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前回、生きる意欲を取り戻すための方策として、子供を産み育てることを推奨しましたが、現在の子育て環境に不安を感じる人も多いことでしょう。子育ては、本能を躍動させる行為であり、生物としてもっとも重要なことなのに、どうしてそうなってしまったのでしょうね〜
日本の出生率は低く、社会全体として、子育てへの情熱は明らかに減退しています。人間として生まれたからには当然、子を産み育てるもの、という考え方は絶対ではなくなりつつある。特に都市部において顕著です。
養老孟司氏は言います。都市部に住む人々は「感覚入力を一定に限ってしまい、意味しか扱わず、意識の世界に住み着いている」。そのような人間にとって「子供は、経済的でも効率的でも合理的でもないもの、邪魔にさえ映る」。
日本で出生率の低下がはっきりしたのは1970年代であり、都市化の進展と関連付けることは正しい。西欧でも同じような時期に、出生率低下が問題視され始めました。
バリー・コモナーというアメリカの学者は、1971年の著作で、次のように解説しています。
<生活水準が比較的低い場合には、子供達の労働が家族を養うのに欠かせないものであり、子供の労働がふつうに見られた。生活水準が次第に上昇するにしたがって、家族の生活を維持するのに、成人の労働だけで十分になると、義務教育の学校が造られ、もはや必要な経済的資産ではなくなった子供達は経済的負担となった。同時に、社会福祉も改善されてきたので、親達が年を取った時、保険の代わりに子供達に頼るという傾向が少なくなってきた。そういったことの自然の結果として、出生率が低下した」
ひと言でいえば、豊かさが招いた結果。根深い問題なわけです。政府や自治体が子育て環境を良くしようと努力していますが、効果は限定的。改善を果たした国はありますが、かなりの資源を割いている。
近代国家の中で、経済的豊かさを追求しない国はない。個人においても、衣食住を満たすだけでは飽き足らず、さらなる豊かさを求めて経済活動に邁進することになる。幸せとは経済的豊かさのことという思想に染まった人たちにとって、子育て費用は余計な負担であり、養育の時間や労力は経済活動を妨げるものでしかない。
一般の人にとっては思想というより、周りの人より貧しいなんて我慢ならない!といった感じでしょうが…
子育ては精神的にも煩わしいものになっているはず。豊かさの進展とともに自由な時間が増えていく。技術の高度化で家事労働は省かれていく。こうして快適に過すことへの欲求がふくらむ。そんな中、必ずしもコントロールの効かない子供を抱えることは、精神的に大きな負担となる。
今日、母親たちの就労意欲は、生活水準が低かった頃に戻ったかのように高まっているが、理由は異なる。世間並の生活水準を保ちたいからであり、保育園に子育ての一端を担ってもらいたいからだ。思いは、「保育園などの社会資本を拡充してくれるなら、消費税をより多く払ってもいい!」
子供を持たなかった人ならば、「老後を安心して過ごせるよう社会資本を充実してくれるなら、消費税をもっと多く払ってもいい!」となりましょう。経済的豊かさの追求は、カネですべてを解決する思想につながる。
というわけで、よりよい子育て環境を求めるならば、都市部は避けた方がよいということになる。子供を邪魔者扱いにする人々に囲まれての子育ては厳しい。
第一次産業が盛んな地域ならどうでしょう。コモナー氏の言う生活水準の低い時代と似たような待遇を受けられるかもしれません。子供や若者は体力があるというだけで貴重な労働力であり、老後は子供や若者の助けを借りたいという気風が残っている可能性があります。
地域特性はさまざまなので一概には言えませんが、高齢化が進んだ地域であればあるほど、子供は社会資本であるとの観念が強くなることは間違いない。
そういった場所では、他人への干渉という都会にはない煩わしさがありますが、それだけ共同体意識が強いということです。生きる意欲をなくしたような顔をしていれば、きっとおせっかいをやかれる。子育てにも干渉してくる。孤独な時間はあまりありません。
そういえば最近話題のアドラー心理学の惹句に、<あなたが辛いのは「自分のことしか考えていないから」である>というのがあります。詳しい内容は知りませんが、この指摘自体は正確なところを突いています。辛い思いを抱いている人の多くに当てはまる。
思春期に悩みが増えるのは、自意識が過剰になるからです。つまり自分のことで頭の中がいっぱいになる。年を重ねてからの生き辛さも、ほとんどが自己愛の過剰によるものです。そんな人が、他人への過干渉が当然の地域に放り込まれたらどうなるか。きっと別の価値観が芽生える。(都会では干渉するのは親だけ!)
もちろん干渉には、己の優越を確認するためのものもあります。ひやかしや暇つぶしのような干渉も都会では多い。だが、過干渉が当然の地域での他人への干渉は、共同体意識に基づくものです。社会福祉は与えられるものではなく、共同で作るものとの考えに沿う。だから人々は、干渉すると同時に干渉されることを受け入れる。
主体性なんて重要じゃないという価値観でもあります。都市生活で生きる意欲を失う人たちは、そんな価値観の中で生きる方が性に合っている可能性が高い。
まぁ、都会人が考えるほど田舎暮らしは甘くないと言われるように、共同体意識が強く残っている地域は、子育て環境としては良くても、教育を受ける環境としてや、職業生活を営む上では厳しいものがあったりします。都会を離れるかどうかは、それらを踏まえての判断になります。
ただ再度、強調しますが、危機や困難があってこその「生きる意欲」です。危機を乗り越え、困難を克服してこその「生きている実感」です。楽を求め、逃げてばかりの人生では、いずれ意欲を失う。
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