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反論、質問受け付けますが、何せ思いつくままなので

国際・戦争

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<トランプ氏の再選を予想する米国人が増加>だそうだ。CNNの世論調査(10月4〜7日)によれば、46%が再選を、47%が敗退を予想した。3月の調査では、再選予想40%、敗退54%だった。

識者の一部もトランプ擁護になびき始める。ある人は「民意がエスタブリッシュメントのうそを正すというメカニズムが機能している」と表現。(1016)

またある記者は、トランプ支持者を取材した感想として、政治の機能不全によって“民主主義の危機”が招来し、その結果としてトランプ旋風が起こったとの見方を披露。(1017)

いずれも、メディアに叩かれ続けてもコアな支持層が離れないことを意識している。だが私には、民意への安易な追随にしか見えない。ピントが外れていると言ってもいい。

“民主主義の危機”を唱える言論人の意図は何か。トランプ大統領は、自分を批判する記事を「フェイクニュース」と攻撃し、それらを報道するメディアを「国民の敵」とまでののしる。メディア側にしてみれば、トランプ大統領が“民主主義の危機”の原因となっている。一方、大衆にとっては“危機”ではない。

8月に、<トランプ大統領のメディア攻撃、全米400紙以上が社説で非難>という出来事があった。先日、さらに踏み込む動きがあった。<米国ペンクラブが16日、メディアに対するトランプ大統領の行き過ぎた攻撃や圧力が表現の自由を定めた米憲法修正1条違反に当たるとして、ニューヨークの連邦地裁に提訴>。

メディアの存在そのものを否定するかのようなトランプ大統領の振る舞いに、言論人の怒りは治まらない。民主主義国家に、そのような大統領は存在していてはならない!ぐらいの怒りを感じる。

欧米の近代国家にあって、そこまで言論界から突き放された国家元首は珍しい。現職に留まることは難しいとの観測が出てもおかしくない。ところが民意はそれに呼応しない。支持率は4割台をキープする。

こうなると、批判することが得意な識者たちも不安になる。すべてを疑うよう教育されてきた彼らは、常識や過去の自分の考え方さえも疑い始める。やがて思考は煮詰まり、ベクトルは反転する。

記者たちはというと、民意に同化するという形で転向していく。大衆に寄り添うことが好きな彼らは、言論界で主流の意見とは異なる民衆の意向こそ伝えるべきと考える。やがて、単なる伝達者から擁護者になっていく。

転向などと大げさな表現を使ったが、リーダーに対する見方の変化はよくある現象だ。トランプ大統領でさえそうなったかという感慨を持つが、そろそろ起こるだろうとも思っていた。

権力者は時間とともに権威を帯びていく。その地位にとどまっているというだけで、民衆は威厳を感じ、その言動に敬意を示すようになる。権力者がそれなりに板に付いてくるのは、本人の意識の成熟だけでなく、民衆の認識の変化によるところが大きい。

大衆は権威が好きだ。権威に従うのが大好きだ。生活苦に陥るなど直接的な被害を受けない限り、権力者に権威を与え続ける。権威の増大に加担する。

そこに理由はない。権力者が何をやっているのかにさえ関心がない。権力者の判断や行動が自分たちに何をもたらすのかを考えようともしない。というより、考えるという面倒を避けたいから、盲目的に従えばよい権力者の出現を歓迎する。

だからトランプ大統領の王様気取りにも意を介さない。7月、ユンケル欧州委員長の訪米前にツイッターで「アメリカを不公平に扱ってきた国々が次々に交渉にやってくる」と放言したが、頼もしく感じるだけのこと。

大衆にとって、敵を指し示してくれる権威は、さらに好ましい存在である。我々は収奪されている! それが苦境の原因だ! 中国やメキシコやカナダやEUや日本のせいである、移民のせいである!

敵視政策は、苦境に陥る大衆に憂さ晴らしを与えるだけではない。苦境を打開するための努力なんかしなくてもよいとの甘い囁きにもなっている。あり難き大統領である。信者になりたくもなる。

しかしトランプ大統領は尊大である。
尊大な人間は暴走するという法則は、小学5年生でも分かる人間理解の初歩だ。
すべてを他人のせいにして安逸をむさぼる人間は没落する。中学生にも分かる理屈だ。

言論人たちは、尊大さに危機感を覚えているのである。トランプ大統領の言動に同調する信者たちも尊大さを身に着けつつある。それを食い止めることがトランプ批判の真意である。

「民主主義とは何か?」は深遠なテーマだ。普通選挙を実施していれば良いというものではない。大衆に支持された人間が統治者になってさえいれば民主主義が機能していると考えるのは単純すぎる。

「スマートな“上から目線”の人々を嫌い、凡庸で野暮な存在に親近感を覚える」とは古谷経衡氏による日本のネトウヨに対する論評だが、大衆一般に通じる共通感覚でもある。そんな感覚頼りの投票行動でよいのかと、謙虚な大衆なら考える。だが甘やかされた大衆は、自分の感覚を全面的に肯定するようになる。

「民主主義というのは、共同体を壊すもの」と説く宮崎学氏は普通選挙を手放しで肯定しない。<投票というだれでもできる単純な行為に、政治行動が「単純化」される>。その結果、民主主義は形骸化して行った(『突破者外伝』)。日本の戦後政治への論評だが、民主主義国全般への警鐘となろう。

大衆の意向に従い、選挙結果だけに頼る民主主義は、尊大な元首を生み出し、尊大な政治となり、尊大な思考を民衆に蔓延させる。個々の政策の良し悪しの問題ではない。

前回の話に対する意見として、「社会主義国が計画経済を放棄するのは矛盾ではない。共産主義革命と混同している」との指摘がある。中国は1992年に行われた南巡講話で、経済改革のさらなる推進をぶち上げ、それ以降、「社会主義市場経済」と呼ぶようになったそうだ。

「社会主義市場経済」は当然、市場原理にすべてを任せる経済体制ではない。市場は国家の管理下にあり、市場原理は指導部が許す範囲で導入される。つまり、統制経済のままというわけ?

自国の経済体制をどう表現するかは自由だ。一方の西側諸国だって自由主義経済と表現しつつ、実際は様々な規制が設けられている。たとえば独占禁止法は、自由競争を阻害しないことを目的としつつ、需要者・消費者の利益保護が主眼となっている。

どこまで規制を強めれば統制経済と判定されるのか。線引きは難しい。相対的なものでしかない。
「社会主義市場経済」との表現に対しても、私は意見するつもりはない。
政治体制と経済体制を区別してもよい。だが社会主義国は元来、計画経済を政治体制の一部として強固に組み入れていた。なのに放棄した。だから矛盾と表現したまでだ。

付け加えれば、矛盾しているから計画経済に戻せと言うつもりはありません。どの国の人々も経済的に潤うことを望んでいる。人類は昔から、経済的に成功している集団のマネをしながら共に生きてきた。現代はたまたま西側諸国の経済体制が優位となっているに過ぎない。

中国指導部もそのように考えている。昨年の共産党大会で習総書記は「社会主義現代化強国」を目指すと宣言した。西側先進国への対抗意識は強い。

『習近平発言集』に掲載されている欧米に対する言葉にも、それが表れている。(記事より転載20171024)
・敵対勢力の「普遍的価値」はみせかけだけのごまかしだ。我々の陣地、人心、民衆を奪おうとしている。
・国際世論では依然西側が強く中国は弱い。だが、この構造は変えられないわけではない。
・西側敵対勢力は我が国の発展を脅威とみており、党や政府への民衆の不満を煽っている。

まるで敵国と対峙しているがごとく、西側の政治思想の侵略を恐れている。国内向けの発言であるにしても、かなりの拒否反応である。ただ、この『発言集』には4〜5年前の言葉も含まれているから、現在の心境と一致しない部分もあろう。中国指導部の自信は、目下、経済同様、高度成長中である。

西側諸国の経済は、ここ数年で困難が倍加した雰囲気がある。トランプ政権誕生による混乱も加わる。今の中国指導部の心境は「欧米流の民主主義なんてクソくらえ!」ぐらいのものになっているのではないか。

中国に頼る国が増えた。中国は、経済規模の小さな国に圧力をかける力をすでに持っている。
東南アジアの国々は中国の経済力に引きつけられつつある。中国への輸出で儲け、中国からの融資でインフラを整え、中国の資本で産業が立ち上がる。

カンボジアの総選挙前、同国で不動産を手がける中国人は次のように語ったという。
「選挙は与党が100%勝つ。安心した中国人の投資が増える。政党が少ないほど政治は安定し、経済は成長する。中国が手本だ」(20180502)

中国が手本で本当によいのか。社会生活はどうなる。インターネットは国家管理され、新聞・書籍の発行には検閲が入り、政治運動は封じ込められる。言論は統制すべきものとなっていく。指導部への批判は許されず、政治犯には重罰が科される。結社は国家が公認するものだけとなる。

大衆に影響力を持つ扇動者が現れれば、国家転覆罪で極刑を科すこともできる国になっていく。政権交代はクーデターのような荒々しいものでしか実現しない国になる。

もっとも、内乱罪は西側諸国にもある。政治的なテロ行為に目を光らせている。西側諸国が政治的に全く自由だとは言わないが、それでも言論の自由は守る建前であり、政権交代は平和的になし得る。政敵を暗殺したり、監禁・投獄することを許されない。

西側諸国だって監視社会になりつつある。アメリカでは自国を経由するメール内容が国によって閲覧されていたことが暴露された。日本でも犯罪捜査の一環として通信傍受が限定的に許されている。それでも通信傍受が政治的問題をはらむのは、国家といえども国民のプライバシーを侵害してはならないからである。

しかし後進国にとって、豊かになることの魅力は大きい。ダニー・オブライエン氏に言わせると「多くの中国人はプライバシーを政府に渡すことに嫌悪感を抱かない」。中国を手本に経済発展を目指す国の人々も、同様な感覚になる可能性が高い。

中国では電子決済の普及が目覚ましく、今や現金払いの方が例外となった。消費者の購買行動が網羅的に把握されるようになり、その蓄積情報によって個人の信用力が格付けされるというから驚く。

日常行動もほとんど筒抜け。<中国では、街に設置された1.7億台の監視カメラとAIを連動させて、常時国民を監視するシステムがすでに稼働。20年までにさらに4億台のカメラを追加する予定という>。20180215

もっとも西側諸国でも監視カメラの設置は進む。日本も例外ではない。民間設置が主流であるが、犯罪者摘発に威力を発揮している。画像に映った人物を治安当局の情報と即座に照合する装置を備える公共施設もある。『ターミネーター』の世界さながらに、特殊な眼鏡型ディスプレイも開発されている。

おや、話が混沌としてきたぞ。中国の統制経済や監視社会を一刀両断できない。似たようなことは西側もやっていると言われる状況だ。程度の問題でしかないのか。もしかしたら大衆とは、地域に関係なく、プライバシーが侵害されることを恐れない人たちのことなのかもしれない。

中国人にとって自国での政治批判は危険が伴う。体制批判と受け取られれば、投獄の憂き目にあう。しかし、そんな窮屈な政治状況を多くの中国人は苦にしていない。

エズラ・ボーゲル氏は言う。「北京の若者は中国の政治制度が世界一だと信じています」(20180417)

中国指導部が経済成長によって得た自信は、国民にも波及しつつあるようだ。そしてこの自信が政治制度と結びつく。経済成長は政策によって可能となった→すなわち政策を遂行した国家のおかげ→すなわち国家を形づくる政治制度の勝利、との論法である。

中国は共産党一党独裁は堅持したまま、世界第2位の経済規模にまで上り詰めた。なにも民主主義国にならなくたって経済成長できるし、近代化を成し遂げられることを証明した。

貿易量は格段に増加し、今や中国は、世界の主要国すべてと経済関係を持つに至る。国際社会での発言力は高まり、経済問題を話し合う国際協議の場で主役を演じることが増える。各国の経済政策は中国を意識したものとなり、中国に対抗するための経済協定が結ばれるようになる。

世界経済に大きな影響を与える存在となったことを誇らしく思う中国国民が増えるのは当然だ。

しかし政治制度と結びつけるのは単純すぎる。経済成長のポイントは市場経済の導入と外資受け入れであり、政治制度に根差した功績ではない。むしろ計画経済を放棄することは社会主義国としてふさわしくない。

同じ社会主義国であるベトナムの経済も発展中である。やり方は全く同じ。1986年のドイモイ政策によって、市場経済の導入と外資受け入れが始まった。今では輸出産業がいくつも育つ。

中国とベトナムが開放政策に転じたのは、もう一つの社会主義大国であったソ連邦が崩壊する前である。それなりに先見性があったと言えるが、計画経済を放棄した以上、政治制度を維持したとは言えない。政治は社会主義で、経済は資本主義という使い分けのようだが、矛盾を抱える。「社会主義体制を維持し発展させるには豊かになることが必要だから」と強弁する中国人もいるようだが…

社会主義というより独裁体制という意味ならば、経済発展に寄与している面が多々ある。政策を変更しても内政の混乱を抑止できるし、政治的に安定しているという利点により、外資は長期的な投資がしやすい。

振り返れば、社会主義ではない国の多くが独裁体制によって経済を発展させてきた。“開発独裁”と言われた。経済発展を最優先にする政治体制のことで、国民の政治的自由は制限された。1970年代以降の韓国やフィリピン、インドネシアなどが典型で、それぞれ朴、マルコス、スハルトが独裁体制を敷いた。

軍事独裁という言葉もある。軍人が政治権力を握る場合だけでなく、軍部の意向が強く反映される政治体制も軍事独裁の範疇だろう。軍部を掌握しないと独裁政権は築けないとも言える。

軍事独裁によっても経済発展できる。政治的混乱が発生すると、タイなどの民主主義国でも軍部が介入してくるが、おかげで経済活動が滞らないという安定を得る。ミャンマーの軍部なんかも、そんな役割を意識しているのかもしれない。

独裁とまでいかなくても、後進国が近代化を成し遂げるには中央集権体制は必須だ。少ない資源で近代的な技術を導入しなければならないし、近代的な制度を学ばねばならない。となれば、財や人材を集中投下した方が効率が良い。

日本の近代化も、民主制の下で成し遂げられたわけではない。権力基盤を整えることを優先しながら近代化を進めた。権力者が失敗を恐れることなく、強権的に近代化の道筋を決めてきた。選挙権は近代化を成し遂げる過程で徐々に国民に付与していったに過ぎない。

戦前は日本に続くアジアの国はなかった。当時は、西欧先進国といえども、植民地から収奪することによって近代化を維持していたからだろう。アジア諸国も収奪の対象であり、近代化を共有するほどの余裕はなかった。

その後、科学技術が発展し、金融制度など経済活動も洗練されていく。国際協調という政治思想の広がりも得て、後進国に近代化への道が開かれた。市場経済と開放政策を導入さえすれば、どの地域の国でも経済発展できる時代になった。政治制度も不問、体制が安定していればよい。

言うなれば「民主化不要!外資は必ずやってくる」てな感じか。

なぜ外資はやってくるのか。資本主義経済の冷徹な法則が作用しているに過ぎない。「労働力が安い国で製品を作った方が儲かる」に始まり、「経済が発展中の国の方がより多く売れる」「消費が増えている国でシェアを獲得しないとライバル企業に負ける」といった動機で資本はどこにでも投下される。

西欧諸国だって、近代化の黎明期、今の基準で民主主義国と言える国はなかった。つまり順序は、産業の近代化→経済の発展→生活水準の向上→政治の民主化、である。

しかしこの法則も、中国が世界最大の経済国となれば崩れるかもしれない。経済が世界一なら政治制度だって世界一という単純な考え方が、経済発展を目指す国々に浸透する可能性がある。

中国のGDPがアメリカを抜いて世界一になるのは、もはや時間の問題である。中国の人口はアメリカの4倍以上。一人当たりGDPがアメリカの25%に達するだけで、グロースはアメリカを上回る。今は約15%。

チャイナ・アズ・ナンバーワンという時代をどう生きるかが、世界各国の近未来の課題である。社会主義という政治制度への期待はソ連邦崩壊で一旦は潰えたが、再び期待の政治制度となるかもしれない。

トランプ大統領の言動を狂気と指弾し、安部政権の政策を非難してきました。為政者も間違うことがあるので許されるはずだが、執拗に繰り返すと体制批判とされかねない。

「民主主義を否定したいのですか? 普通選挙で選ばれた人たちですよ」

トランプ大統領にとって貿易赤字は、商売人にとっての赤字と同様、断固として阻止すべきものとなっている。商売感覚で政治をやるな!と攻撃したいところだが、アメリカ国民の多くと共有している感覚であるならば、トランプ大統領は民主的な政治を行っていることになる。

貿易黒字は、本来、産業の競争力を向上させることで達成すべきもの。ところがトランプ大統領は、アメリカの財産を収奪している!と叫び、相手国を威圧することで実現しようとする。

国際社会で評判の悪いトランプ流ではあるが、自国民の大半が同調してくれるのなら、国民のために働いているとの体裁が整う。それを抑え込もうとする主張こそ民主主義の否定になる。

ならば大衆に考えを改めてもらおう。高関税によって輸入品を締め出す保護貿易主義は、マイナス面の方が大きく、民衆に不幸をもたらすと教えよう。
しかし理屈だけでは、大衆は納得しそうにない。歴史を振り返っても明らかだ!などと畳みかけようものなら、むしろ反感を買う。単純で理解力の乏しい子どものように扱われていると感じるからだ。

大衆にとって、知性面で劣っている事実を突きつけられることほどムカつくことはない。やっかいなことに、劣等感が募るほど彼らの自己愛は強くなっていく。自己愛が強くなるほど反省ができなくなる。ますます聞く耳を持たなくなるという悪循環。

トランプ大統領もかなり自己愛が強い。知性への嫌悪も見て取れる。大衆との親和性は高い。

こうした政治状況を、知識人たちはポピュリズムと言う。衆愚政治といった否定的な意味で使われる。だから大衆は開き直る。

「ポピュリズムの何がいけないのだ。オレたちの時代ということだ!」

日本だって似たようなもの。斎藤環氏が『世界が土曜の夜の夢なら』という著書の中で分析する<ヤンキー>は、大衆の典型例である。ヤンキーは行動主義を奨励する。<その一方で、全体の状況を冷静に判断し、緻密な予測と計算に基づいて行動するような姿勢は一貫して軽蔑される>

論理的な説明や知性に訴えかける説得は、彼らをどこにも導かない。むしろ拒否反応となって返ってくる。中には、“知性”は常に自分たちをだます!と思い込んでいる人さえいる。

いずこの大衆も同じ。ていうか、ヤンキーってそもそもアメリカ人のことじゃん!

報道によればトランプ大統領とメルケル首相は仲が悪いらしい。当然だろう。ヤンキーと物理学者だ。トランプ大統領がメルケル首相の科学的な説明や理性的な語り口に反発する姿が目に浮かぶようだ。

先の斎藤環氏の著書で引用されるミュージシャン・近田春夫氏の発言も興味深い。
「ヤンキーにとっては、音楽は目的というより、むしろ手段であることが結果的に多い」「平たく言えば、それは表現である前にまずビジネス(シノギ)なのだ」

音楽などの表現活動がビジネスならば、政治活動がビジネスにならないわけがない。そこには理念もなければ、正義といった観念もない。ひたすら商業的な成功を追い求め、勝者になる快楽を欲する。

だから“ヤンキー政治”は、手段を選ばないという方向に進む。すなわちルール無用。相手の弱みに付け込む、脅す、抱き込む、罠にかける、噓をつく…何でもありである。

保護貿易主義によって、鉄鋼や自動車などの製造業が巨額の貿易黒字を生み出す産業に生まれ変わると本気で思っているのだろうか。中国には、赤字削減に協力しなければ日用品や衣料品にも高関税を課すと圧力をかけるが、軽工業が先進国で復活することはありえない。

製造業で新興国に勝ちたいと本気で思っているのならば、賃金を引き下げ、生活水準を落とすしかない。そんな覚悟もないくせに、なにが民主主義だ。オレたちの時代だ。

「民主主義は欠陥体制とでも言いたいのですか。社会主義の方が優れた政治体制とでも?」

アジアの社会主義国は自信をつけつつある。大衆に自由を与えすぎるのは良くないとの思想を世界にばらまく。
自由を失わないためにも、愚かな大衆のままではいけないと思うわけです。

それとも大衆にとって自由はあまり価値がないのかな。自由のなさよりも金持ちになれることの方がうれしい!と考える中国人が増殖中らしい。先進国でも同じか。大衆と社会主義の親和性は高いということなのか。

とはいえ保護貿易主義では金持ちになれません。保護貿易主義を先進国で採用すれば、物価が上がるだけだ。事実、政治的に守られた産業の供給物は高価だ。つまり生活は貧しくなる。ビジネスとして成功しない。

やはりヤンキー政治はめちゃくちゃだ。多数派の意見が正しいとは限らないというより、感情だけで集結した多数派は常に間違う。多数派の行動が横暴の域に達すれば、その被害は少数派にも及ぶ。

次は、知識人という少数派が反乱をおこす番かもね。

米朝首脳会談を受けて日本はどうすれば?
安倍首相が金委員長と会うことで得られるものは?

これらの問いに答えるのは非常に難しい。

まず、金委員長にとって最大の脅威はアメリカだ。その親玉と会って当面の安全を確保した以上、その配下のような存在の安倍首相に会う意義は大きくない。軍事的な意味では、会う必要性は全くない。体制維持を認めてもらう相手とも思っていない。

加えて、「核廃棄宣言」だけで納得してくれるトランプ大統領と違い、日本との間には「拉致問題」がある。どこまでやれば「拉致問題は解決」と思ってもらえるのか…。拉致被害者を新たに返還したとしても、「まだ返還していない被害者がいるのではないか」との疑念を持たれる。死亡したとの報告は信じてもらえない。

金正日総書記時代に返還に応じた際の日本の反応がその証拠である。国際法に違反し、人権を侵害したことを素直に認めたわけだが、その勇気を評価する声は聞こえてこなかった。拉致問題は存在しないと言ってきた北朝鮮にとって、前言を撤回するダメージは大きい。にもかかわらず見返りはなかった。

そんなふうに学習した北朝鮮は、日本から戦争賠償金を受け取るのは困難だと感じている。となれば、経済的な意味でも安倍首相と会う意義は低い。
日本への期待としてかつてあった、米朝接触の仲介という役割もすでに無用となった。

日本から得られるものがないとなれば、北朝鮮だって日本に何も提供しない。つまり、日朝首脳会談を行ったとしても、日本が得られるものはほとんどないと判断せざるを得ない。

おろらく、北朝鮮は実質的にも拉致問題を解決できない。存命にもかかわらず返還に応じなかった日本人被害者がいるはずだ。人権を蹂躙した度合いが高い被害者たちだ。解放すれば本人の証言が国際社会に知れ渡る。それが怖いから返還できない。(一方、返還に応じた被害者への人権侵害の程度は低かった)

解決の期待が全くないわけではない。金委員長には逃げ道が残されている。日本人拉致は旧指導層が行ったことであり、自分はあずかり知らぬと申し開きができる。この言い分を日本が受け入れれば、もしかしたら拉致の全容をつまびらかにするかもしれない。

金委員長は今、先代とは違う政治ができる指導者であるとの高揚感に包まれている。日本もこの機会を逃してはいけない、という考えも成り立つ。核廃棄を決断できる指導者であるならば、日本人拉致を主導した旧指導層を処分することも可能、というわけだ。

だが、そのように誘導することが日本政府にできるだろうか。誘導するには、立派な指導者であると金委員長を持ち上げなくてはならない感じだ。そうまでして解決に導くべきなのだろうか。

交渉である以上、相手をおだてて利益を得るという方法論は正当である。でもこの方法には、相手が増長するというリスクが伴う。「まず、そちらが誠意を示せ!」なんて言い出しかねない。

金委員長は外交にも自信を持ってしまった。韓国の文大統領とは会いたいときに会える間柄になった。中国の習国家主席との会合も容易になった。トランプ大統領にも気に入られた。

それにしてもトランプ大統領の金委員長に対する評価は異常だ。「非常に気が合う。とてもいいことだ」と記者団に明言。さらに、FOXテレビのインタビュー(17日)では「彼は強い指導者だ。彼が話す時、国民は直立して聞く。アメリカ国民も同じようにしてほしい」と語る始末。

トランプ大統領もついに狂ったか! もはや“持ち上げる”とか“おだてる”の域を超えている。まるで北朝鮮の独裁体制を賛美しているみたいじゃないか。オレも金正恩のような独裁者になりたい!と言っているに等しい。西側の国のトップとしてはあり得ない表現だ。

この絶賛は、日本の対北朝鮮政策にも大きく影響する。金委員長は、安倍首相にもトランプ大統領と同等以上の評価を期待する、というか、同等以上の評価をしなければ日本と交渉しようと思わなくなる。そこまで増長させる威力がトランプ発言にはある。北朝鮮は日本をアメリカの属国としか見ていないのだから…

こうなると、日本にとってはトランプ大統領が鬼門だ。日本も「核廃棄」だけで満足せよ!という方向性になりかねない。

北朝鮮問題に限らない。通商政策においてもトランプ大統領は日本に悪影響をもたらす存在になりつつある。
TPPから脱退し、イラン核合意にケチをつけ、パリ協定を否定し、貿易戦争に火をつけたトランプ…。当然、国際社会からは不平の嵐が降り注ぐ。国内でも、容赦ない愚弄の言葉を浴びている。

つべこべ言われたくない!――そんな苛立ちの中にいるトランプ…。政治経験があれば、周りからつべこべ言われることへの耐性も少しはついていたのだろうが、不動産王とおだてられてきた経験しかない。指図されるなんてもってのほかだ。独裁者にあこがれる素地はあったと言えよう。

文句を言われることへの耐性のなさという弱点を抱えた人間は怖い。沸点を越えれば苛立ちは狂気へと成長しかねない。そんな人間と良好な関係を築かなければならない安倍首相も大変だ。

いきなり指導者の地位に就いた金委員長も同じ弱点を抱えていると見るべきだろうが、日本は、そんな若き指導者の増長を怖がっている場合ではないのかもしれない。軍事的に同盟関係にあり、経済的な結びつきの強い国のトップの狂気の方がはるかに恐ろしい――そんな状況の中に日本はいるように思います。


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