|
権力者も長くその職に留まっていると権力ボケしてくる。地方自治体の首長は、権力行使における責任を忘れ、利益誘導への抵抗感も薄くなる。国家の最高権力者ともなると、国内に敵がいないことをいいことに、万能感が日増しに高まり、独裁的傾向が強くなる。どこかの将軍様のように、神格化されることを当然のように受け入れるようにもなる。 権力ボケによる弊害は、平和ボケの比ではない。国民の富を搾取することに痛痒を感じなくなった独裁者は、国際社会でも、威嚇によるに収奪に走るようになる。国家対国家の争いという構図にしか関心をよせず、力による政治という意識に染まる。 国内で権力保持している方法を、国際政治でもそもまま用いることしか思いつかないわけだ。権力ボケした頭では、それ以外の方法は思い至らない。それでしか国際的地位を保てないと思ってしまう。 ただ、こうした意識は、将軍様だけではない。将軍様に極端な形で出ているだけで、多くの国家権力者が共有している。 だから何かというと戦争したがるし、武力こそが国家存続の証であるという考えに陥る。 しかし、民衆にとっては本来、暴君でなければだれが権力者であってもかまわない。最低、平和な暮らしが営めるならば国の名前などに頓着しない。より豊かな生活ができるならば、どこの国家に従属していてもかまわない。 ところで、昨年末に実施された世論調査(朝日070125)によれば、愛国心を持っているという自覚がある国民は78%に上った。愛国心を持つべきだという回答も63%あった。 ところが、「外国の軍隊が攻めてきたらどうするか」という質問に、「戦う」は33%に過ぎず、32%は「逃げる」を、22%は「降参する」を選択した。 女性は特に「逃げる」「降参する」の比率が高く、「戦う」はたったの17%しかいなかった。少数派である。 男性は「戦う」が52%と過半数を占めたから、極端に違う。 自分の生まれた国に親しみを持つからといって、必ずしも「国のために戦う」とはならない。自分が生活する環境を良くしたいという欲求は、広く国家にも及ぶが、命を掛けてまで守るべき対象とはならない。 「逃げる」人も、「戦う」ことの意義は感じていることだろう。日常生活でも、なめられれば損をするし、弱気を見せれば不合理な要求を突きつけられる。国家と国家の関係も似たようなところがある。 でも、多くの国民は、国家同士の衝突は単なる権力争いでしかない、という冷めた見方をしているのだろう。自分が愛するのは、生まれ育った郷土としての国であり、国家権力が君臨する支配機構ではないということだ。女性の場合、腕力では男に勝てないという思いが日常にあるから、こうした気持ちがより強いのかもしれない。自分の生命、我が子の生命を存続させることに勝るものはない。 国家権力者は、こうした国民感情を汲み取るべきであろう。 国家を存続させることの必要性は、権力者にこそ強くある。現国家体制があってこそ自分の地位が保持できる。国家にすがらなければならないのは自分の方であり、他国と戦うことを決断する際に、国民のためと称するのは、ときに欺瞞である。国民に戦うことを強いつつ、自分がすがる国家体制を守りたいだけだったりする。 北朝鮮が核兵器を持っても国民が大きな反応を示さない理由もその辺にある。平和ボケなのでは決してない。 国民にとって、より重要なのは拉致問題なのである。自分が拉致されたり、親近者が理由もなく姿を消すという事態には耐えられない。核兵器が飛んできて都市が壊滅する恐れはあるが、それは国家権力同士の勢力争いから起きる事態であると国民は感じているはずだ。 拉致を許さないことは、治安を維持することと同等な国民の願いである。 正直言えば、私は拉致問題に関して政治的妥協をしてもいいと思っている。しかし、それは相手の国家体制を崩壊させるとか、我が国家体制を守るという観点からなされるものではない。
|

- >
- 政治
- >
- 政界と政治活動
- >
- その他政界と政治活動



