないものになる」とは、マイケル・イグナティエフ氏の言。
日本の国会を評したわけではない。ひと頃のカナダ政界の話である。どの国でも起こり得る事態のようです。

イグナティエフ氏は政治学者から下院議員に転身し、カナダ自由党の党首にまで昇り詰めた人だ。だが2011年に落選し、政界を引退。
上の発言は、その顛末を克明に記した『火と灰 アマチュア政治家の成功と失敗』の中の一節である。カナダ政界の動きを詳述する部分は退屈だが、学者らしい鋭い分析がちりばめられている。

強力な行政府を作り出したのは、もちろん有権者だ。国民すべてに選挙権を与える民主主義国家であれば、“国民の仕業”と表現してよい。行政府が強くなりやすい選挙制度というものはあるが、いずれにしろ、国民が与えた力であることに変わりはない。

ではその選挙の様子を、イグナティエフ氏はどう見たか。
「政治の世界では、本当のメッセージは身体的であり、瞳や手によって伝達される。何を言おうとも、身体がメッセージを、すなわち あなたは私を信頼できるというメッセージを伝達しなければならない」

地元に足繫く通い、寄合いのような小さな会合にも顔を出し、有権者との接触を重ねる人こそ選挙で勝つ。そんなドブ板選挙が通じるのは日本だけではないようだ。人柄が分かる近しい人間、つまり仲間こそが自分たちの代表にふさわしいと感じる。そんな投票行動が一般的なのは万国共通。

カナダの有権者は「誰もが、どの人間が信頼に値するかどうかを決定する能力については、それなりの自信を持っている」らしいが、日本とも共通する部分があろう。

有権者の多くは、個々の政策について意見や感想を述べつつ、正確な評価を下す自信がない。専門家に任せるしかないと思っている。そこで、選挙では人物そのものに目を向けることになる。
身体的メッセージに頼る人物評価は、多分に感覚的なものとなる。しかし有権者は感覚だけの判断を卑下しない。感覚は絶対であり、感覚を疑うことは自分への裏切りとなるからだ。

そんな有権者たちは、立法府の力が衰えることに危機感を抱かない。国会で不愉快な言葉が飛び交い、議員たちが意味のない論争に終始しようとも嘆くことはない。政策に無関心というより、関心の向け方が人物本位なのだ。だれが雄弁だったか、だれが攻められたか。だれが優位か、だれが劣勢かなどに、より関心が向く。

そして、強い政治家にあこがれに近い好意を示す。イグナティエフ氏は次のように解説する。
「人々は、自分の守り方も分からないような人物を支持しようとは思わない」

プロスポーツの世界で常勝チームが人気を博すのとほぼ同じ。高齢者たちの青春時代は「巨人、大鵬、卵焼き」だった。今も、強いチームが観客を増やし、強い選手の出場する試合が高視聴率をとる。

政治を勝ち負けという観点でながめているだけの有権者にとっては、攻められて謝罪を繰り返す行政府は好きになれない。責められる場面の多い内閣は支持率が上がらない。

ただ、政治での勝敗はスポーツと異なり、仲間の数で決せられることが多い。政治の世界は“数は力”が基本である。自分を守るためには言い訳に説得力を持たせる必要があるが、それ以上に重要なのは、味方となってくれる仲間を増やすことである。従わせる能力と言ってもよい。

多数派政党に所属していた方が自分を守りやすい。なので多数派政党に所属したがる議員が増える。有権者も党員になりたがる。ますます選挙に強い政党となる。有権者の人気も増大していく。こうして多数派政党に支えられた行政府は絶大な力を持つようになる。

こうような循環が続けば、いずれ絶対権力が形成されるが、普通、絶対権力は永続しない。権力を手にした人間が腐敗するだけでなく、内部分裂しやすくなるからだ。絶対多数となればなったで、今度は、内部での多数派工作が始まる。結局、同じことの繰り返しだ。

イグナティエフ氏も、党派内での主導権争いを経験した。そこで得た教訓とは…
「真の政治家には、永遠の敵を作ることなどできないのだ。デモクラシーが要求する仕事をしようとすれば、対抗者を仲間に引き入れる必要もあるのだ」

思うに、多数派を形成するという行為は単純なものではない。多くの人が持つ感性や価値観に合わせていればよいというものではない。感性や価値観は移ろいやすく、求められるリーダー像も状況によって変化する。また、情勢が安定するほどに変化を求める人が増え、権力争いにうつつを抜かす輩が出現しやすくなる。

豊かさの実現も、人々を良識ある有権者に導かない。生活が快適になるほどに、不快を嫌う人間を増やす。不快除去が最優先という価値観は政治にも反映され、“不正は許しても不快は許さない”という投票行動になる。

民主主義が成熟すれば政策に対する見識を備える人が増える―なんて期待も幻想に終わる。良心的な官僚が懸案事項を半分に減らし、実行力のある政治家が重症の問題を軽症に抑え込んだとしても、対抗者は「何も解決していない」と叫ぶ。識者やマスコミも「すべてが解決したわけではない」とくさす。庶民の味方を気取りながら…

一方、無責任で判断力に欠けるリーダーが問題を悪化させても、リーダーは「原因は外にある」と強弁することで地位を守る。有権者も判断力に欠けるから、リーダーの強弁に呼応してしまう。

仲間を増やし、多数派を形成する能力は、政治家の生命線であることは認める。しかし、それが単なる感覚的な誘導というテクニックでしかないのなら、政治ゴッコの域を出ない。願わくば、多数派形成のためには、真摯な姿勢から生まれる“高度な説得力”が最も重要と言われるようにならんことを。

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