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反論、質問受け付けますが、何せ思いつくままなので

国際・戦争

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G20は大過なく終わったようだ。
超大国の大統領がコブシを下ろすしぐさを見せた。ただ保護貿易主義の看板は下していない。いずれまた、コブシを上げてみせるのだろう。そしてまた下げる。永遠の上げ下ろし運動…それがオレの仕事だ!

政治ショーと皮肉ることは簡単だが、一方でショーを求める人たちがいる。日常に倦んだ人々がいるからこそ政治ショーは成り立つ。そして、皮肉る人も実は加担している。冷やかしたり非難する人びとも、このショーの参加者だ。かくいう私も楽しいぜ!

自分で火を点けておきながら、相手の反抗に対し「火遊びはやめろ!」と叫ぶショーマンシップは素晴らしい。
本心かもしれない。自分が「火遊び」感覚だから、相手の反応も「火遊び」に見えてしまう。

倦んだ人々にとって、マッチポンプという所業は最高の暇つぶしだ。だがポンプの性能を考えずに火を点けてしまう危うさがある。思いのほか燃え広がってしまうことがよくある。彼らは後始末せずに逃げる。

結局、遊びなのだ。そこに切実さはない。目的は、Keep America Great!でしかない。あいまいな概念だ。だから簡単にコブシを下ろすことができる。あるいは役に立つポンプの用意なしにマッチを擦ってしまう。

America First!とも言う。他国と協調せず、孤立主義をつらぬいても繫栄できる偉大な国!とでも言いたいのか。リーダー国の地位から降りるだけでなく、国際ルールさえも無視して独歩するつもりだ。

『狼の群れと暮らした男』という本の中に興味深い指摘がある。
<人間は本来的には群れの動物でない。家族を持ちたいが家族なしでも、必要なら一人でも生き延びることができる。そして犬たちも、長い間 私たちと付き合うことによって、人間の真似をするようになった。 …… 彼らはお互いを攻撃し始め、闘い、時には仲間を殺しており、飼育環境下では群れはだんだん頭数が縮小している。なぜなら縄張りを侵される恐れがなく、飢餓の可能性もないから、彼らは家族を必要としないのである>

著者のショーン・エリス氏は文字通り『狼の群れと暮らした男』である。野生の狼の生態を知り尽す。そこから見えてくる犬たちの生態の変化であり、人間の特徴である。

人間は群れの動物でない? 一般的には人類は群れる動物と理解されている。古来より群れてきた。狩りは集団で行うものだった。現代においても、人間は社会的動物との認識は有効だ。私もそう思っている。

群れることの意義はたくさんある。大型肉食獣に一対一では勝てない。資源を巡る争いなど、人類同士のせめぎ合いも大きな集団を形成した方が有利だ。知恵の伝承もしやすい。役割分担した方が生産性が高まる。

だが群れることは必然ではない、「必要なら一人でも生き延びることができる」と言われればそうかもしれない。集団を形成した方が生き延びる可能性が高まるというだけの話。分業という生産体制は、生存のための必要条件ではない。現代でも自給自足の生活を追求できる。

日本でも、狩猟中心の生活をするサンカという民がいた。昭和30年代までいたとの記録がある。彼らは群れない。家族単位で山中を漂白しながら生命を維持していたらしい。
世界には、今でも採集だけで食が満たされる地域がある。帝国軍人の横井正一さんも一人で数十年生きた。

サルでも狼でも群れから追い出される個体が存在する。そうした観察記録がある。他の哺乳類も多くが「必要なら一人でも生き延びることができる」と思われる。

正確には、現代人は群れる必要がなくなるぐらい豊かになった、ということではないか。飼い犬の生態変化がそれを暗示する。

エリス氏は、飼い犬が人間の真似をするようになった理由を「縄張りを侵される恐れがなく、飢餓の可能性もないから家族を必要としない」とするが、ほぼ擬人化できてしまう。

ある超大国は、他国に核の傘を貸せるぐらい過剰な核兵器を所持する。縄張りを侵される恐れはほぼない。穀物を大量に輸出できるくらい食糧自給率が高いから、飢餓の可能性もない。シェールガス革命によってエネルギー自給もほぼ達成。だから本来的には家族のような同盟国なんか必要としない。

資源をめぐって死活的な争いを繰り広げる必要がない人たちは何をして過ごすのか。偉そうに振る舞える立場の獲得ぐらいしかやることがないのではないか。こうして“Keep Great”が唯一の生き甲斐となる。

家族を必要としない人が求める“Keep Great”とはどういうものか。まずは、国際協調を無視する独歩主義の実現である。偉大なる人間は、他人から指図を受けないものだ。

それだけでは留まらない。切実でないからこそ純粋な欲望となる。“Keep Great”のための行動は次第にエスカレートしていく。逆らう奴は許さない!となり、隷属させることが目的のような攻撃が始まる。正しく「いじめの政治学」(中井久夫)である。

これらを実現し、さらに自信を深めればどうなるか。飼い犬の行動が暗示する世界は恐ろしい。人類も「お互いを攻撃し始め、闘い、時には仲間を殺し、群れはだんだん頭数が縮小」となるのだろうか。人類も、意味のない殺戮を始めるようになるのか。

群れの解体によって、紛争の規模は縮小していく。やがて身近な人間に対する容赦のない攻撃となる。遊戯のように仲間を抹殺し始める。バトルロワイアルというゲームの世界が現実となる。もっとも、ゲームは際限なく続くわけではなく、「一人で生き延びることができる」という前提が崩れれば終わるであろうが…

暗い話になってしまった。ある識者が言うように「アメリカ人は反省が得意」に期待しよう。

岩井志麻子氏が、「岩井さんは、ご主人が韓国の方ということで、韓国人気質というものは分かっている?」と問われて放った不適切発言が興味深い。

「手首を切るブスという風に考えておけば、だいたい片付くんですよ」
「(韓国が)『来てくれなきゃ死んじゃうから、死んだらあんたのせいだから』って言って、中国とか北朝鮮は『死ねば』と言っちゃうけど、日本は『そんなこと言うなよ、お前のこと好きなんや』 (と言ってしまう)」

文喜相・韓国国会議長の問題発言に関する議論の中で出だものだが、所詮、バラエティー番組での問答だ。岩井氏は笑いを誘うコメントを期待される立場であり、発言の辛辣さには一定の作為があろう。韓国人との付き合いは数十年に及ぶらしいが、主に男女関係のようだから、韓国人気質を知るといっても限度がありそうだ。

恋愛に限らず、人間には相性がある。あるタイプの人間を引き寄せてしまうという現象はよくある。岩井氏は、狂言じみた行為に走るくらい懸命な相手にほだされやすい。そのことが、あるタイプの人間にはぐバレる。岩井氏にとっても気おくれなく付き合える相手である――といった関係性が思い浮かぶ。

とはいえ、生活を共にするとなれば、恋愛感情だけでは済まない。韓国人の生活態度や考え方に、ある程度は精通することになる。それなりに実感のこもった感想であり、一定の見識が伴っているように思う。

魅力がないことを自覚するゆえ、手首を切るマネをしてでも相手を振り向かせようとする。つまり韓国人は、目的のためには手段を選ばないという意味か。ブスという言葉に“弱者意識”を仮託したのかもしれない。解釈の仕方には幅があるが、“姑息な手段を使うやっかいな相手”ぐらいの受け取り方でいいだろう。

興味深いのは、そんな韓国に対する近隣国の態度を述べる後段。中国や北朝鮮の人たちとは異なり、日本人は噓と分かっていても突き放すことができない。つまり、お人好し。そんな日本人気質を我々に突きつける。

黒田福美氏の発言を思い出す。韓国人に対して同様に辛口だった。

黒田氏といえば、韓国に詳しいタレントとして有名である。さまざまな交流の果てに日韓友好に尽力するまでになった人だ。当然、韓国を擁護する立場だと思っていた。なのに、文議長の発言問題を受けてのインタビューで、韓国人に手厳しい発言をしていたので驚いた。

「日本人の道徳観は“善悪”が基本です。しかし韓国人は“損得”が大切です。韓国人は「ゴールポストを動かす」と言われますが、おそらくそんな意識はないのだと思います。言葉の重みが日本人と違うからです。言葉は韓国人にとって相手を自分の思う通りに動かす手段なので、自分の発した言葉に責任があるという意識が薄い。もしも実現できなかったら、彼らは「理解してください」と言います」(190311日経ビジネス)

言葉は相手を思い通りに動かす手段でしかないのか。しかも責任感が希薄ですか。岩井氏の解釈と似ている。狂言を働いたあげく「あなたのせい」と言い放つ姿と通底する。

3月に書いたようにクレイマーさながらだが、黒田氏は次のようにエクスキューズする。

「彼らもまた、行政や親戚たちから、そのようにされて泣いてきました。だから平気で日本人に対しても、「天皇が謝罪すればおばあさんの心が安らぐ」などと言ってしまえるのです。それが本当にそうなるかどうか、自分の発した言葉に責任を取るべきという感覚はないと思います」

エクスキューズしつつ、再度、容赦のない解釈を付け加えているから、あまり擁護する気はなさそうだ。
そして黒田氏はインタビュー後半で、日本人の振る舞い方を指南する。

「身をもって体感したからこそわかります。日韓関係の改善には、韓国社会や国際社会に対して、発信することが重要です。韓国の若者もユーチューブなどをよく見ていますし、地上波ではその意見を取り上げられない保守派が、ネット番組などを使ってどんどん発信しています。日本もネットを使うことで韓国民に対して、日本人の率直な考えや歴史的事実について、もっと活発に発信すべきだと思います」

この指南も、岩井氏が示す日本人の態度から立ち現れる教訓に通じる。

責任を取らない人の意見に振り回され過ぎてはいけないということでもあろう。
また、「心は、言語化されない状態が最も危険」(小谷真理2017)で、突然の暴力につながりかねないとの指摘がある通り、積極的に発信することは、日本人自身の精神衛生にも寄与する。

ただ、慰安婦問題にしても徴用工訴訟にしても、一般の日本人には当事者意識がない。戦後生まれの日本人だけでなく、存命の戦中世代にしても当時は青少年だったので、主体的な意識を持ちづらい。当時、命令を下していた人たちは死に絶えた今、全般的に他人事とならざるを得ない。
韓国も同じだ。今日、ほとんどの韓国人にとって、被害者意識は切実なものでない。

30年前であれば、日本では、日本軍は悪いことをしたという意識が一定の世論を形成していた。韓国では、戦前のひ弱な国力に思い致す気分があっただろう。互いに謙虚にふるまい、妥協もしやすかった。

しかし、後継の世代にとっての反日や反韓は、クレーマーのように攻撃することが目的と化す。歴史的事実などおかまいなしに、難癖付けることだけを純粋に追求するようになる。これは、当事者意識が欠如していることの裏返しである。

言うなれば、“純化”した姿だ。屈折した思いや、自分たちの落ち度など見たくないものは風化させ、相手を責める材料だけを残存させる。そんな自分に都合の良い純化闘争でしかないから、もたらされる結果についても責任を取るつもりがない。
このような状態に陥っていることに気づくことが、関係改善の第一歩のような気がする。

韓国の国会議長が「盗っ人たけだけしい」と日本を非難したとのニュースを見てビックリ! 本当にそんな強い言葉を使ったのか。和訳が大げさ過ぎたのではないのか。韓国語にも同じような慣用句があるのか。元となる漢語が同じだったりするのか?

記事によれば、15日、文喜相国会議長が滞在先のアメリカで、韓国メディアの取材に答えたものという。他にも「謝罪する側が謝罪せず、私に謝罪しろとは何事か」「戦争の犯罪には時効がない」とも述べたというから、強い言葉を発するだけの意気はあったようだ。

文議長は先に、天皇陛下が元慰安婦の手を握って謝罪すれば「その一言で問題は解決する」と語っていた。日本政府はこのとき、即座に抗議した。文議長の今回の発言は、日本の抗議に対する返答である。文議長は撤回も謝罪もする気がないことを表明した。

これらの発言は、日本政府の関係者に面と向かって投げつけられたものではない。韓国議会を代表しての表明でもなく、あくまで個人の見解のようだが、国会議長という肩書は重い。

韓国政治は大統領に権力が集中しているから、国会議長といえども、日本人が思うほど内政での重みはないのかもしれない。だが対外的には、国会を取り仕切る重職とのイメージがある。だからこそ日韓双方のメディアが取り上げるのだし、日本政府は抗議することになる。

文議長は「言い争いを続けるのは互いの国益に役立たない」とも付け加えたらしいが、敵国を罵倒するような表現を用いたことは消せない。ケンカを売っているに等しい。

でもまぁ仕方ない。本音としても日本は敵性国なんでしょう。植民地化され二等国民扱いにされた過去の屈辱が忘れられない。逆の立場を日本人にも味わわせたい。それができないかぎり100年経とうとも変わらない。

もしかしたら、北と友好関係を結んだ後、北の核兵器を使って脅せば日本を属国にできるとでも思っているのかもしれない。
いや待て、そのような感想を抱くのは文議長の挑発に乗ってしまったようなものだ。それに、感情優先の人に対し、こちらも感情的になっては対立がエスカレートするだけだ。

ならば、クレーマーに似ているとの感想はどうだ。…相手の汚点は決して見過ごさない。大げさに騒ぎ立て、追求の手をゆるめない。相手が謝罪しても「真の謝罪になっていない」と納得せず、誠意を示せば「まだ足りない」と要求は肥大していく。もはや相手を攻撃し続けることが目的と化す――みたいになっていないか。

一部の人が賠償金をもらったことにより「日本を責めて得するならオレだって」という風潮が蔓延した――との解釈も、クレーマーなら成り立つ。こうして利益獲得のための抗議行動が際限なく繰り返される。

ただし対処の仕方は消費者クレーマーと同様というわけにはいかない。国家間は供給者と需要者のような一方的な関係ではない。やはりクレーマー的な国民を説得する役割は、その国の政府が担う必要がある。ポピュリズム政治をするのならば、こうした大衆の欠点を見据えて運営してもらわないと困る。

ところが韓国政府は、反日的クレーマーが増える素地を自ら作ってきた。反日教育を積極的に実施していた時期がある。いわゆる日本人=鬼子論だ。

もちろん最近の反日気運には、社会的要請の高まりが伴う。自国の産業に自信を深め、経済的余裕が生まれたことが、過去の屈辱に目を向けさせた。同時に、先進国に伍する中で、現状へのいらだちや将来への不安を多くの国民が抱え込むようになる。つまり、憂さ晴らしの対象を求めている部分がある。

それでもなお、反日教育の影響は大きい。漫画家の里中満智子氏の回想を聞くとよく分かる。

里中氏は1994年ごろ、韓国の漫画家から「日本の漫画の海賊版が出回っている。取り締まるよう、我が国の政府に圧力をかけて欲しい」との要請を受け、韓国で神格化されていたちばてつや氏を誘って韓国を訪れた。

<そこで、ある人から「最初は“こんなに心あたたまる漫画を日本人が描けるはずがない”と思い、日本の漫画と分かった後は“私は韓国に残虐行為を働いた鬼の漫画に感動してしまったのか”と落ち込んだ」と打ち明けられた時は、本当にショックでした>(190213)

洗脳のような教育であったことが分かる。(ちなみにこの人は、「でもやがて、こんなにやさしい漫画を描く人は鬼なんかじゃないと思うようになり」、洗脳が解けたようだが…)

「鬼畜米英」という言葉を思い出す。先の大戦中、日本国民のほとんどが洗脳されてしまった。でも戦後は夢から覚めたように、そのような単純化は幼稚な考えであったと悟る。参戦した国々の国民は皆、公民教育を受けて、それなりに賢くなったはずだった。精神的に成長したはずだった。

ところが韓国はしばらくの間、洗脳教育を続けていた。あたかも「鬼畜日帝」と叫ぶが如く…

簡単に残虐行為を働ける人はいまでもいる。日本にもいる。韓国にもいる。どの国にもいる。しかし残虐行為を例示してその国民すべてを“鬼”のように扱うのは作為である。時代錯誤も甚だしい作為である。

一定の社会性を備えた人ならば、だれでも国粋主義者になれる。国家としての優越を求め、わが民族は優秀であると思いたい。政治家の中には、同じ思いを抱く国民に支えられていると思いながら、国家運営の中枢で活躍しようとする人がいる。その一人が文議長なのだろう。

民主政治においては、社会的要請によって政治家の行動や遂行すべき政策が決まってくる部分が大きい。しかし、韓国のクレーマー的反日気運が純粋な社会的要請であるかどうかは疑問が多い。

<「ブラジルのトランプ」が新大統領に>だそうだ。トランプ流の選挙戦術は今や世界のトレンドらしい。トランプ政権を責めても、この流れを食い止めることはできそうにない。

政治家は選挙に勝つことによってしか地位を保てない。トランプ流の選挙戦術が有効となれば、政治思想の違いを越えて、トランプ流を採用するようになる。粗野な言動で大衆を扇動し、野暮なつぶやきで大衆を惹きつける。政治家の多くはそのような振る舞いを身に着けるようになる。

ヨーロッパ諸国はすでにその方向に進んでいる。今週は、ドイツのメルケル首相が党首を辞任、というニュースがあった。自国とEUを長らく率いてきたリーダーであり、トランプ大統領の手法を強く非難してきたベテランも、厳しい選挙戦を強いられている。移民排斥派が勢力を増している。

トランプ流の政治が功を奏しているとの見方が国際社会に広がれば、さらに恐ろしいことになる。選挙戦術だけでなく、政治手法さえもトランプ流を真似る国が増えていく。
日本もいずれ、その潮流に巻き込まれていくのだろう。日本も移民に頼る社会になりつつある。

なんくるないさ〜。トレンドなんだから仕方ないさ〜。私も非難することに飽きてきた。半年ぐらい前に聞いた、ある識者の言葉を思い出す。「だれかが止めてくれるだろうと思っているうちに状況は悪化していく」。

こうなったら、先人にならって政治を戯画化して自らを慰めるしかない。歌でも歌いながら笑い飛ばすしかない……ということでラップの歌詞を考えてみた。頭韻を多用してみた。

♪ いっしょに走ろう、トランプとラン
♪♪ 大衆のみなさん、あんたが大将
♪♪♪ オレたちゃ大軍、大砲で大勝

♪ いっしょに灯(とも)そう トランプのランプ
♪♪ 大衆の憎悪を 照らして増幅
♪♪♪ 奪って増収 明るく増長

♪ いっしょに楽しもう トランプのトラブル
♪♪ 大衆の正義で 壊そう正論
♪♪♪ フェイクで攻めろ、フェンスで撃退


さて、そんな時代をどう生きるか。
トランプ流を非難する立場がますます少数派となっていく流れの中で、どう振る舞うべきか。難しいところだ。特別な才能のない一般人にとって、少数派という立場は辛いものである。

多数派に心の余裕があるときは、少数派はむしろ尊重される。惰性で過ぎゆく日常に、刺激を与えてくれる存在だからだ。ときに、動物園でサルを見るような好奇の視線にさらされることもあろうが、少数派はおおむね自由に振る舞え、一定の場所と環境を与えてもらえる。

ところが余裕がなくなると、そうはいかない。鬱屈をぶつける対象となるのが、身近な少数派である。格差の広がりが大衆の不満を増大させていると言ったって、格差の象徴たる富裕層に直接的な攻撃はしない。攻撃するのは、あくまでも身近な少数派である。数の力で倒せるのは、一般人の中に紛れている少数派である。

少数派にとって危険なのは、大衆の頭目のような人物ではなく、その配下にいる人たちである。攻撃を実行に移すのは、たいてい操られやすい人たちである。“犯罪の首謀者は手を汚さない”と同じ構図である。

地域社会でも会社組織でもよくある構図だ。ターゲットを陥れるために悪い噂を流す。虚言を弄して悪者に仕立て上げる。手段を選ばない首謀者は、自分で悪さをしておいて、ターゲットがやったように見せかける。すると、信じやすく感情と行動が一致しやすい配下が、攻撃の実行犯になってくれる。

ネトウヨという現象にも当てはまる。ネット上で盛んに「国民の敵」攻撃を繰り返すのは、実は高学歴の壮年層だという調査結果がある。実際に行動に移す人が低学歴の非正規労働者であるにすぎない。

となれば、少数派が身を守るためになすべきことは、操られやすい人たちをこちらの味方に仕立てること、となりそうだ。頭脳戦みたいなものか。だが少数派には戦いに興味がないタイプが多い。頭脳戦なんかやっている暇があったら自分の好きなことをしていたい。だから逃げるという判断になりやすい。

多数派の中で実行部隊となるのは、戦うことが好きなタイプなのだろう。ただ、気が弱いばかりに多数派に付く人も多い。実は気の弱い人間ほど勝ち負けに敏感である。それが証拠に、ターゲットが弱ってくれば、勇んで攻撃に参加してくる。強者の一員であることに酔いしれる。

好戦的なリーダーを応援するのも、気の弱い人たちである。自分の弱さを忘れさせてくれる存在だからだ。
しかし、頭脳犯になれない人たちは、現代戦争では役に立たない。知性が嫌いな大衆は、戦争になってもあまり役に立たない。現代戦争は歩兵重視ではないからだ。

徴兵制は無意味という専門家の話がある。武器が高度化したので歩兵を養成する費用は無駄。戦闘する能力にも意志にも欠ける兵は、実戦では足手まとい。戦費は兵糧より、高度な兵器に費やすべき、というわけだ。

<感情>は快楽にしか興味がない。だから<感情>は反省しない。反省は<理性>の役割だとばかりに暴走する。だが、暴走の先にある戦争では、<感情>は役に立たない。
二つの世界大戦を経て獲得した<理念>が消えていく。このトレンドに密(ひそ)かに抗(あらが)う人が増え、サイレント マジョリティーが形成されることを願う。

アメリカは貿易赤字を抱える。富が流出している。つまり他国に収奪されている――というのがトランプ大統領の論法だ。
収奪を食い止めれば国内生産が上向き、労働者の収入が増える。仕事量の増加は賃金の上昇をともなうから、労働者は今より豊かな生活が送れるようになる――という甘い見通しさえ振りまく。

他国に収奪されているという考え方は恐ろしい。高関税を脅しに他国と交渉することを正当化する。高圧的な態度は、いずれ、他国から収奪しろ!に転じる。

経済学者たちよ、何とかしろよ。単純すぎる考え方だと説明してやれよ。トランプ大統領にしてみれば支持獲得のための方便でしかないのかもしれないが、庶民は本気にするぞ。経済学者たちよ、役に立たない経済理論なんかを発表している場合ではない。庶民を教育する方が数段、世の中のためになる。

アメリカでは単純労働でも時給は15ドル以上。労働者たちは生活が苦しいと嘆くが、彼らの生活は、さらに安い時給で働く人たちによって支えられている。

使っている耐久消費財はメキシコ製で、作った人の時給は10ドル。日用品は中国製で、作った人の時給は5ドル。貪り食っている加工食品はマレーシア製で、時給3ドル。履いてるスニーカーはベトナム製で、時給2ドル。着ているシャツはバングラ製で、時給1ドル……みたいな感じなんですよ。

自分たちが作るよりも安価だから輸入するわけで、これは、他国の労働者を安くこき使っているに等しい。すなわち収奪みたいなものでしょう。左派系経済学者なら“搾取”と呼ぶ。

自国内にいる移民に対しても同じことをしている。移民は職業選択の自由度が低い。それをいいことに、一般のアメリカ人がやりたがらない仕事をやらせている。しかも安い賃金で…。移民が仕事を奪っているというけれど、収奪しているのはどちらでしょう。

傍から見れば、次の図式が成り立ちます。<楽な仕事に就き高賃金を得ている労働者A>は、<過酷な仕事なのに低賃金の労働者B>から収奪している。Bは正当な賃金を得ていない。事実上、Aに奪われている。

でもそんな説明をしても虚しいか〜。Englishしか解さないAmerican Laborがこのブログ記事を読むわけがない…という虚しさではなく、たとえ翻訳ソフトで読んだとしても「それがどうした!」と言われるだけだからです。

豊かな生活とは、生きるための仕事を自分でやらずに他人にやらせること、と捉えることが可能です。食料や生活必需品の生産に自分は従事せず、他人の生産物に頼る。それが安価であればあるほど豊かさは増す。所得の多くを娯楽に費やせる。自由な時間が増える。

歴史を振り返れば、人類は長らく、支配者だけが豊かな生活を送ってきた。その豊かさは庶民に金品を拠出させることによって成り立っていた。つまり、収奪することで豊かさを実現していた。今日でも民主主義が機能していない国や地域では、支配層だけが豊かな生活を送っている。

国家レベルの豊かさ実現も、似たようなものだった。西欧の先進国はかつて、植民地から収奪することによって豊かな国を築き上げた。今は収奪と言えるほどの横暴さは影をひそめたが、先進国と後進国との間には似た構図が残る。後進国の低賃金労働が先進国の豊かさに貢献している。

アメリカは世界一の豊かさを誇る。「その国民であるオレたちが、豊かな生活を送れないなんておかしいじゃないか。収奪される立場ではなく、収奪する立場こそアメリカにはふさわしい」ぐらいの気持ちがAmerican Laborにはありそうだ。他国に収奪されているというトランプの叫びは「オレたちの叫びでもある!」

しかしアメリカは世界一を保てるのか。トランプ政治は国力増進につながるのか。非常に疑わしい。

アメリカは科学技術の各分野で長らく先端を走ってきた。コンピュータ、インターネット、ITなど新しい産業を切り開いてきた。研究開発に巨額を投じることができ、ベンチャー企業の輩出を促す自由な風土があったからだ。世界中の知性がアメリカを目指し、富の増加に貢献した。

一方で、旧来の産業は他国に追いつかれる歴史であった。技術移転は思った以上に速かった。その結果、輸入が増え、富の移転が進んだ。おかげで他国も研究開発に多額を投じることができるようになる。

GDPトップの座は中国に脅かされつつあるが、科学技術におけるトップの地位も、中国に追い抜かれるとの予測がある。研究開発に投じられる予算がアメリカを凌駕する勢いだからだ。
<米調査会社CBインサイツによると、中国のベンチャーによるAI関連の資金調達額は17年、米国を抜いて世界一になった>。
クリーン・省エネ技術についても、ジョン・ホルドレン氏(オバマ政権時の大統領補佐官)は危機感を示す。トランプ大統領はパリ協定から離脱するなど環境問題に冷淡だ。「米国が投資を怠れば、中国や日本、欧州に先行を許す。彼らは40兆ドルのパイを山分けし、米国は技術を他国から買うことになる」(0508)。

アメリカが世界一を保つ分野は軍事力だけという時代が、いずれ訪れるかもしれない。そうなれば豊かさを維持する手段は限られる。効率よく収奪するには暴力で相手を屈服させることが一番となる。

この考えに大衆も賛同するだろう。世界一の大国の国民であることに浮かれ、慢心し、努力できなくなった大衆は、収奪によってしか生きる道がなくなる。大衆主導による戦争という時代!

感情の大きなうねりでしかない大衆の意向。その意向を最大限に尊重する社会。民主主義から大衆至上主義へ!
粗野で野暮な人間だからこそ大衆のリーダーになれる!
王様の時代は王様が失敗し、軍人の時代は軍人が失敗し、エリートの時代はエリートが失敗したように、大衆の時代は大衆が失敗する。

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